#11 虚しくコンサートをしている

 渚は黙っている。


 話すと言われて、もう10分は経つだろうか。俺は、彼女を催促するか迷ったまま、車を走らせ続けている。


 高速道路というのは実に単調で、なんの面白みもない。だからといって、一般道が面白いかと問われると微妙なところだ。永遠に80キロで走らないといけない高速道路は、最初こそ楽しいものの、ずっとそのスピードだから飽きが来る。


 追い抜いていく車を見て、俺もあのスピードで走れたら最高だなぁとかそんなことしか考えられない。

 俺はいつにも増して暇を持て余している。運転中なのに暇という、なんとも不思議な状況が成立してしまった。


 そんなことを考えてしまうほどに、俺は、俺たちは沈黙の渦に巻き込まれてしまっている。俺のスマホから流れているボカロが、ひとり虚しくコンサートをしているかのようだ。


 渚はいつ、話し始めるのだろうか。

 俺は沈黙が嫌いではないし、むしろ沈黙を許容できる関係こそ至高とさえ思っている。沈黙を無くそうと努力するのは大いに結構だが、聞いててつまらない話を聞く意味はない。

 話題がないだけでは? と思う人もいるだろうが、俺は別に話題なんてなくても生きていけるとしか思っていない。それに、俺は自分で話題を考えるのが苦手なのだ。いつも渚とかに会話を回してもらってるし。だから多分、今も沈黙の中にいるのだと思う。


「あのね、楽」


 渚が口を開いた。俺の体は少し強ばった。

 それでも、なるべく彼女の不安を煽らないように、俺は優しく返答した。


「うん」


 渚が俺の方を見た気がした。そして、彼女は話し始めた。


「あのね、昨日、遅くまで起きてたのはね、ちょっと入り組んだ理由があるの」

「ほう」

「ka1toにさ、昨日話があるって言われて、通話アプリに行ったら、そこにろずと光がいたんだ」

「……へぇ?」


 俺は聞きなれない名前にぴくっと反応したが、おそらく元カレなのだろうと察した。

 確かSNSの名前は、『すた』という名前だったはず。


 やはり元カレに関することだったか。嫌な予感の一部は当たっていた。

 でもまだ話の端くれだ。さらに聞く必要がある。


「そしたらね、ka1toにさ、光には彼女がいるってことが発覚して、私に謝らせたかったみたいなんだよね。あいつ、彼女いるなんて一言も言ってなかったのにさ。全然知らなかったんだよ」

「……なるほどね。それで?」

「うん。昨日の話とはいえないんだけど、実は私、復縁を求められててさ。私、それで舞い上がっちゃって、復縁しようかなって思ってたんだよね。もし光に彼女がいるって知ってたらそんなこと思いもしなかったのに」


 これは……、相当やってんな。みつるだったか。クズいなぁ。さすがに殺したい。

 渚は言葉を途切らせることなく話を続ける。


「それで昨日、彼女がいるんだってことをka1toに言われてさ……。ろずも知ってたみたいなんだけど、言われずじまいだったんだ。ずっと嘘をつかれてたんだ……。なんか、何も言えなくなっちゃうよね。光と寝落ちとかもしてたから」

「なるほどね。渚は嘘をつかれてたことが嫌だったわけか。そんな大事なこと言わないでいたんだな、そのみつるとかいうやつ」


 そう言うと、渚はこくんと頷いた。ような気がする。視界の端に写っただけだから、正しいのかどうかは分からない。

 それにしても、俺いつも思うんだけど、寝落ち通話ほどよく分からないものはない。する理由がさっぱりわからん。嘘をつかれていたこと云々に苛立ちを感じてはいるが、寝落ち云々にも疑問を抱かざるを得ない。……いや、今そこに疑問を抱くのは少し違うな。


「うん……。私、何回光に嘘をつかれて、謝られればいいのかな。何回許してあげればいいのかな。何回枕を濡らさないといけないのかな……。本当に、嫌になるね」


 俺は、その言葉に何を言えばいいのか分からなかった。渚の声が、かなり悲しみに包まれていたというのに、俺は何も言えなかった。

 その気持ち分かる、だなんて軽々しく言えるわけもないし、そっかと短い単語で終わらせてはいけないとも思う。俺は、この場にふさわしい何か気の利いた言葉を持っていない。


 話を聞くことを決めたというのに、渚の言葉に何も言うことが出来ないなんて、なんと浅はかなのか。

 俺が渚の立場なら今すぐ帰ることが出来るぐらいには浅はかだ。


「それでね、もう光とは金輪際関わらないことにしたんだ。ろずにも謝ってもらったんだけど、正直許す気はあまりないんだよね。なんというか、ろずとは長い間仲良くしてきたからさ、すごく裏切られたというか、なんで言ってくれなかったんだろうみたいな落胆の気持ちがあるんだよね。……ねえ楽、私、どうしたらいいのかな。もう誰も信じられなくなりそうだよ」


