第89話 こ、これで、おあいこ……です

    【main view 星野月羽】



 結論から言うと私は一郎君と口付けをしたかった。

 いや、しようと思っている。

 明日、しようと思っている。

 実は言うと分かっていました。

 一郎君と恋人っぽくなれる方法。一番手っ取り早い方法。それはキスをしてしまうこと。

 だけど当然私はキスなんてしたことありません。なのでその方法というか、キッカケというか、どういうシチュエーションになれば好きな人とキスができるのかわからなかった。

 考えれば考えるほど泥沼の中に嵌っていって、そんな自分が恥ずかしくなっていつも途中で思考が中断されてしまいます。

 だから私は別の方法で一郎君と更に近づこうとしました。

 手も繋ぎました。一緒に映画も見ました。ゲームセンターにもいきました。デートたくさんしました。他にも楽しいこといっぱいしました。

 だけど、結局それは親友時代に全部やってきたことでした。

 つまり私達は何も進歩していないということを思い知りました。


 ある日、私は『カポカッポォ』というカップル力を上げる施設の存在を知った。

 ここでなら! と思った。

 だけど、そこでも最後に待ち受けていた試練は『キス』でした。

 結局私達はキスをしないことには先に進まないと悟った。


「結論が……同じなら……」


 行き着く先が同じなら。

 最後まで考えてみようと思いました。

 どうすれば一郎君とキスできるのか、どういうキッカケがあればいいのか、どんなシチュエーションならベストなのか。


「一晩かけて……徹底的に考えます!」







 週明けの月曜日。

 さて、問題の日だ。


――『げ、月曜日覚悟してくださいね!』


――『さ、先に言っておきますけど、今回の経験値稼ぎは、せ、成功したら100EXP獲得ですから! き、気合いを入れましょうね!』


 と宣言されていたので言われた通り覚悟をしてきた。

 せっかくの100EXPなんていう大きな経験値を稼げるチャンスなんだ。この期を逃すわけにはいかない。

 うん、経験値の為。経験値の為。


「一郎君。お弁当食べませんか?」


「……ん?」


「だからお弁当です」


 覚悟を決めて放課後に屋上へ訪れたが、開口一番月羽は経験値稼ぎの話題ではなく、なぜかお弁当の話題を繰り出してきた。

 どういうつもりだ。経験値稼ぎの前触れだろうか。

 でも月羽からお弁当を貰うなんて初めてだ。手作りかなぁ?

 経験値稼ぎもいいけど、このイベントも素敵なかほりがする。

 小腹も空いたし、せっかくだから頂いてみ――


「魚っ!」


「はい! お魚弁当です!」


 月羽から差し出された弁当箱を開けると、死んだ魚のような目とご対面した。

 というか死んだ魚と目が合った。


「魚弁当っていうか……魚だよ!」


「はい。だからお魚弁当ですよ?」


「いやいや、魚しか入ってないじゃん! ご飯は!? おかずは!?」


「ふっふっふー。お魚は主食であり、菜食なんですよ」


「手抜きを巧みな言葉で誤魔化さないで!」


 本当にどういうつもりなのだろうか。

 今日の月羽はいつも以上にネジが緩んでいた。


「ちなみにこのお魚の種類とか気になりません?」


「えっ? 別に……」


 インパクトあるお弁当だけど、不味そうなわけではない。むしろ美味しそうだ。

 美味しそうならば魚の種類とか別に気にならない。

 さて、一口目を早速口に――


「どうして気にならないんですかぁ!」


    バンッ!


 僕が一口目を口に運ぼうとした瞬間、月羽が大きな音を立てながら椅子を立ていていた。


「今から接種する魚なんですよ! これから一郎君の栄養の一部になる食べ物なんですよ! これが毒まみれの魚だったらどうするんですか! 一郎君は警戒心と好奇心に欠けてます!」


