第8話 本心

「ほら、もう泣き止めって。とりあえず、動けるか?」

「ぐすっ……うん」


 泣きじゃくる私に彼は優しい言葉を掛ける。

 それからゆっくりと彼は立ち上がり、私の手を握る。


「森を抜けないと………でも、街はどっちだ?」

「え? えっと……どっち?」


 ここで私も気づく。

 街を抜けてからすぐにモンスターに出会ってからは一心不乱に走り回っていた。

 そのせいか、今、どの辺りに居るのか全く分からない。

 それは彼も同じなのか、困ったように頬を掻く。


「どっちから帰れば……エステルは歩ける?」

「う、うん……少しくらい、なら」

「あっちの方は木々が少なくて、開けてるな。そっちに行こう」


 腕から血を流しながら言う彼に私は首を横に振る。


「だ、大丈夫なの? そんな腕で……」

「問題ない。噛まれた位だ。それより、君だって足を捻ってるんだろ?」

「こ、これもま、まだ大丈夫だよ」


 私のは森で少し躓いて、足を捻っちゃっただけ。

 両親が言っていたけれど、骨とかが折れていたら、動く事が出来ない程に痛いらしい。

 私の痛みはズキズキと軽く痛むだけで、歩く事は出来る。


 それでも、彼は私の手を優しく繋ぐ。彼の手から優しい温もりが伝わってくる。


「本当に、少しだけだからな」

「う、うん」


 目と鼻の先。ほんの僅かな距離を歩き、私は木々の隙間を抜ける。

 そして、辿り着いた場所を見て、私は目を大きく見開いた。


 そこはお花畑だ。

 全部が真っ白の花が咲き誇っていて、絨毯のように広がっている。

 それだけじゃない。何か棒のようなモノが沢山、地面に刺してあった。

 

 私の近くにもその棒が立っていて、そこにはこう書かれていた。


『可愛らしくも愛らしかったメイド フィリス  ここに眠る』


 それを彼は見た瞬間、顔を顰めた。


「……これは、そうか」

「どうしたの?」

「……悪い、少し、ここで休んでもいいか?」


 彼の言葉を聞き、私は頷く。

 ここは私も悪い気はしなかった。何だかとっても儚くて、美しい。そんな場所に思えたから。

 私が花畑の近くで腰を落ち着かせると、彼もまた座り、真っ直ぐ前を見据えている。


 私はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。


 さっきまで泣きじゃくっていた恥ずかしさもあるけど、彼が何を考えているのか全然分からなかったから。

 彼はどうしたんだろう。どうして、そんなにも悲しそうな顔をするんだろう。


 私は一輪の白い花を見つめ、口を開いた。


「あの、助けてくれてありがとう」

「……どういたしまして」

「……君はどうして私に着いてきたの? 私の事、知らない訳じゃないでしょ?」


 恐らくだけど、私の話は聞いた事があるはずだ。

 婚約破棄を何度もしてきた問題児、だと。どうせ、ここでもそうだと。

 しかし、彼は首を横に振る。


「いや? 全然知らなかったよ」

「嘘」

「嘘じゃない。いきなり婚約者って言われて、教育しろなんて言われただけだ。あの男にな」

「……お父さんの事?」


 私の問いかけに彼は頷いた。

 

「君も会ってるでしょ? あいつは多分、君を奴隷くらいにしか考えていないからね」

「……何となく分かる。あの人、何か怖かったから」


 私は思い出す。あのイビルという男と対面した時の事を。

 あの男はどうにも人間らしくなかった。貴族という気品の影に隠れた闇が深いようにも感じた。

 色々な貴族と婚約の為に会ってきた。その中でも変な人っていうのは多少なりとも居たけれど、ここの家はダントツでヤバイ、と思った。


 それが私の先入観によるモノかは分からないけれど、私は怖い、と感じた。


 あの人の言いなりになったらダメだと。すぐにこの島から出て行くべきだと。


 私の言葉を聞いて彼は溜息を吐いた。


「そっか……じゃあ、あの暴君っぷりはやっぱり虚勢か。それで今の君が素なんだね」

「あ……うん……そう、かも」

「……どうしてあんな事したんだ? お金だって盗んで、悪い事だろ?」

「だって……私はリュミエール家に帰りたかったから……捨てられた、って分かってても。私の居場所はあそこだから」


 私はそう言ってから自虐的に笑う。


「でも……やっぱり無理かもしれないね。私……ここで死んじゃうのかも」

「どうしてそう思うんだ?」

「……あの狼たちに襲われた時、私、安心しちゃったんだ。もう、終わるんだって」


 私はぎゅっと膝を抱え込み、呟く。


「もう……誰にも見られない、辛い思いをしなくても良いんだって。私はあの子たちのお肉になれば、あの子たちの役に立てたんだって……私の生きる意味はそこにあったんだって……安心、しちゃった」

