❷想い出をください
テーブルに突っ伏したまま、リルウがチラッとフェリを見ました。
「……フェリくん、歌ってよ」
「……やだよ。俺は聴くだけでいい」
フェリは目を逸らし、首を震わせるように振ります。
「フェリくん、いっつもそうじゃん! カラオケ行っても聴くだけだし、テーマパーク行っても、アトラクションとかひとつも乗らないでベンチに座ったるだけだし、映画館行っても映画見てるだけだし!!」
「映画館で映画見りゃ十分でしょ!!」
リルウはミリキアのヘアバンドを指でつつきました。
「俺だって、こんなに苦労して歌ったんだぜ?? お前だけ少しも苦労しないなんて、さすがに不平等だろ!」
「そうだよ、みんな苦労したんだから!」
「そうだよ、そうそう!!」
気がつけば、3人はテーブルから立ち上がってフェリを上から見下ろしていました。その態度はまさしく鬼気迫るようなものでした。
「……分かったよ」
フェリは決心し、フロウガンの手元にあったマイクを自分のほうへ引き寄せました。
「おおおっ!?」
この4人は幼馴染みで、小学生の頃から知り合いでした。しかし、フェリの歌を聴くのはこれが初めて。今までに何度頼んだか数え切れませんが、彼はその度に断り続けてきたのです。
「……俺も、リルウとかミリキアみたいに苦労したしな」
フェリはつぶやきながら、デンモクで曲を選び始めました。
「おい、俺の苦労は??」
置いてけぼり状態にされたフロウガンを横目に、フェリは思い浮かんだ曲を入力しました。
ディスプレイに表示されたのは、
【クリスマスイブ/山下達郎】
でした。
「渋っ……」
「……悪かったな」
「ダメだよ、リルウちゃん! フェリくん、初めて歌うんだから。もっと盛り上げてあげないと!!」
ミリキアに促されて、
「そうだよね! 待ってました〜!!」
「いよぉっ! カラオケ真打!!」
みんなは次々にフェリを囃し立ててゆきました。フェリはすっかり緊張しております。曲のことはだいたい分かっているのですが、初めてカラオケで歌うわけだから、感覚が分からないのです。
流れてくる切ないBGMと自分の出す声で、いったいどういう曲になるのか……。
いささかの不安を抱えながらも、フェリは淡々と歌いだしました。
その声を聞いた途端、他の3人は黙りこんでしまいました。
透き通るような綺麗な声で、冬場の寒い景色と、切ない主人公の心情までも、見事に表現してしまいました。うまいとかバズりそうとか、高度なテクニックよりも、みんなが思い浮かべた言葉は、
「芸術」
でした。
フロウガンは腕を組んだまま眉をひそめ、ミリキアは口元を手で覆ったまま固まり、リルウはプロの演奏家を見るような目でディスプレイを見つめました。
曲が終わると3人は、今まで我慢していたものを解き放つように、フェリに対して歓声や拍手を送りました。
「ヤバかったよ、フェリくん!!」
「なんで今まで歌わなかったんだよ!?」
みんなは立ち上がって、座ったままのフェリに詰め寄りました。彼は恥ずかしそうに目を逸らし、
「……別に、いいじゃんか」
とつぶやくように言いました。
「音楽は好きなの?」
「まあ、聴くのはね」
リルウはさらに事情をたずねようとしましたが、そこで受付からの連絡が届き、残り時間が10分であることを告げられました。
「じゃあ最後に、みんなで歌おうよ!」
ミリキアが言い出すと、みんなもそれに賛成しました。
ところが、大変なのは曲選びです。ミリキア、リルウ、フロウガンはだいたい今ドキの歌を知っていますが、フェリはあまり知らないと言います。
「あの時流行ったこれはどう?」
「昔の歌だと、これとかどうだ?」
と提案しても、ことごとくフェリは、
「……知らない」
「聴いたことない」
と答え、3人の頭を悩ませました。
3人のアイディアが尽きたところで、フェリはこう言いました。
「『つばさをください』なら分かる」
「え、そう来る!?」
リルウは苦笑いを浮かべましたが、確かにいいかも……と何となく思いました。
「あれ、合唱の曲だろ? 小学校とかで歌ったやつだろ? そんなもん、カラオケにあんのか?」
「いや、あれは70年代のフォークグループのヒット曲だから、普通にあると思う」
「そうなんだ! フェリくん、すっごく詳しいっ!!」
ミリキアはすっかり感心して、思わずデンモクを手に取り、その勢いのままに検索から入力までを済ませてしまいました。
ディスプレイに曲名が表示されると、
「……音楽の授業で歌ったよね」
リルウが懐古しはじめました。
「あのときさぁ、メッチャ純粋に楽しんでた気がする。音楽の授業」
「あ、分かる〜。今高校のやつなんて、クラシックの難しいやつとか、音楽史とか、とにかくめんどくさいよね」
「モーツァルト鑑賞中に寝てたら、ババアのセン公に引っ叩かれたことあるぜ」
「……言わなくても、だいたいみんな知ってるよ」
フェリがぼやくように言うと、
「うるせぇ!」
とフロウガンが肩を抱き、マイクを互いの口元へ押し込みました。
それを見たリルウとミリキアもそばへ寄って、2人でひとつのマイクを手にしました。
伴奏が始まると、みんなの心は小学生の頃に戻ってゆきました。
同じ学校に通い、同じランドセルを背負い、時々違うクラスになったりしながらも、授業が終われば4人で帰宅したり、放課後も泉水坂の上にある公園や黒目川でいっぱい遊びました。
その無邪気な姿は、まるで遥か昔のようです。
中学校からは部活動や勉強が格段に忙しくなり、4人で会える時間はめっきり減りました。もちろん、スケジュールが合ったときには思いっきり遊びました。
ただ、会話の中に学校生活の愚痴や人間関係の悩みなどが入ってきたりして、雰囲気を壊してしまうこともしばしばありました。
それは、高校に入ってからも変わりません。今日はみんなの予定が合ったから会えたけど、毎日やることが山積みなのです。卒業後やその後の人生など、頭を悩ませることは指数関数のように増えてきました。
そんな中で幼い頃を振り返る4人の声は、ハッキリと共鳴していました。
想い出の中に浸りながら、みんなの歌声は自然と混ざり合い、音楽となって流れていきました。クオリティとか芸術性なんてものは、そこにはありませんでした。
歌が終わると、4人からは自然と拍手が起こりました。
「いやー、楽しかった!」
4人は立ち上がり、伝票や自分の荷物をまとめて、個室を出ていきました。会計を割り勘で済ませて店を出て、ビルの階段を地上まで下りていくと、外はすっかり夜になっていました。
JRと東武線の改札からたくさんの人が流れてくる中、4人は朝霞台駅のバスターミナルまで歩きました。
「じゃ、また明日学校でっ!」
4人はそこで解散し、各自の家へと帰って行きました。
○
「……え? 俺がボーカル?」
明くる日の放課後、フェリは昨晩と同じビルの前に立っていました。
「そう。昨日の歌声で、わたし、ビビッときちゃってさ」
呆気に取られているフェリの腕を無理やり引っ張り、リルウは息を荒くしながら階段を上っていきました。
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