「毒まみれの魚を食べさせるつもりだったの?」


「そんなわけないじゃないですか! 一郎君が毒で死ぬなら私も毒で死にます!」


 いつも以上に月羽さんは狂っていた。


「とにかく僕は月羽を信じているからね。月羽が作ってくれたものなら僕は無条件で受け入れるよ」


「い、一郎くぅん……」


 うん。僕にしては気の利いた言葉を言えたな。

 ちょっと臭いかもしれないけど、月羽との恋人関係を深めるためにはこういう言葉も必要になってくるだろう。

 進歩した、僕。


「ど、どうしてこういう時だけ嬉しい言葉を言うんですかぁ! いつもみたいに『これが魚? まさかな』とか言ってください!」


 僕がいつそんな寒いダジャレを言った。僕だったらもっと高度なダジャレを言うぞ。例えば『サワラをさわらない』とか『サケは叫ばない』とか高度なダジャレを。


「まあまあ、美味しければいいじゃん」


「駄目です!」


 頑固だ。なぜそんなに意固地になっているのか。

 この子の思考はこちらが考えて分かるような単純なものではない。

 ならば流れに乗るのが吉。月羽と付き合って見付けた発見の一つだ。


「それじゃあ聞いてみようかな。この魚の名前は何かな?」


「え、えへへ……それはですね――」


「あっ、分かった。キスでしょ。この魚。この小骨が喉に詰まる感覚には憶えあった」


「なんで先に言うんですか!」


「骨多いけど、アッサリとした味で美味しいよね」


「美味しいですけど! 美味しいですけどぉ~!」


 月羽が何か言いたそうに腕をブンブン振り回している。


「もういいです! 次の作戦です!」


 なぜか唇を尖らせながら自分のカバンをゴソゴソ探り出す。

 ちょうど僕がキスを完食したタイミングで、月羽は筆入れから一本のペンを取り出していた。


「ほらほら、一郎君。これこれ。見てくださいよー」


 月羽が取りだしたのはシャーペンのようだ。

 ノック先に何やらファンシーな物が付いていた。


鳳凰鼠ほうおうねずみ!」


「さすが一郎君! 隣町のマスコットキャラクターまで把握しているなんて話が早いですね!」


 マスコットキャラクター『鳳凰鼠』。

 隣町は中国神話の伝説の霊鳥をマスコットとしている。

 しかし、そのまま鳳凰をマスコットとして使っては色々な所から苦情が来てしまうと考えた市長は一つの提案を申し出た。

 『この街は鼠が多い』。

 何を思ったのか市長はそのことを売りにし出したのだ。

その結果、生み出されたのが鳳凰と鼠を組み合わせた怪物マスコット『鳳凰鼠』である。


 月羽がいきなり取り出したペンの先に付いているのがその鳳凰鼠。

 良い言い方をするとゆるキャラ。

 悪い言い方をするとキモキャラだった。

だってこれただ羽根の生えたリアル鼠だしなぁ。どうしてこんなデザインにしたし。


「可愛いですよね?」


「…………」


 さすがにこの月羽の問いかけには賛同できなかった。

 前々から気付いてはいたけれど、この子のセンスは何か計り知れない方向へ進んでいる気がする。


「実はですね、このシャーペン。記念品でして、何と! 喋るんですよ!」


 喋る……シャーペン?

