第七話 選択肢

 彼女は俺の腕を見ると、一言「手遅れか」と言い、俺の腕に包帯を巻き始めた。


 近づいて初めて、彼女の顔を認識できた。

 目は髪の色と同じ、炎のような赤色で、目を合わせれば燃やし尽くされそうな力強さがあった。

 彼女の魔力を見なくても、さっきの魔獣よりも遥かに強い事がわかる。

 

 とっさに、彼女には失礼があってはならないと、そう思わされた。

 

 彼女は包帯を巻き終えると、俺の後ろに周る。

 腕がぶらつかないよう、グルグル巻きの腕を別の包帯で首から吊り、安定させてくれた。


「これでいいだろう。痛みはないか?」

「はい……。ありがとうございます」

「…………」


 処置が終わり、俺の後ろから声をかけた彼女はそれ以降、何も言ってはこなかった。


 気まずい。


「あの、お姉さん。お名前は?」


 自分のコミュニケーション能力の低さにがっかりしていると、ナナリーが会話を引き継いでくれた。


「セレスティだ」

「…………」


 ナナリーが俺をチラチラ見てくるが、役に立てそうにない。


 なぜなら前世の人生を含め、家族以外と喋るのはかなり久しぶりだからだ。

 家族以外との接し方を、俺は忘れている。


 いずれにせよ、勇気を出して会話をするしかない。


 そうだ、俺は今、子供だ。

 何も考えず、ナナリーのように振る舞えば、それでいいんだ。


「あの、セレスティさんは、なんで村の外れの、こんな場所にいらしたんですか?」


 結果、緊張して変な敬語が混じってしまった。

 恥ずかしい。

 

「あぁ、ある少年を探しに来たんだが、多分坊やのことだ」


 俺を探している、そう言って俺の右腕に目線を落とした。


「どうして僕のことを?」

「坊やの手のアザのことを聞いてな。様子を見にきたんだ」


 やっぱり、そうか。

 俺を探しにくるなんて、理由はそれしかないと思っていた。

 そうすると、解呪の魔法を知っている人物か。

 ひとまず家に案内し、話を聞くことにしよう。


「そうだったんですね。ひとまず家にご案内しますから、お話はそれからでも……」


 家、という自分が発した言葉にハッとする。

 すっかり忘れていた、家は火事の真っ最中だ。

 どうしよう。


 このまま家に案内しても失礼にならないだろうか。

 ともあれ、ルーズやセーラ、リザ達の安否が気になるのも事実だ。


「あー、今家で火事が起きてまして、家族のことも心配ですから一緒に着いてきていただけませんか?」

「構わない。行こう」


 セレスティは動けない俺と、ナナリーを両肩で担ぎ、家とは逆方向へと進み出した。

 ナナリーが慌てて家の方向を教えると「そうか」とバツが悪そうに小声で呟いて、家へと向かってくれた。




 林道を抜け、家が見えてきた。

 近づくにつれ、何かが焦げた匂いが、鼻を焼くように刺激し始める。


 やっぱり、家は火事だったんだ。

 ルーズを含めた三人で見た時より、煙が小さくなっていることを考えると、消火活動も順調のようだ。


 俺がほっとしていると、セレスティの歩くスピードが上がった。

 いや、走り出した。


 しかも、かなりのスピードで。


「あばばわわわわ!セレスティさん!どうしたんですか!?」

「魔獣の匂いがする」


 セレスティの言葉で一気に緊張が走った。

 ルーズは何度も仕事で魔獣と戦っているようだから、きっと無事なはず。

 だが煙が魔獣によるものだとすれば、手遅れだった可能性もある。


 最悪の結末を考え、身体中に汗が湧き出す。

 体に当たる強い風が体を冷やし、全身を震わせた。

 

「大丈夫だ、人の血の匂いはしない」


 俺の恐怖を感じたのか、セレスティは抑揚のない声で言った。

 まだ出会って間もないが、嘘を言うような人にはみえない。


 少しは安心していいかもしれない。

 

 セレスティの走るスピードはかなり速く、まるで車に乗っているようで、あっという間に家に着いた。


 乾いた目を擦り、一言も話さないナナリーの方を見ると、セレスティの肩でぐったりとした体勢で、気を失っていた。


 なににしても、ちょうどいい。

 この光景はナナリーが見るには、少し残酷すぎるかもしれない。


「こ、これは……」


 家の周りには、魔獣の死体が複数転がっていた。

 壁は半分以上血の色で、変わり果てた姿になっている。


 セーラが大事に育てていた花も木も、ほとんどが踏み荒らされ、血を被っている。


 焼け焦げた煤と、生物の死体の匂いがあたりに充満している。

 初めて嗅いだその匂いは、吐き気を誘発させ、目の前の惨状をより酷いものにしていた。


「セレスティさん……人の血の匂いはしないって言っていませんでしか?」

「これは、全て魔獣のものだ。ひとまず中へ入るぞ」


 魔獣の血、ということはこの数をルーズ一人で倒したということだ。

 それにもかかわらず、ルーズは俺たちを迎えに来ていない。

 考えたくはないが、家の中で三人が力尽きている想像をしてしまう。

 

