第44話 一年後……

「—―透き通れ」


 呪文を唱え、透明になる。

 魔法を使うのは、かなり久しぶりである。

 周辺に気を使いながら、迷宮を進んでいく。


 モマクトとイオオタの『母なる迷宮』崩壊の公式発表と『母なる迷宮』への探索制限令からちょうど一年後。

 ギルドは一般冒険者に対して、『母なる迷宮』探索解禁令の報せをだした。

 その報せを受けて、俺はフォコと二人でザヤミキの『母なる迷宮』、通称【第六迷宮】へと偵察を目的として訪れていた。


 今回は、入り口での冒険者免許確認と記録をきちんと受けた。

 多少面倒だとは思ったが、負担はそこまでぞうしていないように思える。


(それにしても冒険者がいすぎやしないか?)


 解禁されたばかりで人が多いのだろうか。

 なるべく人目につくのは避けたい。

 最深部まで潜るつもりはないが、ギルド職員の配置や数をできる限り確認したいからだ。


(暗い……ただそれだけなんだがな)


 探索中の【第六迷宮】は、地下迷宮型。

 地下へ、地下へと潜っていく必要があるアリの巣のようなダンジョンである。

 暗い地下通路を進むと、足元の石が冷たく感じられる。

 薄い光が遠くの曲がり角から差し込んでいる中、不気味な影が壁に投影されている。

 地面でまばらに光るコケや壁にランダムに設置されている魔石灯で視界は確保されているが、どこか不安をあおられているように感じてしまう。


 快適さを保つ効果のある【聖犬フォコの加護】のおかげで、湿気は感じない。


(苔がここまで群生しているんだ。実際はかなりジメジメしているんだろうな)


 足元に敷き詰められた苔が、湿った感触を伝えてくる。

 冒険者によって踏まれたのか、所々で欠けている部分もあるが、立派に繫茂している。

 それは迷宮の深部が一年間もの時間、閉ざされ、忘れ去られていたかを物語るようだった。


「フォコ、周りに気を配っておいてくれ。ギルド職員だけじゃなく、他の冒険者たちの様子も」

「おっけ~」


 フォコは頷き、腹ポケットから顔だけを出し、敏感な耳を立てて周囲の音に集中する。

 気配感知を習得したとはいえ、単純な五感だけなら、俺はフォコの足元にも及ばない。

 人間と犬の能力差であるため、比較するのもおかしいような気もするが。


 迷宮の中は静寂に包まれていた。

 時折、遠くで水滴が滴る音が聞こえ、足音が苔に沈む音が響く。

 明かりは魔石灯が提供しているが、それでも不気味な影が壁に揺れ動いているように見える。


 不安を感じながらも、俺は進んでいく。

 地下通路は曲がりくねり、時折広がりを見せるが、その先には未知の領域が広がっている。

 ここ、【第六迷宮】はかつて冒険者たちによって探索され、謎めいた出来事が起こった場所だ。


(さて、何が待っているんだろうな)


 思索に耽りつつも、透明の状態を維持しながら慎重に進む。

 冒険の先にあるものは未知数だが、それが冒険者たちを引き寄せる不思議な魅力でもあった。


 進んでいくうちに、地下迷宮の中はますます複雑で入り組んだ構造になっていた。

 どのルートが最深部までの最短ルートであるかはギルドの公式記録を閲覧したので、ある程度把握できているが、ほかの小部屋も確認しておく。

 出現するモンスターや地形を実際に目視しておきたいからである。


双頭狼ツインウルフ鶏頭牛体カウバード蛇手猿スネークハンド。ここにいるのは、全部中級モンスターか……あいつらなら楽に対処出来そうだな)


 キメラ型のモンスターが多いのが、【第六迷宮】の特徴である。

 このダンジョン固有のモンスターも多数存在するらしい。


 時折、通路は細くなり、また広がり、未知の空間に辿り着く度に、不安と興奮が入り混じった感情が心を駆け巡る。


「フォコ、どうだ?」


 フォコは首をかしげながら、鼻を使って周りの空気を嗅ぎ分けているようだった。


「モンスターや冒険者の匂いはするけど、危なそうなのはいないよ~」


 俺はうなずき、進む。

 気配感知でも強い気配は感じられない。


 地下六階層の奥まで潜ってきたが、ギルド職員らしき人間はいない。

 この迷宮は全十八階層。

 三分の一を踏破したが、ギルドの制服を着た人間もとはすれ違っていない。


(何でだ……? 警備は強化していない? それとも、最深部の門番を特別に増強しているのか?)


 選択肢が絞り切れていないにも関わらず、これ以上考えても仕方ないだろう。

 集中力が途切れそうなので、地下七階層を踏破したら、地上に戻ろう。

 そう考えていた。


 地下七階層にある小部屋に入る。

 この部屋には人の気配がない。


 「……っ!? 何だ?」


 突然、壁に不気味な模様が浮かび上がり、光だす。


「これは……古代文字か?」


 模様だと思っていたものは、規則性があるように感じられる。

 共通語が浸透してから、消えていった言語の一つだろう。


「何らかのトリガーを引いちまったのか?」


 ダンジョンで仕掛けが発動する際には、必ず何か条件がある。

 しかし、この部屋で特別な何かをした覚えはない。

 壁に触れてすらいないのだ。


「注意してくれ、フォコ。何かが待ち構えているかもしれない」

「うん」


 そう言って進んでいくと、小部屋の広間に辿り着いた。

 そこには大きな岩や古びた彫像が散らばり、何かしらの祭壇のようなものが中央に据えられていた。


「……」


 広間の中央に立つと、何かが変わるような感覚が襲ってきた。

 まるでこの場所が迷宮の中でも特別な力を持っているかのようだった。


「これは……」


 祭壇の上には奇妙な紋様が刻まれていて、その模様が幻想的に光を放っているようだった。

 何らかの魔法がかかっているのか、それとも迷宮の中心が本来持っている不可思議な力なのか、俺は考え込んでいた。


「ここで何か感じるか、フォコ?」


 腹ポケットから出たフォコは、祭壇の周りを歩き回り、鼻を使って確認する。


「特に変わった匂いはしないかな。ただ、ここが普通の場所じゃないことは感じるよ」

「……そうか。どっちにしろ、この文字を読めないとダメなんだろうな」


 これ以上何かを起こすには、おそらくまた何かしらの行動をしなければならないが、ノーヒントでそのアクションを起こすのは不可能に近い。

 古代文字を解読して、行動のヒントを受け取る必要があるのだろう。


「読めるか? フォコ」

「全然」

「俺もだ……帰るか」

「そうだね~」


 こういう系統の仕掛けは、宝物や宝石が転がっているレアな部屋につながっている当たりか、モンスターが大量にいる部屋につながっている外れの二択である。

 半々ではあるが、俺は当たりを引けた試しがない。

 せめて姉妹たちと来て、パーティの運勢を底上げしてからの方がいいだろう。


 ******


 プルプルプル。

 地下七階層までの偵察を終えて、当初の予定通り地上へと戻ったところ、腹ポケットから振動と音を感じる。

 地上に出てすぐに、通信機に連絡が入ったのである。


『トラス!』

「ソルディか、どうした――」

『どうしよ!? ラクアが! ラクアが、連れ去られちゃったの!!』

「何言って……?」


 修行を終えた姉妹たちは強い。

 そんじょそこらの中堅冒険者よりもはるかに。

 ラクアも例外ではない。

 にわかには信じがたいが……。


『パパに連れ去られちゃったの!』

「は……っ?」


 理解が追い付かず、俺の頭は思考を放棄しそうになったことを覚えている。


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