「ミシェルは、司祭様だったの?」


カロンはそう、未知得・・もといミシェルの赤いコートの端を触りながら、そうおずおずと聞いた。


ミシェルは、「お腹すいた」とのたまうミシェルの為に、大急ぎでそこらの屋台からカロンが買って来てくれた、肉の串焼きをモグモグと言わせながら、


「司祭さま?違うわよ、私はそこらの会社勤めよ。会社の商品を売ったり、取引先に連絡したり、そういうお仕事よ」


と、おそらくまだ子供の域を超えていないだろうカロンにもわかるように営業職をざっくりと説明する。


それにしても、この異世界はメシがそこそこ旨い。


今ミシェルが手にしている、あまり衛生的とはいえなそうな肉の串焼きも、油がぎゅっとつまった野性味あふれる鳥の味がする。

スパイスソルトをかけて焼いているだけっぽいが、肉の質が実によい。

さっきあのイケメンの家で食べた揚げ物も、心から旨かった。


「そうなんだ。この国では赤い上着を着ることができるのは、司祭様だと決まってるんだ」


カロンは珍しそうにミシェルのボーナス全額注ぎ込んだ赤いコートに触れていた。

夕日は落ちて、空には大きな月が、二つ・・登っていた。


ミシェルは、観念した。ここは、異世界だ。外国ではない。あのろくでなしのイケメンの言っていた通り、異世界転移事故に巻き込まれたらしい。

今口にしてる肉も、鶏肉っぽいが、それにしちゃコクが強すぎる。心当たりの、全くない味なのだ。

多分元の世界では存在しない生き物の肉だろう。


はあ、と現実主義者のミシェルはため息をつく。


「ねえ、カロン、ちょっとここが異世界だという事はよくわかったんだけど、何がおこってるのか、経緯をしっかり説明してくれない?それから私をこんなとこに呼んできた、あんたの主に話をつけて、これからの事を考えるわ」


カロンは、コクンとうなずくと、なにかブツブツと口の中でとなえた。ふわりとミシェルの前の空気が温かくなり、気がつくと、地面に光でまぶされるようにして描かれたなにかから、先ほどの美しい男が、光の粒からせりあがってきた。


「・・色々と、すまなかった・・」


これが、いわゆる転移魔術なのだろう。

ミシェルの手には異世界串焼き肉が握られたまま、目の前には先ほどの失礼な男が、深く頭をさげていた。


ミシェルは目の前で展開された魔術に、本当は腰を抜かしそうに驚いたのだが、とりあえずグッと歯を食いしばって


「・・いいから、ちょっとまず説明して頂戴」


そう、いい放つことになんとか成功した。


よくみると、失礼極まりないこの美麗な男のほおに、ミシェルがバチコン!と付けた覚えがあるもみじ形の赤い跡を認めて、ミシェルは少し決まりが悪かった。


ダンテは非常に気まずそうに続ける。


「ああ、全てを説明しよう。私の名前はダンテ。ダンテ・ディ・アリギエーリ。この国の魔術師だ」


カロンが、そっと加える。


「ミシェル、ダンテ様のお母様は前の王の妹ぎみで、ダンテ様は非常に高貴な出なんだ。その上、この国で最強の魔術師と呼ばれている、我が国の至宝の存在なんだ。僕はダンテ様の弟子なんだよ。」


ミシェルは、じろじろと目の前の眼福極まりない男を不躾にみる。

まあ、この美貌だ。

だいたいどの国でも権力者というものは、それなりの身体的な優位性が特徴的なものだ。

この高身長、おそらくこの世界でも珍しいのであろう紫の瞳、それに銀の月の光のような美しい長髪は、この男の生まれながらの優位性を示すものなのだろう。

ここまで失礼な扱いをされていなければ、ミシェルもうっとり日がなこの男が動く姿を眺めていたいような、芸術品のような美しさだ。くやしいが。


「・・私には、子供の頃より定められた、婚約者がいた」


ダンテは視線を足もとに落として、ぽつり、ぽつりと話を始めた。


「ベアトリーチェ、という名だ」


「この世の百合という百合を集めたよりも、美しい娘だった。太陽と月の光を束にしても、ベアトリーチェの笑顔の眩しさには、遠く及ばないような、そんな輝かしい娘だった」


ダンテは、青い顔を歪めて、遠くを見つめて幸せそうに笑った。


(恋、してたのね)


ついこの間、出会い系のチャットでいい感じで盛り上がっていた男に、急にブロックをかけられてやさぐれていたミシェルは、こんなにうっとりと、幸せそうに、こんな美しい男に思われた、ベアトリーチェという見知らぬ娘をちょっと羨ましく思う。


「ベアトリーチェが18歳になったら、結婚する予定だったんだ。海を2つ超えた国から、レースを取り寄せて、花嫁衣装も完成間近だった。衣装を目にして、恥じらいながら喜んでいたあのベアトリーチェの微笑みは、今でも、私の眼瞼に焼きついて、離れないよ」


その宝石のような美しい紫色の瞳から、水晶のような美しい涙が二筋、流れ落ちる。

見えないその美しい娘の姿を追うかのように、ダンテは立ち上がった。


「だが、婚礼の二月前に、ベアトリーチェは、あっさりとこの世を去った。流行りの風邪を拗らせて、あっさり、本当にあっさりと」


そして、軽く涙を拳で払うと、ダンテはミシェルの方を振り返って、乾いた笑いを浮かべて、


「私はベアトリーチェの後を追おうとして、失敗してね」


するりと、ダンテは絹でできた袖をたくし上げた。


(・・・縦、か)


ミシェルはごくり、と唾をのみこんだ。

その腕には、縦にまっすぐ、手首から肘までの長い刀疵があったのだ。


横の傷なら、ミシェルは気にもとめなかっただろう。

ミシェルの気を引きたくて、ミシェルの目の前で手首を切って見せた男が、いたこともあった。

ちょろっと血が出ただけで、命を盾にするポーズに、心底嫌気がさした事を覚えている。


だが、縦の傷だ。

縦の傷は、本気でこの世を去ろうとした証だ。

よくこの傷の深さと大きさで、生き仰せたものだ。


傷の意味を理解して、青くなったミシェルの顔を認め、ダンテは続けた。


「身分が高いというのは実に不便でね、すぐに見つかってしまって、治療魔術をかけられてしまった。その後、頑丈な呪いをかけられてしまって、自分に傷をつけようとすると、警報が出るようにされてしまってね」


今度は右の足をまくる。

美しい右の足首には、禍々しい紫色の魔法陣が掘り込まれていた。


「ベアトリーチェの後が追えないのであれば、ベアトリーチェを黄泉の世界から、呼んでくるしかないと、そう考えて、私はこの10年近く、寝る間も惜しんで研究を重ねた」


「完璧なはずだった。ベアトリーチェの声が聞こえた。それなのに・・」


そして、またその紫色の瞳から、水晶のような涙が地に落ちる。


「私みたいな醜い生き物が、なぜだかでてきちゃったわけね」


しらっと、ミシェルはこぼした。


「失礼な言い方をしてしまい、謝罪をする・・だが、君さえ、何もこの世界で飲食していなければ、すぐにもとにいた世界に送り返せたのに、まさかあの短い時間で勝手に食事をするなど・・」


ダンテは頭をかかえて突っ伏して、今度はおんおんと、子供のように泣き出した。


「失礼ね!人を勝手に呼んでおいてほうっておいて、飲み物くらい飲みたくなるでしょう!」


ちょっと同情したのがアホらしくなる。

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