〈Error〉category:異世界
褐色の二人組に連れられること数時間。
縛られて馬に引き摺られていた蓮の眼前には巨大な門がそびえ立ち、内に秘めるものを守らんと威圧感を放っていた。
地球にこんな無駄なものはなかったはずだ。
もし地球の汚染された地上にこんな資源の無駄遣いのような建造物を建てれば、それだけで極刑はほぼ確定である。
ただ今の蓮は、ここはそんな道理など通じるどころか与太話として扱われてしまう世界であることを知っている。
目の前の街——否、都市国アルシアは連合国家エートラムの辺境に位置する都市である。
ただ、都市といってもここには王がおり他の都市国とは全く違う政治体制を敷いているらしい。
あくまで連合国家。
国が集まってできており、その1つ1つに王のような最高権力者が存在するようだ。
地球には無い名称と国家形成である。
「つくづく信じられないけど、これを見てちょっとは納得できた。冗談でも言ってるのかと思ったけど…確かにここは、地球じゃない」
「理解してくれたんなら良かったよ。ここはお前が元々いた場所とは、価値観もルールも何もかもが違うんだ。"チキュウ"とやらで通じてたお約束は捨てて新しい環境になれるこったな」
「"チキュウ"から来る人…"迷い人"っていうんだけど、その人たちって大体街の様子とか見せると勝手に納得するんだよね。あっちでは地下に住まざるをえなかったから、地上の都市に驚いてたとか聞いてるけどそれってホント?」
「ほんとほんと。あっちは戦争の影響で地上に住めるところがほとんどないんだよ。だから地上に建造物は建てないし、日の光にも長時間当たることはしない…地底人みたいな生活をここ数十年続けてるらしいよ」
「へぇ〜自分たちで住む所を無くしちゃうまで戦うなんて変なの!先人のせいで大変だねぇ」
「そんな世界だから辻斬りみたいなのを当然と思ってるのか…?いや、どっちかというと蓮がヒトじゃないってことの方が大きい気がするが」
彼ら——男がライアー、女がハイヤと名乗った——には蓮が"チキュウ"の兵器であることを伝えている。
ヒト型の兵器であることには少し驚かれたが反応が薄く、むしろ"チキュウ"の現状の方に興味を抱いたようだ。
右も左も分からない蓮の手助けをすることを条件に、しきりに話を聞きたがっていた。
ただ、今の状況から助けてもらうべく縄を解いて歩かせてくれと頼んだら拒否されたが。
どうやら不意打ちをするような兵器は信用できないらしい。
「それにしても、大きい門だねぇ。見た感じ高さ30メートルはあるけど、これは中のアルシアもかなり発展してるってことかな?」
「いや、全然だ。むしろエートラムの中じゃあまり進んでない方だな」
「辺境も辺境、物理的な距離だったら中央からは一番離れてる都市だからね。防壁とか門が大きいだけで中身は小さな都市だし、発展しそうなものも偏ってるから全体的に見たら下の上くらいだよ」
「あれ?でもここ、帝国と近いんだよね?交易とかで色々入ってきそうだけど」
「さっき言っただろ、戦争してたんだって」
「聞いたけど、今は休戦中って言ってなかった?」
「講和条約結んだの一昨日だからな。昨日やっと民間にもお達しがいったとこだ」
「は?」
聞くと、蓮達が今いる地域、というより大陸には連合王国エートラムと帝国しか国が存在していないそうだ。
長らく断続的に戦争を続けていた両国だが、人間以外の勢力に対抗するため一時的に手を結び結託することを正式に決定したのがつい一昨日である、とのこと。
戦争の影響でここ数年は帝国との交易がなく、当然ながら文化交流も皆無だった。
戦時中は軍の最前線基地として使われていたアルシアには軍需必需品しか流れてこなかったため、他の分野でかなりの遅れをとっていたようだ。
「そのせいでアルシアには軍人や傭兵がゴロゴロいやがる。蓮、気をつけろよ。あいつらはお前やハイヤみたいに綺麗なツラしてたら男でも手を出しにくるからな」
「私女ですけどぉ?…ま、いいや…戦える女性もいるけど、前線に立つのは男の方が圧倒的に多いからね。なんならそういう処理は男同士でする風潮が強いかも」
「…内地に行きたい」
「俺らがいる間は手を出させねぇから心配すんな。…そもそもお前、人間じゃないのにそういうもんは付いてんのか?性別がないとかじゃなく?」
