第15話

「思ったんだけどさ、やっぱりこの部室侵入され過ぎじゃない!?そんな単純な造りしてないはずなんだけど!」

「一度行き方が知られたら自由に行き来ができてしまいますからね。まあこのアナログも味ということにしておきましょう」

 日乃実と四角奈はオセロで遊んでいる。

 二人共メイド服を着て、部室の中央カーペットに座っていた。

「落ち着いてるんだな。やはり腐っても『古株』か」

 冷酷な男性の声。

 彼女らを取り囲むように黒装束の忍者三名は武器を構えている。

 日乃実は忍者たちを気にも留めずあくびをして、次の一手を指す。

「ま、そんな気はしてたからね。どうせ君たち以外にも会員が潜んでるんでしょ、凛子ちゃん一人に無理させるわけにはいかないよ」

 彼女の見透かしたような言い草に翡翠以外の会員はより警戒を強めた。

 対して翡翠は溜息をつき、臨戦態勢を解除した。

 口を覆う黒いマスクを外し、先ほどよりもずっと気楽な口調で問う。

「一つ聞いたいんだが。そこまで読めていたならなぜ線日乃実、貴様が行かなかった」

 勝負内容をオセロにしておいて、日乃実がボードゲームが得意なら、自ら使者に名乗り出ればよい。

 そうすれば今の身動きの取れない状態に陥ることはなかった。

 わざわざ無能な方の後輩を使者として向かわせる必要がない。

「彼は今後確実に役に立つ!私の目論見を達成するためにはまだ実力が足りない……これを機にレベルアップしてほしいんだよねー!可愛い子には旅をさせるし、獅子は我が子を千尋の谷に落とすもんなんだよ!!」

「それだけの為に敗北のペナルティを受けて、後輩を成長させると?随分悠長だな」

 戦争に決着がつくとランキングの入れ替えが起こる。

 そして敗北した部活には一か月の宣戦布告禁止と罰金がペナルティとしてつく。

 罰金の金額は戦争部仲介の元、勝利部活が提示する。一定期限以内に提示金額の二割が支払えなかった場合、部室の差し押さえが行われるのだ。

 「敗北?」日乃実は初めて少し圧のある声色に変わる。

「彼は負けないよ」

「はっ!うちの会長に勝てると?馬鹿げた妄想だな」

「妄想じゃないよ。私ほどじゃないけど彼はボードゲームが得意なんだ。実の兄に勝てるくらいには強いらしい」

 不可解な日乃実の言動に、笑いもせず翡翠は呆れていた。

 メイド部の二人は顔を見合わせてにやにやと笑っている、砂糖という苗字が何を意味しているのか知っているから。

 四角奈が最後の一手を指し、「参りました」と彼女は頭を下げる。

 盤には黒の石で綺麗な丸が描かれていた。

 唐突に日乃実の持つスマホの着信音が鳴り響く。

 液晶画面には『丸ちゃん』という表示があり、彼女はちらと翡翠の方見る。

「駄目だ。もし電話に出たら殺す」

「そっか、ごめんね」

 始め忍者たちはその言葉が啄木鳥との対決を強いられた後輩への謝罪かと思った。

 しかし次の言葉で、勘違いだったと知る。

「五分でいい。凛子ちゃん稼げる?」

 ヴィクトリア調のメイド服を身に纏った金髪の少女は丁寧な所作で立ち上がると、ロングスカートをたくし上げて、太ももに巻いたホルダーから二丁の短機関銃を構える。

「余裕です」






「戦争は収賄、禁じ手、裏切り、暗躍のなんでもありの戦い」

 啄木鳥さんは両手をだらんと下げたまま、何もさっきと変わらない体勢で話している。

 僕より少し身長の高いだけの女の子が出入り口に立っているだけ、なのに全く勝てるビジョンは見えてこない。

 押しのけ部室に向かって走るということがまるでできそうにない。

 刹那の時間で姿を消し、人を気絶させられる、まるで現実味の無い相手に僕はなにも出来ない。

「戦争部もそれを容認してる。『何をしてもいい』がルール、なんだよ」 

 黄金の沈む目には感情が見当たらない。

 啄木鳥さんは会長のスイッチをオンにして、恩情や容赦というものをすっかり捨てている。

 心を殺している。

「収賄も、禁じ手も、裏切りも、暗躍も、暗殺同好会の主戦場。君たちが勝つなんて、有り得ない」

 涼しい顔をして思考はどす黒い。

 つい最近裏社会なるものを認識した僕とはまるで次元が違う。

 暗殺の為に生まれ、暗殺の為に死ぬ、そんな化け物じみた気概が気配に混じっていた。

 

 どうしよう。

 どうしよう、どうしよう!

