第2話

 私立瀟赦学園。

 この国の政界の要人や学界の天才、プロスポーツ選手……世界を揺るがしかねない偉人たちの多くを輩出するエリート校で、受験倍率は著しく高い。

 敷地も広大で、真新しい校舎や古い木造の旧館がビル群のように乱立し、商店街のように立ち並ぶ売店、学園と提携してチェーン店も複数展開されている。マンションにも見える学生寮のほか、ひと区画に整列した一戸建て住宅も存在する。

 通常の学校の大きさから逸脱した規模はまるで都市のよう。

 本来の意味とは異なるのに、人はこの学校を『学園都市』と誤用する。

 

 天才集まる学校は当然部活動も豊富で、千差万別種々様々な部活が存在し、認められている。

 メイド部なんて風変わりな部活があってもおかしくはない、のかなあ?


 ひときわ目立つ豪奢な高層マンションを横目に、まだ数回しか通ったことのない通学路を歩く。

 夕焼けに染まる街並み、入学してから日が浅いためかなり目新しいく感じる。

 道行く学生や一般人の視線が厳しい。ちらちらとこちらを見ては、なにかひそひそと話している。

 恥ずかしくて体を縮めて歩く僕の隣、良い姿勢で歩くメイド服の四角奈さん。

 歩くたびに黒いスカートとエプロンがふんわりと揺れる。


 交差点の信号待ち、赤信号を待つ彼らの視線は僕たちに集まっていた。

 とうとう痺れを切らして四角奈さんに問いただす。

「なんでついてくるんですか」

 質問の意図が分からないという風に、

「ついて行かなければご夕食の準備も出来ませんし、お買い物も出来ませんよ」

「それはそうなんだけど……」

 メイドを侍らせるなんて経験したことないし、悪目立ちしているような気がする。

 口ごもる僕をなんとも思っていない様子で、周囲の視線を気にしていないみたいで、メイド然とした佇まいはとても綺麗だった。

 青になった信号を見て、四角奈さんは僕の手を引いた。

「ちょっ!?さすがに自分で歩けますよ!」

「そうですか?ここから人が多くなりそうですし、はぐれてはいけませんから」

 柔らかくてひんやりと冷たい手。

 細い指が恥ずかしさで熱くなった指先に絡む。

 思わず背筋をピンとして、見上げるように彼女の顔を見た。

 夕焼けに揺れる金髪と白いキャップ、視線に気が付いてにんまりといたずらっぽい笑みを彼女は浮かべる。

 悪意たっぷりで、その行動すべてが僕をからかうためのものなのではないかと考えてしまう笑顔。

 顔が更に赤くなっていくのを感じて、視線を逸らした。

 雑踏の中、自分の心音が激しく聞こえる。



「ここが砂糖君の行きつけのお店ですか」

 自分の家の帰り道、道路沿いのスーパーの前で四角奈さんは声を漏らす。

 学校が提携しているチェーン店の普通のスーパーマーケット。近くに学生寮や一般用居住地区があり、ここら一帯の住む者にとっては命綱とも言える場所だ。

 夕飯前の時間ということも相まって、客足はかなり多い。

 そんな人の多い中でも四角奈さんは目立ち、二度見されている。

 隣にいる僕が不釣り合いで仕方ない、早くどこかへ消えてしまいたい。

「では入りましょうか」

「うん」


 店内は効き過ぎた冷房と独特な店のテーマソングで充満している。

 箱ごと乱雑に置かれた野菜コーナー、奥には魚介類と精肉のコーナーが見えて、それ以外の視界はパッケージされた加工食品が占める、いたって普通のスーパー。

 彼女はきょろきょろと物珍しそうに見回している。

「意外と庶民派なんですね」

「庶民だからね」

 四角奈さんは少し驚いたような顔をする。

「庶民の方、初めて見ました……こういう生活をしているんですね」

「初めて見た!?もしかして四角奈さんってお金持ちなの?」

 スーパーに行ったことがないってどんなブルジョアなんだろう。

「この学園の中だとそうでもないです」

 謙遜した物言いだが、比較対象が学内の生徒である時点でだいぶお金持ちなことが分かる。

 ……なんでお金持ちなのにメイドをしているんだろう。謎は深まるばかりだ。

 

 カートを取り、買い物かごを設置する。

 初めて来たはずの店なのに彼女は最短距離で精肉コーナーに辿り着き、さっそく商品を見定め始める。

「むむむ……どれも安物ですね。店主、シャトーブリアンを出してください。この際A5じゃなくてよいので」

「へ?」

「シャトーブリアンなんて置いてるわけないでしょ!?あと店主じゃなくてアルバイトさんだから」

 たまたま通りがかり難問を強いられた店員さんに謝り倒す。

「そうですか置いてませんか。野菜はともかく、お肉は外国産ばかりですね。どうでしょう、良い店を知っているのでそちらで購入するというのは」

「高級店でお肉が買えるほど予算はないです」

「私が払いますよ?」

「それはなんか……いやです」

 ご飯を作ってくれるのに、そのお金まで出させるというのはさすがに情けない。

「ご主人様がそう言うのであれば仕方ないですね」

 四角奈さんはあっさり引き下がる。

 

「そういえばなにを作るつもりなんですか?」

「さあ、なにを作りましょうか」

「えっ」

 まさかノープランで物色していたのだろうか。

 パックの牛肉たちを凝視する彼女は「これでいっか」と急に適当になって、カートを押し始めた。

 その後に続いて問う。

「料理決めたんですか?」

「決めてないです。適当に買って、それで作りましょう」

「ええ!?」

「ご安心を。食べられないものは作りませんから」

 四角奈さんの有無を言わなさい口調。

 僕が指図できるわけなく、ひやひやしながら買い物の様子を見守った。


 

