第6話

 ぼんやりとした暖色の灯りだけを頼りに一歩一歩、ゆっくりと下る。

 本当にこんなところに部室があるのかな。

 不安になりつつ階段を一段ずつ踏みつけていくと、急な浮遊感、想像しているより早く足が床に着いた。

 通路だ。

 ぼろぼろのレッドカーペットが敷かれ、通路の側面にはいくつか個室が見える。

 壁掛けの燭台ではもうほとんど残っていないろうそくがめらめらと燃えていた。

 ギイィと家鳴りがして短く悲鳴を上げる。

 なんだか幽霊でも出てきそうな雰囲気だ、早く置いて帰ろう。


「いい加減にしろよ!!」


 男性の怒鳴り声がして、体が硬直する。

 それが自分に向けてではないことに数秒要して、声の方へ怖いもの見たさで向かった。

 廊下の端、階段から下ってきて正面に見える扉。

 木造の古い扉を薄く開き、中の様子を確認する。


「四角奈凛子を出せっつってるんだよお嬢ちゃん。居場所知らないわけないよね、今すぐ呼び出せ」

「凛子ちゃんは教室にいるよ!1-B、あの騒ぎを知らない訳じゃないでしょ?」

「だから呼び出せって言ってるんだろうが!そんなに一般人巻き込みたいんか、ええ?」


 あ、あの顔は!

 四角奈の名前を出して明らかに苛ついている男、長身で目の下にはクマがある、昨日スーパーで見た奴に違いない。

 その隣には熊のような体格の男。二人共顔面に包帯を巻き、何故かスーツに身を包んでいる。

 二人だけではない。

 ずっと多くの人間を従えて、中心にいる人を逃がさないよう取り囲んでいる。


「リンチしようとしてる弱虫に凛子ちゃんは差し出せないなあ!」


 かなり若い、というより幼い声。

 中心にいたのはメイド服の幼女だった。

 丈も裾も余るクラシカルなメイド服を身に纏い、頭にはヘッドドレス。

 装飾の多いエプロンを身に付け、四角奈さんのそれとはだいぶ趣が違う可愛らしい装いをしている。

 茶色の耳が隠れるくらいのショートで、燦然と輝く太陽のような橙色の瞳。

 取り囲む彼らに動じず、外見からきっと元気な女の子なのだろうと思う。

 

 小さなメイドさんは周囲の男たちに目もくれず、目の前の盤に集中していた。

 彼女は一人でオセロをしている。

 時折考えるような素振りをして、石を置く。


「呑気に遊んでんじゃねえぞ!」

 

 集団の中の一人が痺れを切らし、盤を蹴飛ばし、白と黒の石が無残に散ってゆく。

 女の子は少し残念そうな顔をして、手に持つ一枚の石をカーペットの上に落とした。

 顔を上げた彼女はきょろきょろと男たちの顔を見て、溜息をつく――そして、

「あ!」

「やばい」

 うっすらと開いた扉の奥にいる僕と目が合ってしまう。

 太陽のような瞳はよりいっそう輝いて、スーツの集団をすり抜け扉に駆け寄った。

「おい!逃げんな!!」

「逃げてなんかないよ!君たちよりも新入部員の方が大事なだけ」

 叫ぶ一人に鼻を鳴らし、女の子は扉を大きく開いた。

 扉にかけていた体重は空中に離されて、部屋の中のカーペットの端に片手をつく。もう片手には白いエプロン。

 顔を下に向けたまま、脂汗が額をつたってウールの生地に染み込んでいった。

 なにやってるのこの子はー……!

 スーツの男たちはざわざわしだし、その中の一人が「あれ、お前は確か」と呟くのが明確に聞こえる。

 

「私は線日乃実!メイド部員の一人だよ、といっても今部員は二人だけだけど……」

 日乃実と名乗った少女は満面の笑みで僕に手を差し伸べる。

 こうなってしまったら腹をくくるしかない、手汗が滲んでいくのを感じながら顔を上げた。

 僕の顔を見て、スーツの二人が驚いているのを視界の端でとらえる。

 気にしないふりをして日乃実さんの言葉に耳を傾けた。

「君がメイド部に体験入部しに来たって生徒だね!凛子ちゃんから話は聞いてるよ」

「四角奈さんそんなこと言ってたんですか」

「あれ、違うの?」

「違います!それに僕は男ですし」

 そう言った次の瞬間には体をぺたぺたと触ってきた。

「な、なんですか」

 疑問に日乃実さんは答えない。

 訝しげだった表情は一転、納得しているが不思議そうなものに変わる。

「すごい……男の人なのに女の子みたい!」

「あの、コンプレックスなのであんまりふれないでもらえますか」

「ごめんね。でも残念、男の人じゃなかったらメイド部に大歓迎なのに。いや、君ならいいかも……?」

「やめてください本当に」

 日乃実さんは両手を上げて、誤魔化すように笑う。

 もういっそばっさり髪を切ってしまおうかな。


「おいてめえ、あのときスーパーにいたよな。四角奈凛子と仲良いんだろ?ちょっと呼び出せや」

 熊がスーツの男たちを押しのけ、こちらに歩み寄る。

「ひっ」

 短く悲鳴を上げる僕に幼女は割って入る。

 その背中にはやけに安心感があった。

「なんのつもりだ」

「一般人は巻き込まない、じゃなかったのかな?」

 余裕ある発言に熊は青筋を立てて、自分の胸元に手を入れた。

「そいつも関係者なんだよ。どいつもこいつも舐めやがって……さっさと言う通りにしねえとこいつでドタマぶち抜くぞごらあぁ!!」

 彼が唾をまき散らし、乱暴に取り出したのは自動拳銃。

 お祭りのくじで見る安っぽいプラモデルなどではなく、黒光りした重厚感のあるそれ。

 本物だと。

 そんなもの初めて見るのに直感してしまう。

 人殺しの道具を僕たちは突きつけられている。

「はあ……はあっ……」

 呼吸が浅くなり、動揺でまともに話すことができない。

 日乃実さんが目線だけこちらによこして、軽く笑った。

 「あんなの脅しにすらならない」という余裕のある笑み。

 

