§004 小屋の暗号

「で、なんでおぬしと私の二人旅なのだ」


 瑠璃は集合場所に来たのが風月だけだったことに、思わず嘆息してしまった。


「元より私は測量の時は一人で旅をすることが多い。ほら、一人の方が気楽だし、この恰好なら私が太子であることはわからないだろう?」


 確かに風月の服装は昨日と打って変わって完全なる旅人スタイル。

 美しすぎる容姿を除けば、確かに彼が太子であると気付けるものは少ないだろう。


「でも、太子がそんなでいいのか? もし道中で襲われでもしたら事だろう」


「まあその時はその時だ。早く向かうぞ」


 なんとなく飛燕のげんなりした顔を思い浮かべてしまった。

 こういう者を上司に持つ宦官や宮女はさぞ心身をすり減らしているだろう。


 瑠璃とて、どうして私がこんな変人と旅をしなければならないのだ、という感想が口がついて出そうになるが、どうにか押しとどめて、桃源を目指した。


 桃源への道中は三日間を要した。

 夜は宿場で寝泊まりをしていたので快適ではあったものの、さすがに普段運動を全くしないうら若き乙女にはこの行程は大変堪えるものだった。


 桃源の村に辿り着いた頃には、既に三日目の陽も落ちかけていたため、村で一泊した後、例の見えない壁があるという湖に向かってみることにした。


 ただ、瑠璃は浮霊問題の解決に余念がない。

 せっかく時間があるのだからと、宿屋の主人にこの辺りで浮霊の目撃情報がないかを聞いてみることにした。

 宿屋の主人は、気の良さそうな初老の男性だった。


「この辺りで浮霊騒ぎですか。残念ながら聞いたことがないですね」


「そうか。では、例えば、湖周辺に見えない壁が発生したという話は?」


「見えない壁ですか? いえ、湖にはよく釣りに行きますが、そのような話を聞いたことはないですね」


 どうやら宿屋の主人の話を聞く限りだと、浮霊はおろか、特に変わったことのない平和の村のようだ。


 見えない壁の正体を、瑠璃は浮霊が発生させたとばりである可能性が高いと考えていたが、ここまで目撃情報がないと、むしろ風月の話が眉唾物であるような気がしてきた。


 もしくは、風月のような皇族にのみ有効な条件が付されたとばりか……。


 何にせよ、やはり行ってみないと判断が付かないな。


 そうして、翌朝、二人は風月の記憶の頼りに見えない壁があったという湖へと向かった。


 そこは濃い霧が立ちこめていたため、全容を把握することはできないが、海を彷彿させるほどに広く、周回するだけでも日が暮れてしまうそうなほどの湖だった。



「ここに見えない壁があったのか?」


「そうだ」


 風月は自身の『目で見たものの長さを正確に読み取ることができる能力』により、場所を正確に把握できるらしい。

 そんな彼が「ここだ」と言っているのだから、おそらくそれは間違いないのだろう。


 風月は見えない壁の存在を確かめるように手を差しのばしてみるが、いずれも虚しく空を切るだけだった。


「とりあえず今のところは浮霊の気配はなく、見えない壁というのも確認できていない。危険かもしれないが、もう少しだけ進んでみよう」


 そうして瑠璃と風月がしばらく湖を周回していると、霧の先に、何か黒い影がぼぉっと浮かび上がった。


「止まれ」


 先導していた瑠璃が、風月を制止させる。

 そして、ゆっくりとその黒い影の正体を確認すると……それは小さな小屋だった。


「……小屋? 廃墟か。はたまた仙人でも住んでいるのか」


 未だに警戒を解いていない瑠璃だったが、風月は肝が据わっているのか、そのまま小屋に向かって歩み出ると、ゆっくりと扉を開けた。


 ぎぃ~と鈍い音を立てて開いた扉からは埃が漏れ、この小屋が随分と長い間使われていないことを表していた。


 小屋の中は、荒れ果て、特に書物が多く散乱していた。


 基本的にはがらくたの山に見える。

 しかし、その中で唯一目を引く存在があった。


 ――それはこのオンボロ小屋には不似合いな立派な机だった。


 少し表面を撫でてみると、盤面には傷一つなく、大切に使われていたことが伝わってくる。