 なぜシャーペンに喋らせるのか。


「この鳳凰鼠の鼻の所を押しますと――」


『ちゅぅぅうううぅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅううううううぅ!!』


「…………」


 うるさい上に長かった。


「ほら、一郎君、ちゅーちゅー」


「う、うん。ちゅーちゅー……」


 僕はどう返したらいいんだろう。

 とりあえず月羽が楽しそうだからいいけども。


「ちゅーちゅー」


「……ちゅーちゅー」


 とりあえず月羽に合わせてみた。


「ちゅーちゅー」


「ちゅーちゅー」


「ちゅうちゅう」


「ちゅうちゅう」


「ちゅうちゅうちゅう」


「ちゅうちゅうちゅう」


「どうして察してくれないんですか!」


「急にキレたっ!?」


驚きながらツッコミを返す。


「ぅぅうう……私の奥の手を持っても一郎君の鈍感力に勝てないなんて……完敗です」


なんか知らないうちに勝利していたようだった。

 うーん。月羽の痛さは知っていたつもりだけど、これは痛さを通り越してもはや可哀想に見えてきた。


 実はいうと月羽の言いたいことは密かに伝わってはいた。

 『キス』の入った弁当を食べさせることでキス――接吻を連想させていたこと。

 無理やりな理由付けだけど只管『ちゅうちゅう』言い続けることでチュウ――口付けを連想させていたこと。

 ものすごーく遠まわしで分かりづらい月羽のアピールにも辛うじて気付いていた。いや、本当に分かりづらかったけど。

 ていうか、昨日のヒントが無ければ僕も気付くことはできなかっただろう。


――『さ、先に言っておきますけど、今回の経験値稼ぎは、せ、成功したら100EXP獲得ですから! き、気合いを入れましょうね!』


 つまり、もう経験値稼ぎは始まっているのだ。

 察するに『キスができたら100EXP獲得』ということだろう。

 今までで一番達成が難しそうな内容の経験値稼ぎだ。

 だけど同時に今までで一番失敗したくない内容であることも確かだ。


「はぁ……今日は失敗ですかね……」


 月羽が残念そうな顔をしながら項垂れている。

 どうやら万策尽きたようだ。あの奥の手をどれだけ信用していたんだ。

 しかしまぁ、そういう涙ぐましい努力を含めて月羽だよなぁ。この健気さがなんともいじらしい。

 彼女の努力に報いてやりたい。

 ……いや、そうじゃない。僕自身がこの経験値稼ぎを達成したいんだ。

 思えばいつもいつも月羽から頑張ってくれていた。

 日頃の経験値稼ぎを考えるのも月羽だし、デートに誘ってくれるのも、告白してくれたのも月羽だ。

 僕はいつもその頑張りに乗じるだけだった。


「(たまには……)」


 たまには僕から頑張りを見せてもいいはずだ。

 いや、今こそ僕が頑張らなければいけないのだ。


 先に告白してくれたのが月羽なら――

 僕は――


「……ねえ、月羽」


「はい?」


「今からキスするけど怒らない?」


「はい?」


 キョトンとしながら月羽は確かに『はい』と言った。

 若干語尾が高いけど、僕はそれを了承と取る。


「それじゃ……失礼して……」


 しかし、キスってどうやってやればいいんだ?

 顔だけ近づけるってのは変だよな。

 ……そうだ! ラブコメアニメではこういうとき肩に手を置いていたっ!

 とりあえずそこからだ。


    ガシッ!


 緊張のせいか、肩を掴む手に力が入った。

 月羽の顔が良く見える。

 長い髪の隙間から覗える大きな瞳。意外と長い睫毛。キメ細かい白い肌。微かに漂う女の子の香り。

そして相変わらずキョトンとしていた。

よしっ、月羽が我に返る前にやってしまおう。

 や、やってやるぞっ!


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 見つめあったまま動かない僕ら二人。

 ……いや、動けよ! 僕! またいつものヘタレ癖か!

 し、しかし、本当にいいのだろうか。

 勝手にキスする流れを作った僕が言うのも変だけど、こんな風に唇を奪って良いものだろうか。

 泣かれたりしないだろうか。

 後で訴訟とか起こされないだろうか。

 考えれば考えるほど、僕の硬直化は進んで行った。


「…………いい……ですよ……」


「へっ?!」


「……ど……どうぞっ」


 月羽は力強く目を瞑り、唇を少しだけ尖らせる。

 火傷しそうなくらい顔を赤らめていた。


「…………」


 また、月羽が勇気をくれた。

 僕がヘタれた時はいつも月羽が助けてくれる。

 相変わらず凄いなぁ。月羽は。

 だからこそ、僕も頑張れる。


 彼女の肩に置いた手を引き寄せるように顔を近づける。

 って、引き寄せてどうする。僕から近づくんだ。

 月羽の唇を目掛けてゆっくりと近づく。

 心臓の音が聞こえるみたいだ。

 僕の緊張は、たぶん月羽に伝わっている。

 肩に置いた手が震えているから、当然彼女に伝わっているだろう。

 だけど、僕にも彼女の緊張が伝わっている。

 月羽は身体全体を震わせながら待っているからだ。

 月羽の身体の震えは、肩に置いた手からも伝わってくる。

 つまりは二人とも緊張で震えているんだ。


 どちらかが先に緊張を超えて行動を起こさなければならない。

 それは僕の役目だ!

 リアル迷いの森で震えていた時も、学食経験値稼ぎで震えていた時も、僕は落ち着きを取り戻して月羽を支えてあげられた。

 出来るはずだ。

 今まで出来たのだから今更出来ないなんてことはないはずだ。

 ここまで場を整えてもらってヘタレるのだけは絶対に嫌だった。



 ゆっくりと……ゆっくりと……ゆっくりだけど確実に月羽に近づいていく。


 激しく動く心臓の音を無視して近づいていく。


 ……キスをするだけで僕はどれだけ時間を掛けているんだ。苦戦しすぎだ。


 いや、これはEXP100の経験値稼ぎなんだ。故に苦戦して当然なんだ。


 だけど――


 これで――




「「~~~~~~~~~ッ」」




    ――100EXP獲得だっ!




