第38話 命の選択

「ララナ!」


 全てを思い出した。今、目の前にいるのが誰なのか。自分にとって、どれだけ大切な人なのか、やっと、思い出したのだ。


 走る。


 だがララナはそんなリダファを見て、逃げ出した。構わない。リダファは追いかける。全速力で追いかけ、ララナの手を掴む。が、ララナは必死にその手を振り解こうとする。軽いもみ合いになりバランスを崩した二人は川の中に、倒れこむ。


 バチャン、という水しぶきと、ずぶ濡れの洋服。リダファはララナを後ろから抱き締め、耳元で『ごめん』と囁いた。


「駄目ですっ。リダファ様離してください!」

「悪いけど、もう一生離すつもりはない」

 抱き締める腕に力を入れる。

「駄目ですっ。私、私はリュナスだからっ」

「リュナス……ああ、巫女だっけ。うん、もうそんなことどうでもいいや」

「は? よくありません!」

「ううん、どうでもいい。明日世界が終わるんだとしても、それはララナのせいじゃない。俺、終わる世界をララナと一緒に見届けるほうがいい」

「……リダファ……様」

「ララナ、好きだ。愛してる……。ずっと、ずっと!」

「……っ!」


 ――さ、彼の気持ちはこれでわかったよね。リュナス、どうする? このまま世界を見捨てることにする?


 声にそう言われ、ララナは唇を噛み締める。何が正しいかなど、火を見るより明らかだ。自分が望んでいることは……いつだって、ひとつだけ──。


「私は……リダファ様に──いつも、いつまでも……笑っていてほしいのです」

 自分を掴んでいるリダファの腕をそっと外す。リダファに向き直ると、呆然とした顔のリダファの頬を引き寄せ、そっと口づけをした。この世界を──この人の笑顔を……護りたい。


 ――それが答えだね、リュナス?

「はい」

「駄目だ、ララナ!」

 叫ぶリダファの姿が、しゅるん、と消えてなくなる。


「リダファ様!」

 ――元のところに戻したよ。さぁ、リュナス、始めよう! 舞台に上がって、舞を舞って、歌って!


 声の主は楽しそうにそう言った。


 ララナは、すべてを吹っ切ったように立ち上がると、笑顔で『はい!』と返事をした。


*****


「リダファ様!?」

 一瞬でリダファが姿を消しただけでも驚いたのに、一瞬でまた目の前に現れた。イスタは目をぱちくりさせながら目の前のリダファの肩に手を置く。

 リダファはそのまま膝から崩れ落ちた。


「え? ちょ、おい!」

 焦ったイスタがしゃがみ込みリダファに視線を合わせる。

「一体何がどうなってるっ? 大丈夫なのかっ?」

 イスタに聞かれ、ゆっくりと首を振った。

「大丈夫な……わけないだろっ」

 絞り出すようにそう言うと、両手で自分の頬を力一杯パン!と叩く。


「イスタ! ララナを見つけたっ。この森のどこかに開けた場所がある。石でできた舞台があって、川が流れてる場所だっ。そこに、」


「そこが祭壇の場所なのかっ?」


 ここにいるはずのない第三者の声が聞こえ、思わず耳を疑う。が、顔を向けると確かにそこには、いるはずのない人物が、ちゃんと、いた。


「はっ? なんでここにジャコブ様が!?」


 エルティナス国王、ジャコブ・ル・デハ。間違いでなければ、ここはニースだ。しかも宮殿から離れた森の中だ。エルティナスの国王がいるところではない。


「やぁ、リダファ皇子。君を一発殴ってやろうと思ってね」

 出会い頭に一国の王が口にする台詞とは思えないことを言われるリダファ。

「いや、あの、お久しぶりです。でもいきなり殴られるのは、ちょっと……」

 せめて理由は知りたいリダファである。


「ジャコブ様、そんなことよりっ」

 ジャコブの後ろで渋い顔をしているのはエルティナス外交官のマシラ。

「おっと、そうだった。リダファ、ララナ妃はどこだっ?」

「え? あの、なんで?」

「君がボケボケしている間に、大変なことになっている。私はララナ妃から手紙をもらってね。事態は一刻を争うと知りアトリスへ向かったら、君たちはニースへ行ったというじゃないか。高速船を調達して急いで追いかけてきたのさ」

「わざわざニースまで」


「リダファ皇子、世界各国で起きてる自然災害については?」

「はい、ララナから聞きました。クナウの歴史と深い関係があるってことですよね」

「巫女の話は?」

「……知ってます」

 リダファが俯く。

「やっぱり、ララナ妃が?」

 ジャコブが声を落とし、言った。


「はい。さっきまで俺、ララナといたんです」

「はっ?」

 イスタが驚いて声を上げる。

「ララナと、その……神様? みたいな存在と一緒に。で、ララナに選択を迫ってました。世界を救うのか、それとも自分の願いを叶えるのか」

「で、ララナ妃はなんと?」

「望みは……俺が、ずっと笑顔でいることだ、と」


 そうだ。

 ララナは自らを犠牲にして世界を救う選択をした。巫女としてやるべきことをするのだという意思を……。


「……そうか」

 ジャコブが頷く。


「でも俺、無理です」

 リダファは顔を上げ、まっすぐにジャコブを見た。


「世界と天秤にかけても、ララナを手放すなんて、無理です!」

 はっきりと、そう、言った。

「だから俺、行きます!」

 その場にいた三人に軽く頭を下げ、走り出す。

「おい、リダファ!」

 止めようとするイスタを前に、ジャコブが言った。


「私たちも、行くぞ!」

「ジャコブ様っ?」

 マシラが声を荒げる。


「マシラ、私たちは、もしかしたらとんでもない出来事を目にすることになるかもしれない。これはクナウ文化を知る上で、とても重要な、大発見だ!」

 子供のような顔でそう言って、走り出す。リダファの姿を見失わないよう、全速力だ。

「お待ちくださいジャコブ様!」

 慌ててマシラも後を追う。


「おいおい、国王って走れるんだな」

 おかしな感想を口にし、イスタも慌てて後を追ったのである。

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