「それでどう先生思います?叔母様の家はタダで住ませてくれるんですけど、叔母様の家の近辺で、いい仕事が見つかるなら、とも思うんですけれど、やっぱり今の仕事の場所に近い方がいいかしら?」


「あの、さ」


ミシェルは重い口を開いた。


「・・その家には、その、彼も住むの?」


ニコニコとしていた女の顔が、氷ついた。


「・・・・」


女は我にかえったのか、またニコニコとしばらくの乾いた愛想笑いの後、女は軽い調子で、うふ、と、続けた。


「・・彼、出ていきたいんですって。一緒に舞踊の道を、これから一緒に歩いていく魂の仲間を、見つけたんですって。喜んでほしい、って。だから、私だけ」


酷い話じゃないか。

15年、女の一番いい時期を、ずっと支えてきてくれた彼女を、もう必要がなくなったから、新しいパートナーに替えるのか。


ミシェルは大きなため息をついた。


「黒い髪の、オリーブ色の肌の女性、この人?」


「ああ、先生みえるんですね。そうですよ、彼女の事も先生見えるんですね。そう、同じ踊りを志している仲間で、今度王の御前で一緒に踊りを披露するパートナーですよ」


ニコニコと、あくまでも明るく、女は教えてくれる。


「酷い、って思われているのでしょう先生?でも、私、うれしいんですよ。彼がどれだけ苦労して、これだけ成長して、いまやっと、私の手を離れて独り立ちして、一緒に舞踊の道を歩むパートナーまで見つけて、その間ずっとみまもってこれたこと、私、心から嬉しいんです。ほとんど息子を育ててるみたいな気分なんです」


ニコニコと、やはり女は明るいほほえみだった。



「先生、彼が成長するのも、彼がはばたいていくのも、本当にうれしいんです。そこに嘘はないんです。本当に母親になれたみたいな気持ちで、この15年、私幸せだったんです、でもね、でもね」


次の瞬間、女は醜くゆがんだ。


「女の私が今頃になって、いかないで、苦しい、私を見てって、叫ぶんです。彼の幸せを願っているはずなのに、女の私が、捨てないでって!!!」


そして、膝を抱えて、おんおんと泣き出したのだ。


ミシェルも、泣きたい気持ちになって、女の背中をさすってやる。


「・・・馬鹿ね。あたりまえよ・・最初から、あなたたちは男と女だったのに。なぜ母と息子になってしまったのよ・・」


この女、キャリアも結婚もそして子供もすべてを投げうって、この男の母になって、しまった。

そしてこの男は自分の足で立てるようになった瞬間、男はこの母のように慈しんでくれた女を卒業して、一緒に未来を歩んでくれる、若い女と共に生きる事をきめたのだ。


おんおんと泣く女の肩をさすってやるミシェルに、またぼんやりと映像がみえた。


(ああ、これ、前世ってやつね・・本当にあったんだ・・)


ミシェルには、流れ来る映像が、何であるのか、なぜだか分かった。

それがこの二人の、過去の命の歴史の映像であると。


映像は、ずいぶんと若い女が、腕に抱いていた赤ん坊を、だれか取り上げられている姿だ。

女も、赤ん坊も泣いていた。女はいつまでも赤ん坊を見送って、慟哭して道にすがっていた。若い女の姿は、どことなくではあるが、目の前の女に似ていた。


(この赤ん坊が、さっきの男だ・・)


そして頭の中に、鳴り響くように声が聞こえる。


(ごめんなさい、私のかわいい坊や、あなたを育ててあげられなくてごめんなさい、次の人生でどんな形で貴方とまた出会っても、次は、何があっても絶対に、絶対に、私があなたを育てるわ)


そうか。前世の願いがかなったのか。

母と息子としてではなく、男と、女として。


ミシェルは、遠くなる。

この女の、前世からの心からの願いはかなった。

なら、なぜこの女は、こんなにも悲しそうに、肩をふるわせ泣いているのか。


ミシェルは、震える背中に、声をかけた。


「・・あなたたち、前世で母と息子だったのよ。何か事情があってあなたは息子を手放さないといけなかった。死ぬその瞬間までそれを悔いていて、なんとしてでも出会って育てたい、とその想いがあったのね」


そして、今度は、腕に抱かれていた赤ん坊の強い思いが、ミシェルの心に届いた。


「彼も、初めて会ったはずのあなたに、とても強く惹かれたはずよ。前世の生みの母親だもの。とても、とても会いたかった大切な人、だったもの」


ミシェルは、つぶやいた。

そして、ミシェルをこんな所まで異世界から呼び出してしまった、疫病神の顔が、ちらりと浮かんだ。


「そして二人は前世で叶わなかった思いを成就した・・でも、ね。もう今の人生を、生きようよ。前世で母と息子であっても、この人生では男と女として出会っていたのよ。男として、女として、お互いを扱うべきだったわ」


