第十三話 彼女と私でWin-Winに

 簀子縁の端に座して待つ外記の耳に、御簾の内側の気配がほのかに聞こえてくる。

 そちらを睨み続ける訳にもいかないので、広大な庭を向いている。

 顔を上げる。

 陽が傾いてきたが、この頃はもう肌寒さも感じなくなっていた。


 御簾の内からの声が、より近くに聞こえるようになると、クルリと身を返して御簾に向かい、姿勢を整えた。


「――しつれい、いたします」


 近くで伊勢の声がしたと思うと、すぐに御簾が巻き上げられ、声の主が姿を現した。


「……外記」


 茫然と捉えどころのない表情の中に、外記の姿を認めると、青ざめた伊勢の頬に少し赤みが注したのがわかる。

 外記が立ち上がると、二人はどちらからとなく、ことさらゆっくりと歩き始めた。


「――お文、いただけた?」

「ん。姫様がね、お歌でご挨拶をされたものの、お返事だって」

「そっか。尼君様、お喜びになられただろうね」


 姫君と尼君は顔立ちに似たところはあったが、母娘の関係ではなさそうだ。貴人の事情に口さがないまねはしないが、血縁ではあるのだろう。

 双方が頻繁に行き来している様子はなく、互いの距離感はわからない。けれど、尼君が姫君に心を砕く姿は、外記も初日に見ている。


「ん、多分」


 伊勢の受け答えは、常の天衣無縫な率直さとは違って、屈託のため、ひっそりと口少なで、ぎこちなかった。

 しばらくは二人、無言のままに行く。


 伊勢が胸に抱く文を横目にちらりと見る。今度こそ役目をまっとうしなくては、とばかりの、固い意志を感じる。

 とてもその文を見せてくれ、と言える気軽さはない。

 そもそも、真摯な伊勢に比して、自分の下心が後ろめたくもあった。


「——なにはともあれ、お文をいただけたなら……よかったよ」


 手をこまねいて途方に暮れる。外記が言うと、初めて気づいたように、伊勢が顔を上げた。


「外記、どうして来てくれたの?」


 疑問はもっともで、伊勢が去った時のあの場の状況は、外記が後についてくるような雰囲気でもなかった。


「ん、宰相の君が、貴女を迎えに行けって」

「……宰相の君が?」

「そ! へーんな人だよね! 一人で行けって言ったり、ついて行けっていったりさ」


 外記は先程の宰相の君の皮肉な言い様を思い出して、顔をしかめつつ言い放った。一緒に笑い飛ばてくれることを期待した気持もあった。しかし、伊勢は静かなまま立ち止まって、思惑は不発に終わった。


「伊勢?」


 ふり返ると、伊勢は意表を突かれたような、あるいは困ったような、複雑な表情をしていた。


「どうしたの?」


 重ねて問う。

 伊勢は少し顔を背け、迷ったように視線をうろうろとさせて、困惑した横顔を露わにした。やがて顔を上げると、まっすぐに外記を見つめる。決意したような硬い顔を目の当たりにして少し驚くが、それにはかまわず、伊勢が口を開く。


「……あの、あのね、外記」

「——うん」


 伊勢は勢い込むが、そもそもがおっとり大様な気質と、舌足らずな話し方のために、常の朗らかさが失せると、必死に訴える幼子のいとけなさに似て、頼りない。


「わかったでしょ、私ね、いつもこんななの。いっつも、お役目に集中しなきゃ、ってわかってるのに、すぐ忘れちゃう」

「……そっか」

「おね、がいが、あるの」

「うん。なに?」

「私を、ね、見てて欲しいの」

「……」

「ふらふらして、どっか行っちゃう時に、教え、て……ください」


 情けない、と眉尻を下げて、思い通りにならない自分に困惑して、どうしていいかわからないから誤魔化して笑うしかない。

 そんなままならない伊勢の辛さを見た気がして、外記は切なくなる。


「私を助けて」

「もちろんだよ」


 胸がつまったが、さらに言い募る伊勢に今度は即答する。


「——ありがと。……ごめんね、ヘンなこと頼んで」

「変じゃないよ。私も、自分でできないことは、助け合いたい」

「外記は……困ること、あるの」


 外記が了承してほっとしたのか、伊勢の言葉に少し柔らかさが戻る。余裕を取り戻したことで矛先を向けたのか、しかし、不意のことで、言葉が出ない。


 困ること――もちろんある。

 今だ。

 けれど、どうしよう。

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