第19話

 すっかり日は傾き、夕暮れと暗がりの中間のような血ミカン色の空が続く。

 枝葉はその暗い空すら隠して、ライトが無ければ立ち行かないほどの漆黒を樹海に生み出した。

 枯れ葉と苔を踏み、ライトで慎重に進む集団。

 完全武装し両手に機関銃を構える五人組は息荒く、慣れない道に不快感をにじませる。

 静謐な森に装備が揺れて、金属音と衣擦れをよく響かせる。

 木の上。

 黒装束を着た少女の存在に彼らは気付かない。

「…………」

 枝から足を外し、頭から落下する。

 落ちる地点は形態を組む五人の中心、五角形で全方位に警戒する彼らのうち一人と目が合う。

 戦闘員の瞳には恐怖が滲んでいた。さかさまの少女は落ちる瞬間、にいと笑って、咄嗟に向けられた機関銃を片手で体重をかけて押さえつける。

 逆立ち、さながら曲芸のような体勢で片手に持つ刀子を首に当て「てっ敵襲!」言い終わる前に掻き切った。

 噴き出る血液と首から空気が抜けて上手くできない呼吸。

 他四名が体を翻し、かつての仲間の方向へ銃口とライトを突きつける。

 けれどそこには誰もいない。

 死にかけの肉塊と血だまり、風の通りが悪くてむわりと臭ってくる死臭。

 手当てしている隙は無い、動揺する頭で判断を下し、手汗の含んだグリップを強く握る。

 仲間の動きがピタリと止まり、絶命した瞬間――現れた。

 死神。

「撃て!撃て―っ!」

 一人の戦闘員の叫びで四人はトリガーに指をかけて、銃弾は連発される。

 耳が痛くなる轟音と激しい閃光。

 死体と木の幹を弾は貫きめちゃくちゃにする。

 それぞれが十数発撃ち込んだ数秒、そこに既に少女の姿はない。

 ライトを乱暴に動かせどそこにあるのは黒々した深い森があるだけ、浅い呼吸が四つ、不安を露わにしている。

「ぐうっ」

 見れば一人の手首に深々と刀子を突き刺っていた。

 機関銃が地に落ちる。

 少女はすぐそばにいた、機関銃を構え――三人から隠れるように負傷した一人を壁にする。

 見れば負傷した彼には五本の刀子が刺さっている、もう死ぬのは時間の問題。

 彼らに仲間を殺す判断はできない。

 手首からどくどくと血が溢れ、咄嗟に機関銃を奪われぬよう伸ばす手。

 二本目の刀子が手の甲に刺さり、貫通する。

 よろけた戦闘員、彼の腰に付けた自動小銃を抜いて、少女は彼の胸に撃ち込んだ。

 死体を押し付けるように三人に投げて、刹那、機関銃を拾い上げる。

 装備含め七十キロは越える死体の壁は数瞬、彼らの視界を塞ぐ。

 少女は躊躇なく機関銃のトリガーを引いた。

 発砲音は続く。

 銃撃の光、彼女はマガジンが切れるまで撃ち続け……弾切れを起こした銃を放り投げる。

 地面に転がる無残な五つの死体のうち、一つの胸倉を掴み、空いた片腕でまさぐり、ネックレスを見つけた。

 文字が印字された二枚組の金属プレートに穴が開けられたもの。

 チャンネルの合わせた無線に少女は話す――


 

 ――そうか、今度は『瀟赦の会』の……ご苦労だった。待機を続け、適宜連絡をくれ」

 翡翠さんは無線を切って、眉間に皺を寄せる。

 十数名がいたはずの大部屋には翡翠さんと僕しかおらず、がらんとしている。

「やられた」

 頭のこめかみ当たりを押さえ、吐き捨てる。

「瀟洒の会、開発部、そしてオークションクラブ。上位十組中三部活がここを攻めに来ている。なにがどうなってるんだ」

 今は暗殺同好会の面々が対処に当たってくれている。

 個々の実力ではトップクラスに高い同好会が負けることはないに等しいが、時間が経ち、体力が消耗していけばその限りではないだろう。

 オセロで決着をつける、なんて生ぬるい話ではない――電波一つ隔てた先には殺し合いの世界があった。

 血の気が引くのと同時、戦闘に参加できないことを歯痒くも思う。

「戦争ってことですか」

「いやそれはない……今はな」

 含みのある言い方。

 どういう意味か問い質すと、彼は冷静に告げた。

「敵が弱すぎる。対処報告は五件、そのうち負傷者はたったの一人。第九位、第六位、第三位が集まって、我々と実力が拮抗するなんて有り得ない」

 対人戦最強でも集団戦ではずぶの素人らしい。

「だからこれは警告だ」

「警告」

「砂糖丸を差し出さなければそれ相応の実力行使に出る、というな。全く、たった一人にそれだけのことをするか」

 眉間に指を当てて溜息をつく。

 苦労人の顔をする翡翠さんを見ていると申し訳なくなる。

 僕はまた多くの人に迷惑をかけている。それも自分が不甲斐ないばかりに手出しすることはできない、ただ少し遠くの安全圏で見ていることしかできない。

 啄木鳥さんとの戦闘、あのとき自分の力がみんなの為になったと勘違いしていた。

 実際には多くの部分で四角奈さんや日乃実さんに助けてもらって、いいとこ取りをするような形で得た勝利だったのだ。

 今回も、僕はなにも出来ないのか。

 ばん!背中に強い衝撃が走り、涙目になりながら振り向く。

「そんなくよくよするな。お前はよくやっている。この事態、お前は何も悪くない」

 

「そうですよ。私、戦争詳細報告書を拝読し、いたく感動しました!あなたの才能は本物です」

 迷わず啄木鳥さんは注射器を声の方向へ投げ、男の顔の真横、屋敷の柱に深々と刺さる。

 そこには男がいた。

 軽薄を絵に描いたような丸メガネに中華服の青年。

「とても趣深い部室ですね。ここまで来るのに苦労しました、ええ本当に」

 翡翠さんの表情には焦りが滲んでいる。

 暗殺者として研ぎ澄まされた勘でも、彼の存在を声が掛けられるまで感知できなかったこと。

 本来教えられなければ知る由もない部室の場所を把握していたこと。

 全体に敷いた部下の包囲網を潜り抜けたこと。

 別格。

 自分では敵わない強者の佇まいに怯んでしまっている。

 彼が勝てないのなら、当然僕も勝てるはずがない。

「誰だ貴様」

「申し遅れました。私はオークションクラブ部長の球磨川有助と申します。本日はお日柄も良く、」

「そんなおべっかどうでもいい!なんでここまで来た」

 オークションクラブはメイド部因縁の相手。そして樹海に攻め込んできた部活の一つだ、単身でここまで来るなんて……。

 格の違うはずの球磨川さんは半泣きになって、おどおどと動揺する素振りを見せる。

「そんな怒鳴らなくてもいいじゃありませんか。ええ分かりました、単刀直入に申し上げます……私は本日交渉に参りました」

 目つきが変わった。

 彼の糸目はやけに鋭い。

「砂糖丸様の身柄を頂けますか、そうすれば今後一切両部活に手を出さないことをお約束しましょう。なんだったら書面での約束でも構いませんよ」

「ふざけるな!誰がそんなこと、」

「いいんですかあ?彼女たちがどうなっても」

「彼女……?四角奈さんたちになにをしたんですか」

 僅かに、球磨川さんの口角が歪む。

「知らない訳ではないでしょう。彼女らはオークションの下見に我々の所有する施設まで足を運んでいるじゃありませんか、拘束する時間くらいたっぷりとありますとも」

 戦闘担当の四角奈さんと会長の啄木鳥さんがいるのに捕まったのか。

 二人共戦うことにおいてトップクラスなはず。例えば人数不利を取ったとか、日乃実さんが先に捕まって人質になったとか、そういうことがあればもしかしたら……。

 時間は経ったはずなのに帰ってこないのはそのせいか。

 けど確証が持てない。

 仮に捕縛されていたらみすみす見捨てることになる、それだけは嫌だ。

 今あるのは球磨川さんの証言だけ。

 急に現れた怪しい男の証言を全部信じてやるのか?

 眩暈がして軽い頭痛を起こす。

「そんなわけあるか」

 隣でため息が聞こえた。

「仮にも二つの部活の長だぞ。捕まるくらいなら自決するくらいの気概はある奴らだと俺は知っている」

 彼の目には光がない、覚悟を決めた暗殺者のそれ。

 僕にはそれが彼女らを切り捨てるものだとすぐに分かった。

 喉が一気に渇いてゆく。

「翡翠さん!あなた何を言ってるんですか!」

 彼の黒装束を千切れるくらいに引っ張る。

 僕のことは気にも留めていないように視線すら向けない。

 今の僕の怒りは当然の報いだと受け入れている。

 奥歯を噛み潰し、悲しくないのに涙が頬を伝った。

「あの三人は自分の命よりお前の無事を優先する。何も知らないお前を守ろうとする、この決断は揺るがない。そういうわけだから帰れ詐欺師」

「そうですか、残念。では今日中にお三方は綺麗に殺しておきますね」

 何気ない会話のように彼女らの死が決まった。

 音が、爆ぜた。

 守る。

 また僕は守られる。

 何も知らないせいで。

 自分の身を守る強さも、賢さもないせいで。

 砂糖丸であるために、兄さんなんかを探してこの学校に来たために。

 人が死んでしまう。

 舌を噛んだ。

 口の中は鉄と煮え湯を飲んだような激痛で染まる。

「待って!僕が捕まる!!僕が代わりに死ぬ!!もう嫌なんだ!!人に迷惑をかけるのは、僕はもう守られたくないんだ!!」

 泣いていた。

 呂律が回っていない気がする。

 球磨川さんは恍惚とした表情で笑って、翡翠さんは怒りと焦りを露わにする。

 翡翠さんが庇うように彼から立ち塞がる――その後ろに既に球磨川さんは立っていた。

 すり抜け、暗殺術に長けるはずの彼の目を欺いて、僕と肩を組んでいる。

「良かった!あなたは聡明な方だと信じていました!!ささ、すぐに行きましょう。軍も即刻引き上げさせます、もちろん十数名の殺人は不問にしますよ!」

 翡翠さんが手を伸ばした時には、もう遅い。

「それでは、ごきげんよう」

 部室の大広間から僕たちは姿を消した。

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