#13 体つきいいよね

 渚が笑顔を浮かべながら、俺と話をしている。

 先ほど彼女に、真剣な声で「ありがと」と言われてから、表情に明るさが加わったような感じがする。

 写真を2人で撮っただけのお礼でそんなに真剣になるなんて、なにか別な意図があったとしか思えない。


 ただ俺は、別な意図があったとしても特に聞こうとは思わなかった。聞くようなことでもないしな。

 それに、思っていることを口にしないということは、伝えるべきか迷ったものか、伝える必要のないことであることが多い。まあ伝えないでいたことが多すぎて、そうして失敗したことなんか過去にいくらでもあるが。


「ねえ楽、外のプールにも行ってみようよ」


 かれこれ10分ぐらい温泉プールに浸かっただろうか、渚がそう提案してきた。気持ちよくジェットを浴びていたというのに。

 しかし、せっかくプールにまで来たんだ。いつまでも温泉に浸かっているわけにはいかない。

 俺は渚の言葉に頷き、2人で外のプールにやってきた。9月だというのに、どうしてこんなにも陽が出ているのか。日差しがとても温かい。いやむしろ暑いな。

 プールサイドが熱を吸収しまくっているせいで、足の裏が焼けるかと思った。俺は眼鏡を外して渚とプールに入る。


「さすがに暑すぎだろ。なんだこれ。人も多いし」

「楽、人多いのは分かりきってたでしょ。文句言わないの」

「お母さんかよ」


 俺たちはプールに入るときは手を繋ぐ。いつの間にか彼女に触れることに慣れてしまっていた。こういった慣れはあんまりよろしくない。

 だが、かなり心臓の音はうるさい。そりゃそうだろ。女の子と手を繋ぐんだぜ。動悸が激しくなるのも無理はないと思う。動悸が激しいって言うのはなんか違うか。


 渚は人波をかき分けながら歩いて行く。たまに俺の方を向き、色々話しかけてくれたり、なぜか俺の写真を何枚か撮ったりしてきた。写真はあんまり好きじゃないけど、……可愛いからいっか。

 しかしまあ、本来なら俺が彼女をリードする立場だと思うのだが、一切そのことに対して文句を言わない渚の寛大さには頭が下がる。仕方がないことだとは思うけど、でも午後は眼鏡をつけたままにしようかな。多少濡れはするだろうが、渚にばかり前を歩かせるわけにはいかない。


 その辺をうろうろして渚と時間を潰すうちに、良い感じにお腹が減ってきた。俺は渚に、ご飯を食べないかと提案した。


「そうだね……。12時ぴったりとかのピークの時間は避けたいから、もうお昼にしようか」

「よし、なら買いに行くか」

「うんっ」


 俺たちはプールを出て、建物の中に入った。外のプールからファストフード店が近かったため、それほど歩くことはなく並ぶことが出来たが、俺たちと同じ考えの人が多いのか、もう既に多くの人がいた。