「…………」


「…………」


 二秒足らずだったが、確かに僕らの唇は重なり合った。

 恥ずかしい。

 キスする前も恥ずかしかったが、キスした後の方が恥ずかしかった。


 どうしよう、この間。

 ただ恥ずかしいだけのこの間。


「…………」


「…………」


 駄目だ! 恥ずかしさに耐えられない!


「じゃ、お先に下校させてもらうよ!」


 逃げの一手の先制攻撃。


    ガシッ!!


 うおっ! 腕を掴まれた!

 ギリッ、ギリッ、と肉を抓られる音が聞こえる気がした。

 この子、たまにとんでもない力を発揮する時があるけど、こんなにもパワーを秘めていたのか。普通にめっちゃ痛い。

 しかし、逃げの言っても封じ込められてしまったので、再度恥ずかしい間が僕を待っていた。

 そして、今度は月羽の方から僕の肩に手を置いてきた。


    グィッ!


「わわ……っ」


 肩に置かれた手より負荷を掛けられ、僕は押し倒されてしまう。

 そのままベンチに寝っころがる形になり、僕の頭の両脇に月羽の両手が置かれている。

 視界いっぱいに月羽の顔が広がっている。

 改めて見ると、月羽は整った顔をしている。

 皆、長い髪に気を取られてしまうけど、こうしてみると美少女だよなぁ。

 いつまでも眺めていたい美少女だ。

 その美少女の顔がゆっくりと近づいてくる。

 って、近づいて――?


「んんっ!」


 ぼーっと月羽の顔を眺めていたらいつの間にかその美少女の顔がゼロ距離まで近づいていた。

 一度目のキスで紅潮しすぎて熱っぽくなっていたせいで、月羽から迫った二度目のキスは不思議と自然に受け入れることができた。


「こ、これで、おあいこ……です」


 なんのおあいこだろう。

 僕がキスをしたことで月羽に対抗心が生まれてしまったのかなぁ。


「と、とりあえず、どいてもらえるかな? そ、その、なんというか、この体制は凄く、その、恥ずかしい」


 自分でも思う。どこの乙女だ僕は。


「そ、その前……に……」


 押し倒された体制のまま、月羽は右手を震わせながら上げる。

 ん? なんだ? ぶたれるの? 僕。勝手にキスしたから殴られるの?


「は、早く、手を出してくださいよぉ……」


「あ、うん」


 言われた通り、僕も右手を上げる。


    ペチンッ。


 乾いた音が屋上で小さく鳴り響く。

 あっ、これいつもの経験値獲得のハイタッチか。されるまで分からなかった。


「100EXP……獲得……です」


「う、うん……これで610EXPかぁ」


 互いに熱にうなされるように言葉の歯切れが悪い。

 顔が熱すぎてのぼせそうだ。

 早い所湯冷まししたい。


「あ、暑いですね」


「うん。ホントにね」


 暑い……というか熱い。

 身体が溶けそうなくらい熱い。


「でも、せっかくだから……もう少しだけあつくなってみましょうか」


「へっ?」


「えぃ」


「~~!」


 可愛らしい掛け声と共に再度僕と月羽の唇の距離がゼロになる。

 まるで迷いのないキスだった。


「これで二対一。私の勝ちですね」


 何がっ!?

 と思うが、頭全体が熱暴走を起こしている為にツッコミの言葉すら出せなかった。

 経験値は獲得したけど、HPがレッドゾーンに突入している。

 さすが獲得経験値100EXPだけある。こんなにも体力が削られるなんて。


「私的には……もう一度くらいしてもいいかなって思うのですが……」


 月羽さんが全力で僕にトドメを刺そうとしていた。


 結局この後もう一度だけキスを交わし、気恥ずかしいまま解散することとなった。

 やばいなぁ。明日まともに月羽の顔を見せるだろうか。

 今日一日だけで僕らの恋人経験値がかなり上がった気がする。

 僕は順調に恋に溺れているようだった。

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