「元々僕はヒトの遺伝子情報とか組み替えられてできたからね。要するに、人間として生まれるはずだった生物を中身だけ変えたようなものなんだよ。意外と性別もそれに由来する身体の作りも残ってたりする」
「へぇ…面白い身体してるねぇ」
ちなみにそっちの処理に使われた経験は蓮には無い。
生前の美鈴も同様で、人間程度では耐えられない膂力を持つ彼らに手を出せば行為中に大怪我を負う可能性が高いため、というのが理由らしい。
自己満足のために作った人形にストッパーを付けるのを忘れたせいで、傷つけられるのを恐れて表向きこちらの機嫌を伺う開発部の変態どもの醜態を思い出すと笑えてくる。
《全くもって笑えるとは思えませんね。はっきり言えば、冗談だとしても悪趣味です》
〈あ、再生は終わった?〉
《少し前に終わってましたよ。…脅そうとした相手に助けられるなんて、とても愉快な状況になってますね》
〈地球じゃないらしいからね。僕たちが戦うように言われてるのは地球の敵国だけなんだから、この世界に敵はいないよ。〉
《…その別世界だのなんだのというの、なにかの冗談なのでは?地球以外の環境なんて月と火星しかないんです。蓮、賢いあなたなら分かっているでしょう。あなたは"日本"から逃げているだけです》
〈分かってるけど、逃げてる方が楽しいでしょ?ここが地球じゃないってだけで気が楽になるじゃん。〉
《…あなたがそれでいいのなら良いですけど》
蓮を案じる美鈴だがその実、胸の内では蓮以上に大はしゃぎしていた。
やっと、"日本"から離れることができるかもしれない。
やっと、蓮を戦争から遠ざけられるかもしれない。
やっと、蓮を独り占めできるかもしれない。
そんな思いが渦巻き、荒れ狂っているのだ。
身体を共有している蓮からすればその感情がダダ漏れで伝わっているので否定されることはないとよく分かっていた。
〈でも、本当に別世界なら"みんな"を探さなきゃね〉
《…"みんな"ならきっと無事ですよ。おそらくこの世界には来ていないでしょう》
〈なんでわかるのさ〉
途端に、渋い顔を浮かべそうな感情を湧き出させる美鈴。
《…………………………………………勘、ですが》
〈適当なこと言わないの。あんまり仲が良くなくても"家族"なんだから少しは心配してあげなよ〉
《…昔流行った異世界ものの物語には集団転移なるジャンルがあったようですけれど、あれは創作物でこれはリアルなんです。転移する時に近くにいたからといっても一緒にこの世界に来ているだなんてあり得ません》
〈それを言うなら、転移したこと自体があり得ないことじゃない?非現実的な現象が起こってるんだから、何が起きても不思議じゃないよ〉
《それはそうですが》
もはや二人とも、自分たちが地球ではないどこかにいると断定してその上で話を進めていた。
ここで参考資料となるのは一、二百年前ほどに少し流行っていた異世界物の小説である。
西暦2000年代の初頭から数十年間にわたり異世界転移や異世界転生などのファンタジー作品のジャンルの中に、集団転移というものがあったそうだ。
当たり前の日常を過ごしていると、突然地面が光り出しそのまま異世界へと転移する、というものらしい。
蓮達が立っていた地面は発光こそしなかったが、空間が歪んだ様な感覚を覚えた直後に突然意識が消えていた。
蓮の場合は地上数十kmに発生したが、意識が暗転する直前にはすぐそばにいた"家族"達がどんなところに転移したか分かったものではないのだ。
"家族"に対してあまり良い感情を抱いていない美鈴はともかく、彼ら彼女らを美鈴の次に愛している蓮からすれば心配で心配でたまらなかった。
〈それに、何もわからない状況なら目標を定めておいた方がいいよ。何も考えずに行動していい結果が出た試しがないからね〉
《分かっています。あと、別に心配していないわけではないので。"妹"達のあなたに向ける視線とか態度が気に入らないだけで、それを除けば私にとっても守るべき"家族"ですよ》
〈素直でよろしい。…じゃあ、そろそろライアー達との会話に戻ろうか。彼らからもたらされる情報がないと、こっちの勝手が分からないからね〉
《2秒程度でしょうか?これくらいなら会話に戻っても不自然ではないでしょう。脳内時間の加速を停止します…》
美鈴の反応からここまでの思考や会話にかかった時間は、現実時間にして2秒。
目隠しの呪術師もかくやという驚異的な速度での思考能力は、まさに兵器と呼ぶべきサイバーチックな異能であった。