「人多いけどしゃあないな」

「そだねぇ。まあこうなるかぁ。大人しく並んでおこう」

「おう」

「てかさ楽、この前妹がさ___」



 渚と話しながら並ぶこと20分。俺たちはたこ焼きとフライドポテト、ナゲットを買った。ついでにペットボトルの飲み物も自販機で買っておいた。


「どこ座ろうか……、というか、席取っておけばよかったな……」

「こればっかりは仕方ないよ。席全部埋まってたし取るところなかったもん」

「そうなんだよなぁ……。暑いけど外に行くしかないか」

「そうするしかなさそうだね」


 そして俺と渚は外に出て、空いている席に座った。

「暑い暑い」などと言いながら買ってきたものを食べ、さっさと席を後にした。

 食べ終わったのにいつまでも座っているのは周りの方にも迷惑だからね。


 さて、ご飯は済ませたし、これからどこに行こうか。


「あ、楽。私トイレ行ってくる」

「いってらー」


 彼女がトイレに行っている間ぼーっとしていた俺の耳に、家族で来ていたのか幼稚園児ぐらいの女の子が、楽しそうに母親らしき人物と笑う声が入ってきた。


 俺に子供が出来たとき、あんな風に笑わせることが出来るのかな。

 渚を笑顔にすることすらままならない俺に、そんなことが出来るのだろうか。

 ふと、そんなことを思う。


 分からない。

 未来のことなんて誰にも分からない。

 でも未来の予測なら、出来ないわけじゃない。それに願望を言ったって、減るもんじゃない。

 それに、確実に分かることは一つだけある。


 俺の夢は絶対に叶うことはないということ。


「……はああぁぁ」


 俺はため息を吐く。言葉にしてしまえば素っ頓狂なことで、どうしようもない夢だ。

 まあ、別に叶わない夢を語ったところで誰が損するわけでもない。


 ところでなんで夢について考えてるんだっけ……。はて……。思い出せない。


「ただいまー」

「……」

「楽ー? おーい」

「…………。ん?」

「ただいま」

「おおぅうおおぉう? お、おかえり」

「ぼーっとしてどうしたの?」


 渚が不思議そうな顔をして俺を見ている。あまりにも思考が深くいきすぎて、つい耽ってしまったようだ。


「悪い、考え事してた」

「ふーん? まあいいけどさ。それよりまた外のプールに行こうよ」

「ああ、いいよ」


 俺がそう返事をすると、彼女は「早く行こ!」と俺の腕を掴んで歩き始めた。

 その顔には笑顔が浮かんでいて、俺は思わず口を綻ばせた。


 渚が笑って過ごせている日常が、いつまでも続いてほしい。


 そんな願いが脳裏に浮かび、俺は頭を横に振った。

 ……思うだけなら自由だけど、なんかそのうちポロっと言ってしまいそうだな。


 外に出てプールに入る。そういえば、先ほどは眼鏡をつけようと思っていたが、渚に「眼鏡濡れるし外してていいよ」と言われたため、結局裸眼となった。

 俺たちはとりあえずプールの壁際に身を寄せた。


「そういえば朝から思ってたんだけどさ、楽って結構体つきいいよね。なにか運動してるの?」

「……は?」

「え?」


 思わず渚を凝視してしまう。体つきいいよねってなんかとんでもなくエロい気がする。いや、渚にそんな気持ちがない、ということは知っているからただの純粋な疑問なんだろうけど……。

 今は眼鏡をかけていないため、目つきが悪い。ような気がする。


「……いやなんでも。運動はまあ、陸上をやってたな」

「私もやってたよ陸上! 中学校の時だけだけどね」

「お、そうなん? 何やってたの?」

「幅跳びと、……100メートルだったかな。楽は?」

「俺はハードル」

「私ハードル跳べなくて断念したなあ」

「ハードルは難しいからな」


 確かにハードルは人を選ぶとは思う。とはいえ、渚は身長がわりと高いし、もし高校でやっていたなら良い成績が残せていたかもしれない。勝手な推測でしかないけれど。

 とはいえ、彼女との共通項が増えたのはかなりありがたい。話題作りにはもってこいだ。俺は自分から話を振るのがとことん苦手だから、こうした内容についてならば俺も話題を振れるかもしれない。


「とこ___」

「楽、なんだか不思議だよね。まだ3回しか会ってないのに、こうして2人で見知らぬ地でプールに入って遊んでさ。それにこの後は泊まって、明日は水族館に行くだなんて。今までの私からは考えられないな……」

