青い杜、見える景色は
#15 うぉっちんぐゆー
楽しかったプールを出て、楽の運転でホテルまで向かう。私は助手席に乗ってナビをすることになった。しかし、結構な方向音痴だし、地図もいまいち読めない。
案内するべき立場の私が、かなり足を引っ張ってしまっていた。
結局楽が地図を見て、30分ほどでホテルにたどり着いた。
「やっと着いたー!」
「お疲れ様だよー。結構迷っちゃってごめんね」
「まあ初めて来るところだしいいよ。渚が方向音痴なのは知ってるしあんま気にしてない」
「そ、そか……」
「どうしてこう俺の周りのやつらはみんな方向音痴なんだろう……」
楽はそうぼやき、ふぅ、とため息を吐いた。
「さて、とりあえずチェックインしよう。本来の時間を1時間も過ぎてる」
「そうだね。急ごう」
急ぐとは言え、それほど気にする必要もない。慌てずゆっくり、慎重に急いだ。
キャリーバッグを引きながら駐車場からホテルに歩き、中に入るとエレベーターがあった。どうやら2階にフロントがあるらしい。
「1階にフロントがないのって、なんか新鮮だね」
「たしかにそうだな。まあホテルなんていくらでもあるし、俺たちが知らないだけでいっぱいあるかもしれねーぞ」
「それ言っちゃおしまいでしょ」
2階に到着して、受付のほうへ向かう。結構フロントは広いみたいだ。それに、レストランがエレベーター出口の右側にあった。ここで朝ごはんを食べるのね……。ふむふむ。
「すみません。
「かしこまりました。少々お待ちください。…………。2名様でご予約の白川様ですね」
「はい」
「では、こちらの紙に必要事項をお書きください。ペンはこちらにございますので」
「わかりました」と楽は言って、さらさらと住所や電話番号などを書いていく。
あまり見ないようにするべきだろうが、気になってしまう。
「意外と達筆なんだね」
「そんなに上手くねえよ」
何気に楽の筆跡を見るのは初めてだったため、新たな楽を知れて私は少し嬉しかった。
書き終わった紙を受付の人に渡し、ホテルの注意事項などの説明を受けた。部屋は7階のようだ。
説明を受けた後、精算機でホテル代を払い、私たちは再びエレベーターに乗った。
上に向かっている途中、楽が話を振ってきた。
「端から見た俺らって、本当にカップルにしか見えないよな……」
「まあいいんじゃない。こっちも相手も何も知らないし」
なにかを気にしてそうな声色だ。さっきのプールだってそうだったのに、何を気にする必要があるのだろうか。
「そうだけどさ。……ま、いいや。夕飯どうする?」
「どうしようか。何も決めてないね」
そんなことを話していたら、7階に着いた。エレベーターを降りて、部屋の鍵を開けて中に入る。
割と広い。ベッドも広く、2人で寝るには十分すぎる広さだ。確かセミダブルって言ったっけ。
奥の方に楽が行ったため、私は必然的にドア側になる。荷物を置き、とりあえずベッドに座り込んだ。
ふかふかでいい感じだ。これはゆっくり眠れそう。……いや、ベッドがよくても、気の持ち方とかそういうのを含むと、ゆっくり眠ることが出来るかどうかは微妙なところだ。
そう思い、ふと楽の方を見ると、スマホを見ながらなにやらぶつぶつ言っていた。
「近くになんか飲食店あるかな……。さすがにあるか。……ここなら大丈夫か? いい感じの店っぽいな」
どうやら夕飯を食べる所を探していてくれているらしい。私は立ち上がって、彼の横に座った。
「いいお店あった?」
「……!? ま、まあ、一応、あった」
何の気なしに隣に座っただけなのに、すごい勢いで楽が離れた。
驚いただけだろうけれど、そんな反射的に避けることある?
