第23話 意図せず
「出向くべきでしょう」
先の謀反で処刑されたハスラオとは裏腹に、影の首謀者だと言われていた副宰相であるキンダ・リー・フェスは証拠が何もなく罪には問われていない。それどころか、今でも副宰相としてアトリス国王に仕えているのだ。そして今、アトリス国王であるムスファに向け、リダファとララナのニース行きを進言しているのだった。
「そうだな。ララナとてもう一年以上ニースに戻ってはおらんのだし、いい機会だろう」
ムスファがキンダの意見に賛成の意を表明したことで、大宰相であるエイシルは口を閉ざすより他なくなってしまう。
事の発端は書簡。キンダと、ニースの宰相とのやり取りがあったようなのだ。そこで聞いたのが、ニース国王の体調不良の話だった。それをムスファに大袈裟に報告し、娘であるララナを返した方がいいのではないかと言い出した。娘の顔を見れば元気が出る、などと言えば、ムスファも首を縦に振らざるを得まい。それを覆すだけの材料など、エイシルにはなかった。
ララナが側室の子であることは全員が理解していた。本物のララナがすでに亡くなっていることもだ。それでも彼女がこの地でリダファの妻として留まっていられるのは、リダファの命を救ったこと、そして何より、リダファ本人の強い希望によるものだった。名を改める話も出たが、ララナ本人が『ヒナではなく、ララナのままで』と希望したためそのままになっている。とはいえ、それは彼女がニース国王の血を受けた正当な姫であることが大前提だ。
「リダファ、お前はどう思う?」
重心たちの集まった場でそう問われ、リダファは軽く肩を竦めると、
「特に異存はありませんよ」
と答えた。
後ろでイスタが溜息をついているのがわかったが、そう答えるより他ないだろう。結果的にはリダファが駄々をこねる必要もなくニース行きが決定した。
「では、そのように段取りを」
「畏まりました」
キンダが恭しく頭を下げる。
ついでに、仕切りは大宰相ではなく、副宰相の手元に渡ったのだった。
*****
「では山間部の視察は午後、予定通りに」
書類に目を通しながらイスタが告げる。昨日起きた山間部での土砂崩れの現場を視察に行くことになっていたのだ。隣国へ続く街道も土砂で埋まってしまい、大掛かりな工事が必要になる。孤立した集落への救済や、作物への影響などを現地で聞きこまなければならないが、それはどちらかというと側近たちの役目。リダファは単に、わざわざ現地に足を向け市民の安全を願う心優しき皇子としての役割を与えられているに過ぎない。
「ああ、構わないよ」
今日の訪問はララナと一緒ではない。ララナは別の公務が入っているからだ。
「……それにしても雨が続くな」
窓を見遣れば、今日も雨。
ここのところ、世界各地で異常気象が続いており、ここアトリスでは雨。水害があちこちで起きている。大陸の南の国ではひどい日照り続きだと聞いた。
「ニースへの慰問ですが、」
イスタが話題を変える。
「私も同行できることになりましたので」
あの船での一件以来、イスタは外遊の際、必ず付いてくるようになっていた。今回のように、大宰相ではなく副宰相が仕切る案件の時は特に、だ。あれからもずっと、キンダに対しては警戒を怠らない。
「妻の生まれ故郷に慰問に行こうってだけの話だぞ? そんなにピリピリしなくても、」
「何を言っているのですかっ。リダファ様はもっと緊張感を持ってくださいっ」
側近で友人でもあるイスタは、心強い存在であるとともに若干面倒でもある。なにしろ張り付いて離れようとしないのだ。
「緊張感ねぇ……」
緊張感ならそれなりに持っているつもりだった。大体、キンダが先の謀反の首謀者だとするならば、外遊先でだけ危険なわけではない。どこにいようが命を狙われる危険性はあるわけで……。
「善処するよ」
適当に濁すと、出掛ける支度をするため部屋に戻る。女中長であり、リダファの乳母でもあるマチが手際よく支度を取り仕切る。
「まったく、せめて雨が止んでからにすればいいものを」
ぶつくさとそんなことを言う。
「止むのを待ってたらいつになるかわからないじゃないか」
リダファが答えると、
「大体、坊ちゃんが現地に行ったって何も出来ないじゃありませんか。いいとこその整ったお顔でにっこり笑うのが関の山。現地には男たちしかおりませんから、それすら大した効力を持たないですしね。いっそララナ様が出向いた方がよろしいのでは?」
言いたい放題である。
「ララナは別の仕事だろっ?」
少しムッとしたように言うと、半笑いでリダファを見つめる。
「エルティナス外交官、マシラ様との会食でございます」
「ああ、またあいつか……」
チッと舌打ちをし、鏡を見る。金髪碧眼に整った顔立ち。可愛い妻にも恵まれた幸せな男がいる。しかし今鏡に映っているのは、ただの嫉妬深いガキのように見えた。
「毎回そんなお顔をいたしますがね、坊ちゃん。マシラ様は外交官として、エルティナスの国王様のお遣いできていらっしゃるのですから」
「わかってるよっ」
エルティナスの国王ジャコブはリダファにとって少し年の離れた兄のような存在だ。ララナと二人で訪問したあの日、幻の島クナウの文字が書かれた古い文献の歌を、何故かララナが知っていたことをきっかけに、ジャコブの研究熱が再び燃え上がってしまい、あれ以来、定期的にエルティナスから使者が送られてくるようになった。いわゆるディスカッションというのか。おいそれと国を出られる立場にないジャコブ国王の代わりに、外交官であるマシラ・セシアという男がララナの元を訪れるのだ。
このマシラという外交官が、リダファとは真逆のタイプなのだ。厚い胸板。高い身長。凛々しい眉に、短く刈り上げられた黒髪。そのくせ目は少し垂れ目で愛嬌があり、おまけにダンディーセクシーボイスときている。初めて彼がアトリスを訪れた時には、誰もが軍師だと思い込んでいたほどである。しかしその実、外交官でもありジャコブの研究仲間でもあるようで知見が深い。その見た目からのギャップに、女中たちは胸ときめかせ、大変な騒ぎだったのだ。
「ララナ様は坊ちゃん一筋ですよ。安心してくださいまし」
ニヤニヤ笑いでマチが言う。
急に恥ずかしくなったリダファは口を一文字に結んで、腰に手を当てた。
「言われなくても知っている」
そう言って大股で部屋を出て行った。
「……まったく、いくつになっても子供みたいなんだから」
マチが苦笑いでそんなリダファの後姿を見送ったのだった。
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