理性と欲望の狭間で

#10 朝は低血圧なのだから

「おいおい、まだ2時かよ……」


 スマホを見てそうぼやく。さすがに寝不足すぎる。

 今日は待ちに待った、渚と遊びに行く日だ。

 俺は運転しないといけないため、2時間しか寝ないのはちょっとまずい。しかもプールにも行くのだから、それはもう死を確信するのみ。


 でも、スマホを見てしまったから、目を閉じたとしても眠ることは出来ない。

 仕方ない。本来予定していた起床時間まで3時間ほどだし、なんか動画でも見ようかな。

 俺はそう思い、再びスマホを見た。


「ん? チャット?」


 どうやらチャットが届いていたようだ。先ほどは気付かなかったが、結構多めに来ている。

 昨日渚には早く寝るように伝えたから、彼女からのチャットではないはず。


「ろずと……、ka1toかいと? それに渚も……」


 俺昨日伝えてなかったっけ……? おっかしいな……。

 そして俺は、チャットを見て困惑した。


「ん……? どういうこと……?」


 チャットは渚に関するものだったが、いまいち内容がつかめない。わかったことと言えば、遅い時間まで渚は起きていて俺におやすみと送ってきたことと、彼らがなぜか俺に謝ってきたことぐらいだった。

 ほんとにどういうことなんだこれ。なんでろずとka1toは俺に謝っている?

 チャットは1時間半前に送られていたため、皆が起きている可能性は低いが……。とりあえず俺は、渚を除いて彼らにチャットを送ることにした。


『……? まあなんとかする』


 こんな時間だ。起きているわけもないだろう。それに、事態の把握は彼女と話さないと分からない。いや、分からない訳ではないのだけれど、当事者から聞いた方がいい。

 なにがあったのかの想像はなんとなくついてはいるけれど、想像は想像でしかない。憶測でものを語ってはいけないのだ。某薬屋のひとが言っていた。

 俺は予定を変更し、アニメを見ることにした。



 2時間後。

 目が冴えきった状態となった俺は、もう完全に、目を閉じることはしなくなった。

 案の定彼らから返信はなく、俺は心静かにアニメ鑑賞を続けることが出来た。少し喉が渇いたが、今リビングに行って母に怒られることはしたくない。

 それにしても、何があったんだろうな。渚の元カレが再び彼女とSNSでつながっているってことをka1toから聞いたときから、ずっと嫌な予感がしていた。そのことじゃないといいんだけど。


 うーん、明日、いや今日か。本人に聞けるからとりあえずそこまで我慢だな……。


 その後も5時まで時間を潰し、俺はリビングに向かった。

 俺が顔を洗い終わると、母が上の階から降りてきた。


「楽、あんた結局何で行くの?」


 そうだった。俺結局めんどくさすぎて何も言ってないんだよな。

 きっと怒るだろうなあ。俺は覚悟を決めて母に伝えることにした。


「乗用車のつもりだったけど……」

「あっそ」


 そう言うと、母は車の鍵を持ち出してリビングを出て行った。

 何しに行ったのかと思えば、急に車のエンジンをかけだした。

 あー、そういうことね。ガソリン入れに行ったのか。俺はそう考え、もう既に準備が出来ていたキャリーバッグを車庫に持って行くことにした。


 いやー……、予想通り、めちゃくちゃキレてたな……。

 ま、いいや。


 俺は数分外で待っていると、母が戻ってきた。


「ん!」


 母はそう強く言い、俺に鍵を投げつけてきた。なんだよ危ねーな。


「あ、ああ。さんきゅ」

「それから、高速は現金だからな」


 は?


「え? 現金でなの?」

「はあ? お前……。っ、はい!」


 ……。

 俺の手をつかみ、強くETCカードを掌に叩きつけた。


「至れり尽くせりだな。お前」


 朝は低血圧なのだからこんなに言っているんだろうな。まあ別にどうでもいいけど。

 ただ……、母もそうだが、俺もこの時間から不機嫌になったことは言うまでもない。


「早く行けよ!」

「……」


 俺は眉間に皺を寄せ、黙って運転席に乗り込んだ。あー、がちでイライラする。

 機嫌が悪いまま渚に会うのはさすがに気が引けるため、俺は平静を装うことを決めた。それにしても、急に諺を使ってきやがって。なんなんだ。


 シフトをドライブに入れてアクセルを踏み、俺は車を走らせ始めた。



 車内は俺の好きなアニメのアルバムが流れている。俺はノリノリ、とまではいかないが、まあそれなりにノリながら車を走らせていた。

 この時間は車が少なくていい。先ほど通っていた一般道も、今走っている高速道路も静かなもんだ。高速に乗っている間はトラックの後ろについて行こうと思っていたが、そんなことしなくても大丈夫そうだ。


 渚との集合場所は、自宅から1時間程かかるコンビニにしてある。もしかしたら1時間もかからずに着くかもしれない。まあコンビニが集合場所だから、朝ご飯はコンビニでパンでも買って済ませれば良いし、一応暇つぶし用に本を1冊持ってきている。

 渚と遊びに行くのに暇なんてあるのかと思ってはいるが、念のためだ。寝る前とか読めれば読んでおきたい。俺は本の虫なのだ。



 無心でアクセルを踏み続け、トンネルを抜けると、目の前が真っ白だった。


「うわ、霧えぐい」


 少し兆候はあったものの、県境を越えてからひどくなった。ヘッドライトをつけて、俺は霧の中を進んでいく。

 ……なんだか霧の中にいると、どこまで進んでいいのか分からない怖さが襲いかかってくる。実際どこまで渚に突っ込んでいいのか、渚のどこまでなら俺が踏み込んでもいいのかが分からないのと同じだ。