 嘘をつかれることは彼女にとって辛いことなんだと、俺は思った。もちろん渚だけでなく、大多数の人間は嘘をつかれることはあまり好ましいとは思っていないだろう。ただ、この件に関しては、嘘をつくことが反人道的であることは確かだ。

 今後、渚がどうしたらいいのかという質問に具体的な案など持っているわけではないが、それでも俺は答えなければいけない。それが彼女の交友関係を減らすようなことになるとしても、彼女が傷ついてしまうかもしれないことだとしても。


 俺は渚の質問に、誠意を持って答えるべきだ。


「……俺の考えでいいなら、話す」

「楽が思ったことを言ってくれればいいよ」

「そうか……。……俺は、信用できる人間と出来ない人間を基本的に分けるタイプなんだ。例えば、この言葉を言ったやつは信じる、ある行動をしたから信用できない、とかね。で、俺自身が見たり聞いたりしたことだけを信じることにはしてるんだ。人伝のことなんて嘘が混じり合うことばかりだからね」

「……私のことは、信用できるの?」


 なんとも答えにくい質問だが、嘘をつく理由もないため、俺は正直に答えることにした。


「正直渚のことについては、まだはっきりしてない。ただ、少なくとも信用してないわけではないかな。完全に信じれてないってところ」

「そっか……。それで?」

「でまあ、今回の件、正直まだはっきりしていない部分があるから、そこが見えるといいんだけど……。ka1toとろずにも、話を聞いてみないと。ただ、そのみつるとやらがしたことは、許されるような行為ではないと思う。普通に現彼女にも失礼だし、なにより俺の大事な友達が傷ついてるんだ。許すつもりなんて一切ない」

「それには私も同意するよ」


 自分の考えを相手に伝えるのは、かなり難しい。そのことを俺は再認識しながら、結論を出してた。


「いくつか疑問に思うことはあるが……、とりあえずこのことは教訓とするべきだろうな」

「教訓?」

「ああ、そうだ。このことを教訓とするんだ。元カレだろうがなんだろうが、信用できるできないの線引きをはっきりさせることが大事だって事は、渚も分かっただろう?」

「まあ、そうだね……」

「こういったことを繰り返さないためにも、このことを教訓にするんだ。もしも今後、こういったことがあるようなら、誰か信用できる人に相談するべきだと俺は思う。例えばka1toなんかは、きっといい相談相手になるだろうな」


 ここで俺は、自分の名前を出すことはしなかった。なんとなく、ずるい気がしたから。だからと言って、俺以外の名前を出すことがずるくないのかと言われると、非常に答えにくくなるのだが。

 人のことを信用することは決して簡単なことではないけれど、正直彼女は、人を容易に信じてしまうきらいがある。誰彼かまわず話してしまうことを悪いこととは言わないが、あまり褒められたことじゃない。


「あいつ年下のくせに、なんか私たちより長く生きてる感じあるよね」

「まじでそれな。おもろいよな」


 渚は「ふぅ」と、ため息をついた。


「とりあえず私は、今日と明日楽といっぱい楽しむ。落ち込んでばっかりじゃつまらないしね。今回の件は結構辛いけどね」

「無理はすんなよ」

「うん。ありがとう楽」


 俺たちの間にあった空気は軽くなった。これで少しは過ごしやすくなるだろう。

 それにしても、渚がこれだけ話してくれているのに、俺は彼女に対して何も出来ていない気がした。変なアドバイス、というよりただ俺の考えを述べただけだし、彼女の助けになれているとは思えない。


 ただそれでも、今日と明日だけは渚を独り占めできる。……なんか言い回し気持ち悪いな。


「俺はなんもしてないよ。ただ少し話しただけだからね」

「うん。……それでもさ、ありがとね」


 少しだけ元気が出たような声色だ。俺は安心した。

 渚はちゃんとお礼を言える子だ。俺は礼儀を知らない相手は嫌いで、こういうことにしっかりとお礼を言える人にこそ価値があると思っている。価値があるってなんか上から目線だな。


