錆びれぬ記憶
#18 どんな感情で聞けばいいんだ
水族館を出て、近くの大型ショッピングモールに入った。
どうせならと思い、楽とプリクラを撮った。存外乗り気だったのが意外だった。写真苦手なんじゃなかったの?
そして、ゲームセンターもあったため、クレーンゲームで遊んだ。私の好きな歌い手さんのぬぐるみがあったから挑戦してみたけれど、取れなくて諦めた。
それなりにショッピングモールを堪能して、飲み物を買うことにした。
私はジャスミン茶、楽はルイボスティー。
「俺ジャスミン茶好きじゃないんだよね。あとアールグレイも」
「私逆にルイボスティー好きじゃない」
「え」
「え?」
そんな会話をしつつ、車に戻ってきた。
それにしても、ルイボスティーは飲めるのになんでアールグレイ好きじゃないのかしら。意味が分からない。
「シートベルトは締めたか?」
「うん、大丈夫」
「っし、そんじゃまあ帰りますか」
そう言って彼はアクセルを踏み、車を走らせ始めた。
「んやー、楽しかったなあ」
「私も。本当にありがとね楽」
「俺はなんもしてないよ」
そんなことはない。
実際楽は昨日、私の話を聞いてくれた。そもそも、こうして私と一緒に遊んでくれた。それだけで私は、彼に多大な感謝をしている。
けれど、そんなことは言わなくていい。私だけが認識していれば、それでいい。
「それでも、ありがとう」
「……はい」
渋々といった声色で楽は感謝を受け取った。
私は、その反応にくすっと笑ってしまった。
「なんで笑うんだ……。あ、今って何時?」
「3時ちょっと過ぎたぐらい」
「そうか……。うーん……」
楽はなにか悩み始めた。なんで?
とりあえず聞いてみるか。
「どうしたの?」
「いやね、高速じゃなくて下道で帰ってもいいんだよなあって思ってさ。少し時間はかかるんだけど」
「あー……、なるほどね?」
高速道路を使わなくても、確かに帰るぐらいなら出来るとは思うけれど、心配なことが1つだけある。
「道は分かるの?」
「いや知らん」
「知らんのかーい」
「もともと下道で帰る予定じゃなかったからね。意外と時間に余裕あるし、わざわざ高速乗らなくてもいいかなあ……、みたいな感じ」
適当だし、その場のノリと勢いで決める楽。けれども、言われてみるといやに説得力があるから不思議だ。
正直、私は無事に帰ることが出来るならば、それだけで充分なんだよね。時間に余裕があるのは本当だし。
「そっか。なら道案内は私がするね」
「頼むわ。確かどっかの道に乗ることが出来れば、そのまままっすぐコンビニに行くことが出来るはず」
「××号線でしょ」
「そうそれ。その通りに続く道を案内してくれればおっけーかな」
「りょ。とりあえず調べるね」
私は早速地図アプリを開いて、ルートを検索する。
うーん、意外と複雑な道。まあなんとかなるか。分からなくなったら楽に聞けばいい。
楽に軽く道の情報を伝える。
「わかった。とりあえず道なりでいいんだね。曲がるところ近くになったら教えてくれ」
「おっけ」
そう言って私は、スマホをズボンのポケットにしまった。
窓の外に目を向けてみる。町の景色。
運転席を見てみる。真剣な表情で運転をしている楽。
やっぱり、私が話題を作らないと。
「ねえ……、楽」
「ん?」
私は彼の方を見るが、彼は私の方を見ない。それはそうなのだけれど、少しばかり寂しいと感じてしまう。
そんな自分勝手な思いを、なるべく表に出さないようにする。
「こうして誰かと遠出ってしたことあるの?」
ただの興味本位で、そう聞いてみる。
「んー……、ないな。渚が初めてだ」
「元カノともこうして遠出してなかったの?」
「そうなるね。まあ少し後悔はしてるかな」
「そ、そか……」
切り込みすぎただろうか。
地雷がどこにあるのかが分からないから、少し慎重になった方がいいかもしれない。
「うん。あ、俺のスマホで音楽流してくれる?」
「え」
「あんまり大きな音じゃなくていいからさ」
「う、うん。わかった」
ドリンクホルダーにある楽のスマホを手に取り、パスコードを打ち込む。
音楽アプリを開き、プレイリストをシャッフル再生した。
すると、前までよく聞いていた曲が流れ出す。私と彼の音楽の趣味は結構似ているのかもしれない。
「久しぶりに聞いたなあこれ。懐かしい」
「私も。好きだったなあこれ」
人に歌える代物ではない曲が、私たちの間で流れ続けている。
でも、なんで急に音楽をかけて欲しいだなんて言い始めたのだろうか。沈黙というか、静寂を嫌ったのかな?
