#8 無理無理!
徐々に近づいてくる約束の日。俺の頭はそのことでいっぱいだ。
あの道を進んでここで左に曲がって、高速乗って適当にトラックを見つけて……。で、そいつの後ろについてりゃいいか。そしたら次は……。
「白川君? ぼーっとしてどうした?」
「……ぇ?」
俺は目をぱちぱちとさせる。目の前に副店長の姿がある。
やべ、今バイト中だったわ。ルート考えてる場合じゃねぇ。
「す、すみません。考え事してました」
「そっかあ。でも今は仕事に集中だよ」
「はい。すみません。以後気をつけます」
こんな注意を受けるなんて、2年近くバイトを続けてきてから初めてのことだ。俺は今までさほど注意を受けたことがないのが自慢だったのに。
副店長は言葉を続ける。
「白川君がぼーっとしてるなんて珍しいね。何かあったの?」
「まあちょっと。友達のことで、色々と」
「なるほど。女の子だね?」
「……!?」
驚きのあまり俺は目を見開く。
怖い。怖すぎるぞ副店長……っ!
副店長はガキじゃないけど……、でもこの言葉が今の俺の気持ちにぴったり当てはまる。
勘のいいガキは嫌いだよ。
「ははーん? 図星かぁ」
「あ、まぁ……、はい。そうっすね……」
「若いなぁ。……若いねぇ」
大事なことだから2回言ったのだろうか。副店長は少し落ち込んでいるようだ。
なんだか悲壮感というか、悲しみのオーラが副店長の周りに漂っている。なんかあったんだろうか……。俺には分からなかった。
「今は仕事に集中。だけど……」
副店長は1度言葉をそこで区切った。俺は頷き、続きを促す。
「青春を謳歌しなさいな。若者よ」
俺の目を真っ直ぐ見つめ、穏やかな表情とともに優しい口調でそう言った。俺はその言葉を噛み締めるように返事をした。
「はい」
副店長は満足したのか、むふーという表情をして仕事に戻っていった。
なんだか勘違いされてそうだけど、まあいいか。
俺はその後の仕事に精を出し続け、ようやく退勤の時間になった。
「お先しまーす」
「はーい。今日もお疲れ様ー」
めっちゃ考えながら仕事してしまった。
自転車に乗りながら、俺はまたしても思考に耽ける。というより仕事の振り返りをしている。
今日も頑張ったなーとか、今日のクソ客は散ればいいなーとか。いやこれ振り返りじゃなくて感想だわ。
自分の考えに対してツッコミを入れることはもはや日常茶飯事だ。俺にとっては朝飯前のこと。でも結構いろんな人やってるんじゃないかな。知らんけど。
俺の家からバイト先までの距離はとても近いため、そんなことを考えていたとしてもすぐに家に着いてしまう。仕方のないことだ。距離があるところで働きたくない、というのが俺の考えでもある。
「あ、やべ。そろそろ父に電話して行くときに気をつけるところ聞いておかなきゃ」
ルートは一応考えてはいるのだが、如何せん初めて行く場所だ。俺の力ではどうにもならないこともあるから、ここで父の出番だ。
あの人は日本全国どこでも行ったことがあるような人で、道を聞くときは検索するよりもよかったりする。普段家にはほとんど帰ってこないし、帰ってきても酒飲んで俺たちと騒いでいるだけだ。
運送業者の宿命なんだろうが、いざというときは本当に頼りになる。今回遠出をすることはまだ伝えていない。
俺が帰宅すると、なんだか2階が騒がしかった。階段を上って2階へ行くと……。
「うぇーい!」
「うるせえ! 邪魔だぁ! テレビ見えねえだろうが!」
「……何してんの?」
なんかいた。
「おう楽おかえり。お前も邪魔だなぁ!」
「おかえり父。ひどいね、目の前に立っているだけなのに」
弟、妹、母までもげらげら笑っている。大爆笑。ただ父の前にいるだけなのにね。でもこれが楽しいのなんの。たぶんこれは他の家族には分からない感覚だと思う。
うちにとってはこれが普通だ。おかしいとは思わないけど、たまにこう思う。
