第37話 神聖なるもの

 ――そう、そこの茂みの奥に入って


 声の主に導かれるまま、ダルト火山の近くへと進んでいく。幼いころ入ってはいけないと言われていたこの森は、迷路のようになっている。もはやどこから来たかもわからない。どこを見ても、同じに見えるのだ。


 ――その先だ


 言われるがまま分け入ると、ザァッと視界が開ける。そこには小さな小川が流れ、奥には小さな滝も見える。森の中にぽかりと開いた広場には岩を砕いて出来たかのような円形の場所があった。それはまるで、舞台のようにも見える。


「うわぁ……なんて綺麗な」

 ――気に入った?

 声にそう言われ、何度も大きく頷く。

「ええ、素敵! なんて美しいの!」

 流れる川は透き通り、せせらぎは耳に心地よく、陽の光が水面をキラキラと照らすし、魚が泳いでいるのが見えた。


 ――気に入ってもらえたならよかった

 ララナの足元に小さなカニが歩み寄る。

「……え? 神さ……カニサマ……?」

 思わずカニにそう呼びかけると、一呼吸の後、声の主が大笑いをする。

 ――あははは! 面白い娘だね、今度のリュナスは!

「え? あ、違った……」

 赤らめた顔を両手で覆う。


 ――あながち間違ってはいない。私はすべての生き物に、すべての物に宿るのだから

「……宿る?」

 ――ああ、そうだよ。命あるもの、そうでないもの、すべてに私は宿っている


 ララナにはそれがどういう意味かは分からなかった。だが、生贄として差し出される相手にしては、恐ろしさを感じないな、などと吞気に考えていた。


 ――さぁ、じゃあ早速始めようか


 改めて宣言され、急に緊張する。生贄というからには、やはり食べられるのだろうか。あの円形の舞台は……、

 ララナはスッと姿勢を正すとゆっくり円形の舞台へと向かう。中央まで進むと、仰向けに身を横たえ目を閉じた。


 ――……えぇっと……何をしてるか……聞いてもいいかな?

「え? ……あの、これ……お皿、ですよね?」


 ――は?

「え?」


 一瞬の沈黙と、ゴフッという妙な音。どうやら吹いたらしい。


 ――ちょ、ま、待ってっ。も、おかしすぎてっ、そっ、それっ……皿じゃないしっ、リュナスを食べたりとかしないしっ、くっ、ぶはは


 またしても爆笑されてしまう。ララナは体を起こすと膝を抱え丸くなった。

「やだもう、私なにも知らなくて」


 ――リュナスは舞を舞うことが出来るでしょ?

「え、あ、はい」

 ――歌は?

「えっと、まぁ」

 ――今までのリュナスもそうだったように、歌と舞を披露しておくれよ

「え? ああ、それは……」

 要求されていることはそう難しくはない。が、それで世界は救われるのだろうか? 本当に大丈夫なのだろうか?


「あのっ、私の歌と舞で、神様は世界を救ってくださるのですかっ?」

 ストレートに、そう訊ねる。と、声の主はう~んと唸り、言った。


 ――リュナスの願いは、それなの?

「え?」

 ――世界を、救いたいの?

「だって……」


 頭の中に流れ込んできた白昼夢。そこでは、火を吹く山、大きな波に吞まれる人、干ばつで枯れ果てる作物、争い、ありとあらゆる不幸が映し出されたのだ。あんな未来、誰も望まない。


 ――確かに、リュナスは選べるよ。自分の愛する人と一緒にいたいならそれもいいね。それとも、世界を救う? 自分のことより、知らない誰かの幸せを願う?

「私は……」


 そんなこと言われても困るのだ。リダファとの日々は自分にとってこの上なく大切なものだった。けれど、自分の欲を優先した結果、どうなった? 嘘を突き通したせいで、結局はすべてを失っただけ。誰も幸せになど、ならなかった。


 ――決められないか。じゃ、考える時間をあげるよ。長くは待てないけど。……ああ、折角だから彼も呼ぼうか

「え?」


 ララナが疑問に思う間もなく、目の前にリダファが現れる。


「は?」

「……え?」

「ララナ!?」

「……リダファ……様?」


 幻を見ているのかと思ったが、どうやら違うようだ。今、目の前に突然リダファが現れた。どうしてか、などわからない。

「あれ? ここ、どこだ? 俺、さっきまでイスタと……、」

 辺りを見渡してもイスタはいない。森の中を走ってたはずなのに、だ。


「リダファ様……」

 泣きそうな顔のララナに、リダファの心臓がぎゅっと痛む。

「ララナ、無事でよかった」

 抱き締めようと近付くと、ララナが後ろに下がる。


「……え?」

 拒まれている。


「ララナ、大丈夫だ。もう大丈夫だから」

 一歩前へ足を出すと、ララナが一歩後ろに下がる。


 ララナは飛び込んでいきたい気持ちをぐっとこらえていた。今、リダファに触れてしまったら、きっと揺らいでしまう。自分の私利私欲に目が眩んでしまう。考える時間など、要らなかったのだ。とっとと答えを出してしまえば、


 ――リュナス、迷ってるね


 その声に、リダファがハッとする。誰もいないのに、声だけが聞こえるのだから。

「今の、なに? 誰かいるのかっ?」

 ――ああ、初めまして、人間。君がリュナスの心を惑わせてるんでしょ?

「は? 惑わせ……って、お前誰だ!」

 叫ぶリダファに、ララナが激しく首を振る。


 ――私は私さ。さっきリュナスは私をって言ってたけど。ふふ


 思い出したのか、一人で笑っている。


「カニ……サマ、」

 なんだろう。懐かしいような響き。

 頭の奥で、引っ掛かる、なにか。


 ――あれ? 君は記憶がおかしくなってるの? じゃあ、思い出させてあげようか


 パン、と何かが小さく弾ける音がし、リダファが瞬きをする。その一瞬で、失くしていた記憶がすべて蘇る。


 アトリスに来たばかりのララナ。

 言葉もわからぬまま、一生懸命気持ちを伝えてくれたララナ。

 命を救ってくれたララナ。

 いつも笑って、自分の隣にいてくれたララナ。


 ……ララナ

 ララナ

 ララナ!!


「……あ、ああ」

 頭を抱える。


「俺……俺はなにをしてたんだっ、」

 記憶を無くしてからの自分の、あまりにふがいない姿に軽く絶望する。

 泣いているララナ。

 伏し目がちに、辛そうな顔をしているララナ。

 皆に攻め立てられ、王宮を去って行くララナ。


「俺は……俺はっ!」


 やっとすべてが見えたのだ。


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