#16 不思議な感じ

 ぱちっと目が覚めた。視界には知らない天井がある。

 頭を横に倒すと、渚が背を向けて寝ている。


 今何時だろう。

 起こさないように、スマホを手探りで探す。


 6時37分。


 自分自身に呆れる。遠足の日だけいつもより早起きする小学生みたいだな。


「ぅ~ん……」


 渚が寝返りを打ってこちらを向いた。視界が少しぼやけているが、寝顔も可愛い。

 そっと彼女の頭に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。

 触ってもきっと彼女は怒らないだろうけれど、寝ている時に触れるのはなんか違う気がする。昨日の夜にお互いにこちょこちょしまくったが、あれは、うん。不可抗力というやつだ。渚の脚が目の前にあって、すべすべしていたからだ。仕方ない。


 それにしても、一晩を共にしてそういう雰囲気にならず、よく手を出さずにいられたもんだ。自分自身を褒め称えたい。いや、触ってるから手は出してるのか……?

 まあいいや。手を出すって結局そういうことをしてしまうことだろうし、今回の場合は当てはまらないだろう。


 それはそうと、こんなに早起きしたんだ。少し今日のルートを復習しておこう。

 スマホの地図アプリを開き、水族館の名称で検索をかける。うん、やっぱりほとんど1本でいける。これならあまり迷わずに水族館にたどり着けそうだ。


「ん~……」


 渚がむにゃむにゃと言っている。もうすぐ意識が覚醒する頃合だろう。

 スマホの画面を閉じて、俺は彼女の方をじっと見る。

 ぼやけた視界の中、少し目が開いて___。


「……おはよう楽」

「おはよ。渚」


 渚は目を覚ました。


「よく眠れたかい?」

「うん、まあまあかな。そっちは?」

「そりゃもう。ぐっすりと」


「そか」と、渚は笑みを浮かべた。すると、彼女の手が俺の顔に伸びてきて、むにっと頬をつまんだ。


「え、な」


 俺の戸惑いをよそに、渚は頬をむにむにしている。

 なにこれ? どういう状況?


「な、何をしている……?」

「楽のほっぺた柔らかいね」

「質問の答えになってねえ……」

「むにむにしてるだけだよ。ただ触りたかっただけ」


 なんだそれ。こいつ俺のこと好きなのか?

 ……いやいや、それはない。ただ渚はパーソナルスペースが狭すぎて、こうしたことをしているんだろう。そうに決まっている。

 とはいえ、ずっとされているのもなんだかぞわぞわするだけだ。渚は微笑みながら未だにむにむにしているし、ここはひとつ仕返しでもしようか。


「俺もするぞ」

「別にいいよ」

「…………」


 うーん、反応に困る。自分から提案しておいてなんだが、何を言っているんだろうか。

 しかし、せっかく許諾を得たんだ。むにむにしなくてはもったいない。

 おずおずと俺は自分の手を渚の顔に伸ばし、頬を軽くつまんだ。


 ……ほっぺた柔らかすぎでは? こんなに柔らかいもんだっけ。

 しばらくふにふにしていると、なぜか彼女は脚を絡ませてきた。


 頭がこんがらがってきた。ワタシドウスレバイイノコレ。


「えへへ」

「……なんだよ、もう」

「えへへ」


 照れたような可愛い声。

 顔を見たいと思い、少し近付いてみる。

 やはり渚の頬が赤くなっている。


「近いよ、楽」

「こんだけしておいて今更だろ。距離感いずどこ」

「まあそれもそうだね。……今何時?」


 そう問われたので、スマホで時間を確認する。


「7時19分。確かレストランはもう開いてるんだよな。どうする?」

「うーん……、もう少しゆっくりしていく」


 特に反対する理由もないため、俺は「わかった」と彼女に同意した。


 俺たちはしばらく頬をむにむにしたり、足を絡ませるといったカップルみたいなことをして、ゆったりとした時間を過ごした。

 俺は頬だけを触るだけじゃ飽き足らず、頭を撫でてみた。渚は少しびくっとしたが、すんなりと受け入れてくれた。


 完全に金色に染まっているわけではないけれど、綺麗なさらさらの髪。今の時間を切り取ってしまえば、俺たちはただのカップルにしか見えない。まあいいか。その気がなければ大丈夫だ。


 しかし、こうして頭を撫でていると、元カノのことが脳裏にぎる。

 しずくは今、元気にしているのだろうか。元気に幸せでいてくれさえすれば、それ以上に願うことはない。


 ……まあ、これも身勝手な願望でしかないのだけれど。


 渚の頭を撫で、ついでに耳も軽く触ってみる。


「……んっ」


 渚から少し掠れた声が聞こえた。

 あ、これダメなやつだ。

 耳を触ることを早々に諦め、手を頭に戻した。絶対によろしくない。


 というより、さすがにそろそろ触るのやめよう。情が湧いてしまう。それだけは避けたいところだ。とはいえ、スキンシップが昨日からかなり多いため、今更やめたとて大して変わらないような気もしているが。

