#19 アニメ好きなの?

「次は、楽の話を聞かせてよ」


 渚にそう言われ、固まってしまう。

 別に、話すこと自体はなにも問題ない。いやむしろ、渚の過去を聞いた今、話さないという選択肢はとっくに消失している。

 話さないというより、うまく話すことが出来ないのは、俺のよくない部分だ。

 俺はそのことを渚に伝える。


「俺話すの下手だけど」

「いいんだよ。とにかく話してみてよ。なんでもいいからさ」


 どうしようか。なんでもいいと言いつつ、十中八九俺の過去の話を聞きたいはずだ。

 そもそも、それ以外に話すことがない。


「わかった。とりあえず話してみるよ。……」



 **********



 高校に入学してから3週間ほど経った、ある授業でのこと。


「それじゃあ今から、グループワークをしてもらいます。4人1グループで話し合ってください。意見をまとめ終わったら紙に書いて、それを発表してもらいます」


 まだ周りとの距離感が微妙に分からない時期、そんな課題を出された。

 俺は隣の席と、後ろの席の子と机を合わせた。隣の人とはそれなりに話せるが、後ろの席の2人とはほとんど話したことがなかった。


 その斜め後ろの席の人が、とりしずくだった。


 正直、第一印象はあまり覚えていない。影が薄いというか、特に目立ってなにかしているわけでもなければ、クラスで最も可愛い女の子というわけでもなかった。

 強いて言えば、背がとても小さいことぐらいだろうか。それぐらいの印象。


「よろしく」

「うん。よろしくね」


 俺たちは軽く挨拶を交わし、授業の課題を進めた。進めている途中感じたことは、すごく真面目だということ。

 こんなに真剣に授業に取り組んでいる人を今まで見たことがないほどに、真剣な表情をしていた。いや、本来そういったものであるべきなのだが、俺自身それほど真面目に受けていたわけではなかったから、どうしても目が行ってしまった。


 特にこれといったなにかが起こるわけもなく、淡々とこの日は終わった。

 それから数週間後、別の授業で課題が出された。


「このプリントを次の授業までにまとめてきてください。グループのメンバーとしっかり意見を交換し、吟味してから提出すること」


 この課題が金曜日に出されたというのに、月曜日に提出という、連絡先を交換せざるを得ないような状況になった。机を合わせていたメンバーと連絡先の交換を放課後に行うことが決まる。

 その日の授業もつつがなく終了し、放課後を迎えた。部活に行く前に、メンバーと連絡先を交換する。


 部活を終え、電車に乗り家に帰る。夕飯を食べて、課題に取りかかることにした。

 意外とすんなり課題が終わり、俺は早速グループに写真付きでチャットを飛ばした。

 数分後。


『おっけー、ありがとう!』


 雫からそう返事がきた。既読が早いってのはいいことだね。

 そんなことを思っていると、彼女からなぜか個人チャットが飛んでくる。


『ねぇね、白川しらかわってアニメ好きなの?』


 急にそんなことを言われた。確かにアニメキャラのアイコンにはしているけれど、それにしては随分と唐突な気がする。

 とりあえず素直に答えることにした。


『うん、結構好きだよ。どうして?』

『私アニメってあんまり興味なかったんだけど、白川のアイコンのキャラクターが可愛くて気になったんだよね』

『お、ほんとに? このアニメおすすめだよ』


 俺がアニメのタイトルを彼女に教えると、気になるから週末のうちに見る、という旨のチャットが返ってきた。

 ここでも真面目さを遺憾なく発揮していた。実際、月曜日に学校に行ったら、アニメを見て面白かったと言われたのだ。早すぎだろ。

 それ以降、俺たちは何度か連絡を取り合い、徐々に距離を縮めていった。

 色々話していくうちに、雫には彼氏がいて、その人についての相談を受けたりしていた。


 女の子に優しくする。この信念はずっと持ち続けている。当たり前の話だ。正直な話、俺にとって何かについて相談される、というのは普通のことだったし、大抵のことに対しての自分の考えは持っている。