「なんで離れた?」
「……ちょっと驚いただけ。戻る」
そう言って楽は、すすすっと私の隣に座った。まあさすがに私のことが嫌で離れたとかではなさそうだが、少し答えるのに間があった。
考えすぎかな。まあいいか。
「よし。ここでいい?」
楽はそう言って私にスマホを見せてきた。どうやら韓国風のお店みたいだ。辛いのは別に苦手じゃないし、おなかが空いていたから食べられるところがあればどこでもいい。
このホテルは駅の目の前だし、飲食店がない方がおかしいのだが、あまりいいところがないとぼやいている。
「うん、いいよ。ここにしようか」
「おっけい」
そして私たちはホテルを出て、お店に向かった。
到着して中に入ると混雑していたため、私たちはドア近くの椅子に座って待つことになった。そこで、どうせならと思い、私は楽にカメラを向けて写真を撮った。
「え、なんで写真撮った」
「なんとなく」
「なら俺も撮る」
「いいよ別に。はい、どうぞ」
私はそう言い、笑顔を作ってピースをした。カシャリと音がしたので、私はハンドサインを送ってみた。
「な、なにそれ」
「うぉっちんぐゆーだよ」
「……?」
楽は怪訝な顔をした。まあ私も、昔映画かなんかで見たような曖昧な記憶しかないが、あまり良い意味じゃないのは知っている。けれど、今の私にとっては少し意味合いが違う。
いつも見守っているよ、って口で伝えられたらいいのにな。
店員さんに呼ばれ、私たちは席に座る。メニューを見ると、スンドゥブなどが食べられるみたいだし、かなり美味しそうだ。しかもここは焼肉店だし、結構贅沢な気がする。
「お酒はあとでいいよね? ここで飲まなくていい?」
「うん、いいよ。高くなっちゃうしね」
お酒はあとでコンビニにでも寄ればいいし、こういうお店だと高くつく。私たちはおとなしくお肉や野菜、ご飯などを頼み、届いた食べ物を焼いたりして、夕飯を楽しんだ。
なんだかんだ結構量を頼んでしまったが、私も楽もお残しはしない主義なため、すべて平らげた。楽はスンドゥブの辛さがきつかったみたいで、水をたくさん頼んでいたけれど。
「ごちそうさまでした。美味かったなあ」
「ごちそうさま。美味しかったね」
お金を払い、私たちはお店を出た。
知らない町の夜風が、火照った体を涼しくしてくれる。9月中旬になっても半袖でいることが出来るのは、なかなか珍しいことだ。
お店の近くにあるコンビニに寄り、店内を見て回る。
「今日は甘いやつにしようかな」
「楽いっつも甘いやつでしょ」
「ばれたか。まあいいじゃん。おやつも買おうかな」
そう言って彼はチューハイ2缶を持って、お菓子コーナーに向かった。私は特にいらなかったし、お酒もチューハイ1缶だけにした。
お会計を済ませ、ホテルに向かう。またしても買った物は、楽のエコバッグに入れられた。
本当になんでこいつエコバッグ持ってるんだろう。主婦か?