 俺は手を渚の頭からどけ、足もほどいた。


「渚、そろそろ朝ごはんを食べに行こう」


 そう言うと、彼女は「うんっ」と、笑顔で頷いた。

 部屋を出て、エレベーターで2階まで降りる。右手の方へ目をやれば、既に多くの人がいた。

 2人用の席を取り、俺はおぼんの上のお皿にスクランブルエッグ、ベーコン、卵焼き、サラダを乗せ、さらに白米、味噌汁も持ってきた。

 席に戻り、渚と朝ごはんを食べ始める。


「朝はパン派なのか?」


 彼女は白米ではなくクロワッサンを取ってきていたため、そう聞いてみた。


「うーん、どっちともいえないかな。あんまり考えないで朝ごはんを済ませることが多いから。楽は?」

「圧倒的に米派」


 日本人の心得であるが故、俺は基本的に朝は米を食べる。米を食べない日本人は日本人ではないと思うことさえある。

 ただ、そんなものは個人の自由だ。俺がどうこう言ったところで仕方ない。人にはそれぞれこだわりがある。


 雑談を織り交ぜながら、俺たちは朝ご飯を済ませる。レストランにあったテレビで、今日の天気を確認すると、1日中晴れるみたいだった。雨とかじゃなくて本当によかった。

 部屋に戻る頃には、既に8時半を回っていた。俺たちはゆったりと着替えをしたり、身だしなみを整える。


 俺は白のTシャツに黒のデニムという、なんとも非モテ男子の代表格みたいな服装に着替えて、渚が着替え終わるのをベッドに座って待っていた。

 ドライヤーの音が止まり、ユニットバスの扉が開いた。


「おまたー」


 そう言って出てきた彼女は、白いロングTシャツの上に縦縞の入った水色のブラウス、青みがかったデニムパンツといった服装だった。

 俺なんかと違っておしゃれな女の子だと、こうして私服を見るたびに思う。かたや俺は、何の特徴もないただの一般大学生だ。


「もうそろそろ出る?」

「そうだな。チェックアウトまであと20分しかないし」


 チェックアウトは10時までに済ませないといけない。

 それほど散らかっていたわけでもないけれど、ある程度ベッドと部屋を綺麗にして、俺たちは部屋を出た。フロントのお姉さんに鍵を渡し、お礼を言ってからエントランスへ向かう。

 それにしても、フロントにいる受付の人から「お気を付けていってらっしゃいませ」って言われるが、これにはどう返せばいいのかと毎回悩む。適当に笑顔で返してるんだけど、それでいいのだろうか。


 ホテルを出て駐車場へ向かい、車に乗り込む。エンジンをかけ、シートベルトを締める。


「さて、これから水族館に行くわけだけど、心の準備はよろしいか」

「……?」


 そう問うと、怪訝な顔をされた。それもそうか。心の準備ってなんだよ。


「んじゃ、出発だ」

「今日も運転よろしくね」

「任せろ」


 こうして俺は渚を乗せ、水族館へ向かった。途中少し迷いかけたが、すんなりと目的地までたどり着けた。

 駐車場に車を停めて、水族館の受付まで向かう。


「少し人多いな」

「一応3連休だからね。そりゃ多くもなるよ」

「まあ確かに」


 受付でチケットを買い、中へ歩みを進める。

 道順に従っていくと、最初は虫や小動物のところのようだ。


「道順でいい?」

「うん、大丈夫だよ。行こっか」


 そうして俺たちは並んで歩き出す。サンショウウオや小鳥、カエルなどを鑑賞していく。渚は新しい展示を見つけるたびに写真を撮っていた。


 楽しそうだ。よかった。


 思わず口元が緩む。

 すると、渚がこちらを向いた。やべ。


「なにニヤニヤしてるんだよー」

「……いや別に。なにも」

「ふーん? まあいいけどさ」


 そろそろ終わりが見えたとき、そこにいたのはカワウソだった。そういえば、俺あんまりカワウソ見たことないな。写真撮っとこう。

 俺はスマホでカワウソの写真を撮る。しかし、逆光がひどく、撮った写真にははっきりと、俺と渚の下半身が水に反射していた。

 ……まあいいか。俺はスマホをバッグにしまい、再び歩き出した。


「あ、私お手洗い行きたい」

「ああ、行っておいで」


 小動物エリアが終わり、渚はトイレへ向かった。俺は炎天下の中、外で待つ。

 本当に今が9月の半ばであるなど信じられない。

 さらに、俺がこうして県外にいるということも信じられない。

 もっと言えば、渚と2人でプールや水族館に来ていることすらも信じられない。


 ……はっ。


 思わず自身を嘲る。

 なんだかセンチな気持ちになりかけている。今後渚と遊ぶ事なんて本当に少ないだろうし、仮にあの子に彼氏が出来たのなら、俺は彼女と遊ばない。そう決めている。

 だとしても、今は俺とデートじみたことをしている。もう少し気楽にいきたいところだ。


「うだうだ考えててもしかたねーなあ」


 つい独り言を漏らしてしまう。まあとにかく、渚との時間は大切にしよう。せっかく遊びに来たんだ。

 そんなことを考えていると、渚がトイレから戻ってきた。


「ただまー。行こっ」

「おう」


 俺たちは本館へ向かって歩き、中へ入った。シーラカンスやカブトガニなど、俗に言う『生きた化石』という生き物がいた。

 毎度思うが、生きた化石とはよく言ったものだ。基本的に生物の化石は死骸のことを指すため、言葉的には矛盾している。だというのに、かなりしっくりくるから不思議なものだ。

 ここでも渚はカメラでたくさん写真を撮っていた。しかも、真剣な表情で撮っている。

 それを見て、俺は渚に聞いてみることにした。


「渚は生き物が好きなのか?」

「うん、すごく好き。だって可愛いんだもん。それに、なんだか不思議な感じもするの」

「どゆこと?」

「なんていうかさ、私たち人間と違うのに、生きてるってことでしょ? そういうのがうまく想像できないんだ。虫として、魚として生きるってどういうことなんだろうって思う。だから好きなんだ」


 そう言って彼女は微笑んだ。

 俺には、渚の言っていることがあまり理解出来なかった。難しいな、これは。まあでも、不思議な感じがするということには同意だ。


「じゃあ先に進もうか」


 渚は俺の返事を待たずに歩き始めた。

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