第14話
手を引かれて歩くこと五分か十分、僕は針葉樹が生い茂る光の少ない森の中を歩いていた。
後ろを振り返ると入り組んで生える木々のせいで、元々いた校舎なんて見えない。
木の幹から根本の大地に至るまで苔が一面に伸び、足を滑らせないように細心の注意を払う。
まるで樹海の中にいるみたいだ。
「あの、部室ってこんな辺鄙な場所にあるんですか」
「毎日来てたら、慣れるよ。それまでは、私が引率するから」
まるでもう入部が確定したような口ぶりだ。
こんな場所が学園内にあったという驚きと暗殺同好会がこんな場所に居を構えているという驚き、その二つが重なって自分の中に緊張が走る。
「見えたよ」
「へ?いやなにもないですけど」
いきなり立ち止まった啄木鳥さんは手を繋いだまま、片方の手で正面を指差す。
そこは周囲と同じく、等間隔に立つ黒々とした森林が続くだけで建物らしいものは見られない。
首を傾げる彼女は、はっとしたような顔をして、僕の体を引いた。
軽く手が引かれただけで僕は抗えずに数歩前に歩いてしまう。
「見て」
「こ、これは!」
よろけた調子を立て直して前方へ視界を起こす。
そこには日本家屋があった。
家屋と言っても半壊したそれは廃墟と言って差支えない大きなボロ屋敷である。
敷地内を囲む塀の半分は押し倒され、本来庭だった場所には雑草と苔が敷き詰められていた。
池は枯れ、倉庫らしき建物は半壊、御殿は他より損壊具合が低いものの一部屋根が潰れて瓦が数えきれないくらい砕けている。
さっきまで何もなかった場所には前触れなくボロ屋敷が現れたのだ。
「驚いた?」
「驚きますよ、なにがどうなってるんですか」
「暗殺同好会は溶け込むのが得意だから。頑張って隠した」
にしても限度がある。
近づかないとその姿すら認識できないなんて忍者屋敷もいいところだ。
これが部室、なんて大きさだろう。
ワンルームのメイド部とは全く違う、十位とは言えランキングに載るだけの力を持っているということが如実に表れていた。。
緊張は冷めてしまい、驚きだけが体の中に充満する。
目を輝かせる僕に軽く笑って「行こうか」と啄木鳥さんは手を繋いだまま道を案内した。
「そこ踏むと、火炎放射器出るよ」
「あっぶない!先に言ってください!」
「それ避けないと落とし穴」
「ひいいいい!?せ、セーフ……」
「いちいち避けるの面倒だね。ここから先は壊しとくね」
ガシャーン。
目にも止まらぬスピードで投げられた刃物は正確に灯篭を貫き、黒煙がもくもくと沸き立ち、軽い爆発を起こす。
「これでいいよ。後で後輩が直すから、気にしないで」
「はは、分かりました」
後輩さん僕のせいで罠壊れてごめんね!
口には出さず、心の中で叫ぶ。
手はまだ握られていた。
冷たい汗一つかかない、けれど柔らかくて優しい細く伸びる指先。
軽く握り返すと彼女は首を傾げる。
「じゃあ、先に上がってて。私はみんなに新入部員連れてきたこと、伝えるから」
啄木鳥さんはボロ屋敷の前で僕の手を離した。
瞬きの間にふっと気配は消えて、辺りを見回してもそれらしい人影はすっかり見失っていた。
「先輩?」
声に返事はない。
仕方なく、言われた通りに屋敷の中に入る。
ひしゃげたすりガラスの扉を横目に広い土間に踏み込み、土足のまま式台を踏んだ。
玄関前の狸の置物を無視して回り廊下を歩く。
土埃とハウスダストが並ぶ家具にびったりと降り積もり、畳の間からは草の目がいくつか見える。
ワックスの剥がれた廊下も畳も障子も手入れされていないせいか、腐敗と風化がかなり進んでいた。
割れた窓の奥には倒れた塀と樹海が見える。
ここが部室だと僕はまだ信じれないでいた。
「動くな」
硬直と緊張。
背後からの声、気付いたときにはもう遅かった。
首元にはナイフ、視界には黒い袖と別に筋肉質ではない手。
ナイフ――正しくは刃が短く、細く、人を脅すには不向きな刀子である。
『動くな』という言葉には人間のどこまでの挙動を禁止しているのかが分からなくて、悲鳴すら押し殺す。
背後から人の気配がした。
とても薄く、脆い気配。声が掛けられなければ、僕はその刀子が喉に突き立てられていることすら気付かなかっただろう。
息遣いも衣擦れの音すら聞こえない。
啄木鳥さんの『暗殺同好会は溶け込むのが得意』という言葉を思い出し、己の思慮の浅さを痛感する。
どうしてこうなった!
