#12 なだらかな坂道
今日は朝から遅刻をかまし、さらに楽に重い話をしてしまった。かなり迷惑をかけてしまったはずなのに、彼は文句のひとつも言わなかった。
さすがに私の目の前で私の文句は言わないだろうが。
駐車場から歩いて着替えのスペースまで行くのに結構時間がかかった。さらに言えば、プール施設に入場出来るまで20分ほど並んだから、余計な疲労も溜まってしまった。
水着に着替えながら、考え事をする。
楽は、並んでいる間でもあまり話を回してくれなかったから、私が会話を繋げていた。そういうところは不器用というか、なんというか。
それに対して文句をつけるつもりはないけれど、不満を言いたくなってしまう。
大きなテーマパークに行った時、並んでいる時間が長くて無言でいることが多くなってしまいカップルは別れてしまう、みたいな話をよく聞くけれど、私は別にそんなことで別れたりしない。
……別に楽と付き合っているわけじゃないけれど。
昨日のことで気分がかなり落ち込んでしまっていることに間違いはないが、そんなことで楽との時間がそれこそ無為にならないようにしないといけない。そんなに気張る必要はおそらくないし、そんなふうに私が無理をしていると彼も気を使ってしまうだろう。
いい塩梅で時を過ごすのは、案外難しい。
でも私なら、なんともないように振る舞えるはずだ。
楽が話を振ってくれなくても、変なことを言っていたとしても、楽といる時間は楽しい。だから私は楽と一緒にいたいと思っているし、楽しい時間を過ごしたいとも思っている。……光とは楽しい時間を過ごせたけれど、最終的には裏切られたようなものだから、もしかしたら楽も同じように私に重要なことを言っていないかもしれない。
こんな疑心暗鬼になって楽と一緒にいたいなんて、私自身訳が分からない。
……よくないな。
ふと周りを見渡せば、スタイルのいい女の子がいっぱいいて、もしかしたら彼氏と来ていたりするのかな、なんて思ってしまう。
楽と私は友達の延長の親友で、付き合っている訳でもないのだから、スタイルを気にしたところでの話だが、やはりもう少し体を絞ればよかったと後悔する。そんなに胸も大きいわけじゃないし。
それと同時に、もし今日プールの後でそういう流れになってしまったときに、楽に幻滅されないかな……などといった感情が湧き上がり、私は頭をぶんぶんと振った。
バカなことを考えないで、さっさと着替えてしまおう。楽を待たせてしまっている。
私は着替えを済ませ、楽に電話をした。
『もしもし?』
「今着替え終わった。どこにいる?」
『2階の階段の踊り場にいるよ。人いっぱいいるから、焦らないでゆっくりおいで』
「うん、わかった。ありがと」
はいよ、と言って楽は電話を切った。こんなときでも私の事を気遣ってくれる彼は、本当に優しい。もし彼が何か隠していようとも、私はそれを知る術がない。もしなにかあるのなら言って欲しいが、私は彼の信頼を完全には得られていない。
まあでも少しは信じてくれているみたいだし、これまで以上に楽のことを信じてみようかな。信頼を勝ち取るには、自分も相手を信じなければいけない。
私は転ばないように、急ぎ気味で楽のいるところへ向かった。
あ、見つけた。
水着の楽はやっぱり肩幅が広いが、体型はかなりすらっとしている。そんな彼はじっとどこかを見ていた。どこを見ているんだろう。どうせなら、私のことをじっと見て欲しい。
そんなことを考えていると、楽がこちらを見た。
「お、来たな。忘れ物は無いかい?」
「うん。大丈夫だよ。お金と携帯さえあればどうとでもなる」
「まあそうだな。お金このバッグに入れとこうか?」
楽はそう言うと、青いプールバッグを私に見せてきた。
私は「そうする」と言って、彼が差し出したバッグにお金を入れた。そうしたことで、今の私には首から下がっているスマホしかない。
「よっし、それじゃあ行こうか」
そう言って彼は階段を下り始めた。私は慌てて楽について行く。
……というより、あの、水着の感想とかないの? 今着ている水着は黒のワンピース型で、普通の水着と比べて少し大きめのサイズになっている。露出があまりなく、私好みだったため即決したのだ。
女の子の格好を褒めない男はモテないぞ、楽。
「そいえばさ、渚」
「ん?」
彼は突然立ち止って、そう声をかけた。2段ほど上にいる楽を見上げ、私は少し首を傾げた。
「その……、水着、似合ってる。可愛い」
「……ふぇ?」
楽は少し恥ずかしそうにそう言った。私の口からは変な声が漏れ、体が固まる。
……? 今、なんて……、って、どえええええええ!?