 早く来て日乃実さん!四角奈さん!このままだと不戦敗になっちゃうよ!

 時間稼ぎに頭に浮かぶ文字列を脳直で口に出した。

「僕たちは一般に言うオセロで勝負がしたいのではありません。メイドの心得のオセロです」

「なに言ってるの?」

 本当に何言ってるんだろう?

「オはお掃除、セは洗濯、ロは……ロ、ロールプレイ――つまりメイドらしく振舞うということです」

「そのオセロは一本先取で、公式ルールなんてあるの?」

「ないですね」

 呆れ調子で彼女は溜息をつく。

 こんな馬鹿馬鹿しい嘘で切り抜けられるはずがないよなあ。

 

 腕時計を見ると既に開戦から五分が経過している。

 彼女の言い分が正しければ、戦争部の審判がここに到着するまで残り五分程度。

 

 日乃実さんが囚われの身である以上、この戦争は開戦だけして火蓋が切られることはない。

 せめて部長と同等ではないにしても、オセロの得意な部員がこの場にいれば……。

「おや?」

 どうしてこんな簡単なことに気付けなかったのだろう。

 いるじゃないかメイド部員はここに一人。

 観客が板につき過ぎて、自分を頭数に入れることを忘れていた。

 百三十万の借金をして、パレスに住んでいるらしい兄に会うために入部した生徒。

 くつくつと笑いを零しながら、目に生気を灯す。


 勝機はここにある。

 チンピラを負かす腕っぷしがなければ、言い負かす口の上手さもないけれど、ボードゲームには多少自信があるんだ。

 僕はもうお荷物にはならない。


 考えろ。

 普通に戦ったところで勝てる見込みは少ない。

 審判が到着する五分のリミット、その時間で実力を上げなければ。

 

 戦争はメイド部のこれからの足掛かりだ、そして僕の目的達成の最低条件でもある。

 黒く淀んだ思考の中から、必死に勝機を探して――ポケットに手を突っ込む。

 そこには固い感触が、携帯が入っている。

 電話帳にはつい最近不便だからと半ば強制で登録されたメイド部二人の番号があった。

「電話、いいですか」

「うん。でも条件がある」

 彼女はだらんと下げた片腕、指先をこちらに向けた。

「誰に電話してもいいよ。けど君が負けたら、うちの部活に来ること」

「っ!…………」

「いま、人手不足だから、君みたいな人が欲しかったし。砂糖君みたいな、才能のない人」

 啄木鳥さんの感情はその瞬間だけ、息を吹き返す。

 にやりとジト目を細く、口角を嬉しそうに歪ませる。

 それが煽りなのか、純粋な本心なのかを精査する気力はない。

 ただ自己嫌悪に織り交ぜて受け止めた。


 ここからは僕の悪足掻きだ。

 たった五分で戦況をひっくり返すための一手。

 