彼女をはなから信じたのが間違い。メイド部が暗殺同好会に戦争を仕掛けるという話がどこかから漏れて、僕はまんまと騙されたのか。
そりゃそうだ、こんなメイド服着た怪しげな生徒をやすやす部室に誘い込むわけがない。
好都合と考えたのが間違い。
ごくごく自然に命の危機に瀕し、当たり前のように僕は詰んだ。
殺されるのだろうか。
死ぬのは嫌だ。
絶対に嫌だ!
ぎゅっと目を瞑り、なにか奇跡が起こることを期待した。
例えば僕は騙されていなくて、先走った会員が暗殺しようとしただけ、みたいな奇跡が。
ぽん、と。
頭が触れられた感覚がして、恐る恐る目を開く。
「もう、いいよ」
目の前には啄木鳥さんが至近距離に立っていた。
気だるげな目元を少し細めて、ごく自然な動きで抱きしめ、薄い胸と柔らかい体躯を押し付ける。
冷たい体温、感じる鼓動は一定で呼吸の音も僅かにしか聞こえない。
彼女は余らせた身長で包むように僕の頭に頬を触れさせる。
「な、なにしてるんですか!?」
「大丈夫、大丈夫。けが、してないね」
慈しむような大事に扱われるそれを無理に振り払うことはできず、というか何故か体が動かない。
強い力がかかっているわけではないのに、変な力学のせいで指先一つすら動けない。
彼女の暗殺技術のせいだ。
顔が真っ赤に染め上がっていくの感じながら、離してくれたのは一分か二分後だった。
体感では十分くらいハグされ続けたような気がしたけれど、腕時計ではその限りでない。
体にはまだ啄木鳥さんの柔らかさと引き延ばしたような筋肉の感覚が残る。
「さっきの暗殺同好会の人は」
ちょいちょいと後ろを指差して、振り返る。
「ひっ」
短く声を上げる。そこには忍者のような黒装束を身に纏う人がぐったり気絶して床に転がっていた。
手に握られていたはずの刀子は屋敷の柱に刺さり、彼の手のひらには持ち手の形であざができている。
「新入部員を殺そうとするなんて、いけないよね」
僕が目を瞑ったのは数秒に満たない。
たったそれだけの時間で彼女は人を気絶させられるというのか。
倒れる男性は啄木鳥さんよりもがっしりした体格だ、それなのに。
見つめられた彼女は小首を傾げて、両手をハグ待ちで広げる。
「そういうつもりじゃないです」
「そっか」
寂しげに両手をぐーぱーして、元の場所に落ち着かせた。
すぐそばの破れた障子を彼女は開き、僕もそれに続く。
その部屋は腐敗や風化の進行度が他より低く、畳に腐っている部分はない。
飾り棚には壺と掛け軸があり、どこかから繋がっているらしい電気で部屋は和風のペンダントライトで明かりが確保されている。
六畳の部屋には三人の忍者が待ち受けていた。
廊下で気絶していた人と同じような、全身黒ずくめの会員らしき者たち。
「に、忍者だ……」
「暗殺と言えば、忍者だから」
「答えになってないです」
つまりこの部屋には今忍者三人、忍者より強い少女一人、メイド一人がいることになる。
なんだか緊張感がないなあ。
「かっ、会長!どういうおつもりですか!?」
中肉中背で男性の忍者が僕たちの入室に激しい怒りを見せる。
会長?誰のことだろう。
目の前の男性以外の二人、どちらが反応するのか待っていると、
「言ったでしょ。新入部員、確保してきた。いい子だよ」
僕の頭を撫でながら啄木鳥さんが応えた。
「えっ」
この人が会長。
気だるげな一定の表情でジト目のこの少女が、これから戦争する親玉。
「ほら、急に翡翠君が叫ぶから、砂糖君驚いちゃったよ」
「いや声に驚いたんではないです」
「そっか。安心」
僕を小動物か何かと勘違いしてないかこの人。
「先輩って暗殺同好会の会長だったんですか?」
「うん。この部活で、一番偉いよ」
「でも二年生ですよね。三年生がふつう部長になるのでは」
