§003 太子から依頼

 飛燕に案内されたのは宮中の作業場のようなところだった。

 部屋には分度器のような道具、楔のような道具、距離を測る道具などが大量に置かれ、幾人もの宦官がせわしなく働いていた。


「こんなところに太子がいるのか?」


「はい。風月太子殿下はあまり堅苦しいものは好まれません。普段からこの作業場に顔を出しては地図作りの指示を行っております」


 そんなの太子のやる仕事ではなかろう。

 聞いていたとおり、相当な変わり者のようだな……。


 そうして、作業場を進むと、一人の男が瑠璃の視界に入った。


(あっ……)


 言われずともわかった。

 気品溢れる装い、絹を紡いだかのような白い髪、美しいとしか形容できない目鼻立ち、切れ長な目と全てを見透かしたような水色の瞳。


 色恋沙汰に興味がない瑠璃ですら思わず声を漏らしてしまうほどに浮世離れをした美貌を持つこの者こそが、風月で間違いないと思った。


「そなたが風月か」


 瑠璃の声に、男の美しい顔がこちらを向く。


 その瞳はどこまでも透き通るような水色をしているが、どこか深海のような冷たさを包含しており、彼はこちらを見ていながら、全く別のものを見ている。


 そんな印象を抱かせるほどに、儚くも淡々とした雰囲気を内包した男だった。


「……一:一:一。遠目では自信がなかったが、こうして近くで見ると完璧だな」


「一:一:一?」


 そんな男から突如紡がれた意味不明な言葉。

 さすがの瑠璃でもこの意味は即座には理解できずに、思わず聞き返してしまった。


「ああ、失礼。私は目で見たものの長さを正確に読み取ることができるんだ。人間が最も美しいと感じる比率のことを『黄金比』と言うのだが、顔の場合、おでこの生え際から眉まで、眉から鼻の下まで、鼻の下から顎先までの比率が一:一:一になっていることが理想なんだ」


 風月はそのようなわけのわからんことを淡々としゃべると、比喩ではなく本当に顔と顔がくっつく程に顔を近付けて言った。


「そなたの顔は非常に美しい」


 そんな褒められているのか貶されているのかわからない言動に、肝が据わっている方である瑠璃も思わず後ずさってしまう。


「褒め言葉として受け取っておくことにしよう」


 そんな瑠璃の反応を見て、風月は微かに笑った。


「礼は弁えなくていい。堅苦しいのは苦手だ」


「それは私としても助かる。何せ私は礼を弁えない特別官吏出身だからな」


「……ああ、知ってる。除霊師の一族だろう」


「いかにも。久遠家が当主・久遠瑠璃だ」


「ふむ。正直なことを言えば、私はそなたを娶るつもりなどなかったのだ。ただ、翡翠宮の浮遊事件を目撃した私はそなたの『浮霊の声を聞くことができる』異能に興味を持った。そのため、父上にお願いしてそなたに会えるよう手筈しておらうと思ったのだが、父上からそなたを娶るように言われてしまってね。だから、私も父上に対して――『有能な除霊師であれば娶ってもいい』――と言い返したわけだが、さて、そなたはどれほどまでに有能なのか?」


 本当に迷惑な話だと思う。

 瑠璃は別に太子の妃になることを望んではいないからだ。

 妃というのは一度入宮してしまえば、一生を後宮の中で過ごすことになる。

 そんな窮屈を考えれば今すぐにでも辞退を申し出たいくらいだ

 しかも、相手は向かい合っただけでもわかる奇人・変人の太子。


 もし、これが帝の命で無ければ、今すぐにでもこの者を突っぱねて屋敷に帰っているところだ。


 しかし、後ろには帝直属の使者である飛燕が控えている。

 さすがに太子にぞんざいな態度を取るわけにはいかない。

 ここはもう「こういうものだ」と割り切って流れに身を任せるしかないか。


 ……特別官吏とは本当に自由の無い立場だ。


「首尾はわかった。して、どうすれば私が『有能である』と立証できるのだ?」


「そうだな。では、私がなぜそなたに会いたいと思ったのか。その理由を言い当てられるか」


(……なんだ、そんなことか)


