第24話

 新古典主義匂う大きな音楽ホール。

 白い円柱が何本も立ち、沿うように灰色のレンガ壁、二階以上はオレンジのレンガ。左右対称の建造物の一枠一枠を縁取る白の凹凸、明るい壁面とのコントラストが美しく、公共の

 ウィーン楽友協会を思わせる建物だ。向こうは二百年以上の歴史を持つが、こちらは五十年も経っていない。

 それでも十分古い、古典と言うには浅い歴史だが。

 開場から一時間ほど経ち、開催から残り十数分というところ。

 制服、スーツ、軍服、キャソックとシスター服、ジャージ、作業着、黒装束……続々と各部活、正装をした生徒が受付を済ませ、入場していく。

 当然マフィア部の姿はない。

「うん。じゃあ手筈通りに」

 スマホを耳に当て話す日乃実。彼女はいつものメイド服で、通話が終わったらしく、ポケットに潜り込ませた。

「私たち正面突破組は普通に入るよ。さー元気に行こー!」

 四角奈の手を引き、目前の列に並ぼうとして、ぐんと腕が張った。

 心ここにあらずの表情で立ち止まる彼女に苦笑し、

「ほら行くよ」

 はっとして四角奈は多めに頷いた。

「やります。頑張ります。絶対に彼を、助けます」


 

「お待たせしました、五月祭の目玉商品!」

 オークショニアを担う球磨川は額に汗をにじませながら、舞台袖を一瞥――助手らしい正装の男子生徒が台車をステージ中央に運ぶ。

「来た」

 四角奈の研ぎ澄ました呟きを潰し、会場はわっと歓声が上がった。

 球磨川が叫ぶまで、ふかふかの椅子にどっかり座っていた日乃実は少し腰を浮かせ、目を釘付けにする。

 舞台から彼女らの席はかなり遠い。

 遠いながら既に臨戦態勢、球磨川がガベルを鳴らそうとした瞬間に手首を飛ばすくらいの気概は用意してある。

 台車には砂糖が座らされていた。

 手錠と体に巻き付いた鎖、どちらも開発部製だろう。

 スポットライトが時間差で三つ彼に当てられて、眩しそうに顔をしかめる。

 球磨川は運び込まれた砂糖がスクリーンに映し出され、それを確認した瞬間、マイクを通す声は激しく上がる。

「砂糖罰の妹、メイド部員砂糖丸です!」

 まだ勘違いされているらしいと四角奈は鼻で笑う。

 裏ランキング圏内のエリート集う部活動であることが嘘のように、球磨川の台詞に歓声を上げた。

 本来のオークションの姿からはかけ離れたエンターテインメント性の高いそれは五月祭ならでは。文化祭のよう、と形容されるのもこの様子が所以である。

「さあ最低価格は百万円から!」

 彼がそう告げるや否や、

「百十万!」

「百二十万!」

「百三十万!」

 札が次々に挙げられ値段が吊り上がっていく。

 球磨川は一呼吸置いて、

「百四十万!」

 彼の見据えた先には十番の札を上げた四角奈の姿があった。

「ちょっと凛子ちゃん……!?」

 余裕なく隣席の札持ち、メイド服の裾を引っ張ると、焦りなんて見えない――視野狭窄とは思えない余裕のある表情を日乃実に向けた。

「私結構お金持ちなんです」

「知ってるよ!聞きたいのは、なんでわざわざ目立つことをしたのかって、」

「欲しいから」

 被せる意志のこもった台詞につい黙ってしまう。

「暴力的解決が出来なければ、私たちは成す術ない。邪法も正攻法も――冥土も明都も合わせ通るのが『メイド』ってもんです。彼は絶対に取り返します」

 不安なんてどこかに吹き飛んでいた。

 彼女の目には火が灯る。冷徹で灼熱の凛とした炎が。

「……さすが四角奈家の御令嬢だよ。私なんてファッションメイドだからね、メイドインチープ。いいよ、がんがん掛けよう。チープだからお金は出せないけど!」

「ご心配なく。支払いはポケットマネーですから」

「本当頼りになる後輩だね!」

 

