第17話
そこは数百人が収容できる古いホール。
高い天井から注ぐLEDの光、まちまちに色の違う壁面や床には改修工事の跡が見える。
石の彫像や貴金属を用いた細かな装飾、現代では考えられない芸術への肩入れには趣深い古さを際立たせていた。
スーツ、タキシード、ドレス、和装……装いの差はあるが、皆そこに敷かれたドレスコードを順守して、座席でふんぞり返っている。
人々の僅かな話し声、消しようのない生活音がホールに薄く敷かれて、マイクを通して聞こえる男性の声、それは空間内のホワイトノイズを一気にかき消す。
「お待たせしました、五月祭の目玉商品!」
中華服を着た男性は額に汗をにじませながら、舞台袖を一瞥――助手らしいスーツの男子生徒が台車をステージ中央に運ぶ。
一瞬静かだったホール内は目玉商品のお目見えで、わっと熱気を纏う。
台車には赤い皮張りの高級感漂う椅子が乗せられていた。
そして椅子には僕が座っていた。
座る、というか縛られている。
椅子に鎖で体を括りつけられて、どうも座り心地が悪くて身じろぎをしていると、顔に熱いくらいの証明が当てられた。
白飛びした視界で目が徐々に順応していく中、やや興奮気味に男性は叫ぶ。
「砂糖罰の妹、メイド部員砂糖丸です!」
格式高そうな会場と様々な人の顔が視界には広がっており、彼らの視線のほとんどは僕に向いている。
彼らは上品な見かけが嘘のように、男性――オークショニアの台詞に歓声を上げた。
「さあ最低価格は百万円から!」
彼がそう告げるや否や、飛び交う入札者の声と、いくつも上がる番号札。
現実離れした出来事に引きつった笑いを浮かべることしかできない。
なんでこうなった?
戦争部員は二種類の書類を提出する必要があるらしい。
一つは『戦争部簡易報告書』、戦争が終結した当日に戦争部内に共有される簡単な概要を書いたもの。
もう一つは『戦争詳細報告書』、起こった戦争の結末だけではなく、戦争当時の情勢、用いられた武器、死傷者数、戦術、動向等当事者協力の元時間をかけて書かれるもの。
またこちらは戦争の公共性を保持するため裏部活の所属者なら閲覧が可能となっている。
裏社会の公共性とはいったいなんだろう。
もしやましいことがあるなら戦争部に”お願い”すれば、そこはもみ消してくれるらしい。ちゃっかりしている。
「どこだーっ!!」
「探せ!草の根を分けてでも探せ!」
夕方の校舎。
制服の柄の悪い生徒たちは虫取り網や鉄パイプを持ち、そこらじゅうを闊歩していた。
普通の生徒たちは不良が暴れていると勘違いして教室から出てこない。
部室のある旧部室棟と洋風庭園の中間にある渡り廊下、そこの低い壁に隠れ、やり過ごそうとする真っ最中だった。
「くそっどこにもいねえじゃねえか」
裏部活の生徒は渡り廊下の壁から身を乗り出して旧部活側から庭園方面を覗いている。
しゃがみ息を殺す僕との距離は数メートル。
少しでも視線を動かせば気付かれてしまう……あっ、どっかいった。
「なにがどうなってるの……」
まだ周囲にいるかもしれない裏部活の生徒を恐れて、小声でぼやく。
僕、メイド部の砂糖丸!
こっちは僕を探している裏部活の皆さん!
あのなんでこんなに追われてるんですか?
今日学校についたときからこんな調子だ。
裏部活所属らしい生徒に追いかけ回され、どれだけ撒いてもしぶとく狙われていた。
カッターシャツに染み込む汗が不快で胸元をばさばさと扇ぎ、空気で冷やす。
メイド部が暗殺同好会に勝利してから一週間が経とうとしている。
あのときは多少目立っていたのかもしれないが、ほとぼりは既に冷めたはず。
なのになんで急に。
「そこでなにしてるの?」
「ひゃああああっ!?」
背中を触れて思わず悲鳴を上げる。
終わった!見つかっちゃった!
裏部活に捕まり、これから起こる恐ろしい出来事に思考を巡らせながら観念して振り向く……。
「あれ、」
「失礼ね、ひゃあだなんて」
メイド服の四角奈さんが不機嫌な表情をして、背中を触れた手を引っ込める。
そして彼女の隣には僕の戦争相手だった啄木鳥さんが無表情に立っていた。
「か、隠れてください!いま裏部活の人たちが僕を探してうろうろしてるので!!」
二人は顔を見合わせて、啄木鳥さんがくいくいと親指で後ろを指し示す。
恐る恐る顔を出して指の方向を見る。
庭園の目前、落ち葉のように裏部活の生徒たちがかき集められ、積み重なっていた。
悲鳴を上げたのに誰もこっちに来ないと思ったらもう既に倒されていたのか、文字通り一掃されている。
「うう……」一人がうめき声を立て、啄木鳥さんの手刀が腹を突き、僅かに残った意識はそこでなくなった。
「瞬殺じゃないですか」
「二人がかりで二分くらい、一瞬には程遠い」
「いえそういう意味ではなくですね」
こういうときだけ勘の鈍い彼女にどう説明したらいいのか、考えを重ねる前に再び啄木鳥さんは話し出す。
「私たち探してたの。今、砂糖君大変だから」
「なんで追っかけられてるか知ってるんですか!?」
啄木鳥さんは無気力にこくりと頷く。
「これ」彼女が差し出したのはスマホで、画面には白い画面に緻密な黒文字の文章がつらつらと書かれていた。
pdfらしいそれの名前は『戦争詳細報告書』……ここ最近ずっと戦争部に取材されてたやつ。完成したんだ。
「これがどうしたんですか」
「ここ」
彼女は操作、拡大した文章を読む。
「砂糖罰の妹、砂糖丸は伏せ石を当て『引き分け勝ち』を選択。そして結果は引き分け、メイド部勝利する結果となった。どのように戦況が動いたのか下記に記載する。※担当戦争部員が離席していた瞬間があり、後日二人の供述をもって棋譜を完成させた……僕は男ですがっ!!」
「久しぶりにその主張聞いた気がするね」
妹とは全く持って心外だ、どこからどうみても弟だろう。
弟属性たっぷりだろう。
「そこじゃなくて、」
啄木鳥さんが指さしたのは妹の隣、『砂糖罰』の表記。
「砂糖罰の血縁が学園に来たって情報が公になった、それが問題」
確か戦争詳細報告書は裏部活に所属している全ての生徒に公開されているんだったっけ。
「どう問題になるんですか?」
「悪名高いマフィア部部長の妹だよ。血縁は彼への脅しに使える。唐突に鬼の急所が現れたなら、狙わない手はないんじゃない?」
ぞくりと背筋に冷たいものが刺して、息を呑んだ。
こんなに知られている兄さんなら多くの人に恨みを買っていてもおかしくはない。そして彼らにとって僕は絶好の交渉材料、脅迫手段に成り得るのか。
四角奈さんは青ざめる僕に構わず続ける。
「カタギには手を出せない世界だからね。彼の家族構成に調べがついても、殺してしまえばそれはこの学園に留まる問題じゃなくなる、『社会問題』だよ。でもね、もうあなたは普通じゃない」
普通ではない、カタギではない、だから手を出しても良くなった。
「そんな三段論法許されるんですか。僕は兄さんに会いたいだけで、」
「ランキングに載る部活に所属してるんだからそんな言い訳通用しないよ。これからは用心しなくちゃね」
「そんな……」
「ごめん、頭が回ってなかった。ここだけは借金してでも戦争部にお願いしておくべきだった。とにかくこれからは気を付けないといけない、私たちに頼るとかね」
ふふんと笑い、胸を張る四角奈さんと、見よう見まねで同じポーズをする啄木鳥さん。
「というか、珍しい組み合わせですね」
思い出したように彼女らの関係を探る。
暗殺同好会の会長、啄木鳥りっぽう。
メイド部戦闘担当、四角奈凛子。
この二名が敵対せず視界内に収められていることに奇妙な疑念を抱いていた。
二人共僕とは関係が深いが、仲良くしているところも一緒にいるところも今初めて見たのだ。
「私たち友達なんです」
目を開いて、少し赤い頬、まるで親に報告するように彼女は告げた。
友達ができた、四角奈さんに友達が。
「ははっ!そっか!友達か!!良かったね、本当に良かった!!」
自分のことのように嬉しくなって、思わず笑みがこぼれる。
手を繋ぎぴょんぴょん跳ねる僕たちに啄木鳥さんは不思議そうな視線を向けた。
急に恥ずかしくなり、手を離し咳払いをする。
「それで、どうやって知り合ったの?」
「戦争部からの取材を受けるときすれ違って、ちょっと話したら意気投合したの!りっぽうちゃんとってもいい子だよ」
「りこちゃんも話しやすいし、私のこと分かってくれるし、可愛いよ」
口角をいつもより分かりやすく上げてにこりと微笑む啄木鳥さん。
おお、しっかり女の子の友情だ。
いくら裏部活所属とは言え、こうやって制服で話す様は女子高生以外の何者でもない(片方はメイド服だが)。
殺伐としていて気付けなかったけど、二人共可愛いし華がある。
「どんなこと普段話してるんですか?」
やっぱりガールズトーク的なあれこれだろうか。
「武器とか、私暗器専門で銃火器は詳しくないから」
「銃火器」
「あと暗殺術、普段鍛えてるトレーニング方法、殺したときの遺体の隠し方……」
「遺体」
「ち、違うよ!本当はもっと友達同士がするようなごく普通の話をするからね!だから思考を放棄するのはやめて!!」
「放棄なんかしてませんよ、ただ住む世界が違うなって。女子高生ってすごいなあって」
「それはしてるって言うの!ほらりっぽうちゃんもなんか言ってあげて!」
「今のはほんの一部。トークのメインは砂糖君のこと」
「え、僕ですか」
女の子に話題にしてもらえるのは少しくすぐったい。
嬉しさ半分、具体的に何を話しているのか気になる気持ちが半分ある。
「砂糖君のこういうところが可愛いとか、話してるよ」
「わああああああああ!!違うから!最近頑張ってるなって思って少し話しただけだから!」
「ま、まだ僕は可愛い判定なんですか……」
実力はまだまだだし、守られてばっかりで力不足なのは重々承知だ。
けど裏でそういう話をされていたと聞くと、情けなく思わずにはいられない。
「そうじゃない!そうじゃないんだけどそうなんだよ!!」
意味が分からなくて首を傾げる僕と目を回す四角奈さん、湯気が出そうなくらい顔が赤くなっている。
「と、とにかく!ここにいると佐藤さんは他の追手に襲われるかもしれない!早く部室に行こう!!」
あからさまに話を逸らした。
指摘するのもどうかと思って、納得がいかないまま頷く。
空は一面の葉、四方はうねる樹木、下を向けば苔むした地面があって、どこを見ても緑の樹海。
日は傾いて、ただでさえ太陽が遮られているせいでかなり暗い。
目が景色に慣れて携帯のライトが要らなくなったころ、もう一歩進み、僕たちの部室が現れる。
目の前にあるのは何か所も倒壊して、人が住めるとは思えないボロ屋敷。
「本当に良かった?要求がこれだけで」
淡々と啄木鳥さんは疑問を話す。
「メイド部は部員三名の弱小だから、戦力増強の方が大事なのよ。別に従属させてるわけじゃないから、手伝うも無視するも同好会次第なんだけどね」
「私は手伝うよ。友達のため、だから」
僕の代わりに四角奈さんが応えて、二人は先を歩く。
和平の際、メイド部が暗殺同好会に要求したのはただ一つ『暗殺同好会所有の部室の共有』だった。
ふつう金銭や兵力、支配地域の譲渡、属部化等その部活が機能不全に陥るほどの条件が提示される。
そこから戦争部立ち合いで、双方折り合いをつけていくのだが、今回は異例のたった一つの頼み。しかも建物自体を渡すのではなく、支配権の共有という不可解なものである。
日乃実さんにどうしてそうしたのか聞くと、
「私らメイド部は敗戦であそこまで落ちたからね。奴らと同じステージに立ってまで拡充したいとは思わないよ!」
と、熱い答えが返ってきた。
かつての支配者、メイド部は現在三位のオークションクラブとの戦争で負けて、部員一名とあの秘密基地だけになった。
同じ目に遭わせたくない、というのは裏部活らしくなく、とても彼女らしい考えだと思う。
つまり現在、両部活は事実上の同盟関係だ。
次の戦争は前回のものより激しいものとなるだろう。
今度はどこかへ消えない啄木鳥さんと共に、取って付けたような玄関から部室に入る。
蛍光灯が点々と配置され、薄暗いながら空間を認識できる程度の証明は確保されている。
電気は引かれているのか。
踏み出す度に軋む廊下を歩いて、何か所も破れた障子を啄木鳥さんが開く。
そこはオセロで戦った狭い部屋ではなく、畳が遠くまで敷き詰められた、首を動かさないと全貌が視認できない程大きな部屋だ。
もともと宴会の場として使われていたらしい。
少し向こうでは暗殺同好会の会員たちが制服で、ポーカーやオセロで遊んでいる。
戦時中に見た冷徹な彼らはどこかに行ってしまったみたいに、学生らしい笑い声を上げていた。
十人余りがこんな広い場で思い思いに過ごすところを見ていると、なんとなく児童館を思い出す。
そんな中険しい顔をしている者が二名――日乃実さんと翡翠さんだ。
「なに、見てるの?」
「遅刻ですよ会長、これはですね……」
無表情な啄木鳥さんがその輪の中に入っていくのを見送り、僕はその場で上のブレザーを脱いだ。
通学鞄を畳の上に落とし、ファスナーを開けてメイド服を取り出す。
少し皺になったそれを手で伸ばしつつ床に置き、カッターシャツのボタンをぷちぷちと外して、制服を全て脱ぐ。
綺麗に畳んだそれを慎重に鞄にしまって、メイド服に手早く着替えた。
そろそろ入部から一か月が経つ。
始めは慣れなかった女性服だが、今は見ての通り手際が良い。
付け袖とホワイトブリム、アクセサリーを身に付けて、はいあっという間にメイドさん。
「なにしてるんですか?」皆が一堂に会する円に駆け寄り、割って入る。
一部始終を見ていた翡翠さんが顔を引きつらせ、僕を見た。
「貴様……その服に抵抗とかないのか」
「部活のコスチュームだと思えばなんともないです。もしかして着たいんですか?」
「ほざけ」
彼は手に持つ紙切れをひらひらと揺らした。
それは赤いシーリングスタンプの押された白の洋封筒、中身は既に取り出されているらしくフタが機敏に動いている。
「これは五月祭の招待状だ」
「五月祭……文化祭みたいなことですか?」
「間違いではない。オークションクラブ主催の完全招待生のオークション、それが五月祭だ。上位十組の裏部活のみ招待され、参加する部活はバイヤーかつセラー。競売に掛けられる商品のうち毎年三分の一くらいは裏部活出品らしい」
「普段の彼らが扱う品は、法律違反のオンパレード。人身売買、臓器売買、重火器、薬とかね。だけど五月祭だけは法律順守、とってもクリーン」
「へえ、なんだか楽しそうですね!」
「楽しいわけあるか。牽制し合ってる上位十組が一か所に集結するんだぞ。大体合法の商品の出品数が多いのも、それぞれの裏部活が権威を示す交流会という意味があってのことで、」
「うるさい」むっとした啄木鳥さんの肘打ちを胸に食らい、翡翠さんは唸りながらよろける。
「砂糖君が楽しそうって、言うんだから、楽しいんだよ」
「会長こいつに甘くないですか……?」
無表情に彼女は僕の頭を撫でる。
なんとかその手のひらから逃れようとするが、頭から上が動かない。
暗殺同好会は体の機能を一時的に失わせるツボのようなものを知り過ぎじゃないか。
「だって、私に勝ったし」
「そうだった。会長はそういう人だったよ」
腹をさすり、苦しそうながら啄木鳥さんを睨む。
「上位十組なんですね。直前に入れ替えの起こったここ二組はどういう扱いになるんですか?」
「ちゃんと二通届いてるよ……はあ、全くどんな顔してこれ送ってきたんだか」
険しい表情のまま溜息をつく日乃実さん、手には未開封の封筒が持たれている。
そうか、彼女にとってオークションクラブは天敵。こんなものを送られてくるのは複雑なんだろうな。
「わざわざ憎まれてる相手を招待するとは舐めた対応じゃないか!これを機に地位を揺るがし滅亡に追い詰めてやる!!」
違った、いつも通りだ。
復讐に燃える彼女の目は本気だ。少し心配したのが馬鹿らしくなる。
「でもなんで二通なんでしょうね。めんどくさかったのかな」
「それだけ杜撰だったらいいんだけどねえ。裏部活がバイヤーかつセラーっていう特殊な形式を取ってるからそうもいかないだけだよ。暗殺同好会は三月頭にセラー契約してる、その契約内容にバイヤーの椅子の確約が含まれるから送られてきたって感じ」
「詳しいですね」
「そりゃもう敵の情報は頭に詰められるだけ詰めるよ!ということで今から下見に行きます!ついでに色々と文句言ってやるんだっ!」
太陽のような笑顔でえげつないことを言う。
「下見?」疑問符を頭に浮かべる僕に四角奈さんが応えてくれた。
「オークションは事前に商品の下見が出来るの。ものによっては商品が全て掲載されたカタログがあるんだけど、五月祭は遠隔のオークションを禁止してるからないんだって」
「へえ、オークション行ったこと無いのでちょっとわくわくしますね」
「丸ちゃんはお留守番だよ」
「なんで!?」
衝撃を受ける僕に、呆れた表情で言う。
「だってこの招待状怪し過ぎるからね。道理は通るけど、『システム上出来ませんでしたー』って言い訳されても納得できる。彼らが求める何かがあるからわざわざ送ってきたんだろう」
彼女の視線は彼らが求める何か――僕に向いている。
「線先輩と話していたのはそのことだ。我々暗殺同好会もこれは罠だと考えている」
「けどねえ、罠だとしても旨みがあるんだよねえ、今後の活動を考えると社交の場に出るメリットは有り余る」
「だからお留守番。いい子に、待っててね」
まるで子供を諭すような口ぶりに納得以外の選択肢はない。
啄木鳥さんの頭を撫でる手から離れることのできないまま、叫ぶ。
「分かりました……けどなんかお土産くださいね!なにかしら競り落としてきてくださいね!」
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