第4話

「あ、ここら辺知ってる。家近いね」

 先導してもらっていた四角奈さんの隣に行き、歩幅を合わせる。

 チェーンではないうどん屋やコンビニを通り過ぎて、突き当りを曲がると、僕が住むアパートが見えてくる。

 白い外壁にチョコレート色の扉、二階建ての真新しいワンルームアパートだ。

「おお……意外と大きなお屋敷に住んでおられるのですね」

「そう?ワンルームですよ?」

「わんるーむ」

 聞きなれない単語らしく頭には疑問符が浮かんでいる。何か勘違いしてるな?

 階段を上がり、一番端『205号室』の鍵を開けた。

「変なおうちですね。入口が複数あって、他の扉はダミーなんですか?」

「ダミーっていうか僕の部屋がここで、他は別の人の家なので」

 何を言っているのか分からないようで首を傾げる。


「おじゃまします」

 扉の先、四角奈さんは僕の部屋の中を見て感嘆した。

「狭いですね!」

「十二畳だからね」

「……もしかしてあの建物自体を砂糖さんが購入したわけではなく、ここの一部屋だけを買っているということですか?」

「そこからなの!?そりゃそうだよ、そんなお金持ってないよ」

「こんな狭い部屋で生活するだなんて、家畜と同じ扱いじゃないですか!」

「そんなことないよ!一般的な一人暮らし学生の広さだよ!」

「砂糖さん……もしかして親から虐待を」

「受けてない受けてない!失礼だよ四角奈さん」

 トイレバスルーム別、洗濯機も置けてかなり当たりの部屋なんだけどなあ。

 世間知らずなメイドさんにはかなり手狭に感じるらしい。

 

 口を半開きにしてじっくりと部屋を見回す四角奈さん。

 僕の部屋にメイドさんがいる……というか女の子がいる。

 少し不思議な感覚だ、嬉しさと恥ずかしさが同時に襲ってくる。

「掃除もしなければならないのかと思いましたが、綺麗にしてるんですね」

「散らかるほど物を持ってないだけです」

 ベッドと学習机、折り畳みできるローテーブルとハンガーラック。

 無趣味なせいか、最低限の家具だけが配置される部屋は殺風景で広々としている。

 キッチンには最低限の家電が並び、その前に彼女はしゃがんでいた。

 買い物袋の中身を取り出して、小ぶりな冷蔵庫の中に入れてゆく。


 落ち着かなくてそわそわと四角奈さんの方を何度も見てしまう。

「なにか手伝いましょうか?」

「結構です。ご主人様はお好きに過ごしてください」

「でもどこになにがあるか分からなくない?」

「おおよそ見当は付くので問題ありません」

「でも、」

「私一人でできるので放っておいてください」

「はい……」

 

 威圧的な物言いに怯えて、ローテーブルの前で正座して大人しくする。

 いつもならこういう暇な時間は携帯で動画を見たりゲームをしたり、適当に過ごすのだが……

 

「ふんふーん、ふんふふーん」

 

 ちらとキッチンで料理するメイドさんの方を見る。

 鼻歌交じりにどこかから見つけてきた包丁とまな板で何かを切っていた。

 顎で使っているようで申し訳ないし、携帯いじって完成を待つだけなのは嫌だ。

 気まぐれに自分の通学鞄から教科書類を取り出して、明日提出の課題を進め始める。

「今度はなにをしているのですか?」

 紙の擦れる音と筆記音に反応した四角奈さんが呆れ気味に振り返る。

「課題です。明日提出のやつ」

「……あっ、私もその宿題出てます」

「ふっふっふー後で見せてあげようか?」

「ありがとうございます、すみません」

 頬を赤くして申し訳なさそうにキッチンに向き直る四角奈さん。

 金髪を耳にかけて、くちびるをむにむにさせる様は愛嬌があって笑みがこぼれてしまう。

 完璧な人だと思ってたけど、こういう抜けてる部分もあるんだな。

 ぱちぱちと油が跳ねる音、揚げ物の匂いがしてくる。



「出来ましたよ。机の上を片付けてください」

「こっちももうちょっとで課題がおわー……った!今から片づけるね」

 ローテーブルに広げた教科書やプリントの束を集めて通学鞄の中に入れる。

 その間、盆を持った四角奈さんが食器やカラトリーを並べていく。

「お口に合うと良いのですが」

 彼女は控えめな口調で言う。

 食卓には白米と味噌汁、コロッケとサラダが置かれた。

 つやつやと粒が立つお米や見るだけで分かるサクサクのコロッケ、絵に描いたような新鮮さを保つサラダ。

 普段食べている料理とは比べ物にならない視覚の美味しさで生唾を呑み込んだ。

「四角奈さんってこういう料理も作れるんですね。フレンチとか出てくると思ってました」

「こんな見た目ですが日本人ですし、和食の方が好きなんです……お気に召しませんか?」

「とんでもないです!」

 一安心というように胸をなでおろした彼女は僕の対面で正座をする。

 

「「いただきます」」

 

