5-1
「…シア様…シンシア様!」
アンの呼ぶ声だ。
重く怠い瞼を開けると、灰色の瞳と目が合う。
「ネイピア様がお待ちですよ」
「…もうそんな時間か」
僕が床から起き上がると、アンが急いで服を着せる。
ネイピアが来る前にもう少し集中するつもりだったのに、途中で寝てしまったらしい。
ぼんやりしている僕を見て、「最近はちゃんと寝てますか?」とアンが心配そうに聞いた。
あんまり寝てないな。
もう少し集中すればマナがわかるかも、と思って毎日毎日気づいたら夜更かししている。
まるで大学受験の時のような生活だ。
それにも関わらず、修行の効果は一向に感じられなかった。
「ちゃんと寝ないと、大きくなれませんよ」
そんな小言を言いながら、アンはシンシアの黒い髪をとかす。
「あ、この辺ハネちゃってますね」
寝癖を直している時間はないからと、頭の下の方で小さな二つ結びを作った。
もうこんなに伸びたのか。
「…また切ろうかな」
「だめです!せっかく伸びたのに!」
無意味に時間が過ぎてしまったような気がして、何か嫌だった。
ーーー
「シディー…大丈夫?」
「ごめん、平気だよ」
ネイピアが小テストの採点をしている間にまた寝そうになってしまった。
慌てて眠気を振り払うが、ネイピアは眉を寄せて僕をじっと見る。
「本当に顔色が悪いわ。しばらくしっかり休みなさい」
アンと同じようなことを言う。
「僕そんなにひどい顔してる?」
「ええ、隈ができてるし、目もちゃんと開いてないわ」
確かに3歳児が隈なんて作ったらみんな心配もするか。
「だってもう半年くらい経つのにまだ何も変わってないんだよ?僕なんでこんなに上手くいかないんだろ…それとも他の人みんなこんなことやってるの?」
そうとは思えない。
精神年齢はほぼ大人な僕はともかく、他の受験生たちはまだ小学校入学前の子供だ。
成果が出ない状態でこんなに修行が必要なことを我慢して続けられるだろうか。
多分、ここまでやって上手くいかないのは僕くらいなんじゃないか。
そんな考えを察したのか、ネイピアは少し慎重な物言いをした。
「魔導師の家系の子はかなり厳しい教育を受ける場合もあるそうよ。他の子は…」
ネイピアは言うのを躊躇っているようだ。
「他の子はなんなの?」
僕は続きを促す。
「マナの感じやすさにも個人差があってね…すぐにはマナを感じられない人もいるわ。ごめんなさい、そういうことも最初に言っておくべきだったわ。」
個人差、つまり才能ってことか。
魔法はマナの量だけじゃ決まらない、上手くコントロールするのも重要だけど、そのコントロールが上手くできるかどうかも、結局マナに対する感度、才能が関わってくるわけだ。
そして王立アカデミーの魔法科に入るようなやつは、そういう才能も持ち合わせていると。
「ねえシディー、魔法を使うだけなら無理して魔法科に入る必要はないのよ?普通科に行っても魔法科の授業を受けることはできるし、大人になってから生活魔法を練習して使えるようになる人も多いわ。それに普通科なら、ほら、さっきの筆記試験対策の小テストも満点だしさ…」
「でも普通科に行ったら魔導戦士にはなれないだろ?」
ネイピアの言葉を遮る。
ちょっと不機嫌な口調になってしまった。
「どうしても魔導戦士にならなきゃいけないんだ…」
ああ、ネイピア困ってるな。
何も悪くないのに。
ネイピアは優しいから、無理だとは絶対に言わない。
今だって戸惑った顔を笑顔にして、「だったらもう少し頑張ってみましょう」なんて言ってくれる。
さっきの話をするのだってかなり心苦しかっただろう。
だけどネイピアだって王立アカデミーの魔法科出身で、選ばれた天才だったという事実が今は僕をさらに苦しめる。
マナの感度にも才能が必要だという話を今までしなかったのも、ネイピア自身がその点でそれほど苦労しなかったせいだろう。
それにネイピアが家庭教師として他の子も教えていることを考えると、僕ほどできない方が逆に珍しいのかもしれない。
修行は1ヶ月くらいかな、とか言ってたし。
僕じゃ魔導戦士になって男に戻るなんて無理ってことなんだろうか。
普通科に入ってエリートとして自立して、女のまま結婚を回避して生きるのが関の山か。
絶望的な考えに頭を支配されて、その後の授業の話はあんまり覚えていない。
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