第14話
小川を越えると視界は霧で真っ白に染まった。
一歩踏み入れると、体をおしつける空気の質がかわった。
四方から獣の気配と殺意をかんじる。
霧の中で、昔、空太を苦しめた人の声をきいたきがした。
幻聴のようだった。
鈴の音ともに、風がふき、声はふたたびおおきくなった。
耳をふさいだほうがよいのか、と空太は草介にたずねた。
傷口にすりこむように、それは空太を浸蝕した。
罪の意識が、奥底からわきあがる。
透明な痛みが、胸を切りつけている。
真っ白な霧のなか、胴元をロープでつないだ、ふたつの影奉仕がさまよっている。
もどったほうがよいのだろう、ペトラレイン様もいっておられた。
ことばにしたが、形になったかは不明だ。
鋭い牙をもち、死肉をむさぼる、気性の荒いカラスが、霧に身をかくし、威嚇する声は、きこえた。
空太は、ペトラレインがお城の二階で焚いているという、灯光を探したが、それらしきものは、みあたらなかった。
草介と空太の腰をつなぐロープ。その先には、たしかに先行する草介の影が映っていた。だが彼は、先ほどからひとりごとをつぶやき、空太のことばに耳をかそうとしない。……これは、本当に草介か? 空太は疑念をもった。
「ボクは軍人の子どもとして生まれた。幼少期から、武器の使い方や、敵との戦い方、人々の心を委縮させ、そして手にいれる掌握術、異国の兵法、拷問のやり方……を学んだ。軍刀はおもくてもてなかった。だがボクには、そんなものは必要ない。ボクの脳の価値は軍刀なんぞよりもおもく、そして、遥かにおもたい、『運命』という重しすらももちあげることができた。そう、ボクは天才軍師。毎晩、ふとんのなかで、そういいきかせた。自分の下で、自分の命令で意のままにうごく兵がいるという妄想は楽しかった。ボクの指先の指令ひとつで、敵国を火の海にすることも、敗戦国の女を凌辱することも、顔がよく、ボクよりもモテる兵士を犬死にさせることも、簡単だ。ボクは、人の上に立つ存在として、この世にいるのだとおもっていた。
戦場に疾風を吹かせ、そして、疾風はすべてをうばいさり、ひとり占めにしてしまう。『疾風の草介』ふとんの中で妄想するボクの背後には、多くの死体と、裸の女がひれ伏していた。
だがボクがあの世界で待ち受けていた運命は、ひとりの犬死としての兵士だった。同じ学校のバカどもは、身の程知らずなことに、このボクのことを『臆病風の草介』なんて呼びやがった……。
ボクはその時気づいたんだ。アァ、ここは本当はボクのうまれる世界でなかったのだ、ってね。
本当のボクは、きっとお金持ちの家の貴族、もしくは国家が最高報酬で雇う価値のある、天才美形軍師なのだ。
だって、ボクはこんなに美しい造形なのだし、頭も優秀で、だれにでも慈しみを与えることのできる心優しい人間だ。そこらの雑兵として終わるような存在ではない。
豪華な造りの館にすみ、キラキラな宝石いっぱいの服をきて、たのめばいつでも高級な牛の肉をたべることができる。
そこにはペトラレインのような二流のメイドなんかではなく、もっと美しく礼儀のただしいメイドがいつき、毎晩、ボクの性奉仕をしてくれる。
これが本当のボクのすがたってわけ。
もしもそれはちがうと神がいうのであれば、神が愚かなのだ。ボクではない。まちがっているのは、神だ。
最初……クソベリアに呼びだされた時は、なぜボクが? っておもいはしたけど、よくよく探検してみれば、ここはすばらしい場所だ。この異電子乱流の空間は、いろんな世界とつながっている。ボクたちの世界で例えるなら、お城はさながら駅みたいなもので、この魔霧の森は線路……べつの世界への通路というわけだ。
ボクは他世界の雑誌を、時々、邪行使からゆずりうけている。
ボクは自分がゆくべき世界の選定をおこなっている。
アルベリアは神のふりをしているが、ボクは本物の神である……世界を選ぶ立場にあるのだから。
この監獄に、ボクは閉じこめられたのではない。あえて。あえて、だ。ボクは他の世界にわたるために、あえて、この空間を利用しているのだ」
いつのまにか、空太の幻聴はきえていた。
キーンと耳のおくに痛みが走った。
息苦しさが増してくる。
呼吸をとめろ、数歩、下がれ、と草介(……の影)がいった。
「これより先は酸素がない。本当は専用の服がなければ、ボクたちは押しつぶされてしまう。ここから先は、肉体では到達できない場所。でもボクはこの景色をみることが好きだ。人間というあわれな存在が、必死に抗った、爪痕をみることができる」
草介は霧のおくを指さした。
青い光がみえる。
「これは、幽王星」
デコボコに荒れ果てた大地は、真っ白にかがやいていた。
宙に、おおきな岩石のようなものがうかんでいる。
白い粉塵が舞い、黒くかがやく、鉱石が地表にちらばっている。
「ここは、宇宙……」空太は宙をみあげた……真っ暗な空に、月は見えない。帯のような青白いものがならび、発光をくりかえしている。「オーロラ……なのか? 空にうかんだあの線は」
「クレーターの真ん中に、黒色の旗が立っているだろ? 人類は、この星に存在する、レディメティカという特殊な物質をもとめた。あの、黒色にかがやく、鉱石だ。あれは、高水準のエネルギーを内包し、さらにあらゆる武器の原材料となりえた。この黒色の旗をもつ国は、レディメティカを採取するため、宇宙へ飛び、何千人もの死者をだしながら、幽王星にたどりついた」
「……やはり、気球でたどりついたわけではないのだろうな」
「気球?」草介が首をかしげた。「急になんだ? 浮きたいのか、浮いているのは、あのお城でのオマエの立ち位置だけにしておけ」
(君のほうが、よほど立場的には浮いているだろう……アルベリア様は、常々、君への扱いに困っておられる)
「アルベリア様が自家用車として一つほしいそうだ。月に旅行にいくらしい」
フンと草介は鼻を鳴らした。
「そうさ。そのアルベリアが、いよいよレディメティカを採取するというシークエンスに移行した時、星を崩壊させてしまった。星の人々は全員いなくなってしまったが、旗だけはこうして残った。
ボクは、眠れない夜に、ここにきて、旗が無重力にゆれるさまをみて、癒しを得ている」
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