#7 水をノリノリで買うやつ

「そんで、楽さんや。詳しく聞かせてもらおうか」

「えー……、話さないとだめなん?」

「うん。だめだね。面白いから」

「意味分かんねーからそれ」

「でもそれを僕に話したかったんだろ? じゃあ話さなきゃ」

「……」


 図星だったため、俺は無言を貫く。

 今日は日曜日。俺はある人と居酒屋で酒を交わしていた。


「で、なんだって女の子とプールに行く話になってんだ? しかも彼女でもない子となんて」

「その場の流れとノリ」

「はー?」

「そんな時もあるって」

「お前の方が意味分からん」


 彼はそう言って頼んでいた酒を呷った。

 彼、その由人ゆきひとは、高校からの友人であり、今もなお2人で飲みに行くぐらいは仲が良い。

 確かにそのことについて話したいと思っていたし、こいつに少し相談しようと思っていた。そして連絡したら、いきなり『飲み行くぞ!』と言われて今に至る。

 由人はぷはぁっと気持ちよさそうに一息ついた。


「急に呼んではなからその話とはさすがの俺も驚きなんだよ」

「いやぁ面白い話が聞けると思ってね……」


 ……。


「そうだったこいつそういうやつだったわ」

「なんか言ったか?」


 かなり小さい声で言ったから聞こえてはいないはず。


「なにも」

「そうか。……とりあえず経緯を聞こうか」

「わかった」


 こうして俺は、由人に事の経緯を話した。時々相槌を打って聞いてくれた。

 話し終わると、彼は頼んでいた強めの酒をぐいっと飲んだ。


「なーるほどなー」

「どう思う?」

「ほんとに流れとノリだな。そのなんだ、遊びに行く子もなかなか。なんというかすごい子だね」

「間違いない」


 由人もさすがに渚がすごいと思っているようだ。でも、このすごいはポジティブな意味ではない。話を聞いていただけの由人ですらそう思うのだ。俺がすごいと思わないわけがない。


 別に渚とプールに行くのが嫌だとか、渚のことが嫌いとか、そういうことは一切ない。なんならむしろ好きなレベル。大切な友人であり、親友だと思っている。

 ただ、異性の友人である、ということを渚にしっかりと認識してほしかったのだ。俺だって男だ。女の子と2人で出掛けるだなんて、期待しないほうがおかしい。そして、そういう期待をしてしまっている俺がいることが、とんでもなく嫌だ。


 兎にも角にも、すごく楽しみではあるし、どこに行こうとしてるのかの検討も既に済ませてある。俺の卑しい気持ちが育たないうちに、芽を摘んでおきたいのだ。


「楽って元カノとどっかそういうところ行ったことあったっけ」

「ない。行こうとはしてたんだけど、なかなかいいタイミングなかったんよな。……これも言い訳か。でもまあ、後悔はしてるよ」

「そうか……。ともかく、僕からすると脈しか感じないんだけど。だって彼氏でもないやつと2人でプールなんて普通行くか? 行かなくね?」

「そうだよなあ……。どうしたもんか」

「ほんとにどうすんの?」


 どうもこうも俺は基本的に時の流れに身を任せるスタイルだ。だというのに、俺は何について迷っているのか。

 それは。


「だって恋愛感情を持たれること、いやだって言ってたじゃん」

「……うん」


 そう。俺は渚とは友達でいたいのだ。ずっと。恋人になんてなるのはごめんだ。恋人になるぐらいなら縁を切りたい。そういうレベルだ。しかし、このことを彼女に伝えるわけにはいかない。