 セレスティは躊躇なくドアを開ける。

 俺はセレスティの後ろに隠れながらも、ドアの向こう側を確認した。


 目の前には、いつも食事をする、大きなテーブルがある。

 側には、全身血まみれの男が一人、倒れ込んでいた。


 ルーズだ。


「お、お父様!大丈夫ですか!?」


 詳しくないが、この血の量、明らかに致死量だ。

 かろうじて息はあるみたいだけど、今すぐ治療をしなければ、ルーズはこのまま死んでしまう。

 リザがいればすでに治療しているはずだ。

 つまり、リザはこの家にはいない。

 

 ルーズを治療できる人間はいない。


 他人の死を感じるのは何度目だろうか、前世で何度も経験したその感覚が、数年ぶりに、容赦無く襲いかかってきた。

 俺のせい、俺がいたから、俺が関わってしまったから。

 その責任から、逃れることができずに心が押しつぶされそうだった。


「安心しろ坊や。殆どが魔獣の返り血だ。その男はほっといても死なない」

「そ、そうなんですか…」


 俺たちは、ルーズが目を覚ますのを大人しく待つことにした。




 太陽が沈みかけ、空が赤色に染まってきた頃、ルーズは目を覚ました。


 ルーズはかなり取り乱し、錯乱していたが、俺とナナリーが無事だと分かると、少しだけ、落ち着きを取り戻した。


「すまない、あんたが子供たちを助けてくれたんだな。えっと……」

「セレスティだ。いや、私はここまで一緒にきただけだ」

「ルーズだ。セレスティさん、本当にありがとう」


 お礼を言うと、まだ力の入っていない足を支えながら立ち上がり、玄関の方へ体を向けた。

 足取りがおぼつかないまま、外に出ようとする姿は、何かに取り憑かれているみたいだった。


「ルーズよ、その体でどこに行くつもりだ」


 セレスティは、相変わらずメリハリの無い声でルーズを呼び止めた。

 玄関の前で立ち止まったルーズの返事からは、揺るがない決意を感じた。


「セーラとリザがいないんだ。探しに行く」

「子供たちはどうするつもりだ」


 ルーズは何も言い返さなかった。

 妻であるセーラも、子供の俺、そしてナナリーも、どちらも掛け替えのない存在だろう。

 俺にはまだ、どちらを優先すべきかなんて想像もつかない。

 前世の年齢を足しても、少しだけ年上のルーズだって、難しい選択肢のはず。

 俺なら、選べない。

 選択を放棄するだろう。


 ルーズは俺たちの方に振り返り、俺とまだ気を失っているナナリーに目を向けた。


「そうだ、な。すまない。セレスティさん、あんたの言う通りだ」

「構わない。それに、二人の行方だが、私には心当たりがある」


 セレスティの言葉に、ルーズは目を点にして食らいつく。


「この手口、あるがよくやる手だ。知能の高い魔獣を従え、優秀な魔術師をさらい、手駒に加えている。だから生きている可能性は高い。安心しろ」

「な、なら、そいつらはどこにいるんだ!?なんでそんなことを!?」


 ルーズが起きる前、俺にも事前に説明されていた、その集団。

 魔法が作られた起源、魔力の源を信仰の対象としている彼らが、なぜ人をさらっているのかは、まだ分からないから生きている可能性はある。


「落ち着け、居場所も、理由も分かっていない。だが、奴らが現れた場所には決まって独特の匂いが残る。ここは、その匂いが異常に濃い。奴らは、確実に関わっている」


 居場所もわからないんじゃ、ルーズも黙るしかなかった。

 セレスティ曰く、今は手がかりを追うので精一杯なようだ。

 

 ともあれ、今回の事件も俺の呪いのような体質が原因じゃなかったみたいだ。


 いや、この呪いが呼び寄せた?


「あ!あのセレスティさん」

 

 大事なことを忘れていた。

 セレスティがここにいる理由。

 俺の呪いについてだ。


「僕のこの腕のアザ、呪いについても聞いていいでしょうか」

「あぁ、そうだったな。本命はそっちだった」


 セレスティの言葉にルーズは少しだけ、表情が明るくなった。


「あんた、ナディーの呪いを解けるのか!?」

「いや、解けない。あなたが出会った、私の仲間から聞いた話だと解けるはずだった。だが実際に見てみれば、これは全く別物の呪いだ。これを解呪する方法を、私は知らない」


 期待が大きく外れた。

 どうやら俺はかなり恨みをかっているみたいだ。

 頼みの綱が切れ、目が潤み始めた。

 泣き顔を隠すように、ゆっくりと頭を下げた。


「だが、呪いを抑えることが出来る知り合いがいる。まだ諦めるな」

 

 俺の下がった頭に、力強い大きな手がそっと置かれた。

 セレスティの声は、やっぱり淡々としていたけど、置かれた手からは、しっかりと温かい感情が伝わってきた。


「ルーズ、と言ったか。あなたさえ良ければ、坊やを知り合いに紹介しよう。ただ知り合いは北の訓練所に席を置いている。必然と離れ離れになるが」


 北の訓練所、聞き覚えのない単語だ。

 そこが何をするところで、どれだけの距離なのか分からず、不安が胸に広がる。


「訓練所、アカデミーか……。いや、だめだ。早すぎる。ナディーはまだ生まれて三年未満だし、道のりが危険すぎる。それに、悪いがまだアンタを完全に信用できない」

「そうか。まぁ、まだ私はこの村に滞在するつもりだ。出て行くまでによく考えるといい」


 セレスティはそう言い残すと、静かに家を出ていった。

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