第8話

 深夜。

 子どもたちは眠っている。

 空太はしずかに起きあがった。

 リビングの破損した個所から、月光がさしこんでいる。

 月のかたちをたしかめるため、空太はその場所から空をみあげた。

 大きな木の枝に、白色のフクロウがとまっている。

 赤い目をしている。

 空太と目があうと、ぐにゃりと輪郭を歪ませ、ホホウと一声鳴き、とびたった。白い羽が一枚、部屋におちてきた。月だとおもったものは、彼のかがやきであった。月のうかんでいない夜であった。部屋はふたたび暗闇につつまれた。

 護身用に、キッチンのナイフをポケットにいれ、玄関にむかった。


 玄関戸の前に人影があった。

 ランタンの放つ紫色の灯りをたよりに、読書をしていた。

 かたちのくずれた神様が、表紙になっている本であった。

 空太にきづくと本をとじた。

「アルベリア様に夜這いでもしかけるおつもりで?」

「ペトラレイン様……」光のない、深夜にみるペトラレインの影は、幽鬼的であった。人というよりも、黒いかたまりで作られた、マネキンにちかかった。

「アルベリア様は、二階の寝室にておやすみです。ですが、アルベリア様は不眠症を患っておられる。今宵も、眠れずに、過去にむけて贖罪をなされているかもしれません。あの方は、とてもお優しい方なのだから」

「あなたはなぜ、おやすみにならないのですか?」

「少々、特殊なからだの造りをしているのです。姫様の身に、いつ危険がおよぶか、わかりませんから。ところで、空太は、夜のおさんぽ、というわけではありませんね? あなたの顔色をみればわかります」

「……申し訳ありませんが、私はこの家にいるわけにはいきません。妹をさがさなくてはいけませんし、家で母も待っています」

「アルベリア様は、あなたの行動を読んでおられました。試しに玄関戸に手をかけてみてください」

 ペトラレインにせかされて、空太は、玄関戸をひらこうとした……。

 ガタガタとかわいた音が鳴るだけで、ひらかなかった。

「カギがかかっている……」

「昼間でしたら、散策や畑仕事をする子のために開放していますよ。カギは、アルベリア様がつねにもっています」

「そんなこと教えていいんですか?」

「空太の町にもどるには、森をぬける必要があるのです」

 小川のむこうの森には魔霧がただよっている。

 毒はふくまれていないが、方向感覚と意識をくるわせる作用がある。

 くるいおちたところを、邪行クロネコがくらいつく。

 この城にたどり着く者は、霧に抗体をもっているため、精神汚染を防ぐことはできるが、方向感覚についてはどうすることもできない。

 ペトラレインは、邪行使から、特殊な電磁器具を購入した。

 それは、つねに彼女の懐にしまっていて、狩りの時、帰城のためにつかう。

「だから、空太ひとりでは、町にはもどれません」

「私はひ弱にみえるかもしれませんが、男です。今ここで、あなたの体をくみしき、力で屈服させ、その電磁器具を奪う……、そんな可能性は考慮しませんでしたか?」

「おもしろ」ペトラレインはすーっと目を細め、一目でわかる、作り物の笑みをうかべた。「私を力で屈服できると、本気でおもっているのですか?」

「それは、やってみないことには」

「試してみますか?」

 空太は背筋につめたさをおぼえた。

 ヘビに睨まれたカエルのように、うごけずにいた。

 ……彼女は生存競争の頂点に君臨すると、本能で理解した。

「アナタは何者なのだ?」

「ただの、ユーストラ公国の姫に仕える、メイドですよ」

「……ここが国なんて」

「アナタの目からは、私がなににみえますか? 人? メイド? それとも、人のかたちをした、精巧な作り物?」

 メイドの笑みはとてもさみしそうなものにみえた。

 空太がなおも、玄関口をにらんでいると、ポツリと、彼女はつぶやいた。

「ひとりぼっちはさみしいと、あのお方はいっていました。

 そして、おなじようにひとりぼっちを怖がる子に、手をさしのべようとした。

 ここは、世界のどこよりも、ひとりぼっちにやさしい国……そして、難攻不落、鉄壁のお城。

 アナタがすむ町の空をおもいうかべてごらんなさい。

 空よりふるのは、美しい雪などではなく、膨大なエネルギーをもつミサイルだ。

 ここの空には美しい星がうかんでいる」


 このお城には、戦の火がとどかない。

 燃えおちることもない。

 あつまる人々に、戦の火種をかかえる者が、いないからだ。

 外の空をとびまわる、鉄の鳥たちも、この場所を捕捉できない。

 彼らの目には、しずかな波間をゆれる、異電子乱流がみえないし、まよいこめば、くるってしまうからだ。

 時々、巨大なクロネコがあそびにくるが、ソっとしておけば、手をださない。


 このお城は、世界で唯一の絶対安全領域。

 

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