 これが瑠璃が抱いた感想だった。


 瑠璃は風月へのお目通りの前に、事前の下調べをしておいた。

 帝にも太子にも何かしらの思惑があると思われるところ、情報皆無で乗り込むのは愚策だと判断したからだ。


 そのため、まずは先んじて後宮に赴いた瑠璃は、風月が作成したという地図を全て閲読した。


 その地図は現在の我が国の技術では到底作れないような非常に精巧なものであり、瑠璃も一部サンプル的に距離や高低差を実測してみたのだが、驚くほど完璧に地図の記載と実際の地形が一致していた。


 この段階では瑠璃はまだ風月の持つ特殊な能力のことを知らなかったから、一体どんな労力をかけて測量を行っているのだろうと思っていたが、確かに風月の『目で見たものの長さを正確に読み取ることができる能力』さえあれば、それも容易く可能だと思った。


 しかし、そんな地図を読み進めていくうちに、どうにも違和感を隠しきれない部分を発見した。


 瑠璃は風月の前に地図を広げると、その違和感の部分を指し示す。


「おぬしの作成した地図は非常に正確だ。距離、高低差、縮尺に至るまで精緻と呼ぶに相応しい完成度を誇っている。しかし、この場所だけはダメ。既存の地図の地形とも一致しないし、縮尺もバラバラでとてもおぬし自らが測量されたようには見えない。そこで私はある一つの仮説を立てた。――殿下はここで浮霊に遭遇されたのではないかと」


「…………」


「完璧主義のおぬしは彼の地の地図を作れなかったことがひどく心残りとなっていた。しかし、その場には強力な浮霊が存在していたため、自身の力では立ち入ることができなかった。そのため、有能な除霊師を募って、彼の地の浮霊を除霊した後、地図を完成させようと思った。違いか?」


 瑠璃はそこまで言葉を紡ぐと、風月の返答を待った。


 風月は何かを思案しているようだったが、すぐに「ふっ」と声を漏らすと、口の端を上げて笑った。


「……さすがは久遠家の人間だな。想像以上の観察力、洞察力。今まで何人かの除霊師にこの件の除霊を頼もうと思ったが、どうにも信頼に足る人物がいなかったもので、半ば諦めていたのだが。そなたになら、此度の件を頼んでもよさそうだな」


「此度の件を詳しく話してくれるのか?」


「まあ、詳しくと言っても、そこまで話せることもないのだが」


「そ、そうなのか?」


「ああ、あれは数年前、私が『桃源とうげん』という土地に赴いた時。まるでそこに見えない壁があるかのように先に進むことができなくなったのだ」


 『桃源とうげん』とは、とある山間部にある村一帯の地域を指している。

 桃源とうげんには、大きな湖があり、仙人が住むとも魔物が出るとも言われる、どちらかというと未開の地だ。


 そして、桃源とうげんの位置は、瑠璃が違和感を覚えた地図の部分とも符合していた。


「見えない壁? その場に浮霊の姿は?」


 その問いに風月は首を横に振る。


「いや、浮霊は見ていない。私は自分でいうのもなんだが、合理的な性格ゆえ浮霊という存在にも懐疑的なところがある。そのため、もしかしたら、霊感というものをそもそも持ち合わせていないのかもしれない」


 ……見えない壁か。


「その見えない壁というのは、特に強力な浮霊が使うことができる『とばり』と呼ばれるものの可能性がある。もし、とばりを発生させることができるほどに強力な浮霊がいるようなら、私としても相当警戒しなければならないだろう。情報は以上か?」


「そうだ。そもそも私ではそれ以上先に進めなかった」


 ふむ。そうなるとさすがに情報が少なすぎる。


「では、実際に桃源に行ってみるしかないな」


「今からか?」


「そうだな。何が起きるかわからないから早いほうがいいと思う。何分、私にできることは、霊の声を聞いてあげることだけなので」


「それであれば私も行こう。此度の件、そなたがどのように解決するか興味がある」


 この者の興味は『此度の件』そのものではなく、『此度の件を私がどのように解決するか』か。

 やはりどちらかと言えば合理的というか、冷静沈着というか、いずれにせよあまり人の血が通っているタイプには見えないな。


「では、出発は明朝。側近を随行させるのは問題ないが、何が起こるかわからないから人選は慎重に行うように」


「わかった。準備させよう」


 こうして、瑠璃と風月は見えない壁が存在するという彼の地『桃源』へ向けて旅立つこととなった。


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