第36話 神のいる場所

 走りながらリダファを思う。大丈夫だろうか。自分のせいで、嫌な思いをさせてしまったのではないだろうか、と。


「ああ、なんでこんなことにっ」


 追手の気配がする。気のせいかもしれないけれど、複数の足音が迫ってきているように感じ、ララナは振り返ることも出来ず、ひたすら走る。


 森の中を走ると、開けた場所に出る。そこは幼いころによく遊んでいた場所でもあった。かつての主、ララナ・トウエを思い出す。姉妹のように育った、聡明なララナ。彼女の意志を継ぎ、ララナを名乗りアトリスへ向かったはずなのに……。


 立ち止まり、息を整える。辺りはしんと静まり返り、追手の足音どころか何の音も聞こえない。


 ララナは座り込み、目を閉じた。


 クナウという島が滅びた原因は、火山の噴火だったようだ、というのは、ウィルの屋敷で見つけた本を見てなんとなく分かった。そして火山は複数、地下で繋がっている可能性があると思われる。クナウ島がニースの近くにあったとされる記述が本当だとしたら、ここニースのダルト火山もまた、火を吹く可能性があるのだろう。実際、ララナの見た白昼夢では火山が火を噴いていたのだ。


「でもあれは、まだ起きてない……」


 そう。

 あの白昼夢は今までと違う。今まではほぼ同時刻の光景を見ていたが、あの白昼夢は『これから起こる可能性がある』出来事だとわかる。そしてまだ起きていないあれらの光景は、止めることもできるはずだ。


 問題は……止めるための方法がわからないということだけ。


 途方に暮れているララナに、その声は、話しかけてきた。


 ──来たんだね、リュナス!


 パッと顔を上げ、辺りを見渡す。人の気配はない。誰も、いない。


 ──待ってたよ、リュナス


 、は巫女を示す言葉。

 つまりそれは……ああ、やはりそれしかないのか。

 すべてが繋がった。

 ララナは立ち上がり、声に向かって言った。

「……私は、どこへ行けばよいのですか?」


 巫女は生贄。

 厄災を鎮めるための、生贄──。


*****


 宮殿の応接間には、アトリスから出向いた重臣たちが肩を並べ鎮座していた。対するニース側は国王他三名の宰相のみ、である。


 そもそも最初の嘘……偽ララナの話を知る者は、ニースでは国王ガイナのみである。宰相たちは真実を告げられ、どんな気持ちだったのだろう。ニースのように小さな島国は、外交で失敗すればそれが直接国の未来を左右しかねないほど影響を受けるのだ。


「大宰相様は、もう大丈夫なのですかな?」

 話が始まる前に、ガイナがエイシルを気遣う。船から降りた後、いきなり悲鳴を上げ尻餅をついたのだ。何事かと皆で駆け寄ると、刺されると死に至ることもある珍しい毒虫が這っていた、というのである。その場はパニックとなり、皆でその虫を探した。が、結局はどこからも発見されず。そのうち誰かが『もしかしたら服の中に!?』などと叫んだものだから、何人かの重臣は大慌てでその場で服を脱ぎ出す始末。


「お騒がせして申し訳ありませんでした。見間違いだったか、もしくはどこかに行ってしまったのでしょう」

 そう言った後、ふと話を続ける。


「そういえばエルティナスの農村では、今までにない害虫の大量発生が起きて農作物がだいぶ食われてしまったと聞きましたな」


 港での虫騒ぎは嘘だったが、これは本当の話だ。水害に干ばつ、虫の大量発生。各国で起きている災害は、これだけに留まらないのではないだろうか。


「ああ、それなら私も聞いております。ナニエ大陸の北では、大寒波が襲来しているとのことでした」

 ニース側の宰相の一人が口を挟む。


「アトリスでは水害……これは、偶然なのでしょうかね」

 エイシルがテーブルの上で手を組む。


 なんとはなしに、一同が静まり返る。

 リダファは声を上げたい気持ちを必死に堪えた。さっきの騒ぎの最中、イスタに耳打ちされたのだ。『俺を信じろ。口を閉ざせ』と。


「みなさん、本日の議題をお忘れですか? そろそろ本題に入りたいのですが?」

 イライラした声でキンダが告げると、国王ガイナが俯いた。

「それでは始めましょう。我がアトリス国に対しとんでもない非礼を働いたニース国王より、まずは経緯を説明いただきましょうか?」

 キンダが高圧的な物言いで事を進める。


 ガイナが、当時の状況をぽつぽつと話し始め、その場がピン、と張り詰めた空気になっていく。


 しかし、話を聞けば聞くほど、ララナの代わりをさせられたヒナはどちらかというと被害者であり、ハスラオに言いくるめられた小国の王、ガイナの気持ちもわからないではない、という印象を受ける。それほどまでに、小国の苦労というのは深いのだろう。だからといって許される行為ではないのだが。


「そのようなわけで、大宰相エイシル様からの書簡をいただいた時は驚きましたし、ヒナにも申し訳ないことをしたと改めて思いました。ただ、そんなヒナをリダファ皇子は大切にしてくれていると聞き、重大な嘘をついていることも忘れ感謝の意でいっぱいだったのです。まさかリダファ様がその事実を知らないとは思ってもおりませんでしたので……」


 視線がリダファに集まる。


 もしララナが国王の血を引いていないと知っていてもなお、リダファが彼女を認めていたならば、事態も少しは変わっていたのだろうか。


「今はもう、ヒナへの想いはない、ということなのでしょうか?」

 ガイナにそう訊ねられ、リダファはどう答えるべきか迷った。イスタには何も話すなと言われているし、下手なことを口にすればまた……、


 その時、乱暴に部屋のドアを叩く音がし、外から衛兵が走り込んできた。


「申し訳ありません! 急ぎ、報告いたしますっ。牢に捉えていたはずのヒナがおりませんっ!」

「なにっ?」

 キンダが立ち上がる。ウィルも険しい顔だ。

「逃げたというのかっ?」

「わかりませんが……先ほど見に行ったときにはもう、」

 キンダがイスタを振り返る。

「これはどういうことですかな? もしやあのとき、牢に入れずにあの者を外へ、」


 ゴゴゴゴゴ、


 大きな地鳴りの音がする。と、次の瞬間、

「うわっ」

「なんだっ?」

 地面が大きく波打った。

「なんだこの揺れはっ」


 一同が動揺する中、イスタがリダファの腕を取る。


「リダファ、行くぞっ!」

「え? は?」


 状況が呑み込めないリダファの腕を力ずくで引っ張り外へ。そのまま手を繋ぎ走り出す。

「なっ、なにがどうなってるんだ、イスタ!」

「話はあとだ! とにかくララナ様を探すぞっ、急げ!」

 そう言って全速力で駆け出す。


 リダファは走りながら、イスタと手を繋ぐのは子供のころ以来だな、などと考えていたのである。

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