楽は話題を作るのがあまりにも下手だ。おそらく、話すことを音楽に任せているのだと思う。考えすぎかもしれないけれど。
「そういえばね、この前お姉ちゃんと妹と一緒に、サウナに行ってきたんだ」
「
「ろずのことは怒ってないよ。怒ってるというよりも、裏切られた、嘘を吐かれていたことが辛いんだ」
「だから楽は、私のこと、裏切らないでほしい」
私たちの話題は二転三転しつつ、行き着いたのは一昨日の夜中の件だった。
「裏切るようなことはない気がする。嘘はなんかあったかな……」
「なんかあるなら言ってみて」
楽は必死に考えている。何か出てくるかな?
「たぶんない。俺は基本的にそういう隠し事はあまりしないんだ」
「そう? ならよかったよ」
「信頼するの早すぎじゃない?」
楽は笑いながらそう言った。私もそう思う。でも、彼の言葉は信じるに値する。
なぜなら。
「だって楽、私に手、出さなかったでしょ」
「……え、それだけのことで?」
「? うん。そうだよ?」
「まじかよ……」
信じられないと言いたげな表情をして運転している楽。そんなにおかしなことを言ったつもりはないけれど……。
「なんか渚って危なっかしいんだよな。パーソナルスペースが狭すぎる」
「パーソナルスペース?」
聞いたことがあるようなないような。楽はたまに難しい言葉を使う。
「詳しいことは調べてほしいんだけど、要は人との距離感のことだな。近すぎるって事だ」
「そんなに近いかなあ……?」
「近いだろ。そうじゃなきゃ、一緒のベッドで寝たりなんてするはずもない」
確かにそうかもしれない。それは私も思う。でも、それがなんだというのだろうか。
楽は言葉を続ける。
「今回はたまたま俺が、こうして渚と出かけて、一緒の部屋に泊まって寝たけど、もしも他の人だったらどうなってたかも分からないんだ。俺は基本的に、そういうことを恋人以外とするつもりはこれっぽっちもないけど、世の中の男はそうじゃない。大抵恋人じゃなくてもするやつ、したいやつの方が多い。そして、そういう雰囲気になってしまう原因は、普段の距離感にある」
信号に引っかかったため、楽は先ほど、といっても1時間ほど前に買ったルイボスティーを飲んだ。
まだ彼は結論を出していないため、私は楽の言葉を待つ。
「距離が近ければ近いほど、それだけ気を許しているって事になる。渚はもっと、他人と距離をとるべきだと俺は思う。まあそれが一概に正しいとは言えないんだけどね」
「なるほどね……」
楽からのアドバイス? を私なりに解釈してみる。
距離が近いというのは、確かにその通りだと思う。実際、友達だと思っていた相手から、いきなりキスをされたことがあった。
さすがに驚いた。あの時以降、その人とは関わりを持っていない。
わりとすぐにボディータッチしてしまうし、異性の友達と手を繋ぐことに違和感を覚える、といったことはない。楽とも手を繋いだことあるしね。
こういった部分から、楽は距離が近いと、言っているのだと思う。
今は楽のことが好きだから、距離感を詰めることが大事だと思っている。本当は、水族館で手を繋ごうと思っていた。けれど、楽の邪魔になってしまうのではないかと思ったし、手を繋ごうと言い出す勇気がなかった。
楽になら、話せるだろうか。今まで誰にも話したことがないことを、彼は聞いてくれるだろうか。いや、聞く気がなくとも、私は話す。
話さなければいけないと、そう思う。
話すなら、今しかない。
「ねえ楽」
「ん?」
「……私、初めてが16歳でね」
「…………あ?」
楽が間抜けな声を出す。
「その相手がね、22歳の人でさ、ネットで知り合って。割と近くに住んでたから、会おうって話になって、実際会うことになってね」
「お、おう」
「会って、ご飯を食べて、そのあとホテルに連れて行かれてさ。そのまま流れでシちゃったんだ」