「へえ、トカレフね。見たところ少し使われた形跡がある……君たちはマフィア部だろ!」

「そうだ!俺たちはマフィア部部員、裏ランキング第一位のな。一位ともなると資源が潤沢でなあ、俺だけじゃねえ、こいつら全員拳銃装備だ。この人数差、お前ひとりで乗り切れるか?そんなわけねえよなあ?ちょっと頭使えば分かることだ、その年でひき肉にはなりたくねえよなあ?」

 慢心に慢心を重ねた下種な台詞。

 後ろに控えた連中も形の違う自動拳銃、回転式拳銃を構える。

 たった一人で捌き切れるとも思えない、勝ち目のない勝負――なのに日乃実さんは興味深そうに「やっぱりそうだ」と呟く。

「そんなことどうでもいいよ!私は君たちを心配しているんだ」

「はあ?」

 銃を突きつけたままの熊が声を上げ、全員吹き出したように笑い出す。

 人を馬鹿にした声色に日乃実さんは顔色一つ変えず、話を続ける。

「君たちマフィア部から売られたんだ。売られたっていうより内々に処理したいって感じかなあ?」

「ふざけるのも大概にしろよ」

 熊は突きつけた拳銃を日乃実さんの額にくっつける。

「ちょっお前!」

「ああ?てめえからふっとばされたいか」

「話はまだ始まったばかりだよ。二人共静粛に」

 拳銃を振り払いもせず、彼女は落ち着いた口ぶりである。

 こんなに小さいのに僕よりずっと強い。

「まず君たち下っ端の持つ銃は全て中古だ。ざっくり言えば一度抗争等で用いられたことのある足のついた武器だね!」

「は?」

「見ればわかるんだよ、マフィアという部活柄そんな武器を用いることはほぼない。例えばヘマした部下を消すための分かりやすい証拠を残すためとか、それ以外には!」

「お前はなにを言って、」

「君たちはどうやって集まったのかな?多分誰かにそそのかされて、召集されたんじゃないかな?その誰かはきっと『君の要望を叶えるために頭数を用意したー』とか言ってただろう。部のメンツをさっそく潰した調子に乗った君たちをこうして排除するために!」

 熊は黙っている。

 冷や汗をかいて、何も言えなくなっている。

「君たちがその引き金を引けば、マフィア部とメイド部の戦争は免れないよ!間違いなくマフィア部が勝つだろう。けど格下相手に喧嘩ふっかけた君たちがどういう処遇を受けるかは……想像に難くないよね!」

 日乃実さんは笑顔を絶やさず、元気に彼らを脅す。

 熊は彼女の額に突きつけた銃を離し、日乃実さんの横を通り過ぎ上階へと戻っていく。

 それに続いて取り巻きも武器を下げて、足早に立ち去る。

 彼らの顔は青ざめていたような気がした。

 唐突に部屋に静寂が訪れて、散らばるオセロの石に目がいった。

 いつの間にか日乃実さんは僕から離れて、部屋の端に転がる石の一つを拾っている。

「僕も拾います」

 しゃがんで足元にある石を拾い、あらぬ方向に行ってしまった盤を広げた。

「……もういったかな?」

「な、なにがですか」

「チンピラたちだよ。もう声が聞こえないくらい遠くにいっちゃったかな?」

 扉の方向へ振り返り、薄暗い奥を覗いてみる。

 僅かに家鳴りがするだけで、人の気配は全くなくなっていた。

「いったと思いますけ、うわっ!?」

 胸に日乃実さんがふわりと飛び込んできて、お日様のような匂いが広がる。

 柔らかい生地の奥、女の子の温かい体温と軽い体重――いきなり飛び込んできた彼女を支えきれず尻もちをつく。

 見た目通り小柄な彼女は低身長の僕にすっぽり収まり、胸元に頭をこすりつけていた。

 「ひっぐ……ひっぐ……」とすすり泣く声が僅かに聞こえる。

「あ、あの」

「ごわがっだよー!!じぬがどおもっだー!!」

 涙をぽろぽろ流し、鼻水をたらす。

 先ほどの格好いい日乃実さんはどこかにいってしまって外見相応の幼さを見せていた。

「マフィア部がどうとか言ってたのは」

「あれ全部でまかせなんだよおー!バレたらじんじゃうなーって思いながら頑張ってたのー!!」

 そうか、僕を守るために……。

「よしよし」

 ふわふわした茶髪に触れて、指を通し、撫でる。

 日乃実さんの細い髪はするりと指を抜けて、少し石鹸のような匂いをさせた。

「えへへ……ありがとう」

 目尻を赤く腫らしながら、嬉しそうに無邪気に微笑む。

 機嫌が直ったと思い手を離すと、頬を膨らませ手の平を頭にくっつけるように掴まれた。

 仕方なく撫で続けると笑顔を再び取り戻す。

「まだ物足りない!ずっと撫でて!!」

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