#20 理不尽なくせに正しい

 俺は、俺の前からいなくなるつもりがない女の子のことを、知りたいと思った。そして、渚の前に居続けるには、彼女のことを知らなければいけない。

 俺は、隣に座り続けている渚に話しかけた。


「渚、唐突なんだけどさ」

「んー?」

「渚の名字って、何?」

「……本当に唐突だね。なんで?」

「渚のことを知ろうと思って。もし嫌なら、別に言わなくてもいいんだけど……」


 なるべく強要しないような言い方を選ぶ。少し間を置いて、渚は口を開いた。


「いいよ。楽になら、教えてあげる。……私の名字は、ゆずり。ちょっと変わってるでしょ」

「まあ珍しいとは思う。でも、かっこいいね」

「……え?」

「え?」


 素直にかっこいい名字だなと思った。『ゆずりは』なんて名字は聞いたことがないけれど、響きがいい。

 けれど、渚はあまりピンと来ていないようだった。


「かっこいい……?」

白川しらかわ、なんて名字よりかっこいいし、羨ましい」

「私からしたら白川の方がかっこいいよ」

「そうかな」

「そうだよ」


 やっぱり自分の名字より他人の名字の方がいいって思う人は多いのかな。佐藤とか加藤とか、そういったありきたりな名字はさすがにかっこいいとは思わないけれど……。

 なんて変なことを思いつつ、渚に色んな質問をしてみた。

 好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな色、趣味。

 他にも聞いたけれど、一番印象的だったのは彼女の趣味だった。


「自分の匂いを探すのが好きかな」

「匂い?」

「うん。人って匂いを一番忘れにくいんだって。声とか顔を忘れても、匂いを忘れていなければ、街中で同じような匂いの人がいたら振り向いちゃうでしょ? 私はそんな匂いを探したりするのが好き」

「……いいね。それ」

「でしょ? だから、楽も私の匂い、忘れないでね」


 匂いもそうだが声や顔も忘れるつもりはない、ということは言わないでおいた。

 特に理由はないけれど。

 それでも一応、肯定だけはしておく。


「わかった」


 俺がそう言うと、渚は「うんっ」と、満足そうな返事をした。



「〜〜っ! 着いた〜!」

「お疲れ様楽!」


 午後6時を少し過ぎた頃。ようやく目的のコンビニまでたどり着いた。辺りはもう既に暗くなり始めていたが、夏の終わりのような、そんな暗さも感じられた。9月だから夏なんてもう終わってるのだけれど。

 いやー、それにしても疲れたな。これから色々考えないといけないことが多い。けれど、とても充実した2日間だったし、なにより楽しかった。

 そして、そう思ったのは俺だけではなかったようだ。


「すごく楽しかったね。かなり充実した時間だったよ。ほんとに、ほんとにありがとう、楽。私、昨日と今日のこと、ずっと忘れないからね」

「ああ。俺もだ」


 いつになっても、今回のお出かけを忘れることは無いだろう。デートみたいなもんだし。というよりこれデートだろ。それ以外なんだってんだよ。ただの旅行か? なんか旅行って感じではないんだよな。


 どうせ今日はこれで終わるんだ。思い切って聞いてみよう。これはデートなの? と。


「なぎ___」

「ねぇ、楽。今回のって、デートになる?」

「……はい?」


 遮られたと思ったら渚から聞いてきた。思わず目をぱちぱちとさせる。

 渚は照れくさそうに頬をかきながら言葉を続けた。


「あ、いや、あの……。これってデートなのかな、って思って……」

「……。お前はほんとに……」

「ん?」

「や。なんでもない。まあ、俺の見識からすればデートになるな」


 俺がそう言うと、渚は嬉しそうな、けれどどこか寂しそうな笑顔を俺に向けた。


「そっか。よかった」

「……?」

「私だけデートだと思ってたら恥ずかしいじゃん。だから一応、ね?」

「そういうことね。納得」


 そこで会話が途切れてしまう。

 渚といられるのも、あと少しだけ。


 そう思うとなんだか、すごく寂しく感じる。

 まだ一緒にいたいと、そう思ってしまう。


 でも、渚は俺の恋人というわけではない。ただの親友だ。今感じている寂しさは、彼女と2日間をともに過ごしたことによる喪失感みたいなものだと思う。

 むしろ、そうでなくてはいけない。


 俺は、渚のことが好きなのか?

