第21話
分厚い鉄の扉は重低音を響かせて、ゆっくりと閉ざされる。
枠組みに隙間なくはまったそれは、内部から機械を組み上げるような、厳重なロックを施しているらしい音が聞こえる。
両腕に巻き付く重い手錠は施錠が終わると、二つのブレスレットを繋ぐストリングが解けて、手首に負担がかかる圧迫感が消えた。
軽く触れてみるとあっさり床に落ち、確かに感じていた重量が嘘のように軽い衝撃が下る。
厳重な扉と異常な手錠から目を離す――振り返るとそこには、僕の部屋があった。
目を疑う。
キッチンに雑多に置かれた調味料からハンガーラックの中身まで全く『同じ』。
学習机を中をおそるおそる開いてみると、買ったはいいものの面倒で全く使ってこなかった料理本さえ入っている。
ベッドに腰掛けて、眼下に広がる視界は毎朝寝起きで見る景色に違いない。
……ただ同じだと思えても、同一視は出来なかった。
ここは一か月と少し過ごしてきた部屋だと微塵も納得できない。
なぜなら窓があるべき場所には、美術館の内観がアクリル板一枚後ろに覗いているから。
それが異物感の正体。こんなもの、自室であってたまるか。
銃火器や新しめの印刷紙がアクリルケースの中に丁重に飾られ、僕も同じ扱いで展示されていた。
数人の観衆が興味深そうにこちらを見て、何か口パクで話し合っている。この板は音を通さないようだ。
「どうですか新居は。ストレスの無いよう、できるだけ似せているのですが」
異物感の正体その二。
部屋の四隅に設置された監視カメラ。魚眼である程度の可動域は用意されている作り、死角は既に潰されたような配置だ。
声は天井照明のすぐ横、スピーカーから聞こえてきた。ノータイムでやり取りができるということはマイクもどこかに仕掛けられているのだろう。
「似てる、というかほぼ一緒です。ここどこですか」
「オークション下見用の展示室です。あなたは五月祭の目玉商品ですから」
他の裏部活よりも力を入れて、手中に収めようとしたのはそれでか。
自分たちが利用するためなら、兄さんの所属するマフィア部を筆頭に横取りされることを考慮して動かなければならない。
わざわざ目立つ三部活合同の作戦を一切の妨害無く進められたのは、後に待つこのオークションを知ってのことだろう。
入手する機会が均等に、そして公正に与えられるなら、黙認するのも一手だ。
他二つの部活が助力したのも頷ける。
追い回してきた裏部員たち、あれはオークションクラブが賞金でも出していたのだろう。百万か二百万か、『上位十部活にははした金だが、圏外の部活には莫大な金額』を掛けて。
なんて上手い情報統制だろう。
「随分冷静ですね。今から死ぬかもしれないのに」
ちらとこちらを眺める生徒たちを見る。
つまり彼らは僕の下見に来たオークション参加者、ということなのか。
「はあ、そうですね」
僕が死んだところでメイド部や暗殺同好会に与えられる打撃なんて微々たるものだ。
三人が無事で帰れるなら、それ以上に望むものはない。
「聞きたいことが一つ。四角奈さんたちはもう解放されましたか」
「四角奈?」とぼけるような物言い、読み込みの遅いPCのような間を空けて、彼は唸った。
「ええ!既に解放しましたとも!彼女たちは今頃部室で団らん……いえ、あなたの犠牲に感謝しているでしょう。いや悲しんでいる?ともかく、そんなことはどうでもいいじゃありませんか」
「証拠はあるんですか。交渉はきちんと果たされたんですか」
「もちろんですとも、すぐにでも証拠を見せてあげたいのですが。少しばかり手が届きませんね、あーもう少しなんですが……残念、私には席を立つだけの気力がないんです。もーくたくたで、」
「ふざけてるんですか?」
「そうですが、何か」
食い気味の肯定に頭が真っ白になって、ホワイトノイズだけが聞こえる。