「あと風呂入って酒飲んで寝るだけだな」
「そうだね。お風呂広いといいなあ」
くすっと楽が笑った。なにかおかしかったのだろうか。
「なんで笑ったの?」
「なんか不思議だなって思ってさ」
「どういうこと?」
「こうして知らない町で、渚と夜に出歩いてるってことがなんだか現実味がないなって。すごく、その、なんだろ、こう……、言葉に言い表せない感情なんだけどさ。不思議だって思う」
楽の言いたいことは少し分かる気がする。私も今、そんな感情を持っている。
「まあそんなことはいいさ。ホテル着いたし、さっさと風呂入ってしまおう」
私はこくんと頷き、同意を示した。エントランスからエレベーターに乗り、割り当てられた部屋まで向かう。
お風呂は3階にあるため、着替えなどを準備する。
そこで私は、重大なミスに気付いてしまった。
「あ、まずい。袋忘れた。楽、着替え入れられる袋持ってない?」
そう楽に頼んでみる。頼りすぎるのはよくないけれど、今は頼まざるを得ない。
「あるよ。念のために袋多めに持ってきておいてよかった」
「さすがに準備よすぎない? ありがと」
こいつの準備のよさには少し引くが、それだけ私と遊びに行くのが楽しみだったんだとポジティブに捉えることにした。
部屋を出て、3階まで下りる。鍵は楽の方が早く出るだろうし、楽に任せた。
脱衣所で服を脱ぎ、浴場に入る。あれ、あんまり広くない。
大浴場とか書いてあったから、もっと広いのかと思ってた。
まあいいか。お客さんも私以外1人しかいないし。
髪を洗い、体をごしごしと洗う。シャワーの勢いが強い気がするが、今日は私の気持ちは流さない。いつもはシャワーとともに、自分にまとわりついた色々な感情を流すことが多い。しかし、今日の私の感情を流すことはしない。
楽と一緒に寝ることを考えたら、気持ちをちゃんと持っていないといけない。
……一応、下心だけは流しておこう。
部屋に戻ると、楽はカーテンを開けて外を見ていた。
「ただいま」
「おう、おかえり。ここから見る景色はなかなかいいな」
「へー」
「興味なさそうだな」
無言で肯定する。あんまり興味はない。というより、そんなことを気にしていられないほどに、緊張の方が強い。
だってそうでしょ。友達とはいえ、異性なんだし。むしろ緊張するなって方が無理な話だ。それに、下心もない、といえば嘘になる。シャワーを浴びても、流し切れていなかった。
私的には、楽も緊張しているだろうし、下心もあるだろうと予測している。男の子だもんね仕方ない。
いや、そんな風に気を許してしまうのが私の悪い癖だ。もしそういう雰囲気になってしまったら、きっちりと断ろう。そういったことをしてしまったら、今後友達でいることが出来るのかどうかも怪しい。
「んじゃ、そろそろ飲むか」
「……」
「渚?」
「……ん!? どしたの!?」
「そろそろ飲もうぜ」
「あ、うん、そうだね」
考え事をしていたせいか、少し言葉に詰まってしまった。楽は不思議そうな顔をしながらも、冷蔵庫からお酒を持ってきた。
「かんぱい」と缶をぶつけて、カシュッと開ける。少し飲んだだけで、顔が紅潮した気がする。
「……ぷはぁ。うまいなあ。こんな風に飲めるときが来るとは思ってなかったよ」
「さっきから似たようなこと結構言ってるよね」
「仕方ないだろ。そんな感想しか思い浮かばないんだから」
「ボキャ貧」
「人のこと言えるか」
私は黙って目を逸らす。ついでに手で抱えていたお酒に口をつける。
ボキャ貧なのは私もだ。というより、楽は大学生だし、私は高卒で働いているのだから、むしろ私の方がボキャ貧なのでは……?
そんなことを思ったが、急にどうでもよくなったので考えることをやめた。
お酒を一気に呷り、半分ほど飲み干す。
楽の方を見ると、2缶目に入ろうとしていた。
「本当に飲むの早いよね……。酔わないの?」
「1缶5%程度で酔うわけなかろう」
そう言って彼はぐびぐびと飲み、お菓子も食べ始めた。
「渚も食べる?」
「うーん、今はいいかな」
「食べたくなったら言いなよ」
「そうするー」
楽は「うめー」とか言いながらお菓子を食べてはお酒を飲んでいる。それを傍目に、私は思う。
緊張感のかけらも感じないんですけど!? すごく普通じゃない!?
え、こんなに緊張してるの私だけなの?
心臓は未だにバクバクしているし、手汗を結構かいている。両手に抱えたお酒が落ちるか心配になるぐらいには、手汗をかいている。
あまりにも普通すぎて、楽と寝泊まりすることが日常なんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。
でも、楽が普通でいてくれるおかげで、私も少しずつ緊張が解れてきた。
弛緩した空気の中で、私たちは酒の肴として今日のプールの話に花を咲かせる。
ここはよかったねとか、ああいう人が居てむかついたとか。
ずいぶんと話し込んでいたからか、あと数十分で日付を超える時間になっていた。
既にお酒は飲み終わったし、明日もそれなりの時間に起きるため、私たちは歯磨きをして寝る準備に入った。
やばい。また緊張してきた。
……さすがにそういう雰囲気にはならないよね?