*
アルシアに入って宿屋を見つけた3人(+美鈴)は、一階にある食事処に陣取り数時間にわたっておしゃべりを続けていた。
フロントから姦しい3人組の様子を眺める店の主人は、彼らを迷惑な客だと思って険しい表情を浮かべてはいるが、しがない宿の主人に過ぎない自分にそんな無礼なことができるかと嫌々ながら静観を決め込んでいる。
それもこれも全部、あの褐色の二人が原因だ。
何せあの二人、ライアーもといライアノール・R・クライヴとハイヤもといハイヤアライア・R・クライヴはエートラム連合政府の高官なのだ。
なんなら辺境の都市国を治める王よりも権力を持つ彼らを知らない者など、ましてや迷惑だからやめてくださいなどと言える奴がいてたまるか。
表舞台に出てこない文官ならまだしも、彼ら——いや、あの方々はゴリッゴリの武官で先の帝国との戦争において最も活躍した二人なのだ。
単純に怖いし、政府高官も泊まる宿という箔がつくので一概に害悪と言えないのが辛い現状だった。
そんな心境をあの二人が察するはずもなく。
初めて遭遇した"迷い人"から聞く話に夢中になり、時間も食欲も忘れて没頭していた。
「昔会ったことがあるって人から話は聞いてたけど、やっぱり生で聞くと違うね〜。リアルな質感っていうかそーゆうのが伝わってくるよ」
「何聞いても新鮮でめちゃくちゃ面白いな、"チキュウ"ってやつは…。魔法が無い世界で生きるなんて考えたこともねぇし、聞けば聞くほど科学ってモンの凄まじさがよくわかるな」
「僕からしたらこっちの魔法っていう概念の方が凄まじいと思うよ。魔素を介したあらゆる事象の発現…地球だと厨二病だのなんだの言われるワードだけど、こっちでは実際できるって考えるとヤバいね」
「"チューニビョー"…?あぁ、さっき言ってた思春期の子によく出るアレね。…でもこっちでもつい最近まで戦争はしてたんだよ?それに魔法も、万人がなんでもできる様になる程扱える代物じゃ無いし」
「それでも、だよ。今まで自由さえなかったんだ。こっちでは面倒ごとになんて関わらず家族と一緒になにごともなく過ごせれば、それだけでいい」
「家族?一緒に来てるのか?」
「いや、来てるのかまでは分からないかな。転移したときに近くにいたってだけだし」
「なら転移してる可能性は高いな」
「目撃情報とか入ったら教えとくね」
「ありがとう」
遭遇した時の緊張感はどこへやら。
和気藹々と話しながらも相手を慮る様は、宿屋の主人から見れば長年来の友人のそれとなんら変わらないように映った。
*
アリシアに着いた頃にはまだ天高く昇っていた太陽が地平線に隠れ始めた頃合で、ようやく蓮達は食事を注文し始めた。
周りが見えなくなるほど熱中していたライアーとハイヤも流石に周囲が暗くなって灯りが灯り始めたことには気づいた様で、長時間居座っていたことを店の方に謝罪して大きめのポーチほどもある白い簡素な袋いっぱいに何かを詰め込んで渡していた。
何を渡したのか蓮が問うても教えてくれなかったが、十中八九迷惑をかけた謝罪。
もとい、金であろう。
先程聞いた話によるとエートラムの通貨は硬貨のみであり、鉛貨、鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨という順で高くなっていくそうだが一体どの程度支払われたのだろうか。
いろいろな物の物価を聞いて判断するに鉄貨の価値は地球でいうドルとほぼ同等らしく、百枚集めると次の硬貨にランクアップするようだ。
ようするに、金貨は一枚で百万ドル、白金貨に至っては一億ドルもの価値があることになる。
いくらこちらの世界では白金や金が希少とはいえ価値をつけすぎでは無いだろうか。
中身はただの鉄で、白金がメッキされているだけのコインが、国家予算案決議レベルの場においてしか用いられないような凄まじいモノになっている話を聞いた蓮の顔には、しばらく引き攣った笑顔が浮かんでいた。
袋の中身は精々鉄貨程度だと信じたいという希望的観測で締めて、それ以上の思考を打ち止めることにしたのだった。
ちなみに、確認していた店主らしき人物は中身を見て泡を吹いて倒れている。
気を失うと同時に落とした袋からこぼれていたのは鉄よりも光沢のある銀色だった。
綺麗な銀貨だ。
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