第2話 革命の始まり

 リリィを連れて自室へと戻った俺は俯くリリィを見つめる。

 リリィは失意のどん底といった様子だ。

 当たり前、だろう。せっかく作った料理を目の前で捨てられ、奴隷にされるという話なんだから。

 でも、俺は最初から『奴隷』にするつもりなんてない。


 俺はリリィの頭の上に乗っている料理のお肉を拾い、それを口に運んだ。


「んぐんぐ……ん~っ!! やっぱり、美味い!!」

「な、何、してるんですか!?」

「何って勿体無いから食べてるんだよ。せっかく作った料理を捨てるなんてどういう事だろうな」


 俺はそう言ってからクローゼットの中からタオルを取り出し、キョロキョロと辺りを見渡す。

 水道は見当たらないか。いや、そこで思い出す。

 確か、この世界には魔法があったはず。そして、ユベルは多少なりとも魔法の才覚があったはず。俺は頭の中で水をイメージし、右手に力を込めてみる。


 それと同時に水が湿っていく。それで優しくリリィの頭を拭く。


「ひでぇ事、するよな。本当にさ」

「ゆ、ユベル様……私を、奴隷にしたのでは……」

「奴隷? あんなもん、あそこから逃がす為の方便だよ。俺は君を奴隷にしない。君は人間だ」


 優しく白い髪がもう一度綺麗に靡くように拭き取る。

 イマイチ、身長が足りなくて拭き難いが、それはしょうがない。

 俺は何とか拭き取り、息を吐く。


「良し。これで良いな。リリィの作ったご飯、美味かった。自信持ってくれよ」

「ユベル様……本当に、どう、されたんですか?」


 疑心暗鬼といった表情をしながら尋ねてくるリリィ。


「朝、起きられてからずっとおかしいです。いつもだったら、私を何度も何度も鞭で打っているはずです!! なのに、今日はずっと優しい言葉を掛けられて……一体、何が……」