 両手を合わせて、声が揃う。

 さらさらとしたソースをかけてコロッケにかぶりつく。

 あ、これ牛肉のコロッケだ。

 口に含んだおかずの倍くらいの白米をかきこみ、咀嚼する。

「美味しいです。こっちに来てから初めてこんな美味しいもの食べました」

「褒め過ぎです」

「いや本当に、四角奈さんがメイドさんになってくれてよかったです」

 少し耳を赤くして、「おかわりもありますよ」と言った。

 

 

「あーおいしかった!」

 一度おかわりをして、米粒一つなく完食した。

 食器は水につけて、後で僕が洗うように四角奈さんを説得し終わったところ。

「まだコロッケは残ってるので、翌日のご飯にでも食べてください」

「ありがとう四角奈さん。本当至れり尽くせりで申し訳なくなってきます」

「ご満足していただけてなによりです」

 軽く笑い、彼女は手招きをした。

 従順にそばに近づくと、自身の太ももを叩く。

 よく分からなくて僕も自分の太ももを叩くと、四角奈さんは吹き出した。

「ちょっ、なんですか。ジェスチャーだけじゃ分かんないですって」

「ふっ……ふひっ…………」

「笑い過ぎでは!?」

 自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じる。

 しばらく笑った後、なんとか平常心を取り戻した彼女は言った。

「私のここを枕にしてください」

「ここ?ここっていうと……」

 ぽんぽんと四角奈さんは自分の太ももを叩く。

「ええ!?いやっ、いやいや!それは駄目ですよ!同級生がメイドさんしてることでださえギリギリ受け入れてるレベルなのに、そんなえっちなこと出来ません!」

「ただの膝枕じゃないですか。こんなのえっちのえの字もないです、砂糖さんが過剰反応し過ぎなんです……それとも私の膝枕じゃご不満ですか?」

 上目遣いで悲しそうな表情をして、僕の服の裾を短く掴む。

 うるんだ翡翠色の瞳はとても綺麗で、願いを聞き入れない方が彼女の為にならない気がして、

「分かりました。でも少しでもえっちになってきたら止めますからね!」

「こういうことを言うの女の子の方だと思うんですけどね」

「僕、女の子じゃないです!」

「話こじれるので黙ってください」


「じ、じゃあいきますよ」

 折りたたまれたロングスカートの上、ゆっくりと頭を近づけて、体重を預ける。

 肌触りの良い生地、分厚いそれの奥には柔らかい太ももがあって、頭から力を抜くとふんわり弾力のある身体が支えてくれる。

 シダーウッドの甘く艶やかな香りが深く重く匂ってきて、くらくらする。

 僅かに感じる冷たい体温、顔を真っ赤にする自分とは真逆の温度は徐々に理性を奪う。

「ん」

 息が漏れる声が聞こえて、我慢するように軽く唇をかむ。

「これから耳かきしますね」

 四角奈さんは耳のずっと近くで囁く。

 がさごそ、と頭上から音が聞こえて「耳かき、入れますね」くちびるが触れそうな距離、耳元に息がかかって背筋が跳ねる。

 耳の中に柔らかいもの、綿棒が入り、入り口付近を優しくなでる。

 気持ちよくなるのを我慢して、綿棒は耳の形に沿っていったりきたりする。

 さわさわと浅く指で撫でられる。

 ふうと耳の入口のを綺麗にするために息が吹きかけられ、わずかに吐息が聞こえた。

「なか、入れますね」

 ゼロ距離の申告。

 綿棒は耳の穴、浅いところから徐々に深いところへこすられてゆく。

 

「ごそごそ、ごーそごそ」


「かゆいところはありませんか?」


「もし痛かったらすぐ言ってくださいね、ふふっ」

 

 四角奈さんの空いた片方の手は僕の頭に置かれ、優しく撫でた。

 太ももに置いた頭は髪が乱れてしまっていて、それを整えるためにさらさらとおでこに触れる。

「ふーっ」

 奥まで取り除いた垢が吹き飛ぶように息が吹きつけられる。

 生暖かくて優しい吐息に反応しそうになるのを抑えて、息を止める。

「はい、おしまい。よくできましたね」

 

「ぷはあ……!死ぬかと思った、破壊力が高すぎる」

「では反対側もしましょうか」

「勘弁してください!」

「冗談です」

 腹黒い笑顔を見せる四角奈さんから体を起こし、ぷいと視線を逸らす。

 片方の耳には太ももの温度が残っていて、もう片方の耳は真っ赤に熱くなっている。

「砂糖さんは本当にえっちなことが苦手なんですね」

「やっぱりえっちなことだったんですか」

「口が滑りました。けど不思議な人、こんなにされて甘えようって気にはならなかったんですか?」

「そんな余裕ありません」

「無欲なんですね」

 飛躍した物言いに、ふと我が身を振り返る。

 欲望……僕が今一番望んでいるもの、考えを巡らせて一つの願いを思い出す。

「そんなことないです。僕はかなり強欲だと思います」 

「例えば、どんなことを望んでいるんですか?」

「兄との再会です」

 彼女の表情が少し引きつったように見えた。

 構わず続ける。

「パレスを四角奈さんはご存じですか」

 ぴたりと彼女の動きが止める。

「パレスが、どうかしたのですか」

 探るような口調、やっぱりそのくらい知ってるよな。

 瀟赦学園の成績優秀者のみが住むことを許される学園都市最大のマンション、パレス。

「そのパレスに僕の兄さんが住んでるらしくて、実はこの学校に来たのは兄さんと会うためなんです」

 