「…………」


 俺には、またしてもかける言葉が見つからなかった。彼女は俺の返答など求めていないかもしれないが、なにか反応しないといけないとは思っている。

 先ほどよりも強く紫外線を浴びせてくる太陽は、俺の体を黒くする。


 時間にすれば数瞬、はたまた数時間経ったとさえ錯覚してしまうほどの時間が過ぎ、俺は口を開いた。


「そう、だな。なんか不思議だよな」

「うん」


 俺の返事はなんともわけの分からない、渚の意図も汲み取れていないようなものだった。なんて浅はかなんだ、俺は。ばかやろうかよ。


「だからありがとう、楽。こんな私と友達になってくれて」

「……!」


 お礼を言われ、俺は目を見開いた。なにか言わないと。


「こんな、なんて言うなよ」

「え……?」

「渚は渚だ。他の誰でもない。自分のことをこんな、だなんて卑下する必要なんてない。それに俺は、友達になりたいと思ったやつとしか友達にならん。……渚は立派だよ。もっと自分を誇っていい。大丈夫だ。俺が保証する。俺たちは親友、なんだろ」

「……!」


 今度は渚が目を見開いた。


「それともなんだ。親友おれのいうことが信じられないかい?」

「そ、そんなことない! なんか恥ずかしいなって思っただけ!」


 そう言って渚は手で顔を覆った。よく目を凝らしてみると、耳が赤いような気がする。それを見て俺も声にならない悲鳴を出してしまう。


「~~~ッ! それだけはっ! 言うなああああああ!」

「___ッ、きゃっ」


 ぱしゃっと渚に水をかける。ここはプールだ。水をかぶらずして何をする。でもこれとんでもない今更感があるな。

 しかし、俺がいきなり水をかけてしまい驚いたのか、少し経っても渚は顔を見せてくれない。うわ、やらかした……!


「ご、ごめん渚。ちょっとやりす___」

「食らえええええええええ!!」

「うおっ!?」


 めっちゃ水かけられた。眼鏡をしてなくてよかったと思う瞬間である。


「楽のばーか! ばーか!」

「ちょ、なぎ……! おわっ!」


 俺は水をかけられ続けてバランスを崩してしまい、水に沈んでしまった。とりあえず脱出して、髪の毛をかきあげる。


「楽、大丈夫……? やりすぎたかも……。ごめんね」

「いいよこのくらい。俺がバランス崩しただけだ。気にすんな」

「うん……」


 捨てられた子犬のように丸くなっている渚。そんなに落ち込むことないだろうに。

 まあ可愛いからいいか。俺の手は彼女の頭に向かって伸びていき、さすさすと撫でた。渚は少し戸惑ったようで、びくっと体を震わせた。

 俺は、なるべく彼女が困らないように言葉をかけた。


「楽しかったんならいいんだよ。俺は大丈夫だから」

「……ほんと?」


 上目遣いで俺を見る渚に、俺の心臓の鼓動は早くなった。俺はなんとか平静を装い、言葉を続ける。


「ああ。ほんとだよ。だから心配すんな。な?」

「……うん、わかった。ありがとう」

「おう」


 俺は渚の頭から手を離した。……ん? んん???


「あれ、俺今何した……?」

「頭撫でてくれた」

「…………ッ!? え、ご、ごごごごめん!!」

「え?」

「い、嫌だったよね……。まじでごめん……」


 軽々しく女の子の頭を撫でるなど、言語道断すぎる。今度こそ死確定だな……。


「全然いやじゃないよ。私のためなんでしょ? ありがとう、楽。今日私楽に何回お礼いうんだろうね」


 渚から返ってきたのは、そんな気の抜ける言葉だった。

 私のため、という言葉を乱射するのはよくないと思ったが、今回は指摘しないでおいた。

 俺はくすっと笑い、渚の目を見た。


「気にすんなよ」


 明るい口調で俺は彼女にそう言った。

 俺たちは手を繋ぎ、空を見上げた。


「今日は良い天気だね。明日も晴れるかな」

「晴れるさ。天気予報見てきたからな」

「……」

「おい黙るなよ」

「楽のばか」

「それも今日に限らず何回言われたかわかんねえな……」


 渚はくすくすと笑い出した。

 彼女につられて、俺も笑った。


 明日も晴れますように。

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