「合計で4590円です」

「よんせっ……はい、これでお願いします」

 虎の子の一万円をレジで差し出し、だいぶ減ったおつりが返ってくる。

 四千円……一度の買い物で四千円…………いや、これを二週間くらい食べていけば大丈夫なはずだ。

「顔が青くなってますが。やっぱり私が出した方が」

「いや!四角奈さんに作ってもらうんだし、このくらい平気だよ!平気平気!」

 不安そうな表情を見せる彼女に本当のことは言えなかった。

 分かりやすい空元気だったかもしれないが、見て見ぬふりをしてくれてこれ以上話題に触れることはなかった。

 

「私が袋に詰めるので外で待っていてください」

「大丈夫?やったことあるの?」

「ないですが、これも経験です!ご主人様のお手を煩わせるわけにはいきません」

 挑戦心あふれる四角奈さんに「頑張れ!」と告げて、店の前で待つ。

 深く続く夕焼けは街を飴色に溶かして、どこかの家庭の夕食の良い匂いがしてきた。

 携帯の時刻表示は十八時を過ぎていた。

 四角奈さんがご飯を作ってくれて帰る頃には随分と暗くなっているだろう、少し申し訳ない。


「あのーすんません。お客さん万引きしましたよね?」

「は、はい?」

 見上げるとスーパーのエプロンを身に付け、アルバイトらしい二人組が難癖をつけてきた。

 学生だろうか。片方は熊のようなBMI肥満の中背、片方はやせ細った高身長で目にはクマがある。

 そのどちらも僕が体を張って勝てる相手ではないと直感する。

 彼らは気味の悪い笑みを浮かべながら、いやらしい目つきで僕を見ていた。

 まるで品定めするような不躾な視線。

「見たんだよ俺ら、これバレたら大変だぜ?」

「やってませんけど」

「あーはいはい、まいいから。ちょっと裏いこっか」

「い、いやっ……!」

 腕が痛いほど掴まれて引っ張られてしまう。

 怖い、何もやってないのに。

 萎縮して搾りかすのような声しか出ない、助けすらろくに求められない。

 力は歴然とした差がついて、怯えてしまって、頭もろくに回らなくて――



「お友達……という感じではありませんね」



 レジ袋を両手に提げたメイドの四角奈さんが厳しい目つきで二人を睨む。

 彼女を一瞥した後、一瞬彼らに走った緊張は次第に舐めたものに代わる。

「へえメイド!初めて見たな、ちょっと聞けよお宅のお嬢様このガム万引きしてさ、ガム一個とて店の商品。これどう落とし前つけてくれんのよ」

「砂糖さんったらもう。ガムくらい買ってあげますのに」

 熊のようなアルバイトが僕のポケットからまさぐるような振りをして、一つのガムをひらひらと見せつける。

 そんなもの僕は盗ってない。

 周囲からひそひそと声が聞こえる。

 四角奈さんと一緒にいたときの奇異の眼ではなく、非難の眼。

 彼らは僕を加害者と決めつけて、関わろうとすらしない。

 

「それでガム代を払えばよろしいので?」

 彼女はそんな視線に怯むことなく、立派に闘っている。

「は、舐めてんの?金じゃないんだよ、誠意を見せろってんの。別にこの嬢ちゃんじゃなくていいいんだぜ。『誠意』を見せるのはよ」

 僕を見たときと同じ下種な視線。

 それが何を意味しているのか分かって、ゾッと血の気が引いていった。

 こんなことを平気で出来る人間がいるのか。それもエリート校と名高い瀟赦学園の敷地内で。

「そうですか、それで砂糖さんを……全く馬鹿なことを考える人もいるものですね」

「あ?んだよブス」

「チンピラにはチンピラのルールが、裏社会には裏社会のルールがあります。あなた方の先輩から聞かされたことはありませんか?」

 彼女の声は凍えていた。

 無色透明な水がじわじわと気泡無く凍てついていくよう。

 それに気付かない二人はまだ油断している、馬鹿にした口調でけらけらと笑っている。

 

 彼女が呆れるような溜息をついた――刹那、僕の腕を掴む熊が吹き飛んだ。

 一メートル足らず飛び、頭をアスファルトに強く打ち付け、バウンドして倒れ伏す。

 奇妙な声を漏らして熊は泡を吹いている。そんな彼の顔面を片足で強く踏むメイドの姿があった。

 買い物袋の卵に気を遣いながら熊から降りると、冷たい視線を目にクマのある方へと向けた。

「ルールその1『メイドには手を出すな』……まあ私も先輩から聞いた話にはなりますけど。今はすっかり落ちぶれましたが、数年前まではかなり勢力が大きかったみたいですよ」

 彼は何が起きたのか分かっていないようだった。

 凝視していた僕でさえ、彼女がどう熊を倒したのかよく分からない。

 ただありのまま起こったことを話すと、彼女は高く跳躍した後顔面にライダーキックをかましていた。

 隙の無い一瞬の出来事。瞬きをすれば予備動作すら見えない。

 

「なっなんだよ!なんだよそれ!!」

 四角奈さんに圧倒されるクマは数歩退いて叫ぶ。

 その隙に僕は彼女の背後に隠れた、情けないことこの上ないが戦力外が出しゃばってもどうしようもない。

 失笑するでもなく、四角奈さんは微笑み、買い物袋を渡してきた。

「裏部活、メイド部一年、四角奈凛子。『お掃除』を始めます」

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