第6話 我侭
「……ねぇ、まだかしら?」
椅子にふんぞり返って座るエステルに俺は微妙な顔を向ける。
今、リリィが朝食の用意をしてくれているのだが、エステルお嬢さまはどうにも我慢強くないらしい。
俺は立ち上がり、リリィの元へと足を進める。
「リリィ、手伝うよ」
「ユベル様は座っていて下さい!! こ、これはメイドの仕事ですから」
「二人でやった方が効率が良い。この皿はこっち?」
「え、えっと……はい」
遠慮がちに頷くリリィを見てから皿の準備を進めて行き、飲み物の用意も進めていく。
後は、パンと。おかずはリリィが作ってくれているか。
俺は棚の中からパンを取り出すと、エステルが信じられないと言わんばかりに目を丸くする。
「貴方……この家の主、でしょ? 使用人のやる事をやるなんて正気?」
「……エステルさん。働かざる者食うべからずって言葉は知ってる?」
「知らない。何それ」
「働かないと食べる資格が無いって事。今、エステルさんは働いてないんだよ。だから、朝食を食べる資格なんて無いって事」
俺の言葉を聞き、エステルは目を丸くする。
「はぁ!? 私は婚約者ですよ!? どうして、使用人の真似事なんてしなくちゃいけないんですか!? 意味が分かりません!!」
「ゆ、ユベル様が特殊なだけで、殆どはやらないんですよ?」
「そうなのか……でも、やらせるだけってのは心苦しいしな」
「ふん、まぁ、こんな辺鄙な場所で貴族やってる人にはお似合いなんじゃないかしら?」
エステルが挑発するような物言いで俺に言ってくる。
その目も態度も完全に見下している。まぁ、それも無理は無い。
でも、俺はパンを用意しながら口を開く。
「でも、君はそんな辺鄙な場所で貴族をやってる人間の所に婚約しに来たんだけど……」
「婚約はしないわよ」
「どっちだよ……。婚約者って言ったり、婚約しないって言ったり……」
「使えるものは使うだけよ。私がリュミエール家に戻る為に」
戻る為に、ね。
リリィは食事の調理を終えて、皿に盛り付ける。
それから出来た食事をリリィの机に持って行き、置いた。
「お待たせ致しました」
「ふぅん、ありがとう。って、ねぇ!! 私、にんじんが嫌いなんですけど? どうして、にんじんのコレが入ってる訳? 食べたくない」
「も、申し訳……」
「謝らなくてもいい」
謝ろうとするリリィを静止し、俺はゆっくりとエステルに歩み寄る。
「食べてみろ、エステル。好き嫌いは良くないぞ」
「はぁ!? 私は食べたくないって言ってるの!! 何でこんなウマの餌を食べなくちゃいけないのよ!! 意味分からない!! 貴方が食べれば?」
「それ一つ作るのにどれだけの苦労があると思ってるんだ? 調理だってリリィがしてくれた。それを粗末にするのを俺は許さん」
貧乏一人暮らしをしていた身。
時折、食事に困る事だってあった。腹を空かして眠る時もあった。
それはとても辛いものだ。だからこそ、一日、一日、お腹いっぱい食べられる喜び。
それを好き嫌い如きで捨てようとするなど、俺は看過出来ない。
しかし、何一つ響いていないのか、エステルはつーんとそっぽを向き、卵焼きを食べる。
「私は良いの。だって、リュミエール家の令嬢なんだから。貴方、リュミエール家がどれだけ大きな貴族が知らないの?」
「知らん」
「ふふ、良いわ。教えて上げる。こんな辺鄙な場所とは違ってね、ここよりも何倍も大きな領土を持ってる貴族なの!! 貴方達とは比べ物にならないくらいエライのよ? 分かる?」
「はぁ……でも、君はどうしてそのリュミエール家からここに? ここは『墓場』って呼ばれてるのは知ってるか?」
「…………」
俺の問いかけに押し黙るエステル。それから先ほどの勢いなんて無くなり、もそもそと食事を進めていく。
……どうやら、地雷だったらしい。
俺も自分の椅子に腰掛けてから、リリィが用意してくれた朝食に舌鼓を打っていると、エステルはすぐさま食べ終わる。
綺麗ににんじんだけを残して。
「御馳走様。ま、まぁまぁね」
「ありがとうございます、エステル様」
「……ねぇ、アンタ」
「俺?」
もちゃもちゃ、とパンを食べている時に声を掛けられ、首を傾げる。
エステルは憮然とした表情のまま口を開いた。
「私は少し外に出てくるわ。ここに居てもつまらないし」
「おい、勝手に行動するな」
「私に命令しないで!! 貴方と私は違うの!! 貴方は下、私が上なんだから!!」
フン、と鼻を鳴らして外に出て行くエステルを放っておく事は出来ない。
万が一、何かの間違いでこの屋敷の闇を見てしまったら、エステルの心じゃ間違いなく耐えられない。俺は食事を全て口の中に詰め込み、リリィに声を掛ける。
「ふぉ、ふぉちそうさまふぇした!!!」