「百五十万!」「二百万!」「三百万!」「五百五十万!」


「さあ砂糖丸嬢は誰の者に!マフィア部に一泡吹かせるのは一体どの部活になるのかあっ!?」

 もうオークションの原型はない、実況じみた一声に札が上がる速度は増していく。

「だから!嬢じゃなくて坊!男だって言ってるじゃないですか!!」

 先ほどまでずっと黙っていた砂糖は逆鱗に触れたような口調で怒り、実況役になってしまった球磨川を睨んだ。

 もう我慢ならなかったらしい。

 叫びで熱は冷え、しんと静まり、微妙な空気が一瞬にして空間を包む。

 勢いのあった値段の上昇はぴたりと止まった。

「だ、男装女子だああああ!!」

 四角奈たちより前の席に座っていた屈強な男がたまらず叫び、静寂を破って熱が吹き返す。

「「うおおおおおお!!」」

 会場の各地で点々と興奮する変態紳士たちは番号を彼の一言に煽られて、オークショニアに見せた。

 男は前列に座っていた身内の番号札を奪い取り天高く掲げる。

「七百万!」

 紳士皆様の熱視線を浴びて、砂糖は身震いをして背筋を伸ばす。

 青ざめた表情で両足の側面をぴたりとつけて、縮こまるように視線を下へと向けた。

 その様子は大画面モニターにてお届け。

「「うおおおおおお!!」」

 盛り上がる紳士。

 半泣きになる砂糖と、

「うおおおおおおお!!」

 大興奮の四角奈。彼女も札を上げてしまっている。


「一千万!」「一千二百万!」「一千五百万!」「二千二百万!」


「くっ……」

 渋い顔をした四角奈が札を下ろし、次に掛けたのはシスター服のグラマラスな女性。

 最終局面まで付かず離れずで入札していたけれど、ポケットマネーの上限が追い付いてきてしまった。

 紳士の皆様も札を上げる腕が止まっている。

「こうなったらお父様から借金して」

「駄目だ凛子ちゃん」

「でも」

 誰かに落札され”かけて”しまえば、もう暴力で訴えるしかない。

 それはオークションクラブとの全面戦争だ。

 他二部活も加勢し、圧倒的不利な戦力の中から砂糖を盗むことになる。

 瀟洒の会とゴシップ愛好会がデッドヒートを繰り広げる中、日乃実は自嘲気味に呟く。

「この競りは瀟洒の会が勝つ。最初からそう仕組まれてる」

「……あ、」

 日乃実に続いて気付いた彼女は悔しそうに奥歯を噛む。

 説明不要と思いながらも、反省の意味も込めて彼女は話した。

「オークションクラブだけ見ていたせいで全く気付かなかったよ。球磨川と手を組んでいるのに参加している瀟洒の会、組んでいるのに不参加のヒーロー部。意図して招待されなかったマフィア部と影武者を立てた暗殺同好会で状況がごちゃついてたから、隠れてしまっていた」