 だというのに、いや、だからこそなのか、俺は雫に惚れられた。

 そして、俺が彼女の気持ちに気付くのに、そんなに時間はかからなかった。


 期末テストが終わり、球技大会が行われた。

 俺は雫とバドミントンのペアになり、一緒に先輩と戦った。俺たちは勝利したが、5試合中3敗したため、結果的には負けてしまった。


「悔しいなー。私たち勝ったのに……」

「まあまあ。楽しかったんだし、よしとしようよ」

「……それもそうだね。あ、そうだ、楽。写真撮ろうよ」

「うん、全然いいよ」


 いつからか、雫は俺の事を呼び捨てにしていた。俺もそれに倣い、互いに名前で呼ぶ仲になった。

 俺たちは写真を撮ったあと、クラスメイトの応援に向かう。そして球技大会は幕を閉じ、俺はいつものように帰宅した。


 家に着き、夕飯とお風呂を済ませ、自室にこもる。スマホを眺めていると、雫からチャットが届いた。


『今ちょっといい?』

『大丈夫だよ』

『電話してもいいかな』


 なんの変哲もない通話のお誘い。

 通話をするのは今回が初めてではない。しかし、俺はそれが何を意味するのか、おおよそ検討がついてしまった。

 通話に了承の返答をしたと同時にスマホが震える。

 俺は間髪を入れずに電話に出た。


「もしもし」

『もしもし。こんばんわ楽。いきなりごめんね』

「別に。いつものことでしょ」

『そう言わないでよ〜』


 するすると言葉が口から出ていく。

 雫は今日は楽しかったねとか、ペアになってくれてありがとうとかと、俺に伝えてくる。

 もちろん俺もすごく楽しかったから、その旨を彼女に伝えた。


 そんな雑談に終わりが見えてきて、二人の間に沈黙が走った。このあときっと、彼女から話を振ってくるだろう。俺の考え違いでなければ。


『あ、あのね楽』

「ん?」

『……あの、ね』

「ゆっくりでいいよ」

『……うん、ありがとう。……楽、好き』


 一拍おいて、彼女は続けた。


『私と付き合ってよ』




 雫と付き合い始めて、3年後。俺たちは地元の同じ大学に入学した。

 雫の実家は、大学に通うには距離がありすぎていたため、彼女はアパートで一人暮らしを始めていた。大学からの距離も近く、俺はよく雫の部屋に転がり込んでいた。

 一緒に勉強したり、ご飯を食べたり、イチャイチャしたり。


 そんな生活を続けて半年ほど過ぎただろうか、とある日のこと。

 例に漏れず雫の部屋で雑談をしている時のことだった。


「そういえばさ、私が今行ってる先生のところにかっこいい先輩が入ってね。この前その研究室の人たちと一緒に居酒屋に行ったんだよね」

「ほーん? ……は?」


 雫にはお兄さんが居て、そのお兄さんがお世話になった研究室の先生のところに行っている、と彼女は入学して2ヶ月ぐらいの時から言っていた。そういうのっていいんだろうかと聞いた当初は思っていたが、先生がいい相談相手になっているらしく、ご飯も奢ってもらったりしているようだった。

 俺だけと話してるよりも交友関係をそれなりに持ってくれている方がいい。

 居酒屋に行った話を聞いてみると、先日大学院に入った他大学の先輩の歓迎会、ということだった。

 

「いやさ、言ってくれよ、そういうの」

「忘れててさ。ごめんね」


 最近の彼女は俺との連絡もあまり取らないし、返信も遅いことが多かった。そのことについて特に強く言ったりなどはしないし、むしろするべきではないと思っていた。でも、どこかご飯に行ったりしたら、逐一報告してくれと思う。


 若干の壁を感じつつも、俺はいつものように過ごすしか選択肢がなかった。

 そんな日々を過ごしてさらに半年後。春休み真っ只中の時だった。

 直近に迫っていた英語の試験のために勉強をしていると、雫からあるチャットが届いた。


『そういえばさ』

『どうしたの?』

『楽って自由に車って使える?』


 なにやら変な言い回しだ。どういうことなのだろうか。


『まあ使えるっちゃ使えるけど…』


 そう送ると、『そっか』とよく分からない答えが返ってきたため、俺は既読をつけずに勉強を続けることにした。

 おおよそ1時間が経った頃、彼女から『ねぇ』と送られてきた。


『どうかした?』

『今なにしてるの?』

『勉強しとるよ』

『そっか、』


 なんなんだ、この会話。


『え、何』

『うん、』


 この返信は、雫が不機嫌な証拠だ。

 正直な話、こういった煮え切らない返信に俺はかなりうんざりしていた。今まで我慢していたが、今回に関しては何故か分からないけれど、かなり苛立ちが募った。

 俺はまたしても既読をつけずに、スマホを閉じて勉強を始めた。


 どのぐらい時間が経っただろう、俺のスマホが着信を知らせた。

 そこには『雫』の文字。


「もしもし」

『ねぇ、今何してるの?』

「勉強だって言わなかったっけ」

『……そっか、うん、そうだよね』


 本当になんなんだ。さっきから。

 俺は苛立ちをぶつけるかのように雫に言った。


「何? 何かあったの?」

『ううん、なんでもないよ……』


 なんでもない人間が言うセリフではない。というより、本当になんでもないのであれば、あんなふうに何度もチャットを送ってきたりしない。


「で、ほんとに何?」

『……』

「いやその、なんだ、言いたくないならいいんだけどさ、何か言いたいんじゃないの? はっきり言ってくれなきゃ分からないよ」

『……さっき、生理がきたの。すごく辛くて楽に連絡したけど、勉強してるって言われたから邪魔しちゃいけないなって思って』

「え」

『来てくれないかなって、思ってたんだけど』

「なんで言ってくれないの。そんなに信用ない?」


 つい、聞いてしまった。


『だって、楽は何も言わないから』

「……?」

『何も言ってくれない。返信遅かったし』


 何も言わない、とはどういうことなのだろうか。

 雫のことが好きなことは毎日のように言っている。他に何か言わなければいけないことなどあっただろうか。


『楽の友達に女の子が多いのは知ってるけど、遊びに行った時言ってくれなかった。私とはあんまり遊んでくれないし、放課後うちにきても話題とかあんまり作ってくれないから、いつも私が話を振ってるし』