 そんなことを言ってしまったら、それこそ良くない方向へ行ってしまう気がする。根拠はないけれど。


「まあでも実際お前まじでいいやつすぎてなあ。どうして別れちゃったのか今でも不思議なんだよな」

「よせ。俺は今誰とも付き合うつもりは本当にねえし、良いやつでもなんでもねぇよ。それに、俺は誰かと付き合う価値なんてありゃしない」

「まーたそうやって自分を卑下して……」


 実際そうなのだから仕方ない。

 俺はそういうもんだよ、と返事をして酒を飲む。


「でも意外と何にもないってこともあるかもよ」

「そうだと嬉しいなあ。あ、そうか。そもそも渚の気持ちを俺が勝手に推測してしまっていることがよくないや。彼女の気持ちは彼女が決めるべきだ」

「それはそう。でもまあ、本当にそうだったりしたらちょっと面倒かもね」

「まあね」


 俺が出した結論は、そういうことにならないようにすればいいやという、相談した意味も何にもないということだった。今日はもうそれでいいや。

 俺は酒を飲んで、グラスを置く。

 ふう、と由人は息を吐き出し、言葉を発した。


「まあとにかく、なんかあったらまた話ぐらいは聞いちゃる。僕は楽と飲むの楽しいんだ」

「へえ。嬉しいこと言ってくれんじゃん。そんな由人好きよ」

「ごめんね。僕彼女いるから……」

「そういう意味じゃないんだよなあ」


 シリアスな雰囲気から一転、話がなんだか変な方向へシフトし始める。


「好きって難しいなあ」

「いやほんとそれな。まじでさ、好きって感情の定義して欲しい」

「理系めんどくせー」


 間違いない。でも。


「お前も理系じゃねーか」

「そんなことないわようふふ」

「ぶっ殺すぞ」

「何の話してたっけ」

「理系が恋に落ちたので証明してみた」

「それ漫画だわ」


 ちっ、ばれたか。

 俺と由人は、その後もくだらない話をしながら、酒を飲み明かした。



「いやー。飲んだなー」

「飲みましたなー」


 お会計を済ませて店を出た後の、町に吹き抜ける風が心地良い。

 夏とはいえ、夜は涼しい。冬はめちゃ寒い。本当にいやだ。暑いのも嫌い。なんだそれ。


「そんじゃ、今日はありがとなー」

「おう。また飲もうぜ。今度は遊び行ったときの話聞かせてくれよ」

「そうするわ」


 じゃあなー、と由人は駅に向かって行った。俺は彼の背中を見送って、コンビニに寄る。


「お水♪ お水♪」


 水が飲みたかった。冷静になるためにも。でも、こんな風に水をノリノリで買うやつが冷静になったところで、思考がまともになるとは到底思えなかった。

 それでも俺は水が飲みたかった。

 俺は水を購入し、帰り道でひとり、考えを張り巡らせる。

 

 俺自身、今のところ、本当に誰かと付き合うつもりは一切ない。以前付き合っていた彼女と別れたときは、なかなか面白い別れ方をしたものだ。いや面白い別れ方ってなんだよ。

 別れた瞬間は、2人で笑った。でも、電話を切った後は、1人で泣き崩れた。きっと、彼女も同じだっただろう。

 俺の不甲斐なさ、彼女を追い詰めてしまったこと、彼女の優しさにいつまでも甘えてしまったこと、そしてなにより、彼女の大半を俺という存在で染めてしまったこと。挙げればきりがないほどに、俺は後悔しかなかった。


 高校生活のほぼ全てを俺と過ごさせてしまった、というのが俺の中で渦を巻いていた。もしかしたらずっと、俺に付き合わせてしまったのではないかと。それが一番、心残りだった。今でもそう思っている。

 俺がいなければ、彼女はもっといい人間と巡り会えたのではないか。俺と付き合ってしまったがために、彼女に無理をさせてしまっていたのではないか。

 何度自己嫌悪したことか。しすぎて飽きたぐらいだ。


 ただそれでも、確かなことがある。

 俺は、彼女のことを心の底から愛していたこと。

 彼女にはこれから幸せになって欲しいと、心から思っていること。

 もう二度と、あんないい子に巡り会うことはないこと。

 そして、きっと次の恋人は俺が壊してしまうこと。


 だから怖いのだ。渚が俺と付き合いたいなどと言うことが。俺と付き合ってしまうがために、壊れてしまうのが。言われることはないだろうけど。

 渚のことは本当に大切な親友だと思っている。親友は、親友のままでいるべきだ。間違っても恋人の道へ行くなんて、あってはいけない。


 でもこれ、全部仮定の話なんだよね。しかもゼロに等しいほど根拠がない。

 じゃあなんでこんなことを考えているのか。


 俺が渚と付き合えたら、なんてことを考えてしまっているからだ。


 こんなことを考える自分自身に嫌気が差す。本当に浅ましい。身の程を知るべきだ。

 渚は俺なんかが付き合える子ではない。あまりにもいい子すぎるのだ。

 まだ2回しか会っていないけれど、それでも分かる。俺が渚と付き合うだなんて、夢物語にも程がある。それぐらい、俺とあの子の価値は釣り合っていない。


 それに。


 俺がこんなことを考えてしまうからといって、自分の思考に正当性を持たせるために彼女の気持ちを勝手に決めつけてしまっているのが、あまりにも許せなかった。なんて身勝手な考えなのだろう。