い、今……、可愛いって……!? えぇえ……!?
思わず言葉を失ってしまう。脳の処理も間に合っていない。
楽から言われたことに対し、私の頭は驚きと喜びに満ちあふれていた。もともと少ない語彙力はさらに数を減らし、もともとよくない私の頭をさらに悪くさせる。
「……ほら、行くぞ。まじで混んできた」
「あ、え、うん」
楽は再び階段を下り始めた。私は隣ではなく彼の後ろについて下りる。不意打ちって恐ろしいな。言葉を失うだけじゃなくて、隣を歩くことすら恥ずかしくなるのだから。脳もパニックになるし。
前を歩いている楽の方を見ると、彼の耳が赤くなっていることに気付いた。楽は相当恥ずかったんだろうな……。人のこと言えないぐらい私も恥ずかしいが、どちらかというと照れの方が強いような気もするけれど。似たようなもんだし別にいっか。
あ。せっかく褒めてもらったのに、楽にお礼言ってないな。
「楽」
「ん?」
「ありがとね」
「……おぅ」
笑顔を向けて感謝の気持ちを伝えると、楽は頬をぽりぽりと掻きながら素っ気なくそう言った。少しだけ彼を可愛いと思った私は、きっとどうかしている。
通路を抜けて、プールのエリアまでやってきた。案の定大量の人でごった返している。とりあえず私たちは、下に見えるプールに入ることにした。
通路を歩いてプールに続く階段を下りると、上から見た時よりも人が多かった。
「思った以上に人多いな……」
「そうだね。早く入っちゃおうよ」
「ああ。でもその前に、バッグだけどこかに置いてこないと」
楽はバッグを置ける場所をきょろきょろと探している。私は良い感じのところを見つけたため、楽にそのことを伝えると、彼はバッグをそこに置いた。眼鏡を外して、彼は首にゴーグルをかけた。
私はその様子を見て疑問を覚えた。……聞いてみるか。
「ねえ楽、眼鏡外して大丈夫? 結構付けてる人多いみたいだけど」
楽の目の悪さがどのくらいかは知らないが、眼鏡を外しても見えるのだろうか。
「なんも見えん。でも眼鏡が濡れるよりましかな」
「問題点そこじゃないんだよなあ……」
楽は真顔でそんなことを言い放った。少しどころか大分ずれている彼の感覚に、私が共感できる日は永遠に来ないのではないかとさえ思えてしまう。
でも、これはこれで好都合だ。口実ができたし。
「……手、繋ごうか?」
どうせならと思い、私は楽に提案した。もしかしたら、恥ずかしがるかな?
「うん、そうしてくれると助かる。実は、頼もうかと思っていたところなんだ」
「え、そうなの?」
思っていることと違う答えが返ってきたため、思わず目を見張った。
「うん。このゴーグル、度は入ってるんだけど、潜るときぐらいしかつけないからね」
「なるほどね。……じゃ、行こうか」
私が手を差し出すと、楽は「ん」と言って、私の手を素直に握ってきた。なんか私の方が恥ずかしさを感じている気がする。まあいいか。
そして手を繋いだまま、私たちはプールに入った。
「ひー! 思ってたよりあったかいけど、冷たいね!」
「ああ、そうだな。……てか人多すぎだろ。なんだこれ」
「さすがにこれは予想外だったね……」
プールってこんなに知らない人と近いんだっけ。来るの久しぶりすぎて知らないけれど。ただ、数歩歩けば人とぶつかるということは、相当混んでいることの証明になる。
プールが流れているわけでもなければ、なにか遊び道具を持っているわけでもない私たちは、あまりの人の多さにプールの端っこに行くことにした。どうせならなにか持ってくればよかったかな。
「なんかボールとか浮き輪とかあればよかったな。失敗」
「私も思った。まあいいじゃん、道具がなくても遊べるし」
「ま、確かにね」と楽は同調した。
それから私たちは、周りの人たちが遊んでいるのを横目に、色々なことを話した。もちろんそんなに重い話ではなく、ただただ2人の時間を純粋に楽しんだ。
ただ端っこにいて話しているだけだというのに、私たちは手を繋ぎ続けている。まじでこれ周りから見たらカップル以外の何ものでもないじゃん。この様子を見て、彼らは友達だろうと思う人間がいるのならば、そいつの頭をかち割って中を覗きたいぐらいだ。
もし客観的に私たちを評価するなら、手を繋いでいるカップルがプールの端のほうで愛を語り合っている、といったところになるだろう。
まあ、別に周りからどう思われようと、あまり私は気にしない。
「そういや渚、このプール施設には温泉があるんだけどさ、そこに行ってみないか?」
話の内容が一段落ついたところで、楽は私にそう提案をしてきた。特に断る理由もないし、私はうん、と頷いた。
私たちはプールから出て、温泉プールがあるところへ向かう。
途中、風が入っていてとても寒い通路があった。あまりにも寒かったため、私は楽にしがみついた。
「え、ちょ、渚!?」
「いいじゃんこのくらい。まじで寒いんだから」
「…………そうね」
なんだか苦渋の決断をしているかのような声色だ。私にくっつかれることがそんなに嫌なのだろうか?