 物事にはセオリーというものがある。

 零和有限確定完全情報ゲームと呼ばれるオセロには、決まりきった最善手、絶対に指してはならない悪手というものがある。

 僕はオセロをただのボードゲームとしてしか遊んだことはないけれど、囲碁将棋部に対戦相手として召集されるくらいの確かな実力を持つ人を一人知っている。

 本当なら、彼女が戦うはずだったのにな。

 僕は迷わず、『日乃実先輩』の表示から電話をかけた。

「やあやあ!丸ちゃん!頼ってくれると信じてたよ!えらいことになってるねえ!?」

 いつになくテンションの高く、声の大きな日乃実さん。

 と、ノイズで聞こえる銃撃音――彼女の声が大きいのはそれにかき消されないためだと察する。

「あの気のせいでなければ、銃撃戦そっちで起こってますか?」

「まあねえー!忍者が攻め込んできたから凛子ちゃんに戦ってもらってるとこ。それで、丸ちゃんはなにを聞くために電話をしたの?」

 分かった口ぶりで、素知らぬ顔をしている。

 まるで僕からその言葉を聞き出したいかのような。

「勝ちたいんです。もう守られてばかりは嫌だ。だからオセロについて教えてください」

 携帯の向こうからは彼女の快活な笑い声が聞こえる。

「いいよ!タイムリミットギリギリまで、勝ち方ってやつを教えてあげる!」

 絶え間ない銃撃音と、家具や建物自体が倒壊するようなノイズ混じりの激しい音、現場にいないことがいたたまれなくなるくらい電話口での戦場は苛烈だ。

 男性の怒号「させるな!」、回転式拳銃の発砲音がすぐそばに聞こえた。

 耳が痛くなるほど大きな音。

「大丈夫ですか!?」

 「うん?」日乃実さんは思考するような間を空けて、

「ああこいつは私の相棒の音だよ。どうやら凛子ちゃんだけじゃ間に合わないよーだ」

 銃を乱暴に叩いているのか鈍く分厚い音がする。

「いいから早く勝ち方とやらを話してくださいっ!」

 薄く聞こえた四角奈さんの投げやりな声に、彼女は軽く笑った。

 

「オセロのセオリーは最初は負けること」

「負ける?」

「反応がよいのはよろしいけど、君の隣には会長様がいるでしょ!ここからはしーっだよしーっ!」

 思わず携帯を持っていない方の手で口を塞ぎ、視線は啄木鳥さんの方へと向く。

 彼女は見られた意図が分かっていないように首を傾げ、苦笑いで誤魔化した。

「序盤は石をあまり返さない、そして中心付近で指すことを意識する。あと終盤にかけてドンドン攻める、以上!」

「それだけですか!?」

 ついうっかり口から反応をこぼし、受話器の向こうでは「耐え症がないなあ」と笑っている。

「もっと定石とか戦術とか知りたいんですけど、心意気だけでどうしろと?」

 啄木鳥さんに背を向けて、小声で文句を垂れる。

「あと約二分で説明しきれるはずないでしょ?むしろ無数にある定石の一つや二つを知ったら、無理矢理その方向に引っ張ろうとして逆効果だよ!のびのびと指した方がよっぽど勝算がある」

「それは……そうかもしれませんが」

 悔しさと不安が一気に押し寄せてくる。

「大丈夫だよ、君の強さは三度戦った私が保証する」

「全試合手のひらの上でしたけど」

「あともう一つ。豆知識、オセロには少し特殊なルールがあってね」

 日乃実さんはそのルールを説明し、唯一の勝ち筋を話した。

 「そんなことできるはずない」否定的な言葉をぐっとこらえて、虚勢を張った。

「分かりました……やってみます」

「健闘を期待してるよ、」

 言い終わるかどうか、その瞬間。

 酷い風切り音に地面へと叩きつけられるノイズが走る。

「先輩!?」

 マイクがこもるような丸く聞き取れない音がして、一撃――激しい破壊音が届き、通話が切れてしまった。


「失礼します」

 携帯を耳元に置いたまま呆然とする僕と、どこかから取り出したナイフを暇潰しに指先で操る啄木鳥さんのもとに事務的な声が響く。

 障子には男性のようなシルエットが浮かび上がっていた――障子紙がほとんど破れ、木枠は折れているからそのシルエットはほとんど実像をもって見えている。

 ブレザーの制服、メガネをかけた真面目そうな立ち姿からは到底野蛮な裏部活のイメージは沸かない。

 きっちり整えられた金髪に、眼鏡の奥に覗かれる碧眼。

 彼の手には折り畳み式のオセロ版が持たれていた。

「戦争部員です。今回は公式ルールに則り、審判をさせていただきます」

 畳のへりを踏まずに部屋の中に入ると、粛々と丁度二人の中心に盤を置く。

「では、よろしくお願いいたします」

 

 

 高速で飛ばされたクナイは正確に日乃実の首を狙って――瞬時に構えた携帯、通話中のそれに刺さり貫く。

 勢いを殺しきれず、腕を投げるように携帯は手放される。それは数メートル先に放物線を描き落下する、見下げる翡翠、足元に転がってきた死にかけの携帯を容赦なく踏みつぶした。

