第20話 天使降臨

「おかあさ~ん、おなかすいたぁ~」

「ごめんね、もう少し、待っててね……」

「はぁ~……今日も奴隷のように働くだけか……」


 街の人々の悲しげな声音が響き渡る。

 それだけじゃない。ボロボロの寂れた家に暮らす人達も呟く。


「毎日、毎日生活が苦しくなるばかり……税が少しでも軽くなればいいんだけどねぇ」

「そんな事にならないでしょ。それじゃあ、お母さん。今日も働いてくるね」


 何処の家も困窮しているのが当たり前だ。

 安すぎる賃金と不当な労働環境、そして、重すぎる税の三重苦。

 それが常に街の皆には圧し掛かっている。


 でも、誰一人としてこの状況を変えようとする者は居ない。

 皆が、この生活を受け入れ、いずれ変わる事を願っている。

 誰かが変えてくれると。誰かがこの地獄を救ってくれる、と。


 ある人は祈っている。


『アマルティアの神よ、我等を救っていただきたい』と。


 救いを求め、祈りを捧げる。しかし、そんな祈りが届く事は無い。

 

 人々は見上げる。そこに見えるのは煌びやかな建物たち。

 あそこには高すぎる税を払い、アマルティア家の寵愛を受けた貴族たち。

 彼等もまた、自分たちから搾取する立場にある。


 むしろ、自分たちの生活が苦しくなるばかりで、彼等の生活は潤っている。

 一重に重すぎる税によって。自分たちの生活は苦しくなり、天上の存在は潤っていく。


 歪な世界。でも、それがここの当たり前だから。


 彼等は受け入れる事しか出来ない。これが世界の当たり前。世界の摂理。


 たとえ、逆らったとしても。天上の存在が持つ『騎士団』に葬り去られるだけ。

 あのレジスタンスという連中もそうだ。常に負けてきた。


 もう、戦う意義も、意味も無い。この世界が当たり前なんだから。


 今日も人々はこの地獄で生きていく。誰かが変えてくれないか、と願いながら――。


 奴隷のように働いていく――。









「……武器が集まってきてる。これなら、出来るかも」


 アマルティアの遥か上空。青空の広がるその場所に鎮座する一人の天使。

 黄金色の髪を靡かせ、背から生える純白の翼をはためかせ、空中で静止する。

 私――エステルは目の前に集まっていく武器を見つめ、心がざわつくのを感じた。


 ユベルくんは言った。


 私の役目で、この革命が上手く行くかどうかが決まっている、と。

 この作戦を聞いた時、私は最初出来る訳ないって思った。

 私にそんな事が出来るだなんて全く思えなかったから。でも、ユベルくんは言った。


 作戦の概要を全部説明した後に、二人きりの時に言ってくれた。


『辛い立場を任せる事になるし、エステルの言いたい事も分かる。すげー大変な事だし、辛いものを見る事にだってなる。こんな事出来ないって思う気持ちもさ』

『うん……私に出来るとは思えないよ……すごく、怖い……』


 私は自分の右手を見た。凄く震えてる。今でも怖いっていう気持ちは全然消えていない。

 でも、私は前を向く。だって、ユベルくんが言ってくれたから。


『でも、俺はこれが出来るのはエステルしか居ないって思ってる。パルマでも、俺でもない。エステルだからこそ出来る事なんだ』

『ユベルくん……』

『……エステル、俺はさ、ずっとずっと不安だよ』

『え?』

『これに失敗すれば俺は必ず死ぬ。それを俺は最初から分かってた。いや、これから先もずっとずっと俺は『死ぬ運命』がずっと迫ってくるんだと思う』


 その顔は、その横顔は何かに追われているようなそんな焦燥感に駆られた顔。

 死ぬ運命ってどういう事だろう? でも、そんな疑問はすぐに消える。

 ユベルくんの顔が何か決意に満ちた顔に変わったから。


『でも、俺は戦うって決めたんだ。自分自身の運命と。それに、エステル。戦わなくちゃ勝ち取れないんだぜ? エステルはどういう未来が見てみたい? この革命を終えた先でさ』

『……私は。ユベルくんと一緒に……過ごせる未来、かな?』

『……ぷっ!! アハハハハ!!』

『な、何で笑うの!! し、真剣に言ったのに!!』


 破顔一笑。笑うユベルくんは私の頭の上に手を置き、笑顔を見せる。


『だったら、一緒に戦おうぜ。それでそんな未来を一緒に掴み取ろうぜ。何、心配要らない。だって、俺はお前を信じてるからな』

「信じてる……私はユベルくんが信じてくれてる……ううん、ユベルくんだけじゃない。この作戦に関わった人達、全員が私を信じてくれてるんだ」


 私は初めての感覚だった。

 今までずっと不要と思っていた自分が誰かに必要とされている事が。

 そして、自分にしか出来ないとまで言ってくれる人が居ることが。

 こんなにも、嬉しくて、頼もしい事なんて無い。


 それと同時に耳元に聞こえる。それはリリィさんの声。


『――エステル様、聞こえますか? 騎士団を集めています。今の内にお願いします!!』

「……うん。分かりました」

『エステル様、頑張って下さい。貴方なら、やれます。そうユベル様が言ってましたから』

「うん……待ってて。全部、引っ掻き回すから」


 私は一つ息を吐く。いよいよだ。

 私はゆっくりと降下を始めながら、光魔法で全身を無理矢理照らす。

 出来るだけ神々しく見えるように。天からの救いの手が伸びているかのように。

 