あの時のことを後悔しなかった時はない。親にすらこんな話はしていない。
「俺どんな感情で聞けばいいんだ……?」
「なんでもいいよ。適当でもいいし」
「いや、さすがに適当には聞けないでしょ……」
「とにかく聞いてくれればいいよ」
私は一度、お茶を口に含む。
「そんでさ、別に好きとかじゃなかったんだけど、セックスしたんだったら付き合うのかなとか思ってたからさ。『私と付き合ってください』って言ったの。そしたら、『遊びだよこんなの。付き合うわけないじゃん(笑)』って。最低だよね」
「なんつーか……、そういうやつってほんとに存在するんだって感じ」
絶望とはこのことかと、この時に悟った。ホテルに行くことを拒否すれば、こんなことにはならなかったと思う。そもそも、会うことさえしなければ、よかったのかもしれない。
きっと、処女喪失のときから、私の運命は狂い始めた。
「全然気持ちよくなかったし、なんなら痛い思いしかしてない。さの人となんて会わなければよかった。死ぬほど後悔してる」
「……」
「他にもあってね。前に友達と遊んだ時にさ……」
どれだけ話し込んでいたのか、いつの間にか空がきれいな夕焼けに染まっている。
車の外には、国道沿いだなと感じる風景が流れていた。
「私の話はこんな感じかな。どう思った?」
楽に私の過去を話した。私に対してどんな思いを抱くのだろうか。
少しだけ、怖い。誰にも話したことがないから。
私は楽の方を見る。ハンドルを握り、真剣な面持ちで口を開いた。
「大変、だったんだな。なんて言えばいいか……、俺には想像も出来ないぐらい、苦しかったんだなって、そう思ってる。正直なところ、俺は今渚にかけるべき言葉が見つからない」
それもそうだ。かなり重い話をしたし、私も彼に全てを理解してもらおうとは思っていない。理解するのではなく、知って欲しかっただけだ。
だから、私は短く返事をする。
「そっか」
「ただ……」
「ん?」
そこで楽は言い淀んだ。私は思わず、ごくりと喉を鳴らす。
「俺は自分が出来てる人間だとは思っていない。だけど少なくとも、渚が今まで出会ったやつの中ではまともだってことが分かった」
「うん、まあそりゃね」
楽の自己評価は高くないが、私の中では彼が1番だ。
今までの人の何倍もまともだし、優しいし、一緒にいて楽しい。
「だからと言っちゃ何だが、今後何かあったら俺を頼って欲しい。できる限りのことはする」
「……?」
私は今、何を言われたのだろうか。いや、言われた言葉は分かるのだけれど、いまいち理解できない。どういうこと?
私の返事がないことで察したのか、楽が慌てて補足する。
「例えば今後、渚に恋人が出来て、そいつとなにか問題が起きてしまって困ったりしたら、俺を頼って欲しいってこと。話ぐらいならいくらでも聞く。それ以外でも、人間関係に困ってしまったりしたときは、いつでも俺に連絡してくれていい。時間さえ合えば、会って話したりもできるしさ。そんな感じ」
「……っ。ほんとに、いいの……?」
「当たり前だろ」
楽の優しさが、荒んだ心にぐっとくる。嬉しくて涙が出そうになる。
底なしの優しさだ。一体どんな環境で育ったら、こんなにもすごい人になれるのだろう。
私なんかとは全然違う。
またしても、感謝しなければならない。感謝しても、しつくせない。
「ありがとう……。楽」
「友達、……いや、親友の幸せのためだ。当然のことだよ」
そう言って、彼は笑った。
楽のことが、より一層好きになった。でも、まだ言わない。今言ってしまったら、ずるいような気がするから。
だから私は、別の言葉を告げる。
「次は、楽の話を聞かせてよ」
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