「あーあ、修理費は出してくれるんだよね?」

「腑抜けたことを」

 メイド部に一本取られたのが頭にきている彼は、キッと日乃実を睨む。

 熱い視線を無視して、弾の無くなった短機関銃を鈍器として振り回す彼女を手で招く。

 両手に持つ鉄の塊を相手取っていた二人の忍者の腹部に投げ、日乃実の立つ付近へと跳び退いた。

 片方の忍者は受け止めきれずもろに食らい、片方は短刀ではじく。

「結局三分弱だったね。口ほどにもないなあ凛子ちゃんは」

「部長の自衛を含めた計算でしたので。暢気すぎますよ」

「そう?」

「彼、本当に勝てるんですか」

 四角奈は心にあった不安を吐露する。

 『勝てるか』という問いではあるものの、本心は彼に致命的な傷をつけないかという気持ちから来るもの。

 信用はしているが、不安なのだ。

 そんな彼女をふっと笑い、日乃実は声を張り上げる。

 まるで戦闘していた忍者たち、そしてまだどこかで控えているだろう仮想敵に向けての言葉にも聞こえた。

「あれは私には遠く及ばないけど、プロの制度があれば間違いなく食べていけるだけの実力があるよ!!」


「マフィア部部長、砂糖罰の弟が夜盗組の末裔如きに負けるはずがないでしょう!?」


 ビリビリと肌が震えるような緊張感が弾痕残るこの部屋に走り抜けていって、忍者たちは握っていた暗器をこぼす。

 威圧感のある静寂は一瞬にしてここを戦場から部室へと引き戻し、既に彼らの意識はここから離れて、おそらくもう始まっている『戦争』に向いていた。

「今、なんて言ったんだ……あいつが弟?」

 翡翠の声は震え、目が泳いでいる。

 それは砂糖罰の恐ろしさを知っているから。

 親族というフィルターがあっても、彼の恐ろしさは、影響力は拭い切れない。

 

 目を付けられる理由になるからと名前を呼ぶことさえ憚られる、裏部活ランキング第一位の長、もとい瀟赦学園の現支配者。

 調べは付いている、彼がこの学園に一般入試で合格したことも、一般人として生まれて、生活していたことも。

 だが瀟赦学園に入学した瞬間、彼は才能を開花させた。

 人を殺す、人を脅す、人を貶める、人を疑う、人を騙す、人を陥れる、人を征する、人を使う、人を食らう、人を消す――日常生活では何の役にも立たないマフィアとしての才能。

 名前通り彼は『罰するてんさい』だった。


 太く開かれた瞳孔、頬に汗が垂れて、翡翠は声を出せずにいる。

 彼は「この時点で詰んでいる」と勘違いしていた。

 かの有名な天才は元々一般人だった、ならば経験や環境が彼をそうさせたのではない個人の才能の問題――つまり血だ。

 裏社会には利権や親類縁者の汚い話が日常的に上がり、血統が重視される常識が意識に敷かれている。

 才能の話も例に漏れず血の問題とする場合が多く、翡翠は罰と同じく丸もその才能を持っているだろうと自然に考えてしまっていた。

 兄を凌ぐ技術をボードゲームで発揮する弟に啄木鳥は勝てるはずがない。

 

 しかし仮にも啄木鳥が勝ってしまったら?

 砂糖罰の弟を負かせば確実にひんしゅくを買う。

 彼に嫌われた部活がどうなったのかなど、挙げ連ねていけばキリがない。


 勝っても負けても、暗殺同好会の明日はない。

 ここで導き出される結論は――

「お、お前ら!すぐに部室に戻るぞ!会長を攫う!!」

 勝つよりも負ける方がマシ、だ。

 頭を抱えながら汗をだらだらと流す彼は暴言の勢いで叫ぶ。

 一瞬その迫力に会員たちは気圧されるも、短く頷いて一つしかない出入口へと消えてゆく。

 周囲に複数あった気配も彼の一声に続いて、どんどんなくなった。


「どうして彼は自分の会長を攫うと言ったんでしょう?」

「この場合、不戦敗が一番丸くて確実だからかなあ」

「つまり負けたいと」

「私たちに負けたところでオセロ勝負なら面子は保たれる。それより勝って砂糖罰を敵に回すのを恐れたんだよ」

「なるほど……でも砂糖さん、ここに来てお兄さんに会ってすらないですよね。敵になりそうもないんですが」

 日乃実は悪い笑顔を浮かべた。

「あっちゃー!わたしったら丸ちゃんが探してるの忘れてたー!!説明し忘れちゃったー!!」

「ああ、はい、物忘れは誰にでもよくあることですね」

 四角奈引き気味にそう言って、会話を終わらせる。

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