もしなったとしたら、きっと私は流される。
しかも、それを嫌だと思っていない自分がいる。
断ろうと思っていた自分が遠のいている。
楽のことだし、大丈夫だとは思う。
そんなことを考えていると、窓際に立っていた楽がベッドにダイブした。
「ダーイブ!」
え、こいつ何してんだ。
しかも、寝る方向に垂直にダイブしている。
楽はごろんと仰向けになり、脚を組んだ。そして、笑顔で私を見てきた。
「渚もしようぜ」
「なんでよ」
「こんなこと出来るのは、今だけだぞ」
その言葉に、私はひどく納得した。
さっきまでの葛藤が嘘のように消えていった。
……ああ、もうっ!
私は勢いよくベッドにダイブした。ちらりと横を見ると、楽の脚が目の前にある。
結構きれいな脚だな。大きな足から伸びる、ほどよく筋肉がついているすらっとしたふくらはぎ。脱毛でもしているのか、毛が見当たらない。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、触ってみたい。
そう思っていると、足の裏に得も言われぬ刺激が走った。
「ひぅ……!? え、ちょ、楽……!? くすぐ、ったい……!」
触れられていないかのような柔らかなタッチのくせに、全身がぞくぞくするような感覚。
普段そこをくすぐられたところで、一切効かないはずなのに……!
「足裏、弱いの?」
「ふつ、うはきかな、い」
「ふーん……」
そう言った楽の声には、嘲笑が含まれていた。こうなったら、私も仕返ししてやる……!
「楽は足裏、弱いの?」
「弱いね」
そう言うと、楽はくすぐるのをやめた。今度は私が、楽の足の裏をくすぐってみる。
しかし、なんだか手応えがない。
「ほんとに効くの……?」
「効くよー。まあ渚が下手すぎて全然効かないけど」
ここから顔は見えないけれど、楽は絶対にニヤニヤしている。
楽に触れられた感じでしばらくくすぐってみたが、全然効いていないようだ。
私は諦めて、楽に触り方を聞くことにした。
「さっきどうやってた?」
「そうだなあ。肌に触れるか触れないかのところを、指先でそっとなぞる感じかな。爪の方でやると結構やりやすいかも」
いや真面目に解説してどうすんねーん!
そうツッコミを入れたくなるぐらいには真面目な解説だった。
しかし、せっかく解説してもらったんだ。やってみよう。
そう思い、5分ほどやらせてもらったが、まるで効いていない。
正直、これはセンスの問題だと思う。だってあまりにも効いていないんだもん。
出来なさすぎて、楽にくすぐってもらった始末だ。くすぐってもらうって意味不明すぎる。
「渚下手だなあ。ま、別にいいけどさ」
「楽の触り方うますぎるんだよ。というより、なんかエロい」
「んなことないでしょ」
「ある」
「……」
楽は沈黙した。これは認めているようなものだ。別にいいけどさ。エロい触り方したって。そういうことしなければいいんだから。
楽は、そういうことをしたいと、思っているのだろうか。
「楽、あの___」
「さ、明日も早いしそろそろ寝ようぜ。何時に起きる?」
「……7時とかかな」
「おっけい。目覚ましかけとく」
「うん、ありがと」
「よっこいせ」と楽は上半身を起こしたため、私もそれに倣って起き上がる。
私は、敷いてある布団に潜り込み、楽に背を向けた。
背の向こう側から衣擦れの音がして、近くに人の温かみを感じた。
「おやすみ、渚」
「おやすみ楽」
就寝のあいさつを交わし、私は目を閉じる。
今日は一段と疲れた。けれど、とても楽しかった。また明日があるのだと思うと、とても嬉しく感じられる。
それと同時に、どくんどくんと、心臓の鼓動が楽に聞こえてしまわないか心配になった。
ああ、そうか。
今更だけど、私は確信した。
私は楽のことが好きなんだ。
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