僕は今どんな顔をしているんだろう。気になって姿鏡の方を向こうとも思ったけれど、首を少し動かすことすら今は億劫だった。
ただ立ち尽くし、必死に思考する。
「な、なにを、」
「はなからお三方は捕まっていません。捕まえる必要なんてないからです。彼女らは暗殺メイド連合の主要三名、捕縛の苦労をするくらいなら殺して連合を機能不全にした方が早い。ですが殺しはリソースがかかる。なにせ戦闘特化に戦術特化、我々もそれ相応に痛手を覚悟して挑まなければならない」
声の主は笑いを殺したように告げる。
「だからあなただけを狙ったんです。あの森にいた誰よりもあなたが騙されやすかったから。なかなかどうして、楽な仕事でしたよ」
スピーカーからはノイズの音が消えて、ミュートされたことが分かる。
席を離れたのだろう。いつの間にか観衆は帰って、一人きりになってしまう。
監視カメラが四六時中見ているから、全くの一人というわけではない。ただ孤独だった。
「…………」
言葉にならなかった。
何か自分を鼓舞する言葉を発するつもりが唇は震えて、言い訳の為に開いた口から呼吸音だけが漏れ出す。
手足の末端の血液が引いて、体温がずっと冷えていく。
代わりに本音が零れてしまう。
「僕は……無駄に捕まってしまったのか」
無駄というより無能。
何度も助けてくれた、彼女たちのことだ。また助けようとする。歴然とした戦力差があるのに不良に絡まれたときと同じく、颯爽と駆けつけてくれるだろう。
それが嫌で、自分の不甲斐なさがありありと見えてしまうのが苦痛で、自ら撒いたこの種だけは摘もうと努力したつもりが、かえって負担を増やしてしまった。
存在価値は兄の七光りのみ。
後悔で押し潰されそうなり、吐き気と眩暈が同時に襲ってくた。
ベッドへ仰向けに倒れて、やけに眩しい照明を手で覆い隠す。
「僕は。僕はただ、力になりたかったのに」
俯き呟く泣きそうな声はマイクに乗ることなく、部屋の中で霧散する。
コンコン。
鈍く小さなノックの音が聞こえた。それはアクリル板、元の僕の家なら窓があった場所から。
声が通らない程分厚い板からの振動だから、それはノックというより強打撃が正確かもしれない。
面倒だと思いながら、のっそりと身体を起こす。
気力なく窓に焦点を合わせると、そこには男子生徒が立っている。
黒のスクエア型フルリムメガネ、不機嫌にも見えるへの字口、皺ひとつないブレザー、整えられた金髪に碧眼……そうだ、彼は戦争部員の。
理性的で啄木鳥さんとは違う表情の殺し方をしている。
私情を挟まず、仕事熱心に目の前の課題をこなそうとしているような。
VS暗殺同好会のとき、審判だった彼は胸ポケットからメモ帳とサインペンを引き抜く。
くいくい。
『近くに寄れ』ジェスチャーに従い、少しカメラも意識しながら歩いて、彼の前に立った。
片手でつまむペンで罫線の入った白紙のメモ帳を叩いて……何かを書き始める。よどみない筆運び、数秒足らずでメモ帳を見せる。
『様子を見に来ました』
達筆だ。目を凝らして、少し頭を使ってやっと読めるくらい古風な書き回しを疑問符に思う、けれどただちに解消された。
カメラだ。首と頭は動かさずに眼で監視中のそれを視認する。
僕と誰かが筆談でコミュニケーションを取っていると知られれば、後々面倒だ。こちらは交渉材料だから危害を加えられることはないけど、外界のみんながどうなるか分からない。
まあこの工夫も直ちに暴かれないための付け焼刃だが。
「どうしてあなたが来たんですか」
思わず声に出しそうになって、口を両手で塞ぐ。
な、なにか書くもの書くもの。
学習机に向かうより先に、メモ帳が捲られて文字を書く。
『口パクで分かります』
できるんだ、読唇術。
半信半疑、いやこの学園のことだから多分できるんだろうと八割信じて口を大げさに動かしてみる。
〈捕虜の待遇を改善させたのは何条約?〉
『ジュネーブ四条約』
ほぼノータイム!?