 私がゆっくりと降下していくと声が聞こえてくる。


「な、何!? あれ!!」

「すっごい眩しい……あれは……天使様?」

「うわあ、天使だ、天使!!」

「な、何が起きてるんだ!! 一体……」


 人々が足を止め、真っ直ぐに私を見据える。中には私に祈りを捧げる人達まで。

 ユベルくんの言う通りだ。


『この街は、救いってのを求めてるんだよ。助けて欲しいんだ、この地獄を誰か救ってくれませんかって。それはエステルもそう思ってたんじゃないか?』

『うん……私も、そう思ってた』

『俺はさ、それは違うって思うんだ』

『え?』


 これも昨日言われた事だった。


『戦わなくちゃいけない。俺はそう思ってる。どんな事にもさ、立ち向かって勝たなくちゃいけない。誰かが救ってくれるなんて待ってても何も起こらないんだよ』

『…………』

『俺とエステルがそうだろ?』

『あ……』

『俺があの時、君を助けたから、今こうして一緒に居られる。こうして話せるんだ。それも俺と君が戦う意志を見せたからさ』

『わ、私は別に……』

『でも、あの時死ななかっただろ? 生きる事を諦めなかった。それもまた戦いだ』


 ユベルくんはニカっと笑う。


『俺は戦って欲しい。この街を取り戻すのはこの街に暮らす人達だ。俺はその手伝いをするだけ。君もその背中を押すだけで良いんだ。大丈夫、何か――救いだと分かれば、人はどうにかなるもんさ。だからさ、頑張って来い。天使サマ』


 私は一つ息を吐く。それから声を張り上げた。


「アマルティアに住まう人々よ。我はアマルティアの神 シズ様より神託を授かった天使エステリアである!!」

『て、天使様!! ああ、どうか、天使様、我等をお救い下さい!!』


 私の声と同時に人々は救いを求めるように祈りを捧げる。

 その光景は何処か狂気を孕んでいるように見えた。この世界から救いを求めている人達の嘆きが見えている。


 そうか。私は分かっていなかったのかもしれない。

 これがこの世界の現実。これを変える為にユベルくんは。


 それはどれだけの覚悟だったんだろう。

 どれだけの気持ちがあったんだろう。本当にユベルくんはこの世界を根底から覆そうとしてる。

 

 私は人々を見た。皆が膝を折り、祈る様。きっと、これが見たいんじゃない。


 私は歯を食い縛る。言わなくちゃダメだ。私は。


「……何故、祈る?」

『え?』

「祈った所でこの地獄は変えられない。我はその為にこの地に舞い降りたのではない。私は神託を授かったのだ。神から。それはこの地を救え、というものでは断じて、無い!!」

『…………』


 その声と同時に人々の顔に失意の色が現れる。

 落ち込んでいる。でも、この世界を変えるのは貴方達なんだ。私はその橋渡し。

 この人たちを扇動し、導き、戦わせる。それが私の役目。


 天に用意していた武器たちを私は、一気に降り注がせる。

 それと同時に地面に無数の剣や槍たちが突き刺さり、人々が目を丸くする。


「そなた等の目の前にある武器、それには神の意志が宿っている。我が受けた神託はただ一つ。この地獄を救いたくば――戦え!!」

『た、戦う……』


 私の声と同時にざわつき始める。皆が戸惑い、困惑する中、私は言葉を続ける。


「戦わなければ勝ち取れない、我が神は戦う者を決して見捨てない!! そして、その先陣を私が切ろう!! 救いを求めるならば、戦え!! この地に住まう悪魔を、己が力で討ち果たせ!!」


 言い放った瞬間、遥か遠くから何かが爆発する音が響き渡る。

 これは牢獄の戦いによって起きたもの? それに人々が目を丸くする。


『な、何が起きてるんだ!? 一体……』

「今、我が神託を受けた者たちが懸命に悪魔を滅する為に戦っている。今こそ、地獄を変えるときなのだ!! そなた等はどうする!? 未だ誰かに救ってくれと待ち続けるのか!! さすれば、この地は変わる事はない、永遠なる地獄となるだろう!! さあ――」


 私は両手を広げ、堂々と口を開く。


「この地を変える為に戦う、勇気ある者よ!! その武器を取れ!! 我と共に、アマルティアの悪魔を滅さん!!」

「…………」


 私の声を聞いた人々がゆっくりと武器を引き抜いていく。

 先ほどまで諦めていたその目には闘志が、意志が宿っている。私はそれを見て、安堵する。

 まだ決して消えていない。一人、また一人と武器を手に取り、天に掲げる。


「た、戦うぞ!! て、天使様もそう言ってるんだ!! それにこれは天啓だ!!」

「え、ええ!! そうよ!! 天使様が戦えって言ってるんだから!!」

「そうだそうだ!! た、戦うぞ!!」


 そんな声と同時に皆の士気を鼓舞するかのように雄叫びが上がる。

 一人が手に取れば、また一人。その流れは伝播し、気付けば、街中の人々が武器を手に取っていた。それで良い。今は戦う意志こそが大切だ。


 私は天で大きく翼をはためかせ、宣言する。


「さあ、この地獄を天国に取り戻す為に戦おうぞ!! 狙うは悪魔の首ただ一つ!!」


 私の声に呼応するかのように人々がアマルティア家の住まう屋敷へと進軍していく。

 これで良い。これが私の役目。後は――ユベルくん。


 ユベルくんに全てが懸かってる。


「……信じてるよ、ユベルくん」


 

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