「……」


 事実なので否定のしようがなかった。俺もやらかしていた。あの時はとんでもなく反省した。

 俺は、雫が何も言わないことに対して何か文句を言うことは特にしたりしないし、そういうことをしないように心がけている。しかし、自分自身がなにかをやらかしてしまうことは非常に許せなかった。


 それに関しては悪いと思っているし、雫にも謝った。だというのに、俺はなぜまたそのことで責められているのだろう。もう既に消化済みな話のはずだ。

 しかし、今のような理不尽な状況だとしても、こうした状況を作ってしまったのは俺が原因だ。俺の思考回路では、雫が悪い、なんて考えには絶対にたどり着かない。


「ごめん。……今から行こうか?」


 今は夕方の5時頃。それほど遅い時間ではないし、事情を話せば親も許してくれるはずだ。

 しかし、そう都合よく物事は運ばない。


『いいよ。来なくて』

「……そっか」

『……ねえ』

「なに?」


 彼女は一呼吸置いて、こう言った。


『どうして、どうして来るって行ってくれないの……! 来てよ、ばか……。でも、もういい』

「……」


 彼女の声は泣き叫んでいるようだった。

 俺はそれに対して、難しい顔をするしかなかった。来いと言ったり、来なくていいと言ったり。言葉の一貫性がなさすぎる。

 そういうところは、嫌いな面だ。

 俺はどうすればいいのか、分からなかった。

 雫が口を開いた。


『楽。……距離置こう』

「……。わかった」

『……うん』


 ぽつぽつと今後の方針をさらっと話して、電話を終えた。


 そしてこれ以降、俺たちが元に戻ることはなかった。




 **********



「んでまぁ、大学2年の夏に別れたって感じかな」


 俺はざっくりした内容を渚に話した。

 あまりにも話し方が下手だったが、しっかりと話を聞いてくれた渚には感謝が募る。


「そっか。でも、話を聞いてる限りだと、元カノさんも悪いような気もするけど……」

「それだけはない。悪いのは俺だけだ。雫は何も悪くない。そこだけは、譲れない」

「……」


 確かに俺は別れた後に、自分だけが悪いわけではないのではないか、と思った時もあった。

 ただ、別れる原因を作ったのは確実に俺だ。


 それは、揺るぎない事実だ。


 そして俺は、俺自身を許せない。雫に辛い思いをさせてしまつたから。

 俺は言葉を続けた。


「でもまあ、反省はしているけど、別れたことに後悔はあまりないかな」

「……どうして?」

「俺の中では正直、このまま付き合い続けても意味が無いとまではいかないけど、付き合う意味が曖昧になっていくんじゃないかと思ったんだ。もちろん悲しかったし、半年も引きずったからかなり辛かったけど、それでも俺は、別れたことに後悔はしてない。そこに至るまでの過程に後悔はあるけど、それはまた別の話だからね」

「そっか……」


 今の俺の考えとしては、俺が幸せに出来なかった分、これからは雫がずっと幸せでいてくれさえすればいいということだ。そして、次に恋人が出来たら、その恋人はきっと、俺が壊してしまう。

 

 そう思っている。


 別れてから今までずっと思えるのは、それだけ雫のことが好きだったからだ。今はもう振り切れている。

 渚は思考を巡らせているのか、返事をしたきり黙っていた。

 しばらくして、彼女は口を開いた。


「楽」

「ん?」

「……私は、楽の前からいなくならないからね」

「……ん?」


 あれ、俺寂しいだとかなんとか言ったっけ?

 首を傾げると、渚は慌てて言葉を続けた。


「なんか、楽が少し寂しそうにみえたから。話してる時顔陰ってたし、声色も微妙に寂しげなものだった」

「……」


 よく見ているなと思う。俺の微細な変化も、渚には分かるのか。

 感心してからか、俺はお礼すら言い忘れていた。

 慌てて感謝を口にする。


「ありがと渚。その、……なんだ。俺もいなくなるつもりはないから」

「……! うんっ」


 明るい返事。

 彼女が可愛い笑顔を向けているような気がした。

 目的のコンビニまでは、あと30分ぐらいだろう。

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