 分からない。

 そもそも、好きという感情がどういったものなのかさえ、今は不鮮明だ。


 自分の気持ちに蓋をして、見ないようにしよう。

 そうすればきっと、大丈夫。


 そう思い、俺は車を降りた。


「楽?」


 渚が不思議そうにそう言い、俺に続いて車を降りた。今更だが、長々とここにいるわけにもいかない。

 俺は、口から漏れ出そうになっている感情を抑え、自宅へ帰ることを渚に伝える。


「そろそろ帰ろうかなって思って」

「……あー、そうだよね」

「うん。とりあえず荷物出しちゃうね」


 そう言って、俺は後部座席においてある渚のキャリーバッグを出した。それを渚に渡すと、「ありがと」と控えめに言われる。


 なんだか、急に虚無が襲ってきた。

 少しでも油断したら、感情が漏れ出てしまいそうだ。


「……それじゃあ、楽。気をつけて帰ってね」

「ああ。ありがとな、渚」

「私は何もしてないよ」

「それでも、ありがとう」

「変な楽」


 彼女はそう漏らし、くすくすと笑った。別れる前に笑顔を見れてよかった。

 それだけで、よかった。満足だった。


「またね、楽」

「また」


 彼女が俺に背を向けて歩き出した。


 ___嫌だ。


 俺は、彼女の手を掴んだ。


「……楽?」


 渚が驚いてこちらを見た。俺はその手に指を絡ませる。

 そして、彼女の目を見てこう告げた。


「また……、また遊ぼうね渚。絶対」


 渚は目をぱちぱちとさせたが、ふわりと笑った。


「うんっ。わかった。絶対だよ」

「……っ。引き止めてごめん。じゃあ、またね」

「うんっ!」


 そうして渚は歩いて帰っていった。

 今度はさすがに、渚を引き止めなかった。

 俺は渚の姿が見えなくなるまで、車のそばに立ち続けた。


 本当はハグの1つでもしようかと思っていたけれど、渚の過去を聞いてしまったから迂闊にハグなんて出来やしない。理性が勝った。

 車に乗ると、助手席には渚の残り香だけ残っていた。……なんかこの表現きもい。


 今度遊ぶときまで、もっと話題の作り方を勉強しておこう。

 俺に後悔はない。 


 俺はブレーキペダルを踏みつつ、シフトレバーをパーキングからドライブに切り替え、アクセルをゆっくり踏み始めた。



 渚と過ごした時間の余韻に浸って2日経った。

 俺はバイトから帰ってきて、夕飯を食べようとした。いつもは夕飯が用意してあるが、母は俺が帰ってきてもなぜか動く気配がなかった。

 まあ別に自分で用意するだけだ。何も問題はない。適当に白米やおかずをあたため、夕飯をさくっと済ませた後、湯船に浸かる。

 昨日はそんなにキレてなかったのに、今日はなんだか空気がピリピリしていた。おかげでご飯の味がよく分からなかった。なんとなく、なんとなく今日は良くないことが起きる気がする。

 お風呂から出てリビングに向かうと、母が食器を洗っていた。いや俺洗おうかと思ってたんだけど。まあいいや。


「おい」


 予想通りといえば予想通り。たぶん、怒られる。

 死ぬほど面倒くさいし、だるすぎる。

 それでも俺は、なるべく平静を装った。


「……何?」

「お前、ほんとになんなの?」

「……は?」

「朝は起きないし、そのくせ夜遅くまで起きてるし。お前は夏休みかもしれないけど私仕事だし、まことかえでも学校なんだよ。いつまで寝てるんだよ毎日毎日。そんでもって乗用車で遊びに行って? ふざけてんの? お前がそうやっていつもいつも怠惰に過ごすから、私は乗用車でなんて行かせたくなかったの」

「いいよなお前は。明日も明後日も休みで。けどさ、もっと早く起きろよ。毎朝起こされないと起きないとか、これからどーすんの? いつまでも甘えてんな。すげーイライラするんだわ。お前みたいなの。前からずっと言ってるよね? 休みだからっていつまでも寝てんなって」

「それにな、いつもいる私のことじゃなくて、なんでお父さんの言葉に従ったの? 私が軽でいいって言ってるんだから軽で行けばよかったじゃん。もっと考えろよ。お前大学生だろ?」


 こっぴどく叱られた。反論の余地がない。

 というより、この人の前で異論反論抗議質問口答えは無意味だ。全て10倍の量で返ってくる。

 それに、怒っている内容は理不尽なくせに正しいからタチが悪い。俺の心に針が死ぬほど刺さる。まあその針は刺さっても3日ぐらい経ったら抜けるのだけれど。

 俺は結局怒られている間は黙っているしかなく、とぼとぼと自室に戻った。


「はぁ……」


 ため息が出る。

 自分の愚かさに対して。

 母に言われたことがリフレインする。

 SNSのアカウントを消すかどうか非常に迷う。それぐらい落ち込んでいる。俺の気の持ちようは少し、いや、かなり急降下していて、もう渚と遊ぶことが出来ない可能性もなくはない。


 彼女の前からいなくなるつもりはないが、必然的に距離が置かれることになるだろう。

 こればかりは仕方がない。仕方がないけれど……。なんだかモヤモヤして気が晴れない。


「めんどくさ……。とりあえずろずに話を聞こう……」


 怒られたことは一旦忘れて、かねてより計画していたことを今日実行する。ろずとka1toに話を聞こうと考えていた。どうやら2人はあれ以降、互いに互いを悪く言い合っているらしい。それまで一緒に買い物に行くぐらい仲良かったのになんでだよ。

 いやまあ、理由が分からないわけではない。ろずがすたさん側、ka1toが渚側、ということだからだろう。俺はどちらかというと渚側だけれど、ろずにも話を聞きたい。


 どちらか一方の話だけで物事を判断するのは俺がするべき事じゃない。

 俺がしなければいけないことは、この出来事に対して客観的に誰がどう悪いのかということを審判することだ。審判は少し言いすぎか。ジャッジ、といった方がいい気がする。

 とはいえ、悪いのはすたさんということが分かり切っているから、どちらかというと状況整理の意味合いが強い。


 とりあえず、ろずにチャットを飛ばす。

 すると、すぐに返事が来たため、俺は彼に電話をかけた。


「もしもし。こんばんわ、ろず」

『よっす。……どうだった?』

「まあ楽しかったよ。いや、そんなことはいいんだって。ろずからあのことについて話を聞きたいんだ」


 回りくどい雑談はばっさりと切り、俺はさっさと本題に入った。


『俺もヒロには話そうと思ってたから丁度よかった。それよりも……、ごめん』

「なんで謝るのさ。別にいいよ。それにもう散々謝ってもらったし聞き飽きた。次謝ったらシバキ倒す」

『……わ、わかった』

「よし。んじゃあ、事の経緯を聞こうか」

『……。どこから話そうかな……』


 そう言って、ろずはぽつぽつと話し始めた。








 ※※※※※※※※※※


 次回は楽視点、その次は渚視点の予定です。また、次回の更新は1ヶ月以上先となります。私生活が落ち着き次第、更新を進めてまいります。

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