「言っただろ、変わったって。俺は――『獣』から『人間』になっただけだ」


 俺は部屋の中にあった椅子に腰掛ける。

 戸惑うのも無理は無い。

 ここ、アマルティア家の日常は異常だ。

 メイドたちにとって、あんな事は日常茶飯事で、優しくされる事なんて殆ど無いんだろう。

 粗相をすれば、地下室行き。

 俺はリリィをまっすぐ見つめ、口を開く。


「俺は変わったんだ、リリィ。俺はもう君を打たないし、傷つけない。それとも、君は前の俺の方が良いのか?」

「い、いえ!! そんなはずがありません!! 今が!! 今が、良いです!!」

「じゃあ、深く考えなくて良い。俺が変わったって思っておけばそれで良い」


 俺がそう言うと、リリィは瞳をうるうると潤わせていく。それからポロポロと涙を流す。

 それに俺はぎょっとする。一体、どうしたというんだ。


「ご、ごめんなさい。あ、安心したら……涙が……止まらなくて……」

「…………酷い事をして、ごめんなさい」


 俺は知らず知らずの内に謝罪の言葉を口にしていた。

 そうだ、変わった事を伝えるのが最初ではない。彼女はきっと、ユベルにだって酷い事をされてきたはずだ。そんな人間がいきなり変わったと伝えられたって、戸惑うだけだ。

 俺がすべき事はもっと別の事だ。


 俺は椅子から折り、床の上に膝を付く。それにリリィが目を丸くした。


「ゆ、ユベル様!?」

「本当にごめんなさい。君に酷い事を沢山して……本当にごめんなさい。信じられないかもしれないけど……信じて下さい。お願い、します」

「そんな事、しないで下さい……そんな事しなくても、今のユベル様を見れば分かります」

「リリィ……」


 頭を下げる俺にリリィが近付き、涙を流したまま口を開く。


「貴方が拭いてくれた手が優しかったから。変わったんだと、分かりますから」

「リリィ……ありがとう。本当にありがとう」


 俺はリリィの手を取り、立ち上がる。それから椅子に座りなおし、一つ咳払いをする。


「んんっ!! とりあえず、リリィ。紅茶を淹れてくれないか?」

「紅茶ですか? は、はい!!」


 ぱたぱた、と慌しくリリィが部屋の中にあるキッチンを使って紅茶の用意をする。

 ほんのり紅茶の香りが部屋の中に広がり、俺はそれを堪能する。

 それが脳を活性化させ、思考を動かす。


 さて、これからどうするか。とはいっても、考えている事が一つある。

 リリィは紅茶と茶菓子をお盆の上に乗せて、俺の近くにあった机の上に持ってくる。


「紅茶です。お茶菓子もどうぞ。今朝、用意したものです」

「ああ、頂こう」


 俺はカップを手に取り、一口啜る。

 それと同時に口の中に広がり、ドロっとした甘みに俺は思わず噴き出す。


「ぶはっ!! んだこれ!? 砂糖じゃねぇか!!」

「えぇ!? ユベル様ってとてつもない甘党で……ご、ごご、ごめんなさい!!」

「悪い、紅茶はストレートで頼む……」

「わ、分かりました!! つ、作り直します!!」


 そりゃこんな体型にもなりますわ。俺は軽く自身の腹を叩く。

 6歳にも関わらず、ぽよん、と脂肪を感じる。それに顔だってふっくらしている。

 俺は自身のほっぺをモチモチしながら、呟く。


「こりゃ、ダイエットか」

「……必要ないと思いますけど」

「このままじゃ、俺がブタになるけど」

「それは……フフっ」

「あ、今、笑った? 笑ったよね?」

「い、いえ!!! ご、ごめんなさい!!」


 と、笑った事を咎めた瞬間、顔を青くして平謝りするリリィ。

 これは重症だ。俺は溜息を吐き、口を開いた。


「リリィ。これからは謝るな。俺の顔色を伺うな」

「え?」

「言っただろ? 君に酷い事はしない、と。だから、笑いたかったら笑え、泣きたいときは泣いて、怒りたいことは怒れ。そして、言いたい事は言ってくれ。それを約束しよう、リリィ」

「ユベル様……本当に、宜しいんですか?」

「良いんだよ。俺が良いって言ってるんだから」


 リリィから紅茶を受け取り、それを一口飲む。

 口の中に広がる紅茶の風味と香りを感じ、小さく頷く。


「うん。美味しい。君の淹れる紅茶は素晴らしいね」

「……ありがとうございます。ユベル様」

「それじゃあ、話を少し進めようか。リリィ、私には一つ計画があってね」

「計画、ですか?」

「ああ、私は両親を――糾弾しようかと思っている」


 俺の言葉にリリィが目を丸くする。


「きゅ、糾弾ですか!? そ、それは無駄かと思います」

「どうしてだ?」

「お言葉ですけど、ユベル様は糾弾した後はどうするんでしょうか? 本国に?」

「そうなるな。無理なのか?」

「はい。ここは絶海の孤島と呼ばれていて、その本土とは海を越えた凄く遠い所にあるんです。それにアマルティア家はそういう役割がある、と言いますか……」

「役割?」


 あ、そういえば。俺はそこで思い出した。

 

「本国で奴隷として売れ残った者や貴族の落ちこぼれなどが流される『最後の島』。そして、そんな彼等の利用価値を見出しているのがここですから。そして、その全権はアマルティア家に一任されています。あの、アマルティア家の蛮行は全て……許されている行為なのです」

「……そういえば、そうだったな。だとしても、俺もアマルティア家。内乱を起こし、権利を奪取すれば……」


 そうか。糾弾する必要なんて無いのか。

 俺は閃き、それをそのまま口にする。


「『革命』だ」

「はい?」

「リリィ、『革命』だよ。私を旗印に両親をこの島から追い出すんだ。そうしなくちゃいけないんだ」

「か……革命……」

「そうしなくちゃ、俺たちは滅びる事になる。こんな事を続けてたら……この地獄を変えなくちゃ」

「ゆ、ユベル様がお父様やお母様を……ほ、本気なのですか!? まだ、ユベル様は6歳なんですよ!? 無茶では……」


 リリィの気持ちは分かるけれど、俺は毅然とした態度を貫く。


「それでもやらなかったら、ここは一生地獄だ」

「地獄……ゆ、ユベル様、少しだけお待ち下さい!!」


 そう言ってから慌てた様子で立ち上がったリリィ。俺は首を傾げるが、何か思い立った事でもあったんだろうか。

 俺が待っていると、数分後だろうか。コンコン、と優しいノックがあった。


「リリィか? どうぞ」

「はい。あの、これをお持ちしました!!」


 そう言いながら、リリィが見せてくれたのは一冊の書物。

 タイトルに書かれているのは『アマルティア家の歴史』だった。それを手に取り、リリィが口を開いた。


「それはここの書庫にあったもので、アマルティア家の過去について知る事が出来ると思います。そうすれば、その、過去にアマルティア家を変えようとした人も居るんじゃないかなって思って」

「……ありがとう、リリィ。これは役に立ちそうだ」

「革命……ユベル様、私は見たいです」

「何を?」

「ユベル様が統治するアマルティア家を。きっと……優しい世界なんだと思います。こんな地獄より、私は天国が良いです」


 ニコリと笑うリリィを見つめ、俺は紅茶を一口飲む。


「ああ、俺もそう思う。さあ、リリィ。俺は6歳だ。まだ読めない文字があるかもしれない。それを教えてもらっても良いかな?」

「も、勿論でございます」


 そうして、俺とリリィは肩を寄せ合いながら、アマルティア家の歴史の本を共に読んだ――。

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