第二話 奇跡との遭遇

 俺が赤ちゃんになってしまって半年程が過ぎた。

 今のところ、前世とは違い、奇怪な現象や不可解な事件は起きていない。

 どうやら呪いのような体質は消えているのかもしれない。


 その点は良かったと思えるが、この状況に暫くは混乱した。

 だが、一ヶ月も経てばその混乱も収まり、この生を全うする覚悟も出来つつあった。

 それに、みんなが話す言葉は大体分かるようになってきて退屈することもなく、楽しめている。


「ナディー。お父さんはー、今日からまたお仕事が始まってー、そばにいないけどー、寂しくなーいー?」


 やたらと語尾を伸ばしながら話すのは、新しい母親のセーラだ。

 今は全くそんなことはないが、最近までは母親のセーラが苦手だった。

 というのも、セーラのはっきりとした顔立ちから、前世の母親と同じ恐ろしさを感じていたからだ。


 だがそれは、おれの勘違いだった。


 俺の顔を見つめ、おっとりした声で俺にいろんな話を聞かせてくれる。

 なんてことのない日常の話だったが、心があたたかく、愛情深い人なんだと分かった。


 それからというもの、見つめられると、やけにこっぱずかしい。

 セーラの淡い栗色をした長髪をいじり、赤くなった顔を隠して誤魔化している。


「ナディアス様〜。今日も可愛いですね〜」


「もうリザったらー。本当にナディーにベタ惚れねー?」


 セーラから取り上げられ、別の誰かに抱き寄せられる。


 母親以上かと、そう思わせるくらいに可愛がってくれるのは、メイドのリザだ。


 耳と尻尾は相変わらず装備している。

 もしかして雇用条件に含まれているのか?


「ねー!ねー!リザ!あたしも、ナディー抱っこしたい!」


「勿論ですとも、ナナリーお嬢様」


 ぐいっと抱き寄せられ、頬擦りしてくるのは姉のナナリーだ。

 ナナリーはセーラと同じ髪色で、同じガラス玉みたいな深い青色の眼をしている。

 元の姉とは違い、優しく、純粋で、愛情を感じる。


 このままいい関係を築いていきたいが、俺の出来の悪さを知ったらこうはいかないんだろうな。


「ナディーはなにが得意な子になるんだろうね!お勉強かなー、かけっこかなー?」


「そうですね、ルーズお父様に似てかけっこが得意になるんじゃ無いでしょうか?」


 申し訳ないが、俺は勉強、運動どころか何も上手く出来ない男なんだ。

 きっと期待には応えられない。


「ふふ、みんなで愛情を注いであげればー、みんなに自然と似てくるわー」


「そっか!じゃあ、いっぱい注がないと!」


 セーラの発言でナナリーの頬ずりの威力が上がった。

 リザは「私も注ぎます!」と両手をこちらに向け、何かを注ぐポーズをとっていた。


 こんなにも愛情を注がれ、期待されるのは初めてだ。


 呪いのような体質も消え、恐らく俺の事を知っている人間なんて一人もいない。

 望んでいた環境とは違うけど、ここでなら、俺も変われる気がする。


 みんなの期待に応えられるように、頑張ろう。


 そう決意を固めていると玄関の方からギギギギーという音が響き渡った。

 何年もの間、開け閉めされ、使い込まれてきた木製のドアが、ゆっくりと開かれる音だった。


 入って来たのは新しい父親のルーズだ。

 仕事が終わった後なのだろう。

 表情は少し疲れた様子だ。


「おわ!何やってんだ?みんなナディーに変なポーズとって。何かの儀式か!?」


「お父様!おかえりなさい!今ね、ナディーに愛を注いでるの」


「ほおー。じゃあ俺も愛、注いでやんなきゃな」


 そう言ってルーズは俺の体を軽々と持ち上げた。

 ルーズの頬擦りは無精髭により攻撃力が桁違いで、今にも頬が擦り切れそうになる。


「ルーズ様、そんなにしてはナディアス様の顔が削れてしまいますよ」


 ルーズから俺を取り上げ、注意するリザ。

 リザの救出がなければ、危うく頬から血が流れ出すところだ。

 思わずルーズを睨め付ける、俺の頬は少し焦げ臭かった。


「う、すまない。ごめんなナディー。痛くなかったか?」


「すごーく嫌そうな顔してる!お父様、ごめんなさいしてください!」


 この家庭の温かさから、涙があふれ出そうになる。

 だけどその涙は空気中に漂う血の匂いで引っ込んだ。

 もしかすると俺の頬は既に擦り切れ、痛みで涙が出そうになったのかと考えていると、リザの驚いた声が部屋に響き渡った。


「ル、ルーズ様!背中から血が!」


「ん、あぁ。これくらい問題ないさ。久しぶりの仕事だったからな」


 どうやら血の匂いの発生源はルーズのようだが、その言いぐさから、そこまでの大怪我じゃないようだ。


「早く服をお脱ぎください!治療いたします」


 ルーズが俺たちをおろし、服を脱ぐと、リザが指摘した傷があらわになった。 


 切れ味の悪い刃物で無理やり切り裂いたように、ズタボロの切り傷は、赤ん坊の俺のサイズを超えるほどの大きさだ。

 それは仕事で負うような傷とは思えなかった。


 不思議なことに、今のところは血が止まっているように見える。

 ルーズの傷を観察していると「怖いから見ちゃダメ!」とナナリーが小さい手で俺の視界を遮ってくれた。


 前世で人の怪我を何度も見て来た俺は、ある程度態勢があったはずだ。

 けれど身内の人間が傷づついているところを見るのは、これが初めてだった。

 きっと、俺は怯えた顔をしていたのだろう。


 前世の事を考えていると、ふと俺の体質のことが頭によぎり、ある不安が生まれた。

 俺のせいでは、と。

 

「すぐに、治療を始めます」


 リザがそういうと、ナナリーの指の隙間から淡い光が差し込んできた。

 その光は温かく、俺の不安を和らげてくれるものだった。


 前世で最後に感じた、あの光とそっくりな気がしてならない。


 俺はナナリーの手を振り払い、光の正体をその目で確認した。


 その光はリザの手から発せられていた。

 手を当てている箇所の傷口が、肉と肉が結合していく。


 俺の今の境遇の原因ではなさそうだ。

 だが、その神秘的な光景から、俺は目が離せなかった。


 リザが今、何をしたか分からない。

 手品ではないはずだ。

 それは絶対に起きるはずのないことで、まるで奇跡のようだ。


 リザの手から光が消えた時。

 ルーズの傷は塞がり、何もなかったように綺麗になっていた。


「あら、たった半年しかお休みしていないのに。腕が落ちたのかしら」


「手厳しいな、セーラは。悪いなリザ。治療、助かった」


「ナナリー様の時もそうでしたが、怪我をされた時は先に治療をお受けください!」


 三人の反応からみて、今のはリザが起こした奇跡でも何でもなく、日常的に行われる事のようだった。

 それにナナリーの時も今のような傷を負ったということは、俺の体質のせいじゃないと思っていいんだろうか。


「あたしも、お父様のお怪我、治せるようになる?」


「もちろんだー!大きくなったらナナリーも魔法を使えるようになるさ。今はお父さんの背中をナデナデして癒してくれ~」


 背中にナナリーと俺を乗せ、怪我人とは思えないはしゃぎ方をする様子から、あの光で本当に治療出来たみたいだ。それに、とんでもない事をルーズは口にした。


(今、魔法って言った!?)

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