 この時点で瑠璃は、この家の持ち主は、もしかしたら物書きを生業にしていた者なのかもしれないなという心証になっていた。


「浮霊はいるか?」


 その問いに瑠璃は首を横に振る。


「微かに気配は感じるが、浮霊そのものの姿は見当たらないな。おぬしはやはり霊感は持ち合わせていないのか?」


「そうだな。残念ながら私にはそのとやらも感じ取ることができない」


 風月はそう言いながら本棚に無造作に並んだ書物に手を伸ばすと、パラパラとめくってみる。


「物書きか何かの家だったようだな。自著なのかはわからないが、同じ作者の名前の本が多数並んでいる」


「名は琉駿りゅうしゅんか……。残念ながら私はそこまで本を読むわけではないから知らぬ名だな」


「見えない壁が存在しない以上、目的は達したとも言えるが。乗りかかった船だ。とりあえず浮霊の手掛かりになりそうなのはこの小屋だけだし、もう少しだけこの小屋を調べてみようか」


 そうして瑠璃と風月は手分けをしてこの小屋で何か手掛かりになるものを探し始めた。


 自然と、瑠璃は書物を中心に、風月は建物を中心に各々が各々の方法で調べることとなった。


 瑠璃は書物を丁寧にめくりながら、何か引っかかりのあるものを探す。


 『琉駿りゅうしゅん』の名で認められた小説の全てがいわゆる恋愛小説と呼ばれるものだった。


 瑠璃は文章を噛みしめるように一頁、一頁をめくる。

 もちろん巻数が多いゆえに全てを読むわけにはいかないが、小説の内容は、主人公の男と許嫁の関係にあった女が帝の寵愛を賜ることになり、離ればなれになるという悲恋を描いたものであることがわかった。


 瑠璃は物書きではないため、小説というものがどういう成り立ちで出来上がるものなのかは知らない。


 でも、瑠璃はこの恋愛小説を読んでいて、何となく、この小説は実話なのではないかと思えてならなかった。


 本当は幸せな家庭を築けるはずだった二人が帝の命により引き裂かれてしまう悲恋。


 もし、これが実話なのだとしたら、何とも身勝手で、何とも切ないことなのだろうと思わずにはいられなかった。


 そして、瑠璃はそれらの恋愛小説を読んでいくうちに、特定の頁にのみ不自然な折り目が付けられていることに気付いた。


 最初は何かを参照するため、又は、栞代わりに付けられた折り目かと思った。

 しかし、その折り目には、何か規則性があるようにも感じられた。


 例えば、頁数。


 瑠璃はとりあえずその数字を一巻から順に書き出して見ることにした。


『35、39、31、1、139、44、43、5』


 そんな作業をしていると、部屋の探索を終えた風月が紙面を覗き込んできた。


「……これは?」


 風月は興味深げに数字を暗唱する。


「書物に不自然な折り目があったから、何かの手掛かりになればと、とりあえず折り目が付いていた頁数を書き出してみた。風月は数字に強いだろう? これが何の数字かわかったりするか?」


 その問いに顎を撫でながら思案した表情を見せる風月。


「そうだな。そう言われてみれば『座標』に見えなくもない」


「座標?」


「ああ、座標というのは、大きく『緯度』と『経度』に分かれ、更に『度』、『分』、『秒』により正確な位置を表す」


 そう言って風月は、瑠璃が書いた数字の横に、別の字を示す。


『北緯35度39分31.1秒、東経139度44分43.5秒』


「この場所は?」


 風月は自身の作成した地図を取り出し、コンパスで座標を指し示す。


「ここだな」


 そこは地図上だと湖の中に当たる場所となっていた。


「湖の中だな。そこに何か沈んでいるということだろうか」


 瑠璃は風月の目を見つめながら言う。


「どうだろうな。ただ、さすがにこれが偶然だとは思えない。とりあえず、この場所に行ってみよう。道案内において、私の右に出る者は、この国にはいないからな」


 風月はそう言うと微かに口の端を上げた。


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