 僕の兄は優秀で優しい人だった。

 記憶している限り、成績もよくスポーツも万能で腕っぷしも強くてみんなから愛される人。

 なのにある日突然姿を消した。

 家族総出で、警察の力も借りて探したが一向に手がかりすら見つからない。

 そんなときある噂を聞いた。

 兄は瀟赦学園のパレスに住んでいる。

 

「学校に来れば会えるかもしれないって思ったけど、全然ダメ。見つからないのなんのその、だから目下の目標は『パレス移住』って決めてるんです」

「それはまた、難題ですね」

「うん。でも兄さんには会いたいから、会って説教しないと。勝手にいなくなって家族に迷惑かけてんじゃねーぞごらーって」

 話半分に語る目標。

「砂糖さん」

 四角奈さんは神妙な口調で僕の話を遮った。

「お兄さんの名前は、なんていうのですか?」

 あまりに真剣な様子で、つられてシリアスな表情をしてしまう。

「砂糖罰です。塩じゃない方の砂糖に罪じゃない方の罰、で砂糖罰」

「……やはりそうですか」

「知ってるの!?兄さんのこと」

「お答えできかねます。ですが、ですがもし本当にお兄さんを探すつもりなら一つ良い方法がございます」


「ご主人様、メイド部入りませんか?」


「僕がメイド部?」

 突拍子もない言葉に瞬きをする。

 四角奈さんは冷静に続きを話す。

「パレスへの移住資格は成績優秀者、ではありません。一般の生徒にはそのように伝えられていますが、その実全く別の条件で住むことが可能になります」

「ええっ!?」

「ですが、その条件は砂糖さんが入部することで満たせるかもしれません」

「本当に!?」

 ずいと顔を近づける僕、ちょっと驚いたような顔をして彼女は押し返して距離を取る。

「かもしれない、というだけです。そこからは砂糖さんの頑張り次第となります」

「……さっきから具体的な話が出てこないんだけど。そこも話せない事柄なんですか?」

「申し訳ありません。これ以上の開示は砂糖さんを巻き込むかもしれないので」

 四角奈さんの表情は真剣そのものだ。

 嘘をついているようには見えない。

「巻き込むっていうと夕方みたいなことが起きるということですか」

 嫌なことを思い出しながら問うと、彼女は頷いた。

「あれ以上に酷いことが頻発するものだと思っておいた方が身の為でしょう」

 冷ややかな、圧のある言い方。

 ここがターニングポイントのような気がした。

 安易に頷いてよいものではなく、しっかりと考えた上で結論を出すべきだと思う。

 生唾を飲み、目をつむる。

「時間が欲しいです。考える時間が、一度保留にしてもいいですか」

「ええ構いません。砂糖さんのメイド服さぞ可愛いんでしょうね」

「僕男ですよ」

「気にしません」

 言い切る四角奈さんに苦笑いを浮かべる。


「では、そろそろお暇しましょうか」

 立ち上がった彼女に「家まで送ります」と続く。

「ここまでで大丈夫ですよ」

「でも女の子一人だと危ないでしょ」

「私砂糖さんより強いですから」

 その通りだと思い、それ以上何か言うことはなかった。

 

 玄関でつま先を鳴らし、ローファーを履く。

「今日はありがとうございました。砂糖さんがご主人様だと楽しいですね」

「こちらこそ、悪漢から守ってくれたし、ごはんも美味しかったし……その、耳かきも気持ち良かったですし、良い一日になりました」

「はい、また雇ってください……雇う?」

 自分で言った言葉に違和感があるらしく、くちびるに手を当てて少し考える素振りを見せる。

「そうでした!すっかり忘れていました、お給金を頂いていません」

 お給金。

 その言葉を自分の中で何度も反芻し、絶望した。

「お、お金取るんですか」

「はい。部活道とはいえ、していることは家事代行サービスですから」

「ははは、そうですね、その通りです」

 乾いた笑いしか出てこない。

 四角奈さんは可哀そうなものを見るような目でこちらを向いている。

「して、おいくらなんですか?」

 随分今日だけで軽くなった財布を開く。

 これからもやしとずっ友になるかな……。

「……五百円です」

「へ?五百万?」

「五百万ではなく、五百円です」

 一瞬二人共無言になって、彼女は視線を逸らし自分の髪をいじる。

「安くない?」

「初回サービスということでお安くしました。正規の値段は払えないでしょう」

「ご配慮痛み入ります」

 小銭入れから五百円玉をつまみ、手のひらに乗せる。

「はい、確かに」

 四角奈さんは白いメイドキャップを取り、ふわふわした金髪を振る。

「じゃあまた学校でね。砂糖くん」

 メイドさんではない、同級生の四角奈さんは頬赤くにやりと笑った。

「うん。またね四角奈さん」

 キイと金属の鈍い音がして扉は閉まる。

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