「…………」


 私の言葉を聞いて、彼は歯を食い縛り、ぎゅっと拳を強く握る。

 それが腕に力を伝達したのか、血が少しばかり流れ落ちる。それでもお構いなしに彼は拳を強く握り締め、口を開いた。


「……エステル。君は生きたくないのか? 死にたいって事か?」

「多分……そうだと思う」


 あの狼に襲われた時、そう思ったのなら、それはきっと自分自身の本心だ。

 そうに決まっている。すると、彼は俯く私の顔を思い切り掴んで、真っ直ぐ、私へと向けた。

 私は目を丸くした。だって、いきなりそんな事させられるなんて思わなかったから。


 それに彼の表情が『怒り』に満ちていたから。


 彼は真っ直ぐ私の瞳を見据えて、言い放った。


「今、お前を見てるのは誰だ!?」

「……ユベルくん?」

「ああ、そうだ。俺は君から目を離さない。俺は君に生きていて欲しい。そう思ってる」

「……どうして? どうして、そう思うの?」


 生きていて欲しい? どうして? 私と君なんて出会って数時間程度だ。

 あの時、私は迷惑を掛けてばかりで好かれる所なんて何処にも。

 彼は私の顔を真っ直ぐ見据えたまま、口を開いた。


「俺は君の事は知らないし、君がどういう気持ちでここに来たのかも分からない。でも、生きていたら、俺は君の事を知る事が出来て、どういう気持ちでここに来たのかも分かるんだ。

 君の辛い気持ち、悲しい気持ちをほんの少しでも支えてやる事が出来る。でも、死んだら……死んじゃったら、それが出来なくなるんだよ」

「…………」


 彼は一つ大きく息を吐いてから、辛そうに言葉を紡ぐ。


「ここは……ここに立ってるのは全部、アマルティア家の手によって命を奪われた人たちの墓だ」

「え……」


 彼の言葉を聞いて私は言葉を失った。

 彼は辛そうに顔を俯かせて、口を開いた。


「ここにいる奴等は皆、まだ生きていたかったはずだ。明るい未来だってあったかもしれない。友達と仲良くする事だって、お話する事だって出来た……でも……死んだんだ。

 死んだら、何も出来なくなるんだよ。話す事も、友達になる事だって、何も出来なくなる。俺は……君がそうなるのは嫌なんだよ。君に生きていて欲しいんだ。俺は君と友達になりたいんだから」

「友達……」


 彼の言葉を聞いて、私が胸がきゅっと痛んだ。

 友達、私にはそう呼べる人は居なかった。ずっと家で姉を超える為に努力したり、気を惹く為のイタズラばかりしていたから。いつしか私の周りからも人は居なくなっていた。


 自分のせいだって分かってた。でも……私は。


「……なぁ、エステル」

「何?」

「君の本心を聞かせてくれよ。本当に思ってる事。本当に君が欲しいと思ってるもの」

「私の本心……」


 私が本当に欲しいと思ってるもの。

 それを考えた時、一番最初に頭に浮かんだもの。


 あの時、彼が守ってくれて、触れてくれた手の温もり。


 死にたいっていう気持ちなんかじゃなくて、私が今、一番欲しいもの。


 私は彼の手に触れ、それで私の顔を包み込むように掴ませる。

 優しい温もりに頬が包まれ、私は涙が抑え切れなかった。


「わたし……いきて、だれかにみとめられたい……だれかにひつようとされたい……」

「俺には君が必要だ。君と友達になりたいんだから」

「……うん、うん」


 私は涙を流しながら何度も頷く。

 彼の言葉が決して嘘ではないと分かったから。彼は本心で言っている。

 真っ直ぐ私と向き合って、私の全てを受け入れようとしてくれている。


 私はそれが嬉しかった。彼のこの包み込んでくれるような優しさが嬉しかった。


 彼――ユベルくんの手に私が触れると、優しく笑う。


「もう泣くな。君は絶対に笑っていた方が可愛いんだから」

「っ!? か、可愛いっ!?」

「ああ、そうだ。そうに違いないよ」


 私はすぐさまユベルくんから距離を取り、顔が一気に熱くなるのを感じる。

 でも、全然嫌な気分じゃない。むしろ、すごく嬉しい。


「ね、ねぇ、ゆ、ユベルくん」

「おう、何――」

「ユベル様ーっ!! エステル様ーっ!! どちらにいらっしゃいますかー!!」

「ん? この声、リリィか。エステル、どうやら迎えが来たらしい。ほら、手」

「あ……うん」


 手を差し伸べてくれるユベルくんの手を握り、私たちは歩き出した。

 

 その時、私は思った。


 この手を繋いでくれた彼の手を絶対に離したりはしないと。

 

 私を認めて、受け入れてくれた彼を離すなんて絶対にしない。


 私はずっと彼と共に居る――。

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