 はあ。


 訳の分からないことを考え続けて数十分。コンビニの近くのICまで来た。高速道路を下りて、集合場所に指定されたコンビニに入る。

 車を止め、エンジンを切る。スマホを見て時間を確認すると、6時18分だった。


「集合時間7時なんだよな……。とりあえずコンビニでなんか買ってくるか」


 そして俺はコンビニの中に入り、ブリトーと菓子パン、水を購入し、車内に戻った。

 それにしても今はもう9月なのだが、この連休中はかなり暑くなるらしい。なんでだよ。いや雨降るより全然ましだけどね? 俺は雨が嫌いなため、むしろ晴れてくれた方が良い。先ほど来るときにラジオを少し流していたら、そんなことを言っていた。ふざけてんのか。

 

 むしゃむしゃと朝飯を食べ、暇な時用に持ってきていた本を読んで時間を潰していると、いつの間にか集合時間の10分前になっていた。

 俺は出発する前に渚に『おはよー。今日はよろしくね』と、チャットを送っていた。しかし、その返事が未だにない。


 んー、さすがにもう起きてるとは思うから、電話をかける必要性はないかな……。

 そう思っていると、スマホからチャットが届いた音がした。渚かな?


『おはよー楽。本当にごめんなんだけど少し遅れそう……!』


 やっぱりか。想定の範囲内だ。この暑さだから、かなり混むことを予想してこの時間に出ようと決めていたが、少しの遅れでどうこうなることはない。

 それに、俺は遅刻に寛容なのだ。

 俺は渚に、『全然いいよ。ゆっくり支度して』と送った。さて、もう少し本を読みますか。


 時刻が7時20分を過ぎた頃、スマホが震え、俺に着信を知らせた。

 俺は名前をちらりと見て、電話に出る。


『もしもし!? ごめんね!?』

「もしもし。おはよ。だいじょぶそ?」

『あ、おはよう。うん、まあなんとか。今家から出たんだけど、車どこら辺に止めてる?』

「来れば分かる。俺車の外に立ってるから」

『あ、ほんと? わかった。すぐ行くね!』


 そう言って彼女は電話を切った。俺は本をキャリーバッグにしまい、外で彼女を待っていた。しばらくすると、渚が姿を現した。

 息が少し上がっている。彼女のトレードマークともいえる金髪は、朝日に照らされてきれいに輝いていた。

 ___思わず見惚れてしまった。


「楽ごめんー。遅くなっちゃった……」

「いや、いいよ別に。大丈夫」

「ありがと。その、ごめんなんだけどさ、少しコンビニ行ってきていいかな?」

「いいよ。行ってきな。荷物は俺が車に積んどくから」


 渚がもってきていた荷物は、俺とほとんど同じキャリーバッグだった。どれだけの重さがあるのかは知らないが、こういった力作業は男が率先して行うべきだと思っている。


「え、悪いよ。そんなの」

「いいから。早く行っておいで」

「うーん……、わかった。行ってくる。荷物ありがとね」


 そう言って渚はコンビニへ小走りで向かって行った。俺は渚の荷物を後部座席にぶち込んで、渚が帰ってくるのを待った。

 5分ほど経ち、渚が戻ってきた。さて。


「忘れ物はないか? 大丈夫そうか?」

「うん、たぶん大丈夫。さっきも準備してたから」


 なかなかえげつない発言キタコレ。なんでもっと早くに準備しておかないんだよ。おばか。


「うーん、それは大丈夫じゃないような気もするが……。出ていいんだな?」


 俺は渚の方を見て、そう最終確認した。渚はこちらを見返して、こくんと頷いた。


「よし。そんじゃ、行きますか。シートベルト、ちゃんと締めなよ」


 俺はそう言って、シフトをドライブに入れて、ブレーキペダルから足を離し、アクセルをゆっくりと踏み始めた。

 コンビニを出て、俺はいくつかこの遠出での注意事項を渚に話す。


「俺の運転はあんまりうまくないし、結構荒いから気をつけて。なにかあったら俺に言うこと。それと、たぶん降らないとは思うけど雨対策に傘は持ってきてるから、この車のやつを使ってくれ。それから……」



「こんなところか。なにか質問は?」


 一通り説明を済ませたところで、俺は渚に質問がないか問うた。


「特にないよ。ありがとう」

「はいよ。まあとにかくなにかあったら俺に相談してくれ。俺なりに色々配慮するつもりだからさ。もちろん話したくなかったら話さなくても大丈夫。……もしプールに行く気分になれなかったりしても、別な場所はいくらでもあるしさ。だから、渚が話したいと思ったことだけ話してくれればそれでいいよ」


 心からの台詞だし、渚の心中が壊れる寸前だというのは既に予想がついていた。俺は壊れる寸前となった原因については、別に話してもらわなくても、渚と遊びに行ったあとにいくらでも聞くことが出来るから、無理に本人に話してもらう必要はないとは思っている。

 しかし、当事者の話というのはとんでもなく貴重であり、その人の表情、声色、仕草、態度などが如実に現れるものだから、そこからどう解決に導けるかがわりとはっきりとする。


 渚は、俺の言葉にどんな表情を浮かべているのかは、今は知ることは出来ない。運転中は前を向いていないといけないからだ。


「うん、わかった。……っ、ありがとう、楽」


 そう言った彼女は、おそらく泣きそうな悲痛の表情をしている。

 そして、彼女は続けてこう言った。


「話すよ。昨日、何があったのか。どうしてあんな時間まで起きていたのか」








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