第20話

「さ、砂糖さんは!砂糖さんはいますか!!」

 六畳間の個室に四角奈は飛び込んできた。息を弾ませて、強張った表情には気迫のようなものが滲む。

 腐りかけの畳に手をつき、顔は黒装束の青年――翡翠に向く。

「連れていかれた」

 彼の声は淡々としていた。

 苦しいだとか、申し訳ないだとか、感情が表に出ることはなく、現状報告をする事務的な調子。

「は」

 期待外れな返答に明らかにトーンを落として、下を見る。視界は青の畳でいっぱいになり、不安が顕著に現れたせいか発汗の速度が速まる。

 ぽたぽたと畳に落ちる脂汗、翡翠には気付かれないように薄く溜息をついて、数分。

 上がった心拍数を落ち着かせるだけの時間が経ち、彼女はすくと立ち上がった。

「二人はまだ下見していると思います。ひとまず帰ってくるのを待ちましょう」

 言いたいことをぐっとこたえるように顎に皺を作り、両手でスカートの生地を握る。

 「どうして」と四角奈は責めない。

 ただ翡翠一人の責任にするには、あまりに自分が無責任だと知っているから感情を押し殺す。

 我慢をすることはメイドとして生きていた彼女にとって容易だった。

 それは彼の目には奇異に映る。

 いち早く砂糖の大事をもって駆けつけた彼女になら殴られる覚悟はあった。急所でないなら刃も弾も受け止めるつもりだった。

 罵倒も侮蔑もないやりとりで済んだのが拍子抜けしたのだ。

 自らの驚きを落ち着かせて、四角奈に座るように促した。

「とりあえず何があったのか話す。全員が集まったら改めてする話だから重複するけどいいか」

 罪滅ぼしにはならない。

 ずっと砂糖のことを気にかけていた彼女にいきさつすら語らず、待たせるのは酷だと思ったのだ。

 四角奈は真剣な調子で返事をして、一部始終を語り始める。



「話の途中だけど、ごめんね」

 音もなく啄木鳥は登場した。

 部屋を隔てる障子の手前、つまり部屋の内部に唐突に現れた。

 忍者の末裔とか暗殺同好会会長とか、そういう肩書では納得しようのないエンカウントに、四角奈は声のもならない驚きを顔で表現する。

 抑揚のない呼吸と汗一つかかない涼し気な表情、肩と頭に一枚ずつ葉屑がついていた。

 彼女はそよ風のように、木の葉一枚も落とすことなく移動する。

 いつもはしない僅かな失態を見抜き、翡翠だけ急いで来たのだろうと感心した。

 座する二人はほぼ同時に視線を上げて、啄木鳥の頭上、おんぶされた日乃実を見る。

「私の体力の無さを見くびらないで欲しいな!」

「まだ何も言ってないのだが」

 慣れている四角奈は頷いて、翡翠はぽかんと口を開き呆れている。

「二人の顔を見る限り……丸ちゃんはもう攫われたね」

 啄木鳥の背から降りて、畳の上に正座する。

「まあ引き上げていく兵隊を途中で見たからそんな気はしたんだけどさ」

 啄木鳥の制服の裾を引っ張り、彼女は隣に座るように促す。

 彼女たちは冷静だった。

 四角奈の不安から曲がる困り眉がオーバーリアクションに見えるくらいに、人ひとりが交渉材料として攫われているのに平然としている。

 オークションクラブの一室での、日乃実の感情の噴き出し方がまるで嘘のよう。

 一つの部活の総大将として、品格を後輩に見せつけている。

「翡翠ちゃん、悪いけど最初から話してくれる?」

「ち、ちゃん……はい、分かりました」

 ちゃん呼びに軽く言葉を詰まらせて、翡翠は報告を始めた。

 

 計三部活の進軍を察知し、部下を周囲に配置し、撃退したこと。

 本来辿り着くことさえ難しい部室に、球磨川を名乗る青年が交渉を付けるためやって来たこと。

 彼は自分より何倍も上手であること。

 三人が捕らえられていると聞き、砂糖が球磨川の交渉に乗ったこと。

 それを食い止められなかったこと。

 