 手の見えない袖で茶髪をかく。

「瀟洒の会は三部活分の予算で臨んでる。そんなの勝てるはずがない」

 オークションクラブ一派の本来五月祭で投入するはずだった予算を一手に引き受けることで確実に競り落とすことができる。

 砂糖丸を誰かに渡す事なんて考えていなかった。

 他の部活がマフィア部を潰す事なんて眼中になかった。

 だから商品にストレスがかからないように完全トレースした部屋を用意し、ジュネーブ四条約を遵守した捕虜の扱いがされた。

 これから十分に使い潰すため。

 十の部活に入手の機会を与えたのは横取りの危険を減らすため。

 戦術特化だと豪語する彼女にとって知略で敗北を喫したのは精神に響く。

「軽く見積もっても五億は掛けられるよ連中」

「犯罪じゃないですか」

「そも人身売買が犯罪だよ。これから私たちは力比べで奪うけど、この場にいないヒーロー部が外で待ち構えてるかなあ」

 「くわあー!」と悔しそうにうめき声を出しながら、ずるずると椅子から背中を滑らせてテーブルのような体勢になる。

 両手は顔を覆い、ぎゅっと強く目を瞑っていた。

「二千五百万!いませんかー!?二千五百万!」

 ゴシップ愛好会の屈強な男は札を下げている。

 入札金が最も大きいのは瀟洒の会、グラマラスな女性。

「よし」

 浅い呼吸の後で、日乃実は目を開き、椅子から立ち上がる。

「私行くとこができたから。後はよろしくね」

「えっ。ここ一人でどうにかするんですか!?」

「凛子ちゃんならできるできるー!先輩はちょっと同級生に用があるからさ」

 レッドカーペットの上を歩き、振り返らずひらひらと手を振った。

 引き留めるのは無駄だと悟って視線を正面に戻す。

 球磨川はガベルを鳴らす――一秒前、ガベルとピンマイクは宙を舞い、双方舞台床との衝突は避けられず、耳を塞ぎたくなるノイズがこだました。

 もともと音の鳴らすための木槌だから、響く音はけたたましい。

 反射で目を瞑ってしまう者も多数いた現場。彼らの視線はガベルでも、カメラに映し出された砂糖でもない。

 壁にめり込み、木片を当たりに散乱させる球磨川。急襲で肺の空気が抜かれ、咳き込みながらも疑問を呈す。

「……あ、ありえない!なぜ、なぜ本当にいるのですか!!あなたは存在しないはずだ!!」

 ブレながらカメラは彼らを映し出す。

 ダメージを受けた球磨川の手前、そこには拳を構えるメイドがいた。

 砂糖と同じ、秋葉原で見かけるある種スタンダードなミニスカートのメイド服で、黒の長髪をもつ。

 華奢でしなやか、一分の無駄もない身体を持つ少女はおちょくるように狸を面を被り、一言も発さない。

 

 球磨川の知る現メイド部員は全三名。

 線日乃実。四角奈凛子。そして、砂糖丸。

 存在しない四人目を前にして、隠されていた伏兵――なんて妥当な判断はできない。

 球磨川以外ならこうはならなかった。彼は優秀であり、合理的で、緻密な判断ができる人物である。砂糖のホラ話を信じず切り捨てず、省リソースで確認させるくらいには計算高い。