読唇術ってエキスパートでも三割くらいしか分からないって聞くけど、彼はそれを上回るのか。
気配を消して瞬間移動のように唐突に出現するような人間がいる世界でそんな文句を思っても仕方がない。
事もなげにこなした彼はメモ帳を捲り、不機嫌に眉をひそめる。
『戦争部員に戦争で試さないでください』
〈すみません。それで、どうしてあなたがここに?〉
『線から頼まれました』
線……あ、日乃実さんのことか。
わざわざ様子を確認するためだけに人をよこした、ということは残念ながら予想通り、彼女たちは助けるため画策しているのだろう。
勘違いで口車に乗った僕の為に。
窓に手をついて、口の動きをいつも通りに戻す。
〈お知り合いでしたか〉
『メイド部とオークションクラブの戦争の審判は俺がしましたから』
〈道理で〉
彼女たちに並び立ち、肩を組んで仲間と言い張ることが僕にはできない。
もう助けを待つことしかできないと思っていたけど、都合よく目の前に仲介役がいる。
できることならもう部活とは縁を切りたいと思っていた。
今までの恩を忘れるようだが、それ以上に多大な迷惑をかける方が嫌だ。
〈今も連絡が取れるならちょうどいいです〉
奥歯で舌を噛んで、まだ閉じ切っていない傷口から刺すような痛みが走る――じんわりと血の味が滲む。
〈僕、部活辞めます。今までありがとうございましたってお伝えください〉
『今辞めればあなたの後ろ盾は何もなくなる。天地がひっくり返っても助からない。正気ですか』
〈本気ですよ。もう誰にも迷惑を掛けたくないんです。僕が弱いから、こんなことになったんです〉
『一年生の、それも一般人上がりがプロに敵うわけないでしょう』
それ以上に彼は何かを書き殴っていたが、途中で二重線を引き、消されている。
〈あなたもあなたです。なんで僕と話してくれるんですか。部外者で、なんの関係もない人なのに。そんなに日乃実さんに借りがあるんですか〉
熱がこもって声が漏れそうになる。
呼吸が震える。
〈哀れだからですか。兄が有名人だからですか。何者でもない僕が滑稽だからですか〉
彼は途中で目を伏せ、メモ帳にペンを走らせた。
『あなたを認めているからです』
声にはならず、口だけを呟く通りに動かす――それは読唇術を用いる彼にとって、言っているのと同義だろう。
〈なんで〉
『VS同好会の勝利はあなたによる功績が大きい、誰があの戦争を見ても、あなたのおかげだと思うでしょう。誰もができることではない』
〈あんなものは対症療法です。僕は諦めただけで、たまたま勝てただけで、〉
『自らの才能を自覚しないのは罪です。認められていることを認めなさい』
〈認められていることを〉
『そも、あなたはどうなんですか。メイド部に執着は無いんですか』
彼からの問いには答えない。
情が乗って叫びそうになるのを食い止めた。
愚問だ、そんなの戻りたいに決まっている。
もう一度部活に戻って、四角奈さんと遊びに出かけたい、日乃実さんにこき使われたい、啄木鳥さんとボードゲームで遊びたい、翡翠さんに叱られたい。
あの場所は戦争とか裏部活とか、そんな下らない高尚なことがどうでも良くなるくらい居心地が良かった。
だからみんなはただの友人で、部活の先輩で、自分の居場所が失われるのは悲しい。
ごく普通の感情だ、感動的な意味なんてない。
所在を見失うのがたまらなく嫌なだけ。
「…………」
やっと気づけた。
迷惑をかけたくなかったのはあの部活において存在価値がないと思われたくないから。
自分が犠牲になってまでも――けれど人身御供では元も子もない、並び立つことが好きだったのに。
口をつぐみ、それ以上何かを言おうとはしない。
恥ずかしかった。
赤面し、下唇を軽く噛む。
部外者にそこまで言われないと気付けなかったこと、子供のように意固地になって言い訳をしていたことが情けなく感じる。
僕が無能だと思っていても、彼らは信じない。
決断が徒労で、迷惑をかけられても、どこ吹く風で気にしないのが彼らだ。
もう後悔しない。
助けられるだけの砂糖丸じゃない!