「ゆ、ユベル様!?」
「んくっ!! 今日も美味かった!! 夜も楽しみにしてる」
「ユベル様……あぁ、ありがたきお言葉」
外に出ようとするエステルの後を追い掛けて、俺は部屋を飛び出す。
廊下を我が物顔でズンズンと歩いていくエステルの後ろ姿を見つけ、俺は声を掛ける。
「エステル!! 勝手に動くな!! ここは危ないから!!」
「はぁ? ついてこないで!!」
エステルはそのまま走り出し、俺もまた走り出す。
エステルの足の速さはなかなかの物で、徐々にその背中が遠くなっていく。
俺の息は荒くなり、胸が苦しくなる。
「はぁ……はぁ……」
エステルは廊下を進み、階段を下りて行き、屋敷の外へ。
俺は苦しみながらもその背中を見つめ、目を丸くする。
「おい……待てって……」
どんどん遠くなっていく背中。
俺は屋敷の入口の扉にもたれかかり、呼吸を整える。
ど、どれだけ体力無いんだ、この身体は……。
しかし、エステルは屋敷を飛び出し、街の中へと消えていく。
さ、流石に放っておく事なんて出来ない。俺は疲れた身体に鞭を打ち、街の中へと足を踏み入れる。
そういえば、初めて街に入る。
街の中を見つめ、俺は言葉を失う。
俺の屋敷はとても煌びやかだ。物語に出てくるようなお屋敷。
でも、街の人たちの雰囲気がとてつもなく陰鬱だった。そして、俺を見る眼差しが厳しい。
何をしにきた?
あぁ、また面倒事になる。
顔が、表情がそう言っている。俺はそんな街の人たちを見つめる。
『……ユベル様だ』
『何よ、こんな所に……』
『どうせ、俺たちの事を笑いに来たんだぜ』
『……生活を苦しくさせてるのはどっちだよ。ここで、ユベル様を人質に』
『そんな事考えんな。騎士団を相手に出来ないだろ、俺たちじゃ」
不穏な事を呟く者まで居る始末。
それだけじゃない。今、俺の居る場所から見える屋敷を指差し、子どもが言う。
『ねぇ、私たちはこんなに貧乏なのに、どうして、あそこはあんなに綺麗なの?』
『あそこには偉い人が暮らしているからよ……』
『私もあんな所に住みたいなぁ~』
『こんなボロボロな家じゃなくて……うぅ、お腹空いたな……』
街に並ぶ家はどれもハリボテだ。
明確すぎる貧富の差。それがここ、アマルティアの常識なんだろう。
「ここまで……やってんのか」
目の前の光景に俺がショックを受けている時だった。
「ちょっと!! どうして私のいう事が聞けないの!? 私はリュミエール家のご令嬢よ!!」
「だから、それは常識的におかしいって話をしてるの!! それにリュミエール家からここに来たって事は、君は捨てられてんだよ!!」
「そ、そんな訳ありません!! 勝手な事を言わないで下さい!!」
街中で、腕にバンダナを巻いた二人組の男と言い争いをしているエステルの姿があった。
ただ、エステルが一方的に噛み付いているだけで、二人組の男は困惑している様子だ。
俺はすぐさま声を掛ける。
「エステル!!」
「なっ!? もう、来たの!! 何処までついて……私は一人が良いんです!! ほっといて下さい!!」
俺を見つけるや否や、脱兎の如く逃げ出すエステル。
俺はすぐさま駆け出そうとすると、二人組の男の内、赤いバンダナを頭に巻いた男が目を丸くする。
「あっ!! 財布が無い!!」
「何!? やられたのか!?」
「くっそ、あの小娘……」
「と、取り返してくるから!! 少しだけ待ってて!!」
俺は走りながら二人組の男たちにそう声を掛ける。
しかし、俺の脚ではエステルに追いつく事が出来ずにすぐに見失う。
それも鬱蒼とした森の中で。
「おいおい……確かここら辺ってモンスターが出るんじゃなかったか?」
万が一、彼女がモンスターに襲われて殺されでもしたら、目覚めが悪い所か、最悪だ。
今まで彼女はずっと暴走しているが、あんなの子ども癇癪のようなもんだ。
ただ、彼女は思い悩んでいて、それの発散方法が分からないだけ。
彼女ならばそれを乗り越えられるはず。
「見つけないと……俺はあの子を失いたくないって思ってるんだろ?」
それもまた理由だ。初めて見た時から可愛い子だと思っていた。
女っ気ゼロだった俺からすれば、女の子と仲良くできるチャンス。
「何処だ……エステルー!!」
声を上げて探していた時だった。
「きゃああああああああああああああああッ!!」
耳を劈くほどの黄色い声が聞こえた。これはエステルの声だ。
俺はすぐさま駆け出した。声のした方向へと。
草根を掻き分け、日の届き難い木々の隙間を抜けた先。
そこでは狼のモンスターに囲まれていたエステルの姿があった――。
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