 だから彼の目にはこう映る。

 『本物の砂糖丸が登場した』と。

 砂糖の嘘を嘘であると確信するため、オペラグラスで暗殺同好会の席を視認した。

 本物の振りをするなら後はメイド部と同盟を結ぶ彼らしかいない。

 席には先日副会長に就任した烏のみが座る。

 会長の啄木鳥の姿はない。

「やっぱり!お前は本物なんかじゃ、」

 グラスを投げて、正体見たりと余裕なく笑う球磨川は絶句した。


「その通り。俺は砂糖丸ではない」

 狸の面とウィッグを投げ捨てた少女――否、少年はファイティングポーズから得意武器たる暗器の注射器を両手指に四本ずつ挟む。

「だが我らが会長啄木鳥りっぽうでもない。会うのは二度目だな。クラブ長殿」

 翡翠は騙し討ちの成功に、にやりと笑う。

 暗に殺す同好会の面々にとって、体を大きくせずに身体能力を高め、目立たないようにすることは必須項目であり、彼らの見てくれは一見鍛えていない青少年のようだ。

 潜入という意味で女性を演じることも少なくない。専門家に素人が敗北するのは当たり前で、騙されて当然の結末。

 少年は先日副会長から解任され、失墜した翡翠だった。

「会長は貴様の視線の先。俺の背後にいらっしゃる」

 とんと。

 スニーカーがアンティークな椅子の背もたれ、その頂点に片足触れて、少女は唐突に登場した。

 球磨川は理論と論理の武装で姿を眩ますなら、啄木鳥は丸腰の技術と才能で現れる。

 椅子の僅かな面積に片足立ち、オーバーサイズの黒装束がたなびく。

 存在感を消すための衣装であるはずなのに、彼女の着るそれは部屋着のようにだぼっと楽に装着していた。

 砂糖は驚きを隠せず、見上げながらあんぐりと口を開けている。

「お待たせ砂糖君」

「待たされたよ啄木鳥さん」

 球磨川を一瞥し、片足立ちの啄木鳥は空いた足を椅子の背もたれへ垂直に打ち付ける。

 たちまち背もたれた圧力に耐え兼ねて、下手な焼き加減のクッキーのようにボロボロと崩れた。

 崩れていくクッションと木片、体に隙間がができて鎖からするりと抜け出せた砂糖を、啄木鳥はお姫様抱っこした。

「じゃあ、貰っていくね」

 たなびいていた黒装束がぶわりと大きく広がって、視界を塞ぎ、人型だった洋服はただの布地になって舞い落ちていく。

 咄嗟に胸元から取り出し、自動拳銃のトリガーを引くも、既に二人の姿はない。

 二発の銃弾は発砲音と空を割く音が僅かにマイクに拾われるだけ。

 球磨川の表情から飄々とした笑みが失われて、必死に歪んだ。

 糸目を薄く開き叫ぶ。

「啄木鳥と砂糖を追え!この際殺しても構わない!オークションクラブの威信にかけて絶対に逃がすな!!」

 広いホールに強くこだまする声に中華服の正装をしたクラブ員は隠し持つ武器を構え、三々五々に探し始める。

 半分は会場内、もう半分はホール外へ向かって――

「通しません」

 扉の前には金髪の少女が立つ。

 扉はいくつもある。彼女が塞ぐのはたった一つの前だけであり、それ以外を通れそうなものだが、誰も素通りしようとはせず立ち往生する。

 威圧感。殺気。気迫。ここを通れば死ぬと、嫌な妄想が止まらなくなる空気が彼女から発せられていた。

 オークションクラブは非戦闘部活、お抱えの戦闘員無しに突破することは容易でない。

 

 次いで彼は瀟洒の会の方向を睨んだ。番号札を持っていた女性は視線に気付いて肩を竦め、総勢十数名の会員が立ち上がる。

 銃火器や鈍器を担ぎ、クラブ員よりはるかに早い速度で追い付き戦闘に加勢する。

「ぐっ」

 人だかりの死角から振り下ろされるメイスに一丁の短機関銃を盾のように押し付け、金属が歪む悲鳴のような音を聞く。

 ふわりと銃から手を離し、身をよじり避ける。力の開放によって自由利かず床を真っすぐに下す鈍器、そして再起不能に凹んだ銃。メイス持つ手は離す判断がまだできていない。空いた片腕で太ももからもう一つ短機関銃取り出して、腕の持ち主に向けて乱射する。

 血肉飛び、四角奈のエプロンを汚す。

 頬に散った鮮血を指で拭き、目のハイトーンを消す。

「裏部活、メイド部一年、四角奈凛子。『お掃除』を始めます」

 

「い、いかがしましょう」

 気弱な男子生徒、砂糖を台車に乗せ運んでいた彼が球磨川に駆け寄り、小声で問う。

「ヒーロー部に伝えろ。何人も逃がすなと、私もすぐに向かう」

 軽く頭を下げて男子生徒は舞台の階段を降り、人の流れをはるかに遅いスピードで追いかける。

 腹部を押さえながら、壁に埋もれた体を引き上げ伸ばし、球磨川は立ち上がった。

 肩や背中に残る屑が動作で床に降り、それでも残った粉塵を手で払う。

「翡翠様はお優しい。あの程度の雑兵、鎮圧するのは容易いでしょう。なぜ見逃したのです」

 球磨川の指差す先には伝言を預かった男子が走っていた。

「貴様の本性が見れた駄賃だ。愉快だったぞ」

「これは失礼、私身内にはため口なんです。公私の分別がつくだけで、アレを悪面と決めつけられても」

 腰低く、地面を踏みしめて、ゆらりと片腕を伸ばし手のひらを見せる。

 服装に似つかわしい中国拳法の構え。

「違法商人に善面などあるか」

「全面悪の殺人鬼が言いますか」

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