第八話 ブレイクタイム

「鶯? わざわざ? お邸でも聞けるじゃない」

「でもねー、郷に珍しい梅の木があるんだってウワサになってるんだって」

「珍しい梅?」

「なんでもね、花の中に花が咲いてるみたい」

「花の中に花? 八重咲きってこと?」


 確かに珍しくはある。

 外記はずっと昔に、帝に献上されたという八重の梅を、大納言が一枝、賜ったものを見たことがあった。花弁が丸く膨らんでいるのが不思議な姿で、とても美しかったのを覚えている。


「すっごく美しい梅でねー、そこにやってくる鶯とのマッチが、すっごく特別なカンジがして、めちゃイイんだってー」


 未知のものへの想像があやふやながらも、伊勢が期待を感じていることは伝わる。しかし、――困った。


「……そう、なんだ、けど私は……、その、今回は遠慮しておくわ。まだ、お邸の内もよくわかってないし」


 本音を言えば、花どころではない。

 もちろん、可能な限り、付き合いは大切にしたい。しがし、今はとても無理だ。


 ただ、初っ端から女房間の足並みを乱すようなまねはしたくない。ノリの悪い新参のレッテルを貼られれば、この先、どのような扱いを招くものか。戦々恐々とする。


「ふーん、そっかぁ。まあそうだよねー。――ねぇ、今何してたの? ちょっと休憩しよーよ」


 しかし、心配をよそに、伊勢は拘りなく返してきた。気負った分、外記は拍子抜けする。

 そのまま、伊勢はぴょこぴょこと局に入ってきた。女房内にあって小柄な彼女は、ころりと愛らしい姿で、勧めてもいないのに勝手に円座わろうだを敷いて座る。


 そしてたもとの内からごっそりと大きな布包みを取り出した。


「唐菓子いっぱいあるよー」


 収納に融通が利く袂とはいえ、どこにそれだけしまっていたのかと訝る量に外記は目を見張る。包みを開くとゴロゴロと大量の菓子が出てきた。


「えっ……ちょっ、こんなに? ――あ、索餅さくべいだ。これ好き。時節じゃないのに珍し……」

「市で特別に売ってたってー。煮小豆もあるよぉ」


 竹の容器に竹皮で蓋をして縛ったものを懐から出してコトン、と置く。

 伊勢の手持ちが出尽くすと、外記は改めてそれらを見回し、当惑して訊く。


「……どうしたの、こんなにたくさん」

下部しもべ筧見かけみが都に買い付けに行っていたからついでに手に入れてもらったのさー」

「でも、この量だと、値が張るでしょ?」

「んーうちき二枚」

「はあ、なるほど。……いいのかな」


 とまどう外記に頓着することなく、伊勢は早速、口に頬張っている。


 惜しげもなく装束を菓子に換えたとしても、彼女がいつでも、くたびれたところのないセンスの良い身なりをしているのは、数日の付き合いでもわかっていた。

 それは、本人のこだわりというよりは、世話をする者が有能なようだ。それだけ財力のある後ろ盾、生家なのだろう。

 伊勢のどこか浮世離れした性質は、裕福な身の上ゆえかもしれない。


「もごもごご(食べないの)?」

「……じゃあ、いただく」


 呆れたそぶりをしておいて厚かましいが、せっかくなのでちゃっかりいただく。

 そうして、しばらくとりとめのない雑談をしていたが、そこへ同僚の女房である衛門えもんがひょっこり顔を覗かせた。


「……あ、あの、こっちに琴柱ことじが落ちてたりしない? ひとつどこか行っちゃって、――って、どうしたの、それ?」


 衛門は先程の外記とまったく同じ反応を見せる。

 いくらか人見知りのきらいがあって、まだ話をしたことのない同僚だったので、伊勢が屈託なく誘うのに乗じて、外記は新たに円座を勧めた。

 遠慮がちだったが、思いついたように一度自分の局に戻った衛門は、お裾分けでもらったという干しナツメを提供してくれて仲間に加わった。


 (――私一人、食べさせてもらってばかりでは肩身が狭いのだが……)


「そこはじゃぁ、ビワの提供でしょぉ」


 伊勢はにんまりと笑うのに、外記ははて、と首をひねる。ビワこそ時期ではない。

 ぽかんとする外記を尻目に、伊勢はいざって文机の脇に立てかけていた琵琶をよいしょ、と持ち上げた。外記ははっとする。


「一曲、聴かせてー」


 ふり向いて渡してこようとする楽器に、外記は咄嗟に手が出ない。


「……それ……。実は、その、撥が割れちゃってて……今ないのよ」


 もごもごと言い訳する。

 音羽山に来て以来、外記は琵琶に一度も手を触れていなかった。べっこうの撥はいまだ唐櫃の奥に押し込められている。それに、去り際の朝顔を思い出すのも気が滅入った。


 すると、聞かされた二人が同時に琵琶を覗き込む。確かに覆手ふくじゅに撥が入っていない。


「あ、じゃあ。私のあげるよ。待ってて――」


 衛門が思いついて出て行こうとするのを、外記は慌てて止める。


「いいよっ、そんなの悪いから」

「平気よ。私、琵琶は弾かないの。御前でもいつもそうことばっかりだから」


 言いながら、衛門は既に局を出て行ってしまう。動きがちょこまかとして、コマネズミのように可愛い人だ。

 困ったな、と焦る内、取って返した衛門が撥を渡してくれた。


 悪意ない笑顔が眩しい。

 

(……のっぴきならない)


 柘植だろうか。しっとりとした木の感触は、分不相応なべっこうよりも余程、外記の手に馴染んだ。


「じゃあ、どーぞー」


 今度こそ、伊勢が琵琶を差し出す。

 二人が興味津々、期待に笑って見てくる姿に、ふと実感が訪れた。ここが大納言邸ではない、という実感だ。自分を冷ややかに軽蔑の眼差しで見る誰もいないということを。


 外記は琵琶を受け取るために、手を差し伸べる。

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