ピンチシンガー
盛 企
❶高校生のカラオケ
○
北朝霞駅前のカラオケ屋の一室。
4人の高校生たちが、思い思いに歌っておりました。
「じゃあ次、あたしの番ね!」
黄色いヘアバンドをつけたミリキアは、マイクを片手に意気込んでおります。それが過ぎて、両手と両足がソワソワと震えておりました。
まぶしいディスプレイから流れ出したのは、「けいおん!」でお馴染みの「放課後ティータイム」の楽曲。原曲の平沢唯のボーカルの真似をするように、可愛らしい歌声を披露しました。
音程やテンポのズレなどもなかったため、みんなはすんなりと聞けたようでした。曲が終わったときには、みんなから温かい拍手が送られました。
ディスプレイには、次に入力された楽曲が映し出されています。
「次は、わたしかな?」
ピンク色の髪をしたリルウに、マイクが渡りました。まるで棚から物を取るような手つきで、ミリキアから奪うようにしてマイクを手にしたのです。でも、ミリキアや他の男子2人は、特に何も言わず、平然と彼女の歌を待っておりました。
流れてきたのは、「推しの子」にタイアップされた「YOASOBI」の最新楽曲。習い事でピアノやサックスを練習しているリルウの歌は、もはや格別のものでした。
この様子をYouTubeにアップロードしたら、何百万回の再生数、そして収入を稼げるだろう……? とビジネス欲をかき立てられるほどでした。
途中で何度もラップのパートがありましたが、彼女は難なく歌いこなしていました。ところが、これから最終局面を迎えるという頃合いになって、突然マイクを置き、歌うのをやめてしまいました。
「おい、どうしたんだよ?」
隣にいたフロウガンがボサボサの銀髪をいじりながら、苛立った様子を見せます。
リルウはテーブルの下にうずくまって、大きな黒いケースを開けていました。ロックを開けて体を起こしたかと思えば、彼女の両手には、金色に光る楽器が。
あらかじめ家から持参してきていた、アルトサックスです。
「お、お前サックス吹くのか??」
「楽譜あるの? それとも、耳コピで吹くの??」
みんなは戸惑いつつも、これはすごいものが見られる! と期待感を高めました。そして、ラップパートが終わって曲のキーが転調したとき、リルウは立ち上がって、その美しい音色を響かせていました。
サックスの音が耳に入った瞬間、みんなは「おおおっ!」と歓声を上げました。曲が進んでいくうちに、手拍子やかけ声までかかり、リルウもそれを受けてますます音を強く響かせていき、この1曲は大変な盛り上がりのまま終わってゆきました。
「リルウちゃん、さっすが~!!」
ミリキアは腕をいっぱいに伸ばして、拍手を送りました。身を乗り出しすぎてサックスに触れそうになったため、「触んないで、大事な楽器だから!」とリルウに注意されてしまいました。
「よし、次ぁ俺だな」
フロウガンは画面も見ずに立ち上がり、みんなの使っていたマイクではなく、部屋の隅にセットしてあったもうひとつのマイクをわざわざ取り出し、「ア、アァ〜……」と声出しを始めました。
間もなく流れ出した曲は、野球応援でお馴染みの「X JAPAN」の楽曲。彼は、その辺りの場面をはじめ、ファストテンポで激しい曲には絶大な自信がありました。
激しいロックサウンドがウリのバンドです。いつ、耳をつんざくようなギターやドラムの音が聞こえるのか、と胸を高鳴らせていると……。
聴こえてきたのは、寂しげなアルペジオでした。さらに画面には、すべて英語で書かれた歌詞が。
フロウガンは面食らって、一室にはガイドのメロディを含んだ伴奏だけが流れていくだけになってしまいました。
「フロウガン、もう歌始まってるよ?」
リルウがフロウガンの肩を叩きます。
「……知らねえんだけど、ここ」
「え? ここ聴いたことないの?」
「……確かに、テレビとかでは聴かないかもな」
1曲も歌わずにただ聴いているだけのフェリが、腕を組みながらうなずきました。
「……分かんねぇわ。パスで」
「えぇー? いいじゃん、分かるとこだけ歌えば」
ミリキアにそう言われて、フロウガンは「演奏中止」のボタンを押さずに、席へと戻りました。
やがて、お待ちかねの激しいロックサウンドが轟き始めました。テンポもあっという間に高速になり、いよいよボーカルパートの番がやってきました。
フロウガンは目いっぱい力を込めて、歌い始めました。
しかし、マイクからはハウリングや怪獣のうめき声のようなひどい音と声が流れていました。ボーカルの音域も非常に高く、通常の男性にも難しいレベルの1曲なのです。
彼は音域についていけないどころか、明らかに違う音程で歌っているし、テンポも伴奏に合っていないし、歌詞が画面に出ているのに間違えたりと、出来としては散々なものでした。
他のみんなもフォローしてやりたかったのですが、ひたすら鳴り響く不愉快なハウリングと聴くに耐えないひどい声に、耳を塞がざるを得ませんでした。
「はぁ、疲れた〜……」
フロウガンは曲が終わると同時に、ぐったりとテーブルにもたれかかってしまいました。他のみんなも、それに合わせるように突っ伏してしまいました。
歌うほうも聴くほうも疲れ、個室の中はしばらく広告の音声だけが響くだけになりました。
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