深呼吸して、僕に出来ること――場をいかに引っ掻き回せるか思考を巡らせる。
メイド部と暗殺同好会は合同で僕を救い出そうとする、オークションクライブとの戦力差では捕まるのが関の山……ならば戦闘を禁止すればいいのではないか。
〈先輩、メイド部はオークションクラブに宣戦布告します〉
一瞬てを止めて、再びペンを走らせる。
堅物な表情に少し笑みが込められているように見えた。
『場所と日時は』
〈オークション会場で五月祭当日、時間は僕が競売に掛けられてから一時間以内〉
筆談とは別に戦争内容のメモを取っている。
〈試合はババ抜きでお願いします。あと、当日会場にいてください。できれば僕の近くに〉
彼は一度手を止めて、ソニックというペン回しを一度。
『戦争の内容は変えてください。あと、ルール上第三位の部活に戦争はできません。あまりにもオークションクラブが不利です』
〈では敬愛する先輩にお願いします。戦争開始の振りをしてください〉
『無茶言わない』
〈兄を一か月体験入部させます、そっちでこき使ってください〉
なんでもありが売りの戦争だ。戦争部にお願いすれば記事の改変が可能なように、戦争の受諾もお願い次第ではないか。
マフィア部が一か月実質機能不全、加えて戦争部の戦力増強にもなる。彼らからすれば願ってもない話であるはず。
彼は顎にペンを当てて、数瞬、文字を書く。
『二か月で』
〈……なんとかします〉
『ルールはルール、第十位が第三位を攻めるなんてあってはならない。したがって、オークションクラブから宣戦布告したことにします。色々とよろしくお願いしますよ』
交渉成立に安堵し、溜息を漏らす。
よしこれで事態の収拾はなんとかなる。続いて五月祭開催まで、どう場を荒らすか。
……演技はあまり得意ではないんだけど。
「では砂糖ちゃんは無事なんですね」
口パクではなく、息を吸って声を発する。
今からは話すことは目の前の彼にではなく、カメラの後ろの球磨川さんに向けて。
『急になにを』
〈合わせてください〉
彼はメモ帳とサインペンを胸元にしまい、浅く頷いた。
「奴らも馬鹿ですね。僕は男なのに、まんまと砂糖ちゃんと間違えましたよ。文字が読めないんでしょうか、砂糖丸は妹だと戦争詳細報告書に書かれているのに」
僕が全くの別人だと騙せるとは思っていない。こんなチープなブラフが効果的な相手ではないだろうし。
ただ、一つの可能性として、思考の膿として挟まればいい。
球磨川さんは軽薄に見えたけれど、こんなに用意周到な人間が不安要素を一蹴して、放置するとは思えない。
これを見ているのは彼だけではないだろう。部下や幹部連中に見られて、そこから僅かでも混乱が発生すればいい。
目的は脱出じゃない。敵リソースの消費だ。
「古典的ですけど影武者って有用なんですね。砂糖ちゃんには無事と伝えてください、僕は適当に過ごしてますよ」
唇の動きで発言の内容を把握した彼は何かを話している、僕には分からないが、それらしい別れの言葉だろう。
「砂糖ちゃんがここに来ないことを祈っています」
手を振ると、彼はこれが会話の終わりの合図と悟り、唇をいくつか動かして振り返りその場を去る。
……後は彼が難なく帰るだけだ。
大丈夫だろう、多分。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます