第16話

「失礼します。試合は続行していただいて構いません」

 戦争部員の男子生徒はぴくりと耳を動かして、立ち上がり部屋を出てしまう。

 回り廊下の様子は仕切りとしてしか機能しない障子から丸見えで、彼が玄関口の方向へ歩いていくのも確認できた。

「なにかあったんですかね」

 盤上から目を離して、対面する啄木鳥さんに話しかける。

 彼女もまた戦争部員と同じような表情をしていた――あまり感情が表に出ない人だから僕の見間違いかもしれないけれど。

「さあ、私たちには関係のないこと」

 ワンテンポ遅れて彼女は言い、一手を指す。

「攫われたりしないから、安心安心」

 僅かに頬を緩めて、黄金の瞳を揺らす。

 「そうですね」言葉の意味が分からず生返事をして、盤を見る。

 もうほとんど埋まっている、残り数手で決着が着くだろう。



 尋常ではないスピードで森を駆ける黒い影。

 こなれた動きで彼らは黒々とした木々の合間を抜く。けれど衣服をかすめる枝や葉を破ることはなく、『ここを通った』という証拠は残さない。

 もうすぐボロ屋敷につく――「止まれ」鋭い翡翠の声で、十数名の黒装束の集団は木の上で止まる。

 屋敷の扉の前には制服に身を包む、メガネの男子生徒が後ろで手を組んで立っていた。

 忍者集団が止まっている地点から数百メートル先、樹木がパズルのように絡み合い視認性の低い中、双方互いの存在を視認していた。

 一人の影が地面に落ちる。

 戦争部の男子生徒は視線を地面に向けて、数秒かからず彼の目前に一人の暗殺者は現れた。

「私如き無視すればよかったのでは。この廃墟はそのためのものでしょう?」

 何か所も倒壊し、堅牢だったはずの屋敷は多くの方法で侵入が可能、さらに劣化が酷いせいで経路はここを根城とする暗殺同好会しか知らない。

 大真面目に扉を通る必要はないのだ。

「戦争部と戦争したいと思うやつはいねーよ。お前、俺らが無視したら難癖付けて戦争仕掛けてくるだろ」

「はて、なんのことやら」

 ずり落ちる眼鏡を押し上げて、男子生徒は腹黒く笑う。

「して、ご用件は。『戦争』の真っ最中ですので、あなた方に構っている時間は無いのです」

「そう固いこと言うなよ。うちの会長攫いたいだけだから」

「……おっしゃる意味が分からないのですが」

 『あの女装メイド部員が砂糖罰の弟だと言ってしまうか』ほんの数秒だけ考えて、頭を振って拒絶する。

 今の今まであいつが身分を隠していたのは何か秘密がある、その秘密の内容はともかく、秘匿方法に兄が絡んでいてもおかしくない。

 勘違いしている翡翠はブラックボックスを開くのを避けて、目の前の問題を鼻で笑う。

「分からないならいい。ともかくそこを通してくれないか」

「拒否します。戦争にはルールがありませんが、戦争部にはルールがある。ここであなたを通せば部長に大目玉を食らってしまう」

 溜息をつき、翡翠は腕を振る――何故か彼の手には三本の細いガラス製注射器が挟み込まれていた。

 僅かに視線を後方の部下に向ける『手を出すな』という意味。

「ナンバーツーは苦労するね、お互い」

「全くです」

 


 なんてことはない翡翠の自然な立ち姿。

 刹那、男子生徒の視界に突然三本の注射器の針が飛び込む。

 攻撃の予備動作なく投げられたそれは正確に彼の目玉を狙っていて――条件反射で蹴り飛ばす。割れて飛び散る液体、それは男子生徒にもかかる。視界の十パーセント程度が自分で埋められ、彼の足、死角から飛び出るように翡翠は肉薄、翡翠の手には注射器が握られていた。

 空いた片腕で足の裏が天を突くそれを万力のような力で握り、注射針を刺し込んだ!

「ぐっ……」

 男子生徒は僅かに表情を苦痛に歪ませて、タンと跳び上がる。滞空時間は一秒に満たない。注射針が深くふくらはぎに刺さるのも厭わず体を無理に捻り、勢いをつけ後ろ向きに踵で翡翠の頭に横蹴りを入れる。

 咄嗟のガード、注射器から手を離し直接の頭蓋へのダメージを防ぐ。けれど勢いを殺しきれず、数メートル吹き飛ばされて、体を樹木へ打ち付けた。

 背中には強烈な打撲の痛み、肺の空気が減って一瞬頭が真っ白になる。

 見上げ、立ち上がるより先に男子生徒のつま先が視界いっぱいに広がった。

 顔面に革靴で平行な一蹴。

 咄嗟に頭をずらして避け――翡翠の黒装束のフードに裂け目が出来る。横目に見ると木には一文字の斬撃の痕跡が「隠し刃か!」翡翠は叫びながら両手三本、計六本の注射器をダーツの要領で投げ、跳び退く。

 片足を上げる彼の革靴には刃渡り数センチの幅広のナイフが飛び出ている、ワンタッチで収納され、両足を地につける。

 ほんの一瞬。数メートルの距離、翡翠が作ったアドバンテージを潰すように鋭角に踏み込み肉薄する。しゃがみピンと伸ばした脚、男子生徒の視線は彼の指先から離れない。

 繰り出されたお手本のような足払いを跳ねて避け、宙に浮かぶ彼。足払いは急旋回し、腕だけで体を支え、ブレイクダンスにも似た勢い任せの蹴りをする。落下する翡翠の腹に向けられた、大砲のような一撃に足裏を合わせてむしろ踏み台に、落ちるだけの体は攻撃の勢いを生かし、太い枝に掴まるまでに至る。

 もう男子生徒の視界には翡翠はいない。

 海が逆さになったような生い茂る葉の青、陽光がぼんやりと差して――葉がきらりと光った。違う針だ、避ける間もなく右肩に刺さり、内容物が入る前に皮膚から抜き取る。

 視線を逸らした一瞬。

 風がそよぎ、薄くはあるが木の上にあったはずの気配が消える。

影はボロ屋敷の方向に進む。

「逃げるな!おいっ……おい、」

 冷静を失い叫ぶ男子生徒は勢いを消して、片膝をつく。

 全身に力が入らない、特に左ふくらはぎと右腕の感覚がなくなって、重くのしかかるような痺れが襲う。

「毒ですか……初撃を食らったのが間違いでした」

 意識を失う程ではない神経毒に視界が白く、何重にも歪ませながら歯ぎしりをする。

 この調子だと十分は動けないだろう。毒を受けた経験則から効力を目算し、無理に動くことを諦める。



「くそ……なんだあの蹴り……武闘派の眼鏡なんて聞いてないぞ」

 ボロ屋敷の周り廊下を歩き、背中をさすりながら意識して呼吸をする。

 この痛みは後を引く、翡翠は実体験を思い出しながら、穴だらけの障子の前に立つ。

 既に無理矢理啄木鳥を攫うだけの体力は無くなっており、思考は自然とどう説得するかに傾いていた。


 彼が開くより先に障子は開け放たれ、目の前には暗殺同好会啄木鳥りっぽうが立っている。

 彼女の表情は少しむすっとしていた――表情筋の死んでいるせいでその差は微々たるものだが。

「会長……勝負は……どうなりましたか」

 息切れを起こしながら訊く翡翠の声に応えず、体をずらして盤を見せる。

 オセロの盤には複雑に白と黒の石が六十四個並べられていて、目視で数えていく……。

 白が三十二個、黒が三十二個。

「引き分けですか」

 予想だにしなかった結末に脳の処理が追い付かず、瞬きの回数が増える。

「いえ、砂糖君の勝利。彼、引き分け勝ちを選んだから」

「引き分け、勝ち……?」

 盤の奥にはメイド服の少年、砂糖が正座している。

「ふっふっふっ……それはですね!」

 自信満々に彼は話し出す――


「引き分け勝ち?」

 銃気音鳴り響く携帯を持ちながら、日乃実さんの台詞を繰り返した。

「オセロは伏せ石っていう方法で先行と後攻を決めるんだよ。年長者ないしは上位者が石を伏せ、相手が白か黒かを当てる。この試合だと丸ちゃんが後輩だから当てる方ね」

 ふむ。

 一度飲み込んで、引き分け勝ちの説明に全くかかっておらず突っ込むと、話を聞けと言わんばかりの溜息が聞こえた。

「石の数で勝敗が決まるゲームだから必然、同数で決着が着かない場合がある。それがこのゲームの一つの面白さでもあるんだけど」

 彼女は間髪入れず言葉を続ける。

「さっき説明した伏せ石、あれに引き分け無し方式ってルールがある。石の表の面を当てると、先攻後攻の選択権、もしくは引き分けになったときの勝利権を選べるんだ!」

「そんなルールが。でもそれをどうしろって言うんですか」

「そりゃ狙うんだよ!その特殊勝利を」

 僕は少し考えて、言葉を選んだ。

「これは後攻有利のゲームですよね。なぜ勝利権の方を」

「いいかい丸ちゃん、君が思ってるより戦争はなんでもありだ。相対する会長が君を試合続行不可能にすることだってあるかもしれない、パーフェクトゲームしたところで向こうが暴力に訴えたなら勝ち目はない。でもね、引き分け勝ちならそんなこと起きないんだよ」

 彼女からは見えないながら首を傾げる。

「裏社会は面子をとにかく大事にする。上位者を圧倒して負かすなんてあっちゃならない、けど引き分け勝ちは見かけ上奇跡だ。運任せの結末に恥をかく奴はいない。君はこれから勝つより難しい、統計にして二万分の六百前後を引き当てる必要があるんだよ」

 理屈は分かる。

 啄木鳥さんを屈服させながら、暴力という手段に頼られる隙無く、勝つ意味は十分に理解した。

 表面では圧倒せず盤上を操る……そんなこと僕にできるのかだろうか。

 頭を振って、ネガティブな思考を押しとどめて、虚勢を張る。

 やるしかないんだ、と。

「分かりました……やってみます」

「健闘を期待してるよ、」

 そこで電話は物理的に切られた。


 ――という訳です!日乃実さんの言う通りにして良かったー!」

 勝利の美酒に酔う砂糖はいつもよりテンション高く、少し誇らしげに両手を天井に掲げる。

「はは、良かった」

 乾いた笑いを立てて、心底安心した翡翠はその場に倒れ伏す。

「ちょっと。会長が負けたのに、良かったってどういうこと」

 ぐりぐりと頭を踏みながら不満げな啄木鳥、「ふ、ふみまへん」頬を踵が当たり上手く発音が出来ない。

「会長はご存じでしたか」

「ん?なにが」

「彼のことです。砂糖丸はマフィア部部長の弟らしいですよ」

「「えっ」」

 二重に聞こえた声に頭だけを起こす。

 片方は啄木鳥、そしてもう一方は彼にとってあり得ない人物からの感嘆だった。

「ええっ!?それって兄さんって部長なの!?それも第一位のマフィア部ってどういうこと!!あの、それってどういうことですか!?」

「あばばばば揺らすな!揺らすなって!なんで弟のお前が驚いてるんだよ、兄貴のこと知らないなんてあるわけないだろ」

「知りませんよ。メイド部のみんなからもぼかされてましたし……というか、僕が瀟赦学園に来たのは連絡のつかない兄さんに会うためですから」

「じゃあまだお前は兄貴とは、」

「会えてません!パレスに住んでるそうなので、ランキング三位以内を目指しています」

 唖然とする翡翠。

 彼の中から驚きは次第に消えてゆき、ふつふつと怒りが沸き上がる。

 怒りの矛先はメイド部部長、線日乃実。

「騙しやがったなああああああああああああああああああああああ!!!!」

 


《戦争部簡易報告書》

 四月二十八日 昼休み

 戦争部立ち合いの元行われた圏外メイド部と第十位暗殺同好会の戦争はメイド部部員砂糖丸の活躍によりメイド部が勝利を収めた。

 したがって第十位にメイド部、圏外へ暗殺同好会を移動させる。

 両部活は既に和平を結んでおり、敗北した暗殺同好会はメイド部の要求を満たし終えた。

 

 水面下で行われた知略はあまりにむごいため、暗殺同好会副会長の名誉を尊重しここには書かない。

 どうしても知りたい場合は担当者に尋ねること(決して面白いから直接話したい訳ではない)。

 

 担当者 戦争部副部長


(ページ二枚に渡って、一行ずつ)

「あの鬼に家族がいたんですか。そうか、そうかそうかそうか……これは、使えますね」

「メイド部が十位、いやそれより丸がこの学校に?どうなってる」 

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