 それに嘘偽りはなく、自虐も誇張もない。

 だが話が進むにつれて、彼らの顔色は悪くなってゆき、啄木鳥でさえ溜息をついた。

「これで俺からの話は以上です」

「……つまり佐藤さんが攫われたのは、」

「全くの無駄骨だね。私たちは捕まってなどいなかったから」

 三人は一直線にボロ屋敷を目指していた。

 日乃実が走らないとなると彼らのトップスピードは下手な陸上選手よりもずっと速く、陸路を爆走できる。

 警告の為配置された兵士たちが追い詰められるわけがない。

「もう少し私たちを信頼してもらいたい、っていうのはただの愚痴かなあ。彼は私たちのためを思って交渉材料になったんだし」

 「じゃあ次は私から」重く落ち込んだ雰囲気にメスを入れるように日乃実が報告役を名乗り出る。

「その必要はない」

 ぴしゃりと啄木鳥は淡々と告げる。

 日乃実は彼女がそう言った理由が分からないようで目を白黒させ、他二人も理解できていないような顔をした。

「いや報告はいるでしょ。翡翠ちゃんにも共有しないと作戦の立てようが無い」

「その必要がない、って言ってる。彼には、説明がいらない」

 ますます分からない、と言いたげに日乃実は首を傾げる。四角奈も同じような表情で、理由を話すのを待っている。

 ただ翡翠だけが俯く。

 浅い深呼吸をして、彼は啄木鳥の目を見た。

 深く沈んだ黄金の瞳。

「翡翠、君を副会長からこの場で解任する。次副会長は烏、後で伝えておいて」

「……はい」

 悔しさを滲ませながら、奥歯をひたすら強く噛む。

 この展開を予測していた彼にとって、これは事態を受け入れる作業に過ぎない。

 今までの部活に費やしてきた短くない時間は決して無駄ではない。翡翠は気持ちを整理しながら、正座を崩して立ち上がる。

 足取りは穏やかではない、狂った調子の歩幅で四角奈の横を通り過ぎて――

「なんで!!」

 叫び声。

 振り返ると、四角奈が怒っていた。

 友達に対する表情ではない、敵意がはっきりむき出しになっている。

「なんで翡翠さんが辞めなくちゃいけないの!?理解できない!」

「凛子ちゃん他の部活の話に口を出すのは……」

 小声の制止を啄木鳥は腕を横に伸ばして止める。

「彼の失態で、砂糖君という他の部活のカードが失われた。むしろ失墜だけなのは、優しいよ」

「それは私たちだって同じだよ!もっと慎重に事を進められれば、こんな事態にはならなかった!」

 四角奈は強い語気で食い下がる。

「監督責任は彼にある」

「上司がそんな適当でいいの!」

「……じゃあ、本音を言うね」

 彼女は居住まいを正した。

「別に私も辞めてほしいとは思ってない。けど責任の所在をはっきりさせないといけない」

「なにそれ」

「私が取ることはできない、会長だから。会長の株が落ちると会員たちをむやみに混乱させるだけ。今は内部で利権争いをしてる場合じゃない」

「…………」

「会員たちは無駄働きをした。私たちの目線では責任は四人に等分される、けど彼らには責務を果たせない指揮官だけが無能に映る。士気が下がるのは、困るから」

 「だから翡翠を槍玉に上げた」とまでは彼女は言わなかった。

 それは根本の言語化を嫌ったのか、本人の前で強い言葉を使いたくなかったのか、四角奈には判別がつかない。

「ごめんなさい、考えが回らなくて」

「いい。私の説明不足が原因だから」

 判別がつかなくとも自分がしてはならないことをしたのは理解できた。

 友達に怒鳴ったことと、事情を汲み取れなかったこと。

 重くのしかかる反省を今すべきではないと一旦棚上げして、呼吸を整える。

 

「俺に出来ることはありますか」

 見計らったような発言に啄木鳥は冷淡に返す。

「今のところ、ない。お疲れ様」

 背を向けたまま、翡翠は障子を閉じた。



 「さて、共有は必要ないってことだから彼を取り返す方法を考えようか!」

 日乃実は誰かが意見をいうより先に指を二本立て、ピースを作る。

「先に不可能な正攻法を言っておくね。生産性のある議論をしたいから」

 立てた人差し指と中指を数回当てて、空いた片方の小さな手で人差し指をつまむ。

「一つ目。五月祭のオークションに出品される彼を競り落とす。まあ無理。招待されているから権利はあるけど、競り落とす見込みはない。メイド部と暗殺同好会両方の予算使ってもどうにもなんない金額になるだろうし」

 続いて中指に触れる。

「二つ目。今から強行突破し、奪還する。こっちも無理筋。話じゃ三つの部活が協力してこっちに攻めてたんでしょ?じゃあ防衛も三部活が加担しててもおかしくない。オークションクラブだけならねえ、意外となんとかなったかもだけど」

 日乃実は胸元で操っていた両手を下ろして背筋をうんと伸ばし、息を抜く。

「これ以外の作戦……他にオークションクラブへ恨みを持つ部活を集めて戦争を仕掛けるとか」

「ないね!」

 食い気味の却下に少し頬を膨らませる。意見を出せと言っておきながら尊重する素振りが無い、反論するのをぐっとこらえて理由を問うた。

「私はね、もっと丸ちゃんをめぐって戦争が頻発すると思っていたんだよ。横取りと裏切りが錯綜するものとばかり。けれど結果はシンプルだった。三つの部活が共謀し、戦力を分散させているうちに奪取……こんなスムーズに進むことある?」