啄木鳥さんが口を開くより先に、翡翠と呼ばれた忍者が話す。
「会長は前会長を討ち取りその席につかれた。強者が長となるのは当然だろう」
「討ち取るっていうのは……」
「文字通りの意味だ、暗殺されたのだよ。だがそんなことは今はどうでもいい」
人ひとりが死んでいるのに、それも内部のいざこざで殺されたのに、彼はそれを”どうでもいい”と吐き捨てる。
価値観の違いなんてものではない、全くの異種族が目の前にいる。
殺した啄木鳥さんも例外ではない。
恐怖が体の自由を縛り、口の中を水分を一気に失わせた。
怒りに震える翡翠さんは現会長――隣の気だるげな少女に向けて指を差し叫ぶ。
「問題はその現会長がメイド部からの使者を堂々と招き入れていることです!なにしてるんですか!?」
「メイド部?誰が?」
「あなたの隣の少女ですよ!」
「彼は男の子だよ」
「えっ、うそ……そうなの?ごめんねなんか」
「気を遣わないでください!諸事情あってメイド服着てるだけなので!!本意ではないので!!」
出鼻をくじかれた忍者は咳払いをして、言い直す。
「あなたの隣の少年がメイド部の使者!今日の戦争相手なんですよ!」
「そんな、部活入ってないって、言ってたのに」
「すみません。裏部活に入ってるって正面切って告白するの怖いじゃないですか」
「それもそうだね、ゆるす。宣戦布告の仕方、わかる?」
「分かりません」
「な、なんだこの緩い宣戦布告は……こんなので開戦していいのか?」
翡翠さんが疲れた顔でこちらを見ている。
啄木鳥さんに諸々のやり方を教えて貰い、カンペを見ながら定型文を読む。
「我々メイド部は暗殺同好会に対して戦争を行うことを宣言します。スポーツマンシップに則り、比較的死者数を少なく、資源を浪費せず、短期決着させることをここに誓います……ってこれ本当にみんなやってるんですか!?」
「やってるやってる」
言い終わるのと同時。
まるでどこかから見ていたかのように、啄木鳥さんの携帯に着信が入った。
「ちょっとごめんね」短く言って、彼女は耳に携帯を当てて、何度も頷く。
一分に満たない通話時間。
電話が切れたらしく携帯をしまいながら彼女は告げる。
「戦争の内容はオセロ。一本先取。ルールは公式に準じるって」
どこからの通話なんだろう。
「あれは戦争部からの戦争内容の開示だ。宣戦布告された側は向こうさんからの通達で内容を知るんだよ」
「なるほど……」
オセロなら勝てるかもしれない。
日乃実さんはありえないほど強いし、物理的な戦いでなければ勝機の目はある。
期待を膨らませる僕を横目に、啄木鳥さんは軽く笑う。
「じゃあみんな部室押さえてね。審判が来るのは十分後くらいだろうから、絶対逃がさないように」
「何人残しますか」
「私一人で十分」
「しかし、」
感情の無い啄木鳥さんの黄金の目が揺れる。
「しかし、なに?」
「いえなんでもありません。お前たち行くぞ」
「「はっ」」
やっと他の忍者二人も話したかと思えば、跳び上がり屋根裏へと消える。
部屋には僕と啄木鳥さんだけ。
『部室を押さえる』『逃がさない』の意味が分からないまま、使者としての役目は終えたと思い、部屋を出ようとした。
破れて壊れた障子と襖、この部屋の外への通路に彼女は立ち塞がる。
その瞬間、言葉の意味が分かった。
冷や汗と脂汗が混じって、表情は痛くないのに苦痛に歪む。
「そんなことしていいんですか」
「殺さないから、安心安心」
ジト目を細く閉じて彼女は妖艶に微笑む。
僕は啄木鳥さんにどうやっても勝てない、だからこの部屋からは出られない。
メイド部のみんなを助けられない。
彼らはメイド部部員を部室に閉じ込め、戦争を不戦勝にしようとしている。
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