頬を膨らませて、彼の顔から足までを流すように見ると、それはなだらかな坂道のように膨れ上がっていた。
え。
……もしかして、そうなってしまうから返答しにくかったの?
そうなったしまったことは、楽が男であるということを強調していて、異性であることを殊更意識してしまう。そしたら急に、死にそうになるレベルの恥ずかしさがこみ上げてきた。
楽のばーか! ばーかばーか! 私を恥ずかしくさせやがって……!
私は楽の事を思いっきり睨んだ。彼に悪気はないことは分かるが、私の羞恥心をかきたたせた罰だ。
「ん? なんだよ、そんなに睨んで……。どうした?」
「楽のばか」
「は!?」
ようやく温泉プールにたどり着いた私たちは、早速プールに入った。
先ほどのプールとは違いこちらは温かいし、なにより人が少なかった。リラックスできるの本当にありがたい……。
「あ、あっちの方にジェットバスみたいなプールがあるみたいだよ。行ってみようよ」
「まじ? 行くしかねぇ!」
楽はジェットバスという単語に反応したのか、急に立ち上がってプールの中を歩いて行った。いやあんた眼鏡ないんだから見えないだろ。危ないじゃん。
そう思っていると、楽はぴたっと立ち止まり、後ろを向いた。
「渚……。どこ……」
「あーはいはい。……ほら、行くよ」
ありがと、と楽はお礼を言いつつ、私の手を握ってきた。目が悪いってやっぱり不便なんだなあ。私も気をつけないと。
楽と話しながらジェットバスのあるところまで歩き、私たちはそこへ座った。
「あー……。生き返るー……」
「とんでもないほど漂うおじさん感どうにかしてよ」
「仕方ないだろう。あんだけ長い距離運転してきたんだから。ここにホットタオルあったらまじで寝られる……」
「もう目瞑ってるし……」
ふにゃふにゃになった楽も少し可愛いが、やはり漂うおじさん感。確かにかなり気持ちいいが、楽ほどへたったりはしない。まあこちらは長距離運転してもらっている立場だし、今ぐらいゆっくり休んでもらおう。
でも私は、楽としたいことがいくつもある。まずは写真を2人で撮りたい。
「ねえ楽ー。写真撮ろーよ」
「んぁ? いいよ別に」
お、素直に応じてくれた。
私はスマホを立ち上げ、カメラを起動した。そして楽の方に近づく。
「撮るよー」
「はいよー」
カシャリ。
シャッター音が鳴り、私と楽の時間が切り取られてスマホに保存される。なんだか本当に付き合っているみたいだ。
2人で何枚か写真を撮り、私はそれらの写真を見返した。
写真の中で、楽と私は笑っている。今こんな風に笑えているのは楽のおかげだ。だから私は楽にお礼を言った。
「楽、ありがとね」
「礼には及ばないさ。気にすんな。あ、あとで写真送ってくれ」
「うん、わかった」
私の思っているありがとうと、楽が受け取ったありがとうは違うだろうけど、それでもいい。本当に伝えたかったことは私だけが知っていれば、それでいい。
別に伝えるようなことでもないし、伝えたところで何が変わるわけでもない。特になにかを変えようという気も、今のところそれほどない。
あと少しの勇気と、時間と、覚悟が足りないだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます