第113話 会話を盗み聞きしているだけですよ?

「先に帰っていてください。私は用事があるので電車で帰ります」


「そうかね。あまり遅くまで寄り道するんじゃないぞ」


 南校の先生方と別れ、玲於奈さんはクルリと反転し、こちらに引き返してきた。

 僕の眼前でピタっと止まり、目を細めて鬱陶しそうに言葉を掛けてくる。


「さぁ、来てあげたわよ」


 南校のアイドル。深井玲於奈さん。

 この間バイト先で合った時は切羽詰っていて分からなかったけど、改めて観察すると同い年とは思えないほど美人だった。

 こんな美人が僕なんかと話をしていること自体が不思議な感じだった。


「ちょっと玲於奈さんと話をしたくてさ。できれば人が居ない所で話したいんだけど……うーん」


「いいから早くしなさい」


 相変わらずせっかちだなぁ。この辺は中学の頃から全然変わっていない。


「んじゃ、着いてきて」


 せっかく校門まで来たのだけど、僕達は学校側へ戻っていき、只管上を目指した。

 『人が居ない所』といえばあそこが一番に思い浮かぶ。

 まー、月羽以外の人とあそこで過ごすのは気が乗らなかったが、他に思い浮かばなかったのだから仕方ないだろう。


 学校の最上階まで上がり、扉を押し開いた。

 見慣れた景色、だけど妙に懐かしさを憶える。


「着いたよ」


「屋上じゃない」


「うん。人居ないでしょ?」


「適当な空き教室で良かったじゃないの。面倒くさい人ね」


 言われてみればそうだった。

 僕がさっきまで居た旧多目的室でも良かったことに今気づく。


「それで話って何よ?」


「んー、過去のこととこれからのことについて?」


「……どうして貴方が疑問形なのよ」


「ちょっと格好つけた言葉を使ったけど、ただ確認したいことがあっただけだよ」


「そう。何かしら?」


 玲於奈さんはいつも僕と月羽が経験値稼ぎをしているベンチに腰を掛け、脚を組み直してこちらをジッと見つめてくる。

 これがモデル座りと言うやつか。


「結論から言うけどさ。玲於奈さん、僕のこと怖がっているでしょ?」


「……っ!!」


 結論から言って正解だった。

 この表情変化は彼女にとって致命的だ。

 僕の質問に対して肯定しているようなものだ。


「雑誌モデルしているんだよね。友達から聞いたよ。いつからやっていたの?」


 話題転換したように見えるかもしれないが、話に関連性はちゃんとある。

 たぶん、それこそが玲於奈さんが僕を怖がるキッカケだろうから。


「……二年位前からよ」


 『期待の新星』みたいに騒がれているらしいけど、デビューまで地道な芸能活動の道のりがあったみたいだ。

 それにしても二年前か。

 僕と玲於奈さんが付き合っていた時期とピッタリ重なる。

 ……やっぱりか。


「怖がっていたから僕を絶望させようとしていたんだね」


「…………」


「怖がっている玲於奈さんには悪いけど僕を買いかぶり過ぎだよ」


「……念には念を押す必要があったのよ」


 一言一言が短い玲於奈さんが静かに語り出す。

 その瞳はどこか吹っ切れたような、そんな切なげな表情で遠くを見ていた。







    【main view 星野月羽】



「(深井さんが一郎君を怖がっている? 一体どういうことなのでしょうか?)」


「(……ねー、月ちゃん。なんか私達凄くいけないことをしている気がしない?)」


「(……? 別に悪いことしていないじゃないですか。遠くから一郎君と深井さんの会話を盗み聞きしているだけですよ?)」


「(そんな心底不思議そうな顔をされるとは思わなかったよ)」


 一郎君を追ってみると着いた先はいつもの屋上でした。

 今深井さんが座っているベンチに私が居ないが何だか無性にザワザワします。

 心の底から黒い渦のようなものが沸々と……沸々と……むむむぅぅぅぅぅぅぅぅっ!


「(星野クン顔が怖いぞ)」


「(うひゃぅ!? い、池さん!? いつの間に!?)」


「(つーか、高橋の奴、ふつーに深井と話してやがんな。アタシですらちょっと委縮する相手なのに)」


「(青士さんまで!?)」


 気付かないうちに池さんと青士さんが背後に居ました。

 二人が突然現れるのはいつものパターンですが、この不意打ちはいつまで経っても慣れないです。


「(暇だからきた)」


「(たった今停学を言い渡されたばかりですよね!?)」


「(傷が治ったからきたぞ)」


「(包帯グルグル巻きで言うセリフじゃないません!)」


 結局全員集合してしまいました。

 四人でソーッとドアの隙間から二人の様子を覗き見る。


「中学の時、親が勝手に事務所に応募してね。どうしても子供をアイドルにしたかったみたいなのよね」


「事務所なんかに通わなくても玲於奈さんは皆のアイドルだったじゃん」


「……私自身もその頃は学園のアイドルで十分だったけど。だからせめてもの反抗でアイドルから雑誌モデルに転換してみたのだけど、それが案外面白かったのよ」


 深井さんの過去話に入っているようです。

 聞く限り、煌びやかな過去を語っているみたいに思えますが、深井さんの顔に一切の笑みはなかった。


「地道な営業、宣伝、売り込み、色々なことをやったわ」


「すごいね」


「ええ。ウチのマネージャーは優秀でね」


「……玲於奈さんがやったわけじゃないんだ」


「当たり前でしょう。十代の女の子が営業なんかできるわけないじゃない。常識で考えなさい」


「……どうして僕は怒られたのだろうか」


 何だか……一郎君と深井さん……楽しそう。

 楽しそう……楽しそう……楽しそう……


「(月ちゃん! 病まないでっ!)」


「(まっ、気にすんな。なんだかんだで男ってやつは美人に弱いっつーことで)」


「(うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!)」


「(青士さんっ! トドメ刺さないのっ!)」


 うぅぅ、一郎君が元カノさんと話をしています。

 どうして現彼女の私がコソコソしなければならないのでしょうか。

 うううぅぅぅ。


「私ね。今はこの仕事が楽しくて仕方がないの。高校卒業後は芸能一本で食べていくつもりよ」


「もう夢があるんだ」


「仕事に全てを賭けるつもりで居るわ。だから恋人も捨てた。業界の勉強もした」


「……恋人って中黒クン?」


「ええ。彼にも凄く悪いことをしてしまったわ」


 中黒さん。一度だけ喫茶魔王に来てくれた人。

 あの人が深井さんの恋人だったなんて。


「だからこそ貴方が怖かった。私の過去の行いを知っている貴方がどうしても邪魔だったのよ」


 仕事が楽しいから一郎君が邪魔だった?

 一体どういうことなのでしょう?

 先ほどから深井さんの話は要点が掴めない。一郎君は何かを悟っているみたいですが。


「売れてきた今だからこそ過去の失態を世間にバラされるのが嫌だったんでしょ?」


「……貴方結論をズバリと言うの好きね。その通り過ぎてリアクションが止まったわ」


「過程から述べると話が長くなるでしょ? 苦手なんだ、人と長く話すの」


「そういえばそんな感じだったわね貴方。中学の時と変わっていない所もあるのね」


「いやいや、これでも成長したんだよ。最初は5分話すだけでも苦戦したけど、今は彼女のおかげでそこそこ長く語れるようになったんだから」


 懐かしい。

 出会ったばかりの頃の一郎君。

 一番最初の経験値稼ぎのおかげで少しだけ異性との会話に慣れたあの頃を思い出しました。


「……第五の条件を言ってみなさい」


「懐かしいなぁ、それ。えっと……『僕が玲於奈さんをフッたことにする』だっけ?」


「それは第四の条件よ」


 大きなため息を吐く深井さん。

 『条件』ってなんのことでしょうか? また一郎君と深井さんだけが通じ合っていますし……


「(んだよ。『僕がフッたことにする』って。高橋が深井をフッたんじゃなかったのかよ)」


「(それすら中学時代の偽りの一つだったいうわけだな)」


「(酷いよ。それじゃあ高橋君が可哀想過ぎるよ)」


 確かにその通りです。

 一郎君が中学時代に迫害されたキッカケは『一郎君が深井さんをフッた』という話があったせいなのに、その根源すら偽りだっただなんて。


「そういえば懐かしいね。10日間だけ付き合っていたんだっけ。僕達」


「貴方、長話は苦手っていう割には話を脱線させるクセがあるわね」


「いや、どうしてもあの頃の僕の気持ちを伝えておきたくてさ」


 その言葉に私の胸は一瞬ざわついた。

 もしかして一郎君はまだ深井さんのことを……


「中黒君との仲直りの為にピエロを演じさせた恨みを聞かせたいってわけね。いいじゃない。聞いてあげるわ」


「……いやまぁ、確かに心のどこかでは玲於奈さんを恨んでいたとは思う。だけど――それ以上に――」


「それ以上に?」


「――嬉しかったんだ。クラスの中で浮きまくっていた僕なんかに話しかけてくれて」


「はぁ?」


「例えピエロだったとしても、それでも僕なんかを相手にしてくれて嬉しかった。それだけは本心だよ」


「…………」


 それは感謝の言葉。

 桃色っぽい感情じゃなくて、純粋な感謝。

 ……そうであると今は自分に言い聞かせることにした。


「そうそう思い出した。第五の条件ってあれでしょ? 『貴方はこれからも生きる価値ないまま変わらないこと』」


「正解よ。貴方は成長しちゃいけなかったのよ。私のキャリアを守る為に。周りの私の失態を言いふらすような度胸を身に着けてはいけなかったの」


「んー、そんなこと言われてもなぁ。そもそもその条件だけは最初から絶対に守らないつもりだったし」


「あらそう。貴方中学の時から結構良い性格してたのね」


 な、なんなのでしょう、その二つの条件は!

 生きる価値ないままってそんなのいくらなんでも酷過ぎです!


「貴方が絶望し続ければ私の勝ち。絶望しなければ負け。私は最初の方から詰んでいたというわけね」


「だから買いかぶりすぎだって」


「それで? 結局貴方の望みはなんなの? 私の破滅? 世間に私の醜態を晒しまくって、私に仕返しするつもりなんでしょう?」


「玲於奈さんの中で僕はとんでもない畜生になっているんだね」


「別に晒してもいいのよ? 貴方にはその権利があるわ。私が今まで貴方にやった分の仕打ちを今度は私が受ける番だもの」


 『諦め』。深井さんの表情にはその感情がただ一色に浮かんでいた。

 ここで私は一つの事実に気付く。

 深井さんはそれほど一郎君のことを知らないのだということに気付いた。

 だって、一郎君を少しでも知っている人は次に一郎君がどんな言葉を掛けるかすぐに分かるから。


「いやいや、世間に晒すとか、そんな行動力溢れること僕にできっこないよ」


 自虐しながら、サラリと優しい言葉を掛ける。

 そうです。これこそが一郎君。私が彼を好きになった部分でもあるのです。


「……仕返ししないというの? 私は貴方の青春時代をめちゃくちゃにした張本人なのよ?」


「別にそのことはどうでもいいんだ。それに僕の青春時代は中学よりも今だと思ってるから」


「じゃあどうして私をここに呼んだのよ? 仕返し以外に何か用事があるっていうの?」

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