 まあとにかくだ。渚の周りが大変なことに変わりはないし、俺がどうこうしたところで結局最後にどうするのかは彼女次第ではある。今後誰と関わろうが、縁を切ろうが、誰と付き合おうが、結局決めるのは渚自身なことに変わりはない。

 今回の件、どうしようもないクズがいることは否定しようもない事実であり、何より俺と遊びに行く前日の出来事だ。俺はこのことに首を突っ込む権利がある。帰ったらろずとka1toは尋問するしかないな。


 俺は車のアクセルを踏み続けて高速道路を駆け抜けているが、目的地まではかなり距離があり、まだまだ時間がかかる。俺と彼女の間にある空気はまだ少しだけぎこちないが、それでもいいとさえ感じられる。渚がどう感じているのかはさっぱり分からないが。


「ねえ楽、このまままっすぐ進むだけで着くの?」

「へ?」

「へ、じゃなくて」

「え、あ、うん、たぶん?」


 渚が急にこちらに話を振ってきたため、まぬけな声を出してしまった。


「少し不安になってきたよ?」

「だ、大丈夫。ちゃんと調べてきたから。俺のスマホのメモアプリにどこにいけばいいのか書いてあるはず」

「へえ、楽ってやっぱり真面目だよね」


 そんなことはないんだけどな……。渚のようなアホの子がいると不安の方がでかいため、俺は今回かなり計画を念入りに立てた。まあそんなこと言う必要はないため、会話を当たり障りのない感じで流しておくことにする。


「まあ俺は天才だからな」

「また言ってる……」


 渚は呆れるような声を出した。そんなにいつも言ってるわけじゃないが、まあいいか。適当な性格はいつになっても治ることはない。不治の病だ。

 渚は「でもさ」と言葉を続けた。


「楽のスマホにあったところで私開けないじゃん」

「ん? ああ、そうか。俺のロック番号はね___」

「ほんとに? ……ほんとだ。いやそんな普通に教えるものではないけどね?」

「別に渚に教えたからといって不利益は被らないからな」


 俺は、スマホを見られたからといって怒るタイプではないし、誰に見られようと別にどうでもいい。スマホで決済することはあまりないし。それに、先ほど渚のことを信じ切れていないと言ったが、もう少し信じてみようと思ったのだ。


 まあ最大の理由は、運転中だからなにも見れないし、代わりに見て欲しいっていうだけなのだけれど。


「楽ってそういうところ適当だよね……」


 否定しようもない事実であるため、俺は肯定する。


「まあな。それで、分岐のところはどこなんだ?」

「んーとね、……ところで、ここはどこなの?」


 うーんまずそこからかあ。まあ仕方ない。俺は今走っている場所を伝え、渚にメモを読んでもらった。今居るところからはまだ距離はある。気にする必要はなかったようだ。


「まだ大丈夫みたい。とりあえずずっと進めばそのうち見えてくるよ」

「そっか。じゃあ楽、運転頑張ってね」

「おう。さんきゅ」


 こうして俺たちは朝のわりと早い時間からしていた重い話を終えた。それが悪いことだとは一切思わなかった。むしろ、今後のためになるとさえ感じていた。



 そして高速道路を走り続けること3時間。ようやく目的地であるプールの最寄りICまでやってきた。


「な、長かった……」

「そうだね。結構乗り心地よかったよ」

「そいつはよかったぜ」


 高速道路を下りて、信号をいくつか通ると、目的地の書いてある看板が見えてきた。案の定というべきか、そのプールに行きたいであろう車が結構な量信号に並んでいた。

 まだ早い時間だったため、進めないほど混んでいた訳ではなかったことに安堵しつつ、俺は信号を曲がり駐車場までたどり着いた。

 駐車場に車を止めて、俺は大きくため息を吐いた。


「はああぁぁぁ……。つかれだ……」

「お疲れ様だよ楽。運転ありがとう」

「いいよ全然……。気にすんな……」


 俺はかなりの疲弊感に襲われていた。が、渚のありがとうの一言で、疲れがだいぶ飛んでいった。

 笑顔があればもっと嬉しかったけど……。でも今の状況から笑顔になれというのはさすがに酷だ。この後俺が彼女を笑わせることが出来れば、それでいいか。


 女の子は笑顔でいるのがいちばん可愛い。


 俺たちはプール用具を持って、車を降りた。俺は天を見上げ、心の中で高らかに叫んだ。


 さぁ始めようか。理性。


 こうして俺の理性との戦いが、火蓋を切って落とされた。














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