第3話 リリィ=ピュワー

「うんまっ!! リリィは料理上手だな」


 夜ご飯時。

 私は目の前に座る主人であるユベル様を見つめる。

 ユベル様は満面の笑顔を浮かべて、私の作った夕食に舌鼓を打っている。


 まさか、こんな日が来るだなんて思わなかった。


 私は一般家庭に生まれた子どもだった。しかし、父親に大きな問題があった。

 父親がギャンブル狂いで借金を作ってしまい、母と共に姿を消した。私を残して。

 生きる術を無くした私はずっと別の所で『奴隷』として働き続けた。


 でも、それはある日、唐突に終わりを迎えた。

 奴隷として働いていた場所もまた、借金を抱えていて、私は仕事と住処、全てを失い、ここ『アマルティア家』に引き取られた。


 アマルティア家の噂は海の外にも届いている。

 『失ったものたちの終着点』 『現実に存在する地獄』 『悪魔の住まう地』


 絶海の孤島たるアマルティアに行く、という事は人間らしい生活を捨てる事になる、と。


 私はその道に堕ちてしまったのだ。


 そこからは本当に地獄のような毎日だった。


 鞭で打たれるのは当たり前、今、目の前に居るユベル様にだって何度もやられた。

 地下室へ行く事が決まったメイドたちの錯乱だって何度も見てきた。


 ここは地獄だって、私はずっと思ってた。


「リリィ、おかわり!!」

「はい。少し待って下さいね」


 ここには希望なんて無い、今日までそう思っていた。


 私はユベル様のご飯を用意し、それをユベル様の前まで持っていく。

 ユベル様はそれにがっつくように食べ始め、咀嚼しながら、口を開く。


「こんな料理を捨てるなんてマジでどういう神経してるんだろうな。リリィも食べなよ」

「私は使用人なので……」

「使用人とか関係ないって。ほら、一緒に食った方が美味いだろ」


 そう言いながら、ユベル様は私の前に用意された食事を食べるように進めてくる。

 本当に人格が入れ替わったかのようだ。

 

 前までだったら絶対にそんな事言わなかった。

 朝、ユベル様が変わったと言った時、私は何一つ信じられなかった。


 変わったという希望を見せて、更なる絶望に叩き落すのだと思っていたから。

 

 でも、地下室行きから守ってくれて、私の作った食事を、頭に被ったものを食べて、美味しいと言って、そして……頭を下げた。


 私と真っ直ぐ向き合って、謝罪の言葉を口にした。


 そんな事、前までだったら絶対にある訳ない行動。謝る事なんて出来ない人だったから。

 そんなユベル様が土下座をして。その時、私は理解しました。


 彼が本当に変わったのだと。そして、彼は信頼しても良いんだと。


 使用人という私達の立場は酷く弱い。

 主人の事は絶対で決して逆らう事は許されないのに、彼は自由にしろと言ってくれた。

 笑いたいときには笑い、泣きたいときには泣いて、怒りたいときには怒ってよいと言った。

 当たり前の事を当たり前に出来る生活。


 『人間』としての暮らしを許してくれた。


「……何かあった? リリィ」

「いえ。何でも……ございません」


 それを考えるだけで、今が幸せなのを感じる。

 私は何て幸せなんだろう、と。そして、ユベル様にどれだけ救われたんだろう、と。


 彼はこのアマルティア家を変えようと動いている。


 この地に『革命』を起こすと。私はそれを誰よりも応援する、そして、協力すると誓います。

 貴方が私を『人間』にしてくれたから。


 だから、今まで出来なかった会話を少しだけ。


「あの、ユベル様」

「ふぁに?」

「ユベル様の好物って何ですか?」

「んくっ……カレー、ハンバーグ……寿司、かな?」

「なるほど」

「言った事無かったか。じゃあ、明日はカレーが良い!!」

「……分かりました」


 そう言うと、ユベル様は頷き、食事を進めていく。

 その姿は6歳の少年らしくとても愛らしいもの。


 あれだけ憎いと思っていたのに、今ではこんなにも愛おしいと感じる。

 

 私はどうやら簡単な女だったようです。

 いえ、それもこの環境がそうさせているんだと思ってしまう。それだけここは――地獄だから。


 私は同僚たちの事を考えてしまう。

 彼女達は私とは違い、あの地獄に晒されている。きっと、今も地下室に連れて行かれる子も居るだろう。そう思うと、私は――。


 思わず私が食事の手を止めると、ユベル様が首を傾げる。


「リリィ、何かあった?」

「……私がこうしている間にも、私と同じメイドたちが苦しんでいると考えると……その、こうしていても良いのかなと思ってしまって」

「…………」


 私の言葉を聞いて、ユベル様も悲痛な表情に変化する。

 額に手を当て、歯を食いしばる。


「そう……だな……。なぁ、リリィ」

「はい?」

「地下室に……行っても良いか? 今日、この後」


 ユベル様の申し出に私はすぐさま首を横に振る。


「だ、ダメです!! あんな所、ユベル様が見るべきところではありません!! あそこは……本物の地獄です!! 絶対にダメです。それに夜だなんて……」

「それでも知っておきたい場所なんだ。革命をやる立場として、現実は知っておくべきだ」

「…………」


 私は怖い。

 もしも、あそこを見せて、またユベル様が元に戻ってしまったら。

 私は耐えられそうにない。この何気ない幸せが一番幸せなんだと知ってしまったから。


 こうして、人間と暮らせる事が。私は首を横に振った。


「それでも、私は見せたくありません。あんなの……見ない方がいいんです」

「……そうか。リリィがそこまで言うのなら、そうしよう。無理を言って、ごめん」

「い、いえ。ただ、怖いんです。優しいユベル様が無くなってしまいそうで……この幸せが無くなるのが……この当たり前が失われる事が……」

「大丈夫だ。この当たり前を当たり前にする為に戦うと決めたんだから」


 ユベル様はそう言ってから、机の脇に置いていた本を手に取り、口を開いた。


「その為の算段だって共に立てたんだ。私は決して変わらないよ」

「……私もそう信じています」

「そうか。ごちそうさま。美味しかったよ、明日も頼みたい」

「勿論です」


 話を打ち切り、ユベル様は手を合わせてから、立ち上がり、軽いストレッチをしている。

 私も立ち上がり、ユベル様の配膳を片付けながら思う。


 きっと、ユベル様は見に行くんでしょう。


 そんな気がします。だから、どうかお願いします。


 決して変わらないで。私は優しい貴方が大好きなんです。


 優しくて暖かいあの手が。そして、この当たり前を当たり前にして下さい。


 そうリリィは願っております。

 

 そして、その日まで、貴方を私がお守りいたします、この命に代えても。

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