もし父が普通の会社員で毎日家に帰ってきていたら、こんなに笑えていないんじゃないか、と。
たらればの話はどうでもいいか。今のこの目の前の光景が現実で、俺が見ている大事なシーンだ。このシーンもあと何度見ることができるか分からない。
今日帰ってきているならちょうどいい。父に遠出をすることを伝えておこう。
「あのさ父」
「ん?」
「俺今度□□ってプールに行くんだけどさ……」
「おぉん? 遠いなそりゃあ」
さすがに遠いのは百も承知だが。
「そういえば、そこには誰と行くの?」
母がそう聞き、俺はそれに「友達」と答える。
「そうかぁ。野郎と2人でプールってお前なかなか変なやつだな」
あれ、一緒に行くのが男だと勘違いされてるな。でもそっちのほうが都合がいいか。渚には悪いけど、男の子という設定で話を進めるしかない。
訂正するのもめんどうだし。
「……まあいいじゃん。それよか、どう行けばいい? 一応ルートは自分で考えたんだけど」
「そこはたしか△△市だろ? 国道乗っていきゃあ着くぜそりゃ」
色々伝えないといけないことが多いな。めんどうだなぁ……。まあでも仕方ない。
「その友達隣の県に住んでてさ。そこに寄ってから行くつもりなんだけど……」
「あ? 大学とかの友達じゃないのか?」
「そう」
嘘をつきまくってるし、言えてないことも多いが、仕方ない。そのまま話を進める。
「となると、高速乗ってくしかないか。下道はかなり時間かかるしな」
「うん、わかった。車はどっちでいけばいい? 俺的には乗用車なんだけど」
「乗用車だろうな」
「軽で充分でしょ」
父と母で意見が割れた。俺は父と同意見なのだが、軽で行くだなんて全く考えていなかった。
「え? 軽で行けんの?」
「いや行けるでしょ。時間はかかるかもしれないけどさ、別によくない?」
「……」
俺と父は黙り込む。母の圧が強すぎる。がちで怖い。
母は1度、ふうっと息を吐き出し、言葉を続ける。
「それにあんた、乗用車慣れてないでしょ。いくら運転出来るとは言っても私怖いよ。もし事故起こしちゃったとしても保険とか通らないからね?」
「……うん」
「まあどっちで行ってもいいけど……。早めに決めなさいよ」
「……ああ」
話の趣旨がだいぶずれてきて、父も黙っている。やはり母には逆らえないか。俺もそうなんだよなぁ。というより母という存在が強すぎる。
乗用車はあまり慣れていないし、たしかに少し怖いけど、正味どうとでもなるとしか思っていない。事故なんて起こすわけないし。ちなみにフラグ建築士1級の資格は持っていない。
あとなんといっても、カッコ悪いような気がしてならない。そんなこと気にしなくていいんだろうけど、なんだか嫌だ。
少し遠いところだし、やっぱり機動力がある方が俺も安心できる。あと広いってのもポイントだね。
俺は軽で行く、という考えを早々に捨てた。
今伝えるのはめんどうだから、後でいいか。
その後は父に大体のルートを聞いて、自分の部屋にこもる。
いつものようにFPSゲームを開き、1人でマッチングをする。
なんとなく今日は誰とも話す気分ではないし、俺が話に加わったとしても、あまり変わらない気がする。
いや、そもそも人が1人増えた程度で空気が変わるなら、もはやそこには話をするという概念すら曖昧なのかもしれない。
そんな空気に飛び込む勇気も覚悟も俺にはない。まあ多分盛り上がってるだろうし、めんどうだから今日はいいや。
「あ、死んだ」
考え事をしながら戦っていたからか、エイムが乱れて撃ち負けた。……なんかやる気もなくなってきたな。いいや。
そう思い、俺はゲームを閉じて、渚と遊びにいくための準備に入る。とりあえずホテルは決まった。あとは時間とか持ち物とか、そういった細かいところだ。
あれ、そういえば、2日目ってどこに行くとか決めてないんだっけ。
俺は行けそうな場所について調べてみる。
うーん、結構色々あるなぁ。悩みどころだ。
鍾乳洞とかもあるけどきっと楽しいのは俺だけだし……。大型の遊戯施設もあるけど、個人的にはパスだしなぁ……。
どうしようかな。
ぐるぐる思い悩んでスマホをスクロールしていくと、俺の目にある文字が映りこんだ。
「水族館か……」
俺はそう独り言ちる。
今まで色々な水族館に行ったことがあるが、ここには行ったことがなかった。前は家族でよく行ったものだ。最近ほとんど行かないけれど。
この水族館はホテルから20分ぐらい車を走らせれば着くし、海も近い。かなり良さげだ。
でも水族館ってめっちゃデートだよね。まあいいか。別に友達と行ったって変じゃないし、周りの目だって気にならない。
よし、ここを渚に提案してみよう。
俺は早速渚にチャットを飛ばす。
さっきまで誰とも話したくないと思っていた気持ちは、もう既に薄れていた。
しばらくすると、彼女からチャットが飛んできた。
『水族館行きたい!』
おお、手応えがいい感じだ。
「水族館? 無理無理! ありえないんだけど!」なんて言われたら、どうしようかと思っていたところだ。いやそんなひどいこと言わないとは思うけれど。
渚に『おっけー。じゃあ予定に組み込んでおくね』と返信する。
俺は、自分で立てた旅行計画に『水族館』と書き込んだ。
思わず頬が緩む。なんだかとても楽しい。初めて行く場所というのは、俺の心をこんなにも突き動かすほどだったのか。すごいもんだな。高校生のときの修学旅行よりもわくわくしている自分がいる。
でも、ほんの少しの期待もせずにいることができたなら、もっとよかった。
くだらない劣情が、見えないほど小さな感情が、俺の心を渦巻く。
そして、ネガティブな思考は後悔も一緒に連れてくる。
今ではなくて、あの時にこうしておけば、何か変わったりしたのだろうか。
過去に戻りたいとは思わないけれど、そう思わずにはいられない。
たらればを言ったところで過去は変わらないし、未来も変わらない。変えられるのは、過去と未来を繋ぐ今だけだ。
目を閉じて、未来の様子を思い描く。
目を開けて、今を視る。
俺は立ち上がり、本棚に置いてあるめがねケースの中からプリクラを何枚か取り出した。
楽しそうな顔で俺の隣で笑っている、あの子。今の俺には、その笑顔があまりにも眩しい。……当時はこんなことを思うだなんて、想像もしていなかったな。
プリクラをめがねケースにしまい、スマホの写真アプリを立ち上げる。いくつかあるアルバムの中から、あるタイトルを選んだ。
『
別れてから1年程経っても、元カノの写真が残っていた。いつまでも残しておく訳にはいかない。もう、潮時だろう。
俺は画面をスクロールして、数百枚ある写真の中から最もいい写真をタップした。そしてぼそりと呟く。
「今までありがとう。……さよなら」
その写真以外、全て消した。俺は写真を消す瞬間、願った。
どうか君の、雫の幸せがいつまでも続きますように。
**********
ふぅ、と彼はため息を吐いた。
彼の目の前のパソコンには、彼が書いた文章がつらつらと並んでいる。小説を書いていたのが、ようやく一段落ついたようだ。
彼は一度休憩をするために、ベランダへ向かった。そしてタバコを口に咥え、ライターで火をつける。タバコの先端から出る紫煙が闇に飲まれていく様を、彼はじーっと見ていた。
辺りはすっかり暗くなっていて、星が綺麗に見える。
(母さんの実家を思い出すなぁ……)
彼はそんなことを思いながら、タバコを吸い続ける。この味にもすっかり慣れてしまった。5分も経たずにタバコは塵となる。
部屋に戻り、再びパソコンの前に彼は座った。
ちらりと時計を見ると、すでに日付を超えていた。
(もう少しがんばろう)
彼は小説の続きを書くために、カタカタとキーボードを叩く。
そのタイトルは。
白川楽の落し物。
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