第24話

 

「あなたが冷静になれば、なにかいい方法がおもいつくかとおもっていましたが」アルベリアは、食器棚からワイングラスを数本とりだし、ウエスでみがいた。

「ですが、私にもいいアイディアがあります」

 アルベリアが次に棚からとりだしたのは、薬箱であった。そこから一本の薬瓶を机のうえにおいた。草介は、その禍々しいビンの色合いに息をのむ。みつめれば、目をそむけたくなる危うさを孕んだ、毒薬であった。

「このままだと私たちは、ネコにくわれるだけです。クロネコは、獲物を殺す時に、獲物の体に苦痛をあたえ、弄ぶとききます。森でみつかる死体は、そのほとんどが肉体を破壊されています。簡単には殺してくれない。腕と足をもぎ、臓器をぬきだす。泣きさけび、命乞いをするところをみて、自分が強者であると認識するとか。私は子どもたちに、凄惨な死をむかえてほしくない……」

 アルベリアの提案とは、今宵の晩餐を豪華な物にし、そこに毒薬を混入させることだった。この毒は、即効性が強く、苦しみもなく、眠るように死をむかえることができる。

 草介は嫌だ、死にたくないと叫び、アルベリアに制止をかけた。

「アルベリア、オマエ、死が怖くないのか」

「眠れない日が何日もつづくと、永眠の誘惑の影が私にしのびよるのです。私の体は私のものである。その根底がゆらぎつつある。遠い空から私をみつめ、そして、空に引きずり込もうとしている、だれかがいる。目的地は月なのかもしれない。私はその引力に抗えずにいます」

 彼女の瞳は、澱がつまり、ぶきみな色ににごっている。

 アルベリアが服用する薬は、強迫観念が副作用となるものもふくまれていた。

 草介は首をふった。

「子どもたちは、オマエのことばを信じてがんばっているんだぞ? なのに、そのオマエがあきらめ、アイツらを殺すというのか」

「マァ……なにもせずに、かくれてピーピー泣いていたヤツが、えらそうね」アルベリアは、クスクス笑う。

「人間に与えられた最後の権利は、死に方を選ぶ権利だとおもいます。私はこのお城の姫として、彼らには、幸福な人生であったと目をつむってほしい」

「ふざけんな!」草介は、アルベリアににじりより、両肩に手をかけた。「ガキどもはそれを望んでいるのか? オマエは、いつもそうだな。どうせ壊れてしまうなら、どうせ望んでいるものが手に入らないなら、壊してしまえ。そんな厭世的な想いで、祈りという名の甘言のもと、星を破壊しているんだろう」

 アルベリアは「ンー」といいよどみ、すこしの合間、かんがえた。

「そうかもね」アルベリアは草介から目をそらした。空虚な瞳を、どこかよそにむけている。「もう最後になるかもだからいっておくと、私、最初に星を破壊したのは、私のことを排他した世界なんか、消えてしまえばいいっていう衝動的な想いからだった。でもね、それだと味気ないでしょう? それに、ワガママな神様みたいだわ。だから自分に言い訳をすることにした。私は救済をあたえるために、苦しみから解放するために、世界平和のために……祈ることにした」

「……オマエ、やっぱり空太のいっていた、石神 優里なんだな」

 アルベリアは、あいかわらず草介と目をあわせぬまま、口をきつく結び、こたえなかった。

 その反抗的な態度に、草介は激昂した。「なんかいえや!」彼女の両肩を激しくゆすった。アルベリアのちいさく細い体は、枯れかけたタンポポの茎のように、抵抗する術をもたず、ゆさぶられるしかなかった。

 草介のなかに眠っていた、感情のかたまりが、激流のようにあふれでた。

「オマエは生きなくちゃいけない。

 オマエは、死んでいった星のためにも、死んでいった命のためにも、生きなくちゃいけない。

 だけど、そんな道徳的なことは、どうでもいい。

 オマエには、自分の行ったことが子どもの癇癪だったと気づく日が、かならずおとずれる。そして、泣きながら自分の選択を悔やむんだ。幼き日の自分の未熟さを思い返し、ふとんの上でのたうち回る日がくる。そしてその時、また希死念慮にとらわれ、苦しむことになる。その苦しみは永遠につづく。そう、この空間には、死という救済がむこうから迎えにこないから……。永遠に自分の罪を、自分一人だけで抱きかかえ、苦しみながら生きていくことになる。

 ボクは、そんな惨めなオマエのすがたを想像するのが好きなんだ。

 だから生きろ。

 躯になった星のために生きられないなら、ボクの愉悦のために生きろ」




 遠慮がちに、部屋のドアがキィと鳴った。

 ふりむくと、顔を真っ赤にしたアイリークがそこに立っていた。

「あ、あの……お取込み中のところ、申し訳ないのですが……」

「いつからいた」草介はアルベリアの肩から手を離した。

「え、えぇっとね、……いつからだろ~? タハハ」

「用は何? アイリーク」アルベリアは乱れたドレスを整えながらきいた。

「ア、はい。報告したいことがあって」

 アイリークがいうには、先ほどから、森の方から笛の音がきこえるという。

「そうかしら」アルベリアは耳をすませた。たしかに、かすかに笛の音がきこえた。ふしぎな心地だ……水の音のように、スとしみこんでくる。

 笛の音がきこえてくると、唸り声をあげていたネコたちは、シンとしずまりかえったという。

 アイリークが話しおえると、鈴の音がきこえた。

「鈴の音?」草介がちいさな声でいった。「ちかくを通った邪行使の仕業か? だが笛の音でクロネコを鎮圧するなんて、きいたことがないな」

 アルベリアはカーテンを開いた。

 薪置き場の火はすでに鎮火し、月の光だけが、お城の周囲をみたしていた。

 庭をてらす月明りが、三つの巨大な黒の毛玉をうつしだす。

 クロネコたちがおちつきをとりもどし、丸くなっていた。

 森から、笛の音をひびかせながら、巨大な影が、城にちかづいている。

「……そう。もう、たどりついたのですね」

 スカーフを巻いた邪行クロネコ、そして、その背にまたがった、赤い着物をきた少女であった。

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