「そうなのですね・・先生のおっしゃる事はよくわかります。だって、あの人と一緒に暮らしてきて、最初はよかったのですが、何か月もするうちに寝所をともにすると、どうしようもない罪悪感が湧くようになってきたんですもの。あの人も同じ事を言っていました」


恋人として出会ったのに、心はすぐに母と息子に、なってしまったのだろう。

この女の、年齢にしては幼い感じがする雰囲気の謎が、つかめたようなそんな気がした。


「先生、私はこれからどうしたらよいのでしょう。私には、もう、何もない」


女は、また持前の明るい感じを作り上げて、涙にぬれた顔で、それでもニコニコとミシェルに聞くが、手は震えていた。

ずっと、そうやって、空元気で人生を渡ってきたのだろう。


ミシェルは思いにふける。


ほんとうだ。この女のいう通りだ。

この女は、前世からの強い思いを成就した。だが、今世の思いは、どこにある。前世でかなわなかった思いを成就するだけの今世なのか?


(冗談じゃないわ)


ミシェルは、この女の後ろのさざめきに、助けを求めた。


(ねえ、あんたが誰かは知らないわ。でも、この子を心配してるのよね?この子どうしてあげたらいいのよ、助けてあげてよ)


後ろのさざめく女性は、ミシェルの手元にある、ミシェルが異世界に転移したときに着ていた、赤いコートのポケットに偶然はいっていた文庫本を指さした。


(?これをめくれってこと?え、どのページ?)


女性は、次にテーブルの上に、「ポイもの」の一つとして並べておいたものの中の、サイコロを、どうやったのか、ふんわりとした風を起こしてテーブルから落して、そして指を示した。


(えっと、多分、このページっをめくれ?って?、こと?)


サイコロは2つ。12面サイコロで、この世界の数字が書いてある。

一月も異世界生活で、ぶらぶら過ごす毎日を暮らしていたのであるが、さすがに数字の読み方くらいは、この一月でカロンから、ミシェルも習っていた。


サイコロの一つは6、もう一つは8、を示していた。


(68ページ・・)


ちなみにこの文庫本は、某カラオケ機器の会社が、今年人気のカラオケで歌う歌の歌詞を集めたもの。歌詞カード全集というだけあって、ミシェルがほしかったアーティストの歌詞だけでなく、演歌や子供の歌まで幅広い。合コンの時に歌う歌の練習の為に買ったもので、別に教養の高いものでも、精神の世界を導くものでもなんでもない。


ミシェルは68ページを読んでみる。

去年のランキングの下の方に入った歌だ。一応耳にした事はあるが、バラードなので、ミシェルはあまり知らない。


「人生のターミナルについたのね、あなたは向こうの電車、私はこっちの電車に乗って、これでおしまい、ここまで一緒の楽しい旅だったわ。これから私は、新しい旅にでるの。あなたとは、別の旅」


ミシェルは、歌詞カードを、声を出して読む。


女は、泣きながらも、少し顔を上げた。

ミシェルの手元の文字が、見たこともない、異世界の文字だったのが、驚きだった様子だ。


「電車・・?馬車の事ですかね」


電車はさすがにこの世界にないのだろうが、しくしく泣きながらも女はすんなりこの世界の言葉に互換した。

ミシェルは続ける。


「やっと私だけの、一人だけの人生の第一歩を歩むことができる気がするわ、これから私はようやく自分だけの人生を歩むの・・だってさ」


ミシェルは本を閉じた。


女は少し落ち着きをとりもどしたらしい。

そして、真剣な目をして、ミシェルに問いかけた。


「先生、では次の駅はどの駅にいけばいいですか?」


ミシェルは今度は自分でサイコロをころがしてみた。


次のページは、ラップの歌詞だった。


「田舎に帰りな、ここにあんたの用事はないさ、Oh Yeah, 母ちゃんの顔でもみてから、全部最初からやりなおすんだなBaby、そこがあんたの生きるべき道だBaby,Oh Yeah」


煽り系のラップだ。

さすがに原文は読めなかったが、マイルドに訳してあげる。


「叔母様の元に帰りなよ、そこで最初から色々やりなおして、人生スタートさせようよ。もう前世の思いに、からめとられることはないからさ・・」






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