「他部活の介入が無いのはおかしいと言いたいんですか」

 日乃実は首肯する。

「オークションクラブが直接取引をしたのは瀟洒の会と開発部。他は暗黙の了解で画策しなかった。だってあんなに堂々と展示されてるんだから、リソース割いてまで取ろうとしないよね。後々金を積めばいいんだから。つまりだ、わざわざ私たちと手を組もうとする部活は既に消えた。マフィア部は……まあ論外で」

 三対二の争いだと思われた構図は一気に多数対二へと変化を遂げた。

 事態は思ったより深刻だ、四角奈は視線を泳がせ、協力関係にある啄木鳥――暗殺同好会会長を映す。

 視線に気付いた啄木鳥はそれの意図を理解してか親指を立てて、サムズアップする。自分たちは裏切らない、という意思表示。

「戦力拡充は一旦無視しよう。五月祭って、いつ?」

「五月四日。もう一週間もないね」

「じゃあ、人を上手く使おう」

「一理ある」

 そう言って頷いた日乃実に、「だったら初めからそう言ってください」と四角奈は唇を尖らせる。

「元来、人を攫うのも、金品を奪うのも隠密の主戦場」

 誇らしそうに、表情筋が死んでいるからぴくりと口角を動かして、薄い自分の胸をぽんと叩いた。

「私が盗む。任せて」

「簡単に言ってくれるねえ」

「簡単じゃない。ここから綿密な計画が必要……例えば、実行は五月祭当日の、彼の競りが終わる、ガベルが鳴る直前にする」

「それは何故?」

 にやにやと分かっている顔をして訊く。

「ガベルが鳴れば契約が成立して、戦う相手が増える。掛けの盛り上がりに警戒は多少解ける、だって彼は目玉商品だから」

「どういう経路を通って、どう盗むのか。それは専門家に任せるよ、私たちは何すればいい?」

「盗まれるまでは大人しくして。終わったら、暴れて」

「ひゅー乱暴だねえー!でも効果的だ、怪盗様の陽動として動揺を誘ってみせるよ」

「怪盗?」

「義賊の方が良かったかな。人攫いと表現するのは面白くないでしょ?予告状でも送ってあげるといい、奴ら無駄に緊張するぞー!」

 くすくすと子供のように笑う日乃実。

「砂糖さんが捕まってるのに楽しそうですね」

「そんなまさか」

 砂糖丸の名前を聞いて啄木鳥は数秒考えるように、視線を上げて天井を見る。

 自分の中で湧いてきた疑問を言語化している……固まって、言葉をこぼす。

「助ける方向で、進んでるけど。本当に助けないといけないの?」

 二人の視線。殺気立つものに近いそれに怯むことなく、むしろ軽蔑するように啄木鳥は口を開く。

「メイド部が地に落ちたのは、その甘さのせい。線さんはそのこと、よく知ってるよね」

「う……でも見捨てる選択はないね!丸ちゃんは今も助けを待って、がくがくぶるぶると震えてるに違いない!」

 高く拳を振り上げて、必ず救出すると息巻く日乃実。

「彼が入部した理由、お兄さんに会うためなんだよね」

「そう聞いてるけど」

「じゃあ今の方が、会える確率は高いと思うよ。会う前に、使い潰されるかもしれないけど」

「至極まっとうな意見だね。けど、それはないよ。それだけはきっと丸ちゃんも望んじゃいない」

 裏社会の人間としては正しく、常人からはズレた彼女にオーバーめに肩を竦める。

「家族との再会はもっとドラマチックじゃないと!そんなのつまらない!」

 お前もどっこいどっこいじゃないか、と言いたげに啄木鳥は眉をひそめる。四角奈も同じく頭を抱えた。

「立場関係なく気軽に会える状態じゃないと健全ではないですから。そのために彼はパレスを目指したんでしょう」

「あ、そうか。二人共もともと、普通の人だもんね」

「むー……私の意見と何が違うの?」

「根底から一線を画しています」

 苦笑いをしながら日乃実は携帯をポケットから取り出して、メッセージアプリを起動する。

 疲れた顔の四角奈が何をしているのか問うと、

「少し丸ちゃんの様子を確認してもらおうと思って」

「そんなことできるんですか!?」

「できるよ、多分まだ展示中だから。私たちは入らせてくれないだろうけど、他部活所属なら問題ない」

 素早いフリック操作で『砂糖丸の様子見てきて』と入力する。

 既読には数分もかからず、了解を示す可愛らしい黒猫のスタンプが送信された。

 メッセージアプリに表示された名前は――。

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