 最低最悪だ。こんな卑しい人間は、さっさと渚の前からいなくなってしまえばいい。


「もう、死にてえ」


 俺があまりにも最低なことは今更だけど、生きる価値すらないんじゃないかな。

 でも……。


「せめて、プールは楽しませてあげないとな」


 俺は渚と全力で遊ぶと決めたんだ。自分のクソみたいな考えに惑わされるな。

 それに、ろずに言われたんだ。


 渚を頼む、と。


 だから、俺は渚とプールで楽しむだけだ。自分の気持ちには栓をして、絶対に漏れないようにしなければ。劣情なんて、クソ食らえだ。


 月明かりが俺の影を作り出し、涼しい風が俺の頬を撫でて吹き抜ける。ペットボトルの水は、もうなくなっていた。




 それから1週間後。

 俺と渚がプールに行こうと決めた日は、ちょうど次の日が祝日だった。そのため、どうせなら日帰りではなく、1泊しようという話になった。

 今は渚と電話をして、事の詳細を決めているところだ。


「でさ、泊まるのは良いんだけど、部屋別々の方がいいよね?」

『え? 別に一緒でもいいよ?』


 こいつは俺の理性をぶち壊したいのか……?


「あ、……そう。まあ渚がいいならいいけど……」

『私はいいおー』

「何食ってんの?」

『おまんじゅう』


 この状況で何のんきに饅頭食ってんだ?

 俺はそれに対してなんて返せばいいんだよ。


『まあほにかふは』

「食べながら話さないの。何言ってるか全然分からん」

『……ごくん。まあとにかくさ、せっかく遊びに行くんだから、一緒に泊まったって大丈夫だよ。それに楽は、間違ったりしないでしょ?』


 俺は口を開きかけ、すぐに閉じる。


『私、楽のことすっごく信頼してるから』


 ひひっ、と照れたような笑い声が聞こえる。俺は思わず息を呑んだ。

 ……こういうところがいちいち可愛いんだよな。

 渚は俺のことを信頼してくれている。そのことがとても嬉しかった。

 なら俺のいうべきことは決まっている。


「……ありがと。俺はそういうのは彼女以外とはしないって決めてるから、安心したまえ」


 まだ2回しか会っていないから、安心云々はどうも微妙な部分が多い。

 まあ俺は理性が飛ばないよう、充分注意をしていれば大丈夫だろう。渚もそういうことをして気まずくなるのは避けたいだろうし。もちろん俺だって避けたい。

 だって、俺たちはなのだから。


『うん。良かった。泊まるところどうしよっか?』


 うーん、と俺は少し唸ってから渚に伝える。


「とりあえずいい感じのホテル明後日くらいまでにいろいろ見ておくわ。なんかつけて欲しい条件とかあったりる?」

『禁煙ルームは絶対。あとは……』


 ふむふむと俺は相槌を打ちつつ、メモをしながら軽く検索する。

 ……このセミダブルベッドとか、ツインとかってなんなんだ?

 いまいちホテルのベッドの大きさや種類が分からない。それもついでに検索してみる。あ、なるほどね。そういう感じか。しかしまあサイズ書かれててもあんまイメージ湧かないな。

 念のため渚がつけたオプションがないホテルも候補には入れておく。もしかしたら部屋が開いてなくて取れないかもしれないしね。禁煙の部屋は絶対外さないけれど。

 まあさすがに大丈夫か。知らんけど。


『そんな感じかな』


 渚は全て言い終えたようだ。

 ここらで今日は寝ようかな。キリもいいし。


「わかった。まあ明後日ぐらいにまた連絡するわ」

『おっけー。ありがとね』

「おう。じゃ、おやすみ」


 一瞬の沈黙の後。


『……おやすみ』


 そう言って渚は電話を切った。

 彼女の声が少しさみしげに聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。












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