❹駅前の、映画館……?
「……本当にいいのか? これで」
「……いいの。もう、なんでも」
リルウはうつむいたまま、首を振りました。フェリの気遣いさえも容赦なく跳ね返すその震えは、心の乱れを体現したといえるでしょう。
バスは水道道路を逆行し、宮戸橋通りを通って第5小学校を過ぎました。上にはJR武蔵野線の高架線路が斜めに走っており、まっすぐに北朝霞駅へと向かっていきます。そこに沿う道は狭く、路線バスが入れるようなものではありません。
ですからそんなバスは少しでも広い道を選ぶように、右や左へカーブしながら大回りをしていきます。
《ちょっとはショートカットしてもいいのに……》
とフェリはふと思いましたが、バスの答えははきっと、
《今、そんな気分じゃないから》
だろうな、と思いました。
やがて、陸橋の手前に構える大きな回転寿司屋の交差点を右に曲がっていき、「西弁財1丁目」というバス停を通過しました。武蔵野線の高架線路の下をくぐって左に曲がると、あとは朝霞台駅に向かって直進するだけです。
「……朝霞台駅から、どうやって『ユナイテッド・シネマ』まで行くんだ?」
「北朝霞だよ。武蔵野線で新座まで行くの」
「……金、かかるな」
「うん……ごめん」
リルウは窓の外に目を向けました。バスはロータリーをぐるりと回っている最中で、外の景色はグニャグニャに曲がって見えました。よく見るこの景色を、いちいち気に留めるリルウではありません。
でも、今回だけは酔いそうな気分になりました。
バスは半周回ったところで停車し、出口のドアを開けました。
バス停には、下校中の学生や営業中のサラリーマンがたくさん並んでおりました。バスの運転手が帽子を被りなおしたことは、これから忙しい時間が押し迫るということを示しておりました。
2人がバスを降りて入り口が開くと、乗客たちはゾロゾロと物々しい足音を立てながら中へ入っていきました。
まるで軍隊の行進を思わせるような、緊張感を催す足音でした。
さて、リルウとフェリは東上線の改札前までエスカレーターで移動しました。
フェリは、前に立つリルウの後ろ姿をぼんやりと見つめていました。腰元から裾がのびる白一色のワンピースの上で、ピンク色の髪が少し風に揺れて、桜が散ってゆくような風景を思い起こさせました。
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リルウと初めて出会った、小学生の頃。
《あ、ヘンなコがいるーっ!》
とか言われて、オレンジ色のドレッドヘアを揉みくちゃにされた、入学式。すぐに向こうのお母さんが出てきて「ごめんね」と謝ったかと思うと、すぐにリルウを叱りつけました。
《そんなこと言っちゃダメでしょ!?》
《だって、かみのけがチリチリだもん。イモムシみたいでおかしいもん》
《人をそんな風に言うんじゃないの!!》
リルウは頬を叩かれて、かえって逆上しました。お母さんの勢いに負けるものか! と小さな体をいっぱいに広げて張り合いました。
その様子を見たフェリは何も言えずに立ち尽くしていましたが、
《気にしなくていいのよ》
と優しく肩を叩かれ、式場の体育館へ手を引いてもらいましたとさ。
その後もリルウにイタズラをされたり、からかわれたりしながら、フェリは彼女と過ごしていきました。彼も最初はイジワルなリルウに困っていましたが、やがて打ち解け、その関係は高校生になった今に至るまで、切れることなく続いているのです。
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フェリが思い出にふけるうちに、リルウは黙って東上線の改札を通り過ぎ、下りのエスカレーターへと向かっていきました。この先に、JR武蔵野線の北朝霞駅があります。
エスカレーターで下りていくと、今度はリルウのつむじの辺りを見ることになりました。リルウに散々振り回されてきたフェリが、彼女よりも上の立場になりました。彼女は身動きひとつせず、手すりを触ったまま立っております。
上から見下ろされたくらいでは、彼女は動じないようでした。それもそのはずでした。
小学生の時からフェリのほうが身長が高くて、少し小柄なリルウがフェリをあれこれ振り回すのが日常だったのです。
第一、「俺のほうが高いところにいるよ」と言い出さなければ、気にも留めないでしょう。彼らは高校生なのですから。
フェリには、彼女の背中に向かってそんなことを言えるはずもありませんでした。
地下駐輪場の下り階段の近くでは、袈裟と三度笠を身にまとった僧侶が鈴をならしております。
その音はフェリにもハッキリと聴こえました。心の中に燻っていたあらゆる雑念を、まるで仏様が消してくれたようでした。
《そういえば、リルウ……映画館の話してくれないな》
「泣ける映画とか見る?」
「久しぶりじゃない? 映画館」
「ぶっちゃけ、エンドロール中に帰る人ってどう思う?」
「ジャンケンしよう? 負けたら、ポップコーン代おごりで」
今日のリルウは、そうやって絡んでくる女子ではないようです。フェリとは関わらずに、自分自身と向き合っている……と、後ろ姿は物語っているようでした。
大変なオーディションに2度も合格したのに、そのチャンスはことごとく潰される。リルウが悪いわけではありません。だから心は怒りや悔しさで破裂寸前で、いつ破れてもおかしくないほどボロボロになっているのでしょう。
今日見る映画は、そんな傷だらけの心を癒すものなのです。
そう思うと、フェリは目のまわりに熱がこもっていくのに気づきました。そしてたちまち、彼の目は雨粒に晒された窓ガラスのように、景色をグチャグチャに映していました。
エスカレーターを降り、ぼんやりと映るリルウの背中を追い、JRの改札を通り過ぎていったことも、彼は気づきませんでした。厳密には、時々涙がこぼれて視界がよくなったため、使うはずの駅を通り過ぎたのには気づいていました。
その違和感にまさるほど、フェリの心は、かわいそうなリルウに近づいていたのです。
「フェリ君、映画館着いたよ」
何も知らないリルウが振り返ると、フェリの目はいつの間にか真っ赤に腫れ上がっております。
「……どうしたの? 蚊に刺された?」
冗談のつもりできくと、
「……いや、平気」
フェリはそっけなく返しました。
リルウはその腫れが何なのかが不思議に思いましたが、そんなことよりも、とフェリを階段の前まで連れていきました。
そこは北朝霞駅近くの駅ビルであり、昨日カラオケに行ったところとまったく同じ場所でした。
「……ここ、映画館なんかあったか?」
「できたんだよ、最近」
フェリはリルウを信じていたい、と思いつつも疑念を抱きました。そんなものが駅のすぐ近くにできたら、きっと大いに話題になるはずです。この狭くて汚い階段だって、今頃は人でごった返しているはず……。
朝霞市って、ここまで影薄かったっけ……?
娯楽や交通の良さも、総人口も新座市のほうが上。さらに向こうは東京都と接しているのですから、社会的地位でも朝霞市は大いに負けております。
でも、映画館ができたら……さすがに話題にはなるでしょ……?
しかし、フェリの心はリルウに寄り添っておりました。彼女は理不尽な目に遭って苦しんでいるのですから、階段を上るリルウの背中を追って、3階まで向かいました。
やってきたのは、昨日行ったカラオケ屋。しかし、リルウの向かう先はその反